心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.06.13公開)

二十四.なさけの言葉


 

 先ほどもお話しましたとおり、私は少女に導かれてあの綺麗な日本間に通され、そして薄絹製の白い座布団を与えられてそれに坐ったんですが、ふと自分の前を見ると、そこにはもう一つ別の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。『きっと乙姫様がここにお坐りになるんじゃないかしら。』私はそう思いながら乙姫様に何とご挨拶を申し上げればよいか、色々と考え込んでおりました。

 その時何やら人の気配がしましたので頭を上げてみますと、まるで天から降ってきたか、あるいは地から湧いてでも出たように、いつの間にか一人の眩しいぐらいに美しいお姫様が、きちんとあの座布団の上にお坐りになって、ニコニコと私のことを見守っていました。私はこの時ほどビックリしたことはありません。急いで座布団をはずして、両手をついてお辞儀をしたまま、しばらくは何といって挨拶していいかわからないほどでした。

 しかし玉依姫様の方はどこまでも打ち解けたご様子で、尊い神様というよりかはむしろ高貴な若奥様といった物腰で、色々と優しいお言葉をかけてくれました。

『あなたが龍宮にお出でになることは、かねてから連絡がありましたので、こちらでもそれを大変楽しみにお待ちしていました。今日は私が代わってお会いいたしますが、この次は姉君がぜひお会いしたいとのことです。一切遠慮せずに何でも気軽に聞きたいことは聞いて、話すべきことは話していただきたいと思います。あなた方が地の世界に降り、いろいろと現界で苦労なさるのも、結局奥深い神界の仕組みのためで、そのことはまた私たちにとってもまたとない良い学問の機会となるんです。聞いたところによるとどうやらあなたの現世の生活もあんまり楽ではなかったようですね。』

 いかにもしんみりと、溢れるばかりの同情を持って、一生懸命話しかけて下さいますので、いつの間にか私のほうでも心の遠慮がぬぐい去られました。それはちょうど現世で親しい方と膝を交えて、打ち解けた気分で色んな話をするといった雰囲気に似ていました。私が帰幽してから何十年かたちましたが、これほどくつろいだ、和やかな気持ちになったのは、実にこの時が最初でした。

 それから私は尋ねられるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北条との戦争のこと、落城後の侘び住まいのことなどなど、有りのままにお話いたしました。玉依姫様は一々うなずきながら熱心に耳を傾けてくださり、最後に私が一人寂しく無念の涙に暮れながら若くて亡くなったことを申し上げますと、あの美しいお顔を曇らせて涙さえ浮かべられました。

『それはなんて気の毒なんでしょう…。あなたもずい分辛い修行をなさいましたわね。』

 たった一言ではございますが、私はそれを聞いて心からありがたいと思いました。私の胸につもりに積もった積年の鬱憤《うっぷん》も、なんだかその一言で綺麗さっぱり洗い流されちゃったような気がしたほどです。

『こんなお優しい神様にお会いすることができて、自分は何と幸せな身の上でしょう。自分はこれから修行を積んで、こんな立派な神様のお相手をしてもあんまり恥ずかしくないように、少しでも早く心の垢を洗い清めなければいけないわ。』

 私は心の底でそう堅く決心したのでした。

 


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