心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.03.06公開)

十一.守刀《まもりがたな》


 

 体がなくなってこちらの世界に引っ越してきても、すぐに現世の執着がなくなるものではないことはお話しましたが、ついでにもう一つだけ自分の罪を懺悔してもいいでしょうか。口先ですっかり悟ったようなことをいうのは簡単ですが、実際は思いのほか心の垢が多いのが人間というものの性《さが》なんでしょうね。こちらの世界で、現世生活中に大変名高かった方々にお会いすることもしばしばですが、案外魂のそれほど磨かれていないことが多いようです。『あんなに名僧博識と謳《うた》われた方が、まだこんな薄暗い境涯にいるのかしら。』なんて意外に感じることも少なくありません。

 さて約束の懺悔ですが、私が何よりも身にしみて感じているお話をいたしましょう。それは私の守刀《まもりがたな》の物語なんです。忘れもしない、それは私が三浦家へ嫁入りする時のことでした。母が一振りの懐剣(女性用の短刀)を手渡してくれて言いました。

 『これはある由緒あるお方から頂いた懐剣ですが、あなたの一生の喜びの慶事の記念として譲ります。肌身はなさぬよう大切にしてね。』

 眼に涙を一杯ためて、母は真心とともに記念の懐剣を渡してくれました。其れは刀身といい、装具といい、まったく申し分のない立派なものでした。しかし私にとっては懐剣そのものよりも、それが懐かしい母の形見であればこそ、他の何物にも変えられないほど大切なのでした。私は生涯を通してこの懐剣を自分の魂として肌身はなさず所持していました。

 私の病気が進んでもういよいよとなった時、私は枕もとに坐っていた母に頼みました。『私の懐剣は、どうぞこのままいっしょに棺の中に納めてください。』母はすぐに耳元に口を寄せて『願い通りにしてあげますから安心なさい。』とささやいてくれたのです。

 こちらの世界で眼を覚ましたとき、私はふと懐剣のことを思い出しました。『母はあんなに強くうけあってくれたけれど、果たして懐剣は遺骸といっしょに墓に納めてあるのかしら。』そう思いだすと、私はどうしてもそのことが気がかりでたまらなくなりました。ついにある日指導役のおじいさまに一部始終をお話し、『もしあの懐剣が私の墓に納めてあるものなら、どうぞこちらに取り寄せてくださいませんか。生前のようにあれを守刀《まもりがたな》にしたいのです。』とお願いしました。今の世の方々には守刀といってもどうもピンとこないかもしれませんね。でも私たちの時代においては守刀は女の魂とも言われ、命の次に大切な品物だったんですよ。

 神様も私の希望がもっともなことだと思われたんでしょう。快く引き受けてくださり、いつものようにちょっと精神を統一して私の墓を透視されましたが、すぐにお分かりになった様子で『ふーむ。その懐剣なら確かに見える。よし、神界のお許しを頂いて取り寄せてあげよう。』と言われたかと思うと、次の瞬間にはおじいさまの手の中には、あのなつかしい懐剣が握られていました。もちろんそれは言わば刀の精のようなもので、現世の刀ではないんですが、金粉を散らした濃い朱塗りの装具といい、またそれを包んだ金襴《きんらん》の袋といい、いくら調べてみても生前手になじんだ懐剣とまったく同じでした。私はとてもうれしくなっておじいさまに心からお礼を言いました。

 私はこの懐剣を今でもとても大切に持っています。そして修行のときにはいつもこれを鏡の前に供えることにしています。

 これなんかは私よりも修行の進んだ境涯におられる方々からご覧になったら、やっぱり執着の一種かもしれませんね。でも私の境涯程度では、まだまだこういった執着から離れられないのも事実なんですよ。

 


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