心霊学研究所
『シルバー・バーチの霊訓(5)』を読む

七章 動物は死後どうなるのか
(その2)


 

(承 前)

 しかし、いつか人類が今よりも進化して、地上世界全体のバイブレーションが上がれば、この地球の様相は、今とはまったく違ったものになるのでしょう。……夢のような話ではありますが。

 「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」という問いに答えて、シルバーバーチはこう言っています。

「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すれはするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと小羊が仲良く寄りそうようになります」

 本当に夢のような話ですね。もちろんこれはものの譬えでしょうから『ジャングル大帝』じゃあるまいし、本当にライオンと子羊が寄り添う事は(霊界以外では)有り得ません。しかし、霊性の進化がライオンのような肉食獣をも、いつか別の生物に進化させることでしょう。(もちろん、一部のトンデモな人達が言うような「霊性のシフト」かなにかが起こって数年でそんな変化が起こることは有り得ません。動物界にそれほど大きな変化が起こるとしたら、何千万年……もしかしたら何億年もかかることでしょう)
 そこまで極端な事を言わなくても、普通に考えれば、地球全体の霊性の進化によって、どう猛な動物に生まれ変わる霊がいなくなれば、その動物は絶滅するという事が考えられます。

「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」

 

 霊界には、生前、人間にかわいがられていた動物達が、再び飼主と一緒に暮らせる日まで生活する「動物界」があるようです。

「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺戟された動物のすべてがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことでさびしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっしょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます」

 動物の霊の場合、人間と違って肉親などの身寄りがいるわけではありませんし、友人や守護霊もいません。ですから霊界側で、飼主が霊界に来るまで世話をする専門家が必要なわけです。
 野生の動物の場合は、死と同時に類魂に没入してしまいますから、そういう事は必要有りません。

「そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」

 こういうことは、わりと頻繁にあるようです。僕の個人的知り合いの中には、霊感の鋭い人が何人かいます。その中でも動物を飼った事のある人達は、かなりの割合で、死んだペットと会っていると言っています。
 余談ですが、僕がかよっていた某県立芸術大学には、感受性の強い人が多いためか、ほとんど「霊能者」と言っても良いぐらい霊感の鋭い人がゴロゴロいました(僕自身は全然でしたが)。それに加えて古戦場跡という場所柄もあって、結構面白い話もいろいろあったものでした。が、それはまた別の機会に(^^;。

 話を戻しましょう(^^)。
 その、動物達の世話をする専門家というのは、どういう人達なのでしょうか。シルバーバーチの言葉を見てみましょう。

「その世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人たちです。それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのといっしょです。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いがもてなかった人間によって世話をされるのです。もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何一つ無駄にはされません」

 こういうのを読むと、霊界というのは本当に良くできていると感心します。すべての要素が歯車のように上手く噛み合っていて、何も無駄になることが無いんですから。

 もっとも、この世での獣医の経験が、果たして霊界でも通用するのかという疑問はあります。しかし、やはり物質界の肉体と霊界の霊体とのあいだにも、何らかの類似性はあるようです。

 一例として、心霊治療の技術の一つに、霊体手術というのがあります。通常の心霊治療との違いを説明するのは難しいのですが、読んで字の如く、霊体を手術するのだそうです。心霊治療家の背後の治療家の霊が、患者の霊体を手術するのだということです。心霊治療家は、患者より数センチ上で、実際の外科手術のような手の動きをするのだそうです。
(詳しくは、潮文社刊『霊体手術の奇跡』G・チャップマン著、近藤千雄訳)

 もちろん、そういう事を抜きにしても、医師のノウハウというのは、単なる技術的なことや、知識だけではないはずですね。

 

 さて、人間と動物の関わり合いを語る上で、動物実験の問題を避けて通ることはできません。シルバーバーチは何と言っているでしょうか?

「神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途な気持でいっしょうけんめいなあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし摂理を犯していることに変りありません/
 動機はなるほど結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分かっていながらなお意図的に苦しみを与えるということは、それなりの責務を自覚しているものと看做(ミナ)されます。動機は人のためということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成できません」

 つまり、動機と結果の二点から、加点と減点が為されるということですね。この『加点と減点の法則』(←いま僕が名付けました(^^;)は、いろいろな事に当てはまるようです。譬えば、他人を助けるための自殺とか、戦争などで国を護るためと信じて人を殺したりした場合などです。

 ところで、動機ということからも(動物実験に関して)

「神の摂理に反した方法からは正しい治療法は生まれません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験では発見できません」

ということもシルバーバーチは言っています。

 

 イエスの教えの中に、動物に関するものが少ないのは何故かという質問に答えて……

「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったからです
/あなたがたはイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降りてきたのであって、人類全体のためではありません。イエスにはイエスの特殊な使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に愛情をもっていても、使命達成のために、その教えをできるだけ制限したのです。その使命というのは、当時の西欧世界を蝕(ムシバ)んでいた時代おくれの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、人生の照明灯(サーチライト)として難解なドグマに代る単純明快な人の道を説くことでした
/ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。イエスは例の黄金律を説きました。すなわち〃汝の欲するところを人に施せ〃ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にもむごい仕打ちは出来ないはずです」

 確かに、イエスの教えは素晴らしいものだと思いますが、あまりにも神聖視し、絶対視するべきではありませんね。だって人類は、イエスの当時より2000年分は進歩しているハズなんですから。

 

 7章はこれで終わりです。動物に関してもっと詳しくは、『ペットが死ぬとき』(『ペットは死後も生きている』改題)(ハート出版)を一読されるとよいでしょう。著者はシルビア・バーバネル。シルバーバーチの霊媒のモーリス・バーバネルの奥さんです。

(初出11/01/95・11/11/95 Nifty-Serve FARION mes(13)・11/27/95 mes(16) )


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