心霊学研究所
Silver Birch Companion
('00.12.19登録)

Silver Birch Companion(21)


 

「あなたが、もういいのに、と思われる気持は私にはよく理解できます。でも、彼には詫びの気持を述べずにはいられない事情があるのです。懺悔《ざんげ》をするということは、あなたに対してというよりは、彼自身にとって意味があるのです。
 他界した者が地上時代の行為について懺悔の気侍を何らかの形で届けたいと思うようになるということは、本当の自我に目覚めつつあることの証拠です。あなたにとってはもう過ぎたことであり、忘れていらっしゃるかも知れません。が、その行為、ないしは事実は、霊的自我に刻み込まれていて、霊性が成長し、それについての正しい評価が下されるまでは、絶対に消えることはありません」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』近藤千雄訳・ハート出版刊(P.63)

 

いわゆる“悪いカルマ”だとか“カルマを切る”などという言葉を使う霊能者・心霊研究家がいる。しかしスピリチュアリズム的にカルマのことを言うと(仏教的解説とそれほど違いはしないと思うが)、良かろうが悪かろうが、カルマとは自分自身の行為の蓄積であり、それを切ることも、逃れることも、ましてや自分の実情から遊離した“良いカルマ”をどこからか持ってきてくっつけることも、一切出来ることではない。

しかし、それは果たして恐ろしいことだろうか? カルマから逃れられないとは、嫌なことだろうか? 断じて違う……と、思う。カルマ(自分の行為)から逃れられないということは、裏を返せば、自分の行為の責任を必ず取ることが出来る、必ず償いのチャンスを与えられるということなのだから。

例えばここに、何かについて後悔の念を持つ者や、誰かに対して懺悔の気持ちを抱えながら、それを伝える機会を失った者がいると想像して欲しい。彼らはその償いのチャンスが与えられる事を嫌がるだろうか。いや、心から喜び、歓迎するのではないだろうか。

カルマを疎ましいと思うか、福音と感じるか、それは、個々の心の有り様によるだろう。が、一つだけ確かな事がある。それは、スピリチュアリズムの知識を持つ者なら、その働きに“愛”を見いだすことが出来るだろう、ということである。

 


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