心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.05.14公開)

十九.龍神の祠


 

 順序として、ボチボチ龍宮界のお話をしなくてはなりません。もともと口のつたない私が、私よりももっと口下手な女(^◇^;)の口を使って通信するんですから、なんだか全てがつまらなく、他愛のない夢物語になっちゃいそうで不安です。とはいってもこの話を省いちゃうと、私の幽界生活の記録に大きな穴があいて、筋道が立たなくなる恐れがあります。仕方ありませんわ。何とか気をつけて、私が実際見たまま、感じたままをそのままお話することにいたしましょう。

 ここでちょっと付け加えておきたいのは、私の修行場の右手の山腹にある龍神の祠《やしろ》のことです。私は龍宮行きをする前に、しょっちゅうそのお祠に参拝したんですが、実はそれこそ龍宮行きの準備になっていたのでした。私はそこで乙姫様から、色々とありがたいお教えやお指図や、またおやさしい慰めの言葉も頂きました。おかげで私は自分でもわかるほどメキメキと元気が出てきちゃいました。『その様子なら、あんたも近いうちに乙姫様にお目通りができそうだな。』指導役のおじいさんもそんなことを言って私を励ましてくれました。

 ここで私が龍神様のお祠に行っていろいろとお指図を受けたなどと申しますと、現世の方々の中にはなにやら異様な想像をなさる方がいらっしゃるかもしれませんね。でもそれは現世の方々がまだ神社というものの性質をよくご存知ないためだと思うんです。お宮というものは、ただお賽銭をあげて、拍手を打って、頭を下げて下がるだけにできている飾り物ではないんですよ。真心を込めて一生懸命祈願すれば、それがただちに神様の御胸に通じ、同時に神様からもこれに対するお答えが下り、時にはありありとそのお姿までも拝むことができるんです。つまり全ては魂と魂の交通のためで、実によくできた仕組みになっているわけなんですの。私が山の修行場にいながら何とか龍宮界の模様がわかりかけたのも、全くこのありがたい神社参拝の賜物でした。もちろん地上の人間は肉体という厄介なシロモノに包まれていますから、どんなに神社の前で精神統一なさっても、そうめったに神様を拝むことなんかできっこありません。しかし私たちのように肉体を捨ててこちらの世界に引っ越したものは、ほとんど全てをこの仕掛け一本槍でやっちゃうんですよ。え、人間の世界にも最近電話やらラジオなんていう便利な機械が発明されたとおっしゃいますの。それはまた結構なことですわ。でもそれならなおのこと、私の言いたいことがお分かりでしょう。神社の装置も、ラジオとやらの装置も、理屈は似たものかもしれないんですものね。

 あらあら、とってもくだらないことをおしゃべりしてしまいましたわ。では早速これから龍宮行きの模様をお話することにしましょう。

 


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