心霊学研究所
『欧米心霊旅行記』浅野和三郎著
('01.01.05登録)

第六信 ロンドン雑記(2)
本屋あさり


 

 ハムステッドの宿へ落ち着いてからは、一時も早く旅の疲れと、例の風邪とを退治すべく、私はなるべく出かけないようにしていましたが、そのうち気候も二十度付近まで盛り返し、セキやクシャミもどうやら遠のいたので、八月七日には、青柳さんを案内人にたのんで、心霊書あさりに出かけました。ついでに書いておきますが、青柳さんは満鉄から特派されている、二十五才の青年留学生で、ロンドンに来てから、まだやっと半年になるか、ならないかですが、もともと頭の回転が速く、語学が上手で、且つ年齢《とし》が若いと来ているので、モー立派にロンドン見物の顧問役、案内役がつとまるのです。私はこの人がいたので、どんなに助かったか知れません。

 私たちの宿からは、市内のめぼしい場所に出るのに、安価な三通りの交通機関があります。すなわち電車、地下鉄、およびバスで、右のうちの終わりの二つが最も愛用されます。地下鉄は、縦横に市内のどこにも通じ、かつ速度が速いので一ばん便利ですが、混んでいる時には、ずいぶんトンネル内の空気が汚れているようです。その乗り換えは、少し慣れてくると案外に容易です。バスは二階付きの馬鹿に大きなもので、赤や青でこってり塗りたくった外観は、決してロンドンの街頭の美観に合うシロモノではありませんが、地下鉄より遅いかわりに、気が晴れ晴れしているのがその特長で、相当客を引いています。

 「今日はバスで行きましょうか?」

 「そうしてみましょう」

 私たちは宿から100m足らずのバス終点に行って、その二階に陣取りました。日本の普通の二階屋のベランダにもたれかかった格好で、お上りさんたちには、ちょっと危なっかしいように感じられました。

 「これでゴロリと引っくりかえった日にはたまらないな……」

 「たまにはそんな事があるそうで、ずいぶん死人もあるらしいです。転覆の場合を考えると、二階は危険でたまりません。この次からはなるべく下階《した》に乗りましょう」

 こんなことを言っている間に、早くもバスは、ゴトゴト走り出しました。道路がよいので、それほどの揺れはありませんが、これがもし道路工事中の東京の場末ででもあったら、確かに乗客の半分は脳震盪を起こしてしまうでしょう。

 ともかく三十分間ばかり走りますと、もうそこはロンドン市内で最も混み合うチェアリング・クロス街です。しかるべきところで、ノコノコとバスの二階から街頭に降り、人ごみの中を分けて行くと、そのあたりには、たくさんの古本屋が軒を並べていましたが、中でも一ばん目立って大げさなのは、かねて図書目録でおなじみの『フォイル書店』です。私たちはさっそくその三階の心霊書のコーナーへ登って行きました。

 心霊に関する古書は、いくつかの棚に、かなりたくさん取り揃えてありました。私は小ハシゴを昇ったり降りたりして、積もった塵芥《ゴミ》とカビの臭いをかぎつつ、二時間ばかりにわたり、片っ端から点検の結果、約二十冊ほど欲しい本を選び出しました。値段は原価よりよっぽど安いので、何だか金儲けでもしたように感じましたが、われわれの金儲けというのは実に消極的で、実際の儲けではないのだから、さっぱりダメです。

 買い取った書物は、市内運送で宿へ送らせることにしておいて、今度は徒歩で、ヴィクトリア街に『心霊書房、文庫、兼展覧館』へと向かいました。こればご承知のとおり、例のコナン・ドイルさんが、自腹を切って開始した仕事の一つで、こうして霊的知識の一般的普及を実行しつつあるのですから、かりそめにもロンドンへ来る心霊家の、決して見逃してはならない『名所』の一つなのです。

 チェアリング・クロスからウェストミンスターまでは、約1kmあまりに過ぎないのですが、途中には例のネルソンの像の建っているトラファルガー・スクウェアだの、ロンドンの霞ヶ関ともいうべきホワイホールの官庁街だのと、お上りさんを喜ばすべき材料が、相当たくさん取り揃えられており、最後に、例の議事堂とウェストミンスター寺院で、とどめを刺す仕掛けになっているのですから、観光客は、常に眼球を半ダースぐらいは準備しておく必要があります。たった二つの眼球……しかも遠視と近視とが、ゴッチャになった乱視の寝ぼけマナコでは、単にいろいろな光景が、目前にちらつくだけで、さっぱり要領を得られませんでした。ともかくも、私たちはウェストミンスター寺院の正面を横切って、ちょっと右に折れますと、そこが取りも直さずヴィクトリア街で、右側に『心霊展覧館』の看板が、通行人の目を引くように掲げられてあるのに気がつきました。仮にウェストミンスター寺院を、東京停車場に見立てますと、『心霊展覧館』はちょうど丸ビルの一角に当たりましょう。とにかくロンドンでも目抜きの場所です。

 「ドイルさん、大奮発をしなすったナ。コリャアなかなか良い場所だ……」

 感心しながら極東の心霊旅行家兼お上りさんは、その建物の内部に入りました。

 ざっとここの設備を説明すると、正面入り口は、全部心霊書籍の陳列所にあてられており、その奥が貸し出し文庫、そのまた奥から下に降りた所が展覧館といった仕掛けで、三つのものが、渾然としてよく融和されているところに、いかにも経営者の頭の良さをうかがい得るのでした。

 「ふむ、こいつは実によい思いつきだ。日本にもまずこんなものがナケリャア駄目だ……」

 実際に見て、心霊旅行家はますます感心してしまいました。

 展覧会の内容については、別に筆を執りましたから、ここには全部省略してしまい、ただ私がここでとても愉快な、そしてとても有意義な数時間を送ったこと、また帰りがけに、約百冊ばかりの心霊書を買い求めたことを記すにとどめます。

 「こんな具合に、純心霊書ばかり取り揃えて置いてくださると、実に研究者は助かりますョ」私は店に居合わせたコナン・ドイル嬢に向かって言いました。「いちいち書店の目録をしらべて注文を出した日には、容易な手間ではありません。私も日本へ帰ったら、一つ心霊専門の書店を開くかも知れませんから、その時にはどうぞ便宜を与えてください……」

 「私どもにできる限りの便宜は、喜んで与えなくてどうしましょう。私どものこの仕事は、ずいぶん皆様から喜ばれます。あなたも事情が許したら、ぜひおやりなさいませ……」

 店を辞して、再びバスに揺られながら、ハムステッドの宿に戻ったのは午後の七時すぎでした。とにかく私はもとより、若い青柳さんまでが、一日がかりの書物あさりに、くたくたに疲れ切っていました。(三・八・二四)


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