心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.10.04公開)

四十.相模の小野


 

 何年にもわたる賊徒征伐の戦さの旅路に、まるで影のようにただの一日も背の君(「せ(兄)」の敬称。特に、「夫」をさしていう。大辞林第二版より)のお側を離れなかった弟橘姫さまの涙ぐましい犠牲の生活は、実にその時に始まったわけなんです。ある年の冬は雪靴をはいて、吉備の国(今の岡山県)から出雲の国(今の島根県東部)への国境の険路を踏み越えました。またある年の夏は、焼けるような陽射しの中阿蘇山の奥深く分け入って、賊の巣窟をさぐりました。そのほか言葉にできない数々の困難、危険に遭われたそうで、歳月と共に記憶は薄れていくけれど、その時胸に染み込んだ感情は今も魂の底に残っているそうです。

 こんな苦しい道中の事ですから、服装もそれは質素なもので、足には藁沓《わらぐつ》をはき、上着は筒袖を着て、その姿はまるで男の子みたいだったそうです。でもそんな事は最初から覚悟の上だったので、ただの一度も愚痴めいたことはおっしゃらず、またお体もか細いながらお丈夫であったため、一行の足手まといになる事なんかは決してなかったのでした。

 こんな大変な旅の毎日にあって姫の心の支えとなった何よりの誇りは、自分だけがいつも命のお伴と決まっている事なのでした。『日本一の日の皇子から一番に愛されている。』そう思うだけで、姫の心から一切の不満、苦労が煙のように消えてしまいました。もちろん当時の習慣ですから、命のまわりにはたくさんの女性達が取り巻いていました。それらの中には弟橘姫さまよりもはるかに家柄のよい方もあり、また器量自慢のそれはそれは美しい女性もいるにはいました。でも彼女らはいわば窓辺に飾る花で、命がおくつろぎになるときの軽い相手はつとまっても、いざ命がけの仕事にかかられる時は、決まって弟橘姫さまにお声がかかりました。これでは『たとえ死んでも。』と姫が思い込んだとしても不思議ではありませんわ。

 いろいろな事をうかがいましたが、数々のご苦難の連続の人生の中でも、最大の御危難といえば、やはりあの相模の国での焼き打ちだったそうです。(相模の国造《くにのみやつこ》に焼き討ちにされたこと。前述の神々の宴HP参照。) 姫はそのときのことだけは割と詳しく話してくれました。

『あの時ばかりは、いかに武運に恵まれた方でも、今日が最後と覚悟したものです。その時私は命のお指図で、二人ばかりの従者に守られて、とある丘の上で命の身の上を案じていましたが、そのうち四方から急にメラメラと野火が燃え広がり出しました。そしてすぐにあたり一面火の海になってしまいました。折から激しい風が吹き募って、命のおかくれになっている草むらのほうへ、炎が押し寄せていきました。その背後は深い沢でどこにも逃げ場なんかありません。もう、あとほんの少しですべてはお終いと思うと、私は我を忘れて丘から駆け降りようとしましたが、その瞬間たちまち耳をつんざくゴーッというものすごいうなりと共に、西から東へと突然向きを変えた一陣の烈風が吹きすさびました。アッと思う間もなく、猛火は賊の隠れた反対の草むらへ移ってしまいました。その時右手に高く秘蔵の御神剣を振りかざし、漆黒の髪をなびかせて、部下よりも早く草原から飛び出した命の猛々しいお姿のカッコよかったことといったら。あの時ばかりは女の身でありながら思わず両手を突き上げて、「ワー」なんて声を限りに叫んじゃったくらいです。後でうかがったところによると、あの時命が間一髪で危機を逃れたのは、やはりあの御神剣のおかげだったのでした。燃え盛る炎の中で命がその鞘を抜かれると同時に、風向きが急に変わったんだそうです。この御神剣というのは、前年に伊勢に参られた時に叔母さま(倭比売命《やまとひめのみこと》のこと。女装の服も彼女から借りた。前述神々の宴HPより)から頂いた世にも尊い御神宝で、命はいつもそれを錦の袋に収めて肌身はなさず持ち歩いておられました。私なんかもたった一度しか拝ませてもらった事はありません。』(※訳注)

 以上が姫が語ってくださったお話の大筋です。その時命は、火焔の中に立ちながらもしきりに姫の身を案じておられたそうで、その優しいお気持ちはよほど深く姫の胸に染み込んでいるらしく、こちらの世界に引き移ってもう千年以上にもなるというのに、今でも当時を思い出せば、自然と涙がこぼれるとおっしゃっていました。

 こうまで深いお二人の間柄でありながら、お子様は若建王《わかたけおう》ただ一人しかおらず、その上旅から旅へといつもご不在がちであられたので、ご自分の手ではお育てになられなかったそうです。つまり弟橘姫さまの御一生は、すべて愛する命に捧げきった若々しい花の一生なのでした。

※訳注:「草薙剣」《くさなぎのつるぎ》のことを指すと思われる。三種の神器の一。記紀で素戔嗚尊《すさのおのみこと》が退治した八岐大蛇《やまたのおろち》の尾から出たと伝えられる剣。日本武尊が焼津の野で草を薙ぎ払ったところからの名と記紀では再解釈するが、本来は「臭蛇《くさなぎ》」の意か。のち熱田神宮にまつられた。天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》。大辞林第二版より。

 


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