心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.02.17公開)

八.岩屋


 

 話が少し前に戻りますが、この辺で一つ取りまとめて私の最初の修行場、つまり私がこちらの世界で真っ先に置かれました境涯について、一通りお話しておくことにしましょう。実は私自身もこちらの世界に眼を覚ました当初は、ただもうくやしさや悲しみで胸が一杯で、自分の居場所がどんな所かというようなことに注意するだけの心の余裕はとてもなかったのです。それにあたりが妙に薄暗くて気が滅入るようで、誰しもあんな境遇におかれたら恐らくあまりほがらかな気分にはなれそうもないんじゃないかと考えられるほどです。

 でもそのうちあの最初の頃の心の嵐がおさまってくるにつれ、私の傷だらけの頭の中にも、少しずつ人心地《ひとごこち》が出てきました。うとうとしながらも私は考えました。

 『私は今こうして、たった一人ぼっちで寝ているけれど、一体ここはどんなところかしら。私が死んだのなら、ここはやっぱり冥土に違いないんだけど、三途の川を渡ったような気がしないし、閻魔《えんま》様らしいものにあった記憶もない。なんだか腑に落ちないわ。もう少し明かりがさしてくれるといいんだけど。』

 それから頭を枕から少しもたげて、おぼつかない目つきのまま、あたりをあちこち見回したんです。そのうちどこからともなく一条の光が差し込んでくると同時に、自分の置かれている所が、一つの大きな洞穴----岩屋の内部であることに気付きました。

 『あらあら。私はなんて不思議な所に居るんでしょう。夢を見ているのかしら。それともここは私の墓場?!』

 私は全く途方にくれ、泣くにも泣けないような気持ちで、ひしと枕にかじりつくより他ありませんでした。

 その時突然枕もとに例の私の指導役の神様が現れ、色々とありがたい慰めのお言葉をかけ、詳しいお話をしてくださいました。かゆいところに手が届くというか、神様の方では、いつもしっかりこちらの胸の内を見すかして、時と場合のピッタリ当てはまったことを説き聞かせてくださるんですから、どんなに物分りの悪いものでも最後にはおとなしく耳を傾けることになってしまうんです。私なんかはずいぶん我執《がしゅう》の強い方でしたが、それでもだんだん感化されて、まるで肉親のおじいさんのようにお慕いするようになりました。いつしか私はこの神様のことを、もったいないとは知りつつも『おじいさま』なんて呼ぶようになっちゃいました。前にも話しましたが、私のようなものでも何とか一人前になることができましたのも、ひとえにおじいさまのご指導のたまものでしょう。とにかく世の中に神様ほど有難いものはありません。良くも悪くも、影に隠れて、人知れず何やかやと世話を焼いてくださるんです。そこのところがわからないものですから、とかく人間はわがままな振る舞いをしたり、慢心が出たりして、とんだ過ちを犯すことにもなるようです。こちらの世界に来てみるとそういうことがだんだんわかってきますよ。

 うっかりつまらないことをお話してしまいましたわ。それではこれより急いで、あの時神様が幽界の修行のことやその他について言い聞かせてくださったことの要点を、以下に述べておきましょう。

 『あんたは今岩屋の中に居ることに気付いて、いろいろ思い迷っているらしいけれど、この岩屋は神界の方であんたの修行のために特別用意して下さったありがたい道場なんだから当分ここでみっちり修行を積み、早く上の境涯へ進む工夫をしなければならんよ。もちろんここは墓場ではない。墓は現界(地上界)のもので、こちらの世界に墓などありはしない。今あなたの眼には、この岩屋が薄暗く感じるだろうが、修行が進めば自然と明るく感じるようになるよ。ここでは暗いも明るいも本人の能力次第、心の明るいものはどこにいても明るく、逆に心の暗いものはどこにいても暗いんだ。さっきからあんたは三途の川や閻魔《えんま》様のことを考えていたらしいが、あれは仏教における方便。まるっきり嘘ではないが、事実ともいい難い。あのようなものを見せるのはすごく簡単なことだが、わが国の神の道として、一切方便は使わないよ。あんたは一人でこの道場に住むことを心細いと思ってはいけない。入り口には注連縄《しめなわ》が張ってあるので、悪魔外道の類は絶対中には入ってこられないし、何かあっても神の眼が見張っているから、少しも心配することはないよ。全ての人の修行場は、それぞれ異なっているもの、家の中にあるものもあれば、山の中に置かれるものもある。親子夫婦の間柄でも決して一所には住まないもの。その天分、行いなどがみんな違っているからね。ただしそういった間柄でも逢おうと思えばいつでも逢えるけどね。』

 話が終わるや否や、神様は私の手をとって起こしてくださいました。『あんたも一つ元気を出して、歩いてみなさい。病気は肉体のもので、魂に病気はないんだから。これから岩屋の様子を見せてあげよう。』

 私はついふらふらと起き上がったんですが、不思議とそれっきり病人らしい気持ちが消えてしまいました。同時に今まで敷いてあった寝具類も煙のように消えてしまいました。私はその時から現在にいたるまで、一度もふとんの上に寝たいと思ったことはありません。

 それから私は神様に導かれて、あちこち歩いてみて、岩屋の中外の模様をすっかり知ることができました。岩屋はかなり大きなもので、高さと幅はおよそ三四間(約5.5m〜7.3m)、奥行きは十間余り(約18m)もありました。そして真中のところでちょっと折れ曲がって、出口はやや斜めになっていました。岩屋のある場所は相当高い岩山のふもとで、山のすそをくりぬいて作ったものでした。入り口に立ってあたりを見ますと、見渡す限り山また山ばかりで、海も川も一つも見えません。現界の景色と較べて大きな違いはありませんが、どことなく清浄で奥深い感じがしました。

 岩屋の入り口には神様の言われたとおり、新しい注連縄《しめなわ》が一筋張ってありました。

 


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