心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.11.29公開)

四十三.天狗の力技


 

 こんな風にお話するとすべてが人間界の出来事のようでおかしいんですけど、もちろんこの天狗さん、私たちに見せるためにわざと人間の姿に化けて、人間のような挨拶をしてくれたんですよ。道場だって同じことです。天狗さんに有形の道場はいらないはずなんですが、とっかかりがなくては捉えどころがありませんから、仮に人間界の剣術道場のようなものを作り上げて、わたしたちに見せてくれたんでしょう。幽界の住人はこのように、まあ天狗さんに限らず化けるのがお上手ですから、あなた方もどうぞそのおつもりで私の話を聞いてくださいね。そうしないと全部が何となくお伽話のように見えちゃって、さっぱり価値のないものになりかねませんから。

 さてその時私たちが面会した天狗のお頭さんは、なんでも仲間内でも強い影響力を持った大物だったそうです。そこでおじいさんが、何か不思議な事をして見せてくれないかと頼みますと、二つ返事で承知してくれました。

『私たちの芸というのは大体こんなものでござる。』

と言ったかと思うと、天狗さんは稲妻のように道場から飛び出し、あっという間に庭にそびえている一本の杉の大木に駆け上がっちゃいました。それはちょうど人間が平地を駈けるように、指先一つ触れずに大木の幹を蹴って、空に向かって駆け上がったんです。その早いこと、早いこと。私は思わず席を蹴って立ち上がり、あきれて上を見上げたんですが、その時にはもう天狗さんの姿は木のてっぺんの枝の茂みに隠れてしまっており、見失ってしまいました。やがて梢の方でバリバリという大きな音がしてきました。

『おや、木の枝を折っているな。』

 おじいさんがそう言われるうちに、天狗さんは直径一尺(約30.3cm)もありそうな長い大きな杉の枝を片手に持って、二、三十丈(約60〜90m)の虚空から、ヒラリと身を躍らせて、私たちの眼の前に降り立ちました。

『どうですかな。人間よりは少しばかし腕っ節が強いでござろう。』

 得意そうな顔をして天狗さんはそう言うと、次に彼は手にした枝を、あたかも紙くずのように片っ端から引きむしっては捨て、粉々にしてしまいました。

 私はそんな天狗さんの力量に驚くよりもむしろ、そのあくまで天真爛漫な無邪気さにまいってしまいました。

『あんなしかつめらしいお顔をなさっているくせに、心の中はなんてかわいらしいんでしょう。これなら神様のお使いとして十分お役に立つに違いないわ。』

 私は心の中でそんな事を考えました。私はこのときから天狗さんを大好きになりました。もっとも一口に天狗といっても、やはり色んな種類、段階があり、中には性質《たち》の悪いのもいます。修行未熟の野天狗なんかになると、神様の使いどころか、罪のない人間をおもちゃにしてイタズラする始末なんですから。そんなのは私も大っ嫌いです。皆さんもなるべくそんな悪い天狗にかかわり合われぬ様、お願いしますね。でも困った事に、こちらから人間の世界をのぞいてみると、つまらない野天狗の虜《とりこ》になっている方々がずいぶんいらっしゃるようですわね。大きなお世話かもしれませんが、そんな様子を見るにつけ心が痛みます。くれぐれも天狗さんとお付き合いになるなら、できるだけ強く、正しい、立派な天狗をお選びくださいね。まごころから神様にお願いすれば、きっとすぐれたのをお世話してくださるはずですから。

 


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