心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.09.22公開)

三十八.姫の生い立ち


 

 私たちは次から次へとあふれてくる話題で話が弾みました。霊《みたま》の因縁というのは本当に不思議な力を持っているみたいで、これが初対面なんですけど、お互いの間にあった壁はきれいに消え去って、まるで血のつながった姉妹みたいになんでもかんでも心の底までお互い打ち明けあったのでした。

 私なんかご存知のとおり何の取り柄もない短い生涯を送ったものですけど、それでも弟橘姫さまは、私の現世での波乱に対して心から同情を寄せてくださり、親身になって聞いてくれました。『あなたもずいぶん苦労なさったのね。』そういって私の手を取って涙を流してくれた時には、私は申し訳ないやら有難いやら、とにかく胸が一杯になり、我を忘れて姫のお膝にすがりついてしまいました。

 でもそんな話が面白いのはきっと私だけで、あなた方にとっては面白くも何ともないでしょう。でもその時弟橘姫さまご自身の口から漏らされた遠い時代の秘話は、ぜひここでお伝えしておきたいと思います。何しろ日本の歴史上ナンバーワンのヒーローは大和武尊《やまとたけるのみこと》様であり、ヒロインは弟橘姫さまなんですから。このお二人に関する事跡が少しでも現世の人々に伝わる事になれば、私の拙い通信にも初めてホンのちょっぴり意義が生まれてくるというわけなんです。これは私にとってはすごく光栄な事ですわ。でも私の言う事が、果たして日本の古い書物に載せてあることと合っているかどうかは、はっきりいってよくわかりません。私はただ自分がうかがったままをお伝えするだけですから、その点はよくよくご了承の上で取捨選択してくださいね。

 それからもう一つお断りしておきたいのは、私が伝える事は決して姫ご自身のお言葉ではなく、ただ意味だけを伝える事に過ぎないということなんですの。というのは、当時の言葉は含蓄が深いと申しますか、まあはっきりいってわかりにくいんですよね。それで失礼とは思いましたが、何度も何度も質問して、やっとここまで取りまとめる事ができたんです。だから少しは私の聞き損ね、思い違いなども混じっているかもしれませんので、その点もどうぞご了承ください。

『あなたさまの生い立ちなんかをお聞きしてよろしいですか。』

 折をみて私はそう切り出しました。すると姫はしばらくじっと考え込まれ、それからやっと口を開かれました。

『遠い遠い昔の事ですので、生まれた土地の名も、家族の名もすぐには思い出せません。ええ、生まれたところは安芸《あき》(旧国名の一。広島県西半分に当たる。芸州。大辞林第二版より)の国府(律令制下、諸国に置かれた政庁。また、その所在地。国衙《こくが》。府中。同)です。父は安芸淵真佐臣《あきぶちまさおみ》といい、代々安芸の国の司(首長)を承っていました。もっとも父は当時の帝に召し出され、いつもお側に仕えておりましたので、一年のほとんど国を留守にしており、国元には女子供がいるばかりでした。』

『ご兄弟はいらっしゃいましたか。』

『自分は三人兄弟の真中で、後の二人は男子でした。』

『いつも国元にばかりいらっしゃったんですか。』

『そうばかりではなかったんですよ。たまには父のお供をして大和に上り、帝のお目通りをした事もあります。』

『あのー、大和武尊様ともやっぱり大和でお会いになったんですか。』

『そうではないわ。国元の館で初めて会いました。』

 山の湖のように澄み切った気高い姫のお顔にも、さすがにこの時だけは心の動きが現れ、すっと赤くなられました。私はここぞと張り切っちゃいまして、構わず質問を浴びせました。

『どうぞそのときのことをもう少し話してくださいませんか。あんなに深い夫婦のご縁が、ただかりそめに結ばれるはずはないですものね。』

『さあ、どの辺りからお話すればよいのかしら。』

 姫はしばらくうつむいて考え込んでおられましたが、そのうちだんだんその堅い口がほころんでいきました。お話の前後をつなぎ合わせると、大体それは次のような次第だったのです。

 


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