心霊学研究所
『シルバー・バーチの霊訓(5)』を読む

七章 動物は死後どうなるのか
(その1)


 

 引用文中の“/”は“中略”です。かなり大胆に省略している部分もありますので、なるべく本を買って読んでくださいね。 

 七章は動物の死後についてです。僕もペットを飼っていますから(しまリス二匹と、猫一匹(^^))特に興味を惹きつけられるところです。
 まず、動物は死後、どこで暮らすのかという質問に答えて……

「/死後も生前のままの形体を維持するか杏かはその動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼主----この飼主(Owner)という言葉は好きではありません。他の生命をわがものとして所有する(own)などということは許されないのですから----その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主のところで暮らします。愛のある場所が住処(スミカ)となるわけです。/動物界に住むのは飼主より先に霊の世界へ来た動物にかぎられます。誰かに世話をしてもらわなくてはならないからです。さもないと/一時的にせよ〃不滅性〃の要素を吹き込んでくれた〃愛〃から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。/その主人が来るまで動物界へ行ってそこで面倒をみてもらいます。それはちょうどあなた方が遠出をする時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

 これは、ペットの場合の話ですね。人間同士の場合と同じように、人間と動物のあいだにでも、愛の絆があれば、死後もその関係は続くと云うことです。一時的に世話をする者がいない時に、霊界側の専門家が世話をすると云うのは、人間の子供の場合と同じですね。

 時々出てくる議論に、「人間のために動物を飼うというのは、人間の身勝手ではないのか?」というのがあります。しかし、これらのシルバーバーチの言葉を読む限り、それは間違いのようです。
 彼らは、一方的に人間のためだけに飼われているのではなく、人間から愛されることで、不滅性の要素----個性、または自我----を得ることができるのでは無いかと思われます。もっとも、その個性は、人間ほどしっかりとした物ではありません。飼主との愛の絆が薄れると、自然に消滅して、類魂の中に埋没していきます。

「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは、決則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。/しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。どんなに遠く遡(サカノボ)っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。/
 さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなたがた人間も動物に対して/動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。/愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同志でもそうですし、勤物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物----犬、猫、その他のペット類----へ向けられる愛は死とともに終るのではありません。愛があれぱこそ生命は進化するのです」

 ここで勘違いしてはいけないのは、「動物を所有して、支配する」のでは無いということです。人間は、同じ道の少し先を行く先輩でしかありません。後ろをついてくる友人に、パートナーとして接するべきであると云うことです。愛情を持って接してやれば、家族の一人として、愛情を分かち合う事ができるでしょう。身勝手な飼い方をしていれば……彼らは単なる“動物”のままでしょう。

 しかし、同じ愛の絆で繋がっているとしても、人間同士の場合と、人間と動物の場合で違うのは、人間と動物には、必ず別れるときが来ると云うことです。

「/人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるかわかりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。/人間のペースについて行けなくなる時が来ます。/人間が霊的に向上すればするほど、動物はそのスピードについて行けなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます」

 ここで出席者から「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか」という質問が出ました。それに答えて……

「その通りです。そこに人問と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物ではなくなり、人聞の段階に到達したことになります。ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人聞と一緒に暮らすわけですから、その愛の糸が切れてしまえば、もとの類魂の中に戻るほかはありません」

 悲しいことですが、向上への欲求を持つレベルに至った人間と、まだ理性さえ持たない動物とでは、進化の速度が違ってくるのは仕方のないことでしょう。多少なりとも個性のような物を持ったとはいえ、彼らはまだまだ類魂の中の一つの要素にしか過ぎないのですから。
 いつか(遥か時の彼方の)どこかで、違う形で出会うことがあるかもしれません。でも、お互いに、気付くことは無いんでしょうね。

 せっかく人間と共に暮らして進歩しても、類魂の中に埋没してしまうのでは、無駄なのではないかと思われるかもしれません。しかし、それによって類魂全体が進化するわけです。そして、そういう体験を積み重ねて、やがて人間として生まれることのできる段階に至ります。

 個の進化が全体に貢献するというのも、人間の場合と同じですね。確かに、現在のレベルこそ違います。しかし、同じ道を、先に歩き始めたか、遅れて出たかの違いだけで、根本的には同じものだと云うことです。

(類魂説については『類魂とは何か』のコーナーをご覧下さい)

 

 人間は、犬や猫をペットとして可愛がり、動物はその愛を受け入れようとしています。シルバーバーチはその理由を、犬や猫が、もうすぐ人間として生まれて来られる段階まで進化しているからだと言います。近親感を意識するわけです。

「あなた方はまさか/カブト虫に温かい人聞愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。」

 しかしながら、小鳥なども人間に生まれ変われるほど進化しているわけではありません。一時的に前に出ているとは言えるのですが。

 霊的進化は、一直線に進んでいくものではありません。螺旋を描くように、一時的に下がったり、進んだりしながら、全体として進んでいくのです。
 図をご覧下さい。単純に現時点での霊格を比べると、▲の位置にいる霊は、□の位置にいる霊よりも、進化して見えます。しかし、もっと深い視点(この図のような、進化の道筋が観られる視点)で観ると、この様に□の方が▲より、遥かに先を行っているということも有り得るわけです。

(図)螺旋の右に進むほど進化

 この図で言うと、小鳥やウサギなどはさしずめ、螺旋の▲の位置にいる霊だと言えるでしょう。

 

 「寄生虫は人間の邪心の産物と言うが、自然の産物ではないのか」という質問に答えて。

「たしかに直接の原因は衛生の悪さ/にありますが、さらにその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人たちの同胞への利己心、同胞への非人間性に行きつきます。/そういう利己心を棄て/我欲や野心を生む制度を改めれぱ、害虫や寄生虫は発生しなくなります」

 テレビでよく見ますよね。蝿まみれになっている、アフリカの子供達の映像を。
 私たちはあれを観て、どこか遠い世界の出来事だと思っていなかったでしょうか。その時だけ「可哀想に」と思っても、次の瞬間には「自分が生まれたのが、あんな所でなくて良かった」と言って済ませて、忘れてしまっていないでしょうか。
 しかしそれは、同じ地球上に住む同胞として、私にも、あなたにも、責任のある問題なのではないでしょうか。それを知らぬふりを決め込むのは、同胞への非人間性、利己心、邪心に他ならないのです。

 

「大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すれぱするほど、自然界の暗黒が滅っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との聞には密接な関係があるのです。人聞の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はあり得ません」

 霊的視点無しに考えると、傲慢とも思える考え方ではありますね。

 自然保護を訴える人達は、今までは、人間は自然界の破壊者と捉えてきたと思います。そして実際に、従来の西洋文明と、自然や動物とのかかわり合いは、“破壊”や“支配”でした。人間が自然に係わることは、破壊することでしか無かったわけです。
 東洋的な考え方はもう少しマシで、人間と自然の“共生”ということを言ったりするようです。
 シルバーバーチの言葉は、もっとぶっ飛んでいますね。自然も人間も、共に成長していくこと。人間が、自然を生かし、進化させていかねばならないと言うのですから。それはもちろん、西洋的な“開発”という事では無しにです。

 本当にそれができれば素晴らしいことですが。ただ、現状を考えると、自然を進化させるのは夢のまた夢。どんなに頑張っても「殺してしまわない」程度に守るのが精一杯なのではないでしょうか。あまりにも情けない状況に、絶望さえ感じます。
 自然を破壊すると言うことは、結局、人類全体を危機的状況に陥れることなんですが....。これもまた「今さえ良ければ、自分さえ良ければ良い。」という、人間の邪心の現れなんでしょうか。

 

(その2に続きます)


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