スピリチュアリズム勉強会&座談会
('02.03.20作成)

第10回('02年2月24日)
「シルバーバーチは語る」7章 神とは何か
「ニューズレター第16号」スピリチュアリズムにおける神観

その2


 

長田:本文でちょっと質問なんですけど、P127の2行目

あなたが霊を進化させているのではありません。霊が自我を顕現するための媒体を進化させていると言ってよいでしょう。(P127)

これの意味が分からないんですけど。

ペ:この媒体というのを肉体と思っちゃうとわけが分からなくなっちゃうんですよ。この媒体というのはたぶんパーソナリティとか、自分の個性とかそういうことを言っていると思うんです。そう考えると分かりやすいかと思います。

長田:そうかあ、肉体と思っちゃったから分からなかったんですね。パーソナリティなら分かります。

ペ:この部分は色々言い換えが可能ですよね。「霊を進化させているのではありません」の「霊」を「神」や「法則」に置き換えてもいいですし。その法則とか神とか霊とかを顕現させるためにより神の属性を出すために、自分の個性とか人格を進化させていくんだということですよね。

有希:なるほどね。

長田:ところで、地上に再生しなくてもいい段階になってもやっぱり霊は成長し続けますよね。

有希:するみたいですね。この地上に来ないだけで、他には行っているかもしれないですよ。

長田:地球は下の方だから段階に応じて他の所へ行くのかもしれないですね。

哲子:P125の3行目ですけど、

ハエに地球が理解できるでしょうか。魚に小鳥の生活が分かるでしょうか。犬が人間のように理性を働かせることが出来るでしょうか。星に空全体が分かるでしょうか。人間的知性を遥かに超えた大霊があなた方に理解できるでしょうか。 それはできないに決まっています。でも口に一言も発することなく、皆さんの魂の静寂の中で霊が大霊と交わることが出来るまでに霊性を磨くことは可能です。(P125)

この最後の行は想像がつかないですけど、お祈りとか瞑想をしている時の事でしょうか?

有希:そうだと思います。

哲子:きっと神と一体になったような感覚なんでしょうね。そういう人達がいるんですね、きっと。

有希:瞑想集団の人達は、自分が自然の中の一部であるという、自然の中に溶け込むみたいなことをよく言いますよね。

長田:霊性が高くなくてもそういう感覚になれるんですか?

有希:そうみたいです。もともとヨガというのは色々な形をするように思われているけどそうじゃなくて、ヨガを通して瞑想して神と一体感を持つのが目的だったりするみたいです。本人達は神との一体感と言うけれど、実際は違うみたいです。そのことはニューズレターに書いてありましたよね。だから本当の意味で成長していけば、一体感の感覚はただ瞑想して感じるのとは違うんだろうなと思います。

ペ:瞑想とかは、自分の中の色々な事を整理していくような事だと思うんです。だから瞑想だけとか、座禅ばかりしている人は自分の中を何も豊かにする事をせずに整理整頓ばかりしているだけなんですよ。

長田:入ってくるものがないですよね。いらない考えを追い出すくらいかしら?

ペ:山奥にこもっていればそんなに欲も出てこないだろうけど、町に出たらあっという間に今までのが消えちゃう。

長田:今まで押さえ込んでいた本音が急に溢れ出たりして、それも苦しいよね。

有希:それは親鸞も通った道なんですね。
「語る」はこれくらいで、次にニューズレターの方へ行きましょうか。ニューズレターを読むと祈りの重要性が書かれてありますよね。私もHPの中で「祈りの部屋」を出しましたけど、多くの人にお祈りのすばらしさを知ってほしいなぁと思うんです。

もし皆さんが「霊的真理」は学んだものの、いまだに「祈り」が日常生活の中で、重要な位置を占めていないとするなら、まだまだ頭だけのスピリチュアリストであるということになります。

知識の豊富な人はたくさんいるけど、あまり体験していない人というか、本を読んだだけで真理を獲得したと錯覚している人ってまだそれほど成長していないと思うんです。私自身は知識はそんなに豊富じゃないので、もっと成長していないかもしれませんが、自分のそういう部分を確認したり、本当の意味で霊的真理を自分のものにしていくのに「祈り」は手っ取り早いと思うんです。体験していなくても祈りによって感覚的に捉えられるようになるので、祈りによる体験はすごく重要だと思うんです。
お祈りは短くてもいいと思います。目を瞑って、神や霊界からエネルギーを受けているんだというイメージを持っていくと、ピーンと通っていくのが分かるようになります。そうすると自我意識とは違った別の意識が自分の中から出てくるんです。そうして祈りの体勢に入るというか、私の中ではそういう感覚なんです。時には全く思いもしなかったような事が自分の口から出てきたりもします。守護霊が言わせているのかもしれないと思うこともあります。それとか、本当の自分はこう思っているんだろうなあ、その自分に従っていくのがひょっとしたら一番いいのかな、というのを発見したりとか、そんなことってありませんか?

ペ:よく分からないです。

哲子:でもそうだと思いますよ。

長田:祈りをする事は神を意識する事だから、私も祈りをするようになってからの方が神の存在が段々近くなったような気がします。でも実際どうやって祈っていいのか分からない人は多いでしょうね。私もわからなかったですもの。自分の言葉でいいと言われても、その言葉すら何をどう使っていいのかね。

有希:「祈りの部屋」を出した時、ある人がメールをくれて、祈りの4段階が書かれていました。
1. 祈りたくても仕方がわからなくて全く祈れない人
2. 祈るのだけれども自分の願い事ばかりをする人
3. 神を親として、自分はこうして行きたいと祈るのだけれども口先だけの人
4. 本当に神と交わって涙を流すような感動に包まれて祈れる人
これを見てなるほどと思いました。人間の親子関係と同じですよね。子供が親を無視して自分勝手に生きる人と、とりあえずは親の保護下で親の目が光っているから悪い事はしないようにと建前で生きる人とか、何とか親の手助けをしなければと思って、イヤだけどやる人と、本当に喜んで手助けする人と、そういう段階と似ているかなと思いました。でも、実際にどうやって祈っていいのか分からない人は一杯いるでしょうね。私も最初は分からなかったもの。最初はある人に祈り方を教えてもらったんですけど、祈っているうちに段々と自分なりの形がついてきたみたいです。
私の祈りが本当に良い祈りなのかどうかは分かりません。ただ、自分勝手にああして下さい、こうして下さいというのは違うというのは分かります。スピリチュアリズム入門に書いてあるように、自分が役に立つように、自分をうまく使って下さいというように、心からそう思えて言葉に出せるといいですよね。やっぱり思っているだけより、小さい声でいいから口に出して言うのとでは、祈った後の感覚が違いますから。口に出して祈ると本当に約束してしまったような感じがあって、やらなければいけないという感覚になります。

ペ:そうか、口に出して言った方がいいんですね。

有希:どっちが良いと言うことではなく、両方ともあって良いと思います。心の中だけと口に出すのとは全然違った感覚ですから。それから、自分の事を祈る事もあるし、周りの人の事を祈る事もあるし、その時々で色々なパターンになります。

哲子:私は自分が安心したい、落ち着きたいというところでお祈りをする事もあります。何でも来いという境地になれるまで祈るというか、それを祈るというのかどうかは分からないです。まだ神様と一体感なんて全然分からないけど、祈る事によって気持ちが落ち着きます。でも自分の事中心だから、もう少し祈りを変えないといけないかしら。

ペ:最初はなかなか言葉が出てこないんですけど、慣れれば出てくるようになるものなんでしょうか?

長田:ええ、言葉は慣れだと思います。でも、どういう言葉を使っていいのか分からないというのはありますね。

ペ:モヤモヤしたイメージはあっても言葉になかなか出来ないと思うんですよ、僕も含めて一般のほとんどの人たちは。

有希:確かに祈り始めた時は私もそうでした。どう言葉にしたらいいのか分からないというか、その段階は今思うと瞑想ですね。

長田:私も分からなかったから、とりあえず色々な人の祈りを参考にして、こうやって祈ればいいのかと思って、それを色々取り入れながら何となく自分のものにしてきたような気がします。

有希:私はいまだに覚えているんだけど、初めて祈ったのが本当にお恥ずかしい祈りでしたよ。すごく利己的で、自分に気にくわない人を何とか変えて下さいという祈りでしたから。(^◇^) でも祈った後で、これって何か違うなと思ってもやっぱり口から出てくる言葉は同じなんです。今度はそういう自分が嫌で、私を変えて下さいと祈りました。私の踏んだプロセスがいいというわけではないですけど、祈っているうちに段々と変わって来るから、それでいいと思います。だからとりあえず何でもいいから祈ってみることですよ。

ペ:そうか、習うより慣れろという感じですね。普通の文章を書くのと同じですかね。僕も今でこそ毎日のようにいろいろ書いていますけど、小中学校の頃は作文の授業なんて大の苦手でしたから。

哲子:ええっ!? ペーパーバーチさんが作文が書けなかったなんて信じられないですよね。

ペ:一行も書けなくて、うんうん唸ってましたよ(笑)。今でも何を書くかイメージが浮かばない時はありますけど、それでもとりあえず「○○さん、こんにちは」と書けば、今なら何か浮かぶようにはなっていますから、やっぱり慣れかな。有希さんちの「祈りの部屋」なんて読むと、僕からすると凄いな〜なんて思って尻込みしちゃいますけど、やっぱり最初は拙くてもやってみないとダメなんでしょうね。

長田:そう、とりあえず呼びかけて、感謝の言葉があって、反省があって、決意があってみたいな流れをつかんでいると祈りやすいかなと思います。

有希:そう言えば私も出て来ない時は感謝から入ります。ああしてもらった、こうしてもらったと思うと色々充満してきて、何かに還元していかなければいけないという祈りに変わってくるものね。でも日によって全然違って、反省から入る日もありますけど。

長田:何にも出て来ない時でも何か出したほうがいいんですか? 別に毎日祈らなければならないわけでもないから、そういう日は祈らなくていいのかしら。

有希:私はそんな時は搾り出します。自分が霊的に研ぎ澄まされていない時は搾り出さないと出てこないです。

哲子:そう言う時、私は辞めちゃいます。これで何か言っても心がこもらないし、うそみたいに思っちゃいますから。

有希:搾り出すのは苦しいですよ。搾り出さないと出てこないというのは、この世の感覚がどっぷりと充満している時ですね。それをまず取り払わないといけないですから。

長田:そうですね。感覚が曇っているというか、この世の事で色々引っかかっているとダメですよね。

有希:そうそう、一番悪いのがテレビドラマなんかを見た後ですね。時間を置かないと絶対に祈れないです。

長田:あ〜、そうですか。それで私、夜はダメなんだ。(^。^)

有希:えーと、話題をもとに戻しましょう。ニューズレターは細かいところまで書かれていて、本当にうまくまとめられていて何も言う事がないですよね。P18の左側に霊的成長のための実践で、(1)霊的自己コントロール(霊主肉従) (2)祈り (3)利他愛の実践、の3つがあります。そして、その下に

利他愛の実践によって、より多くの愛を他人に与えることにより、「魂の窓」が開かれます。その窓を通じて神の愛と力が流れ込んでくるのです。

これはまさにその通りだと思います。やっぱり人を愛すれば愛するほど自分がすごく愛されているのが分かるじゃないですか。例えばペーパーバーチさんも、何か人に向けてコメントを書いて、その人のためと思って書くと自分がもっと学ぶというか、自分が一番教えられるという体験を常時していると思うんですけど、愛そうとして、一生懸命頭と心を使えば使うほど自分が一番学ぶという、まさにこの状態ですよね。それから、P15の左の真中ですけど、

その法則も、神の愛があればこそ存在すると言うことです。法則よりも"愛"こそがより根源的なものであると言うのです。愛があればこそ、神の法則が機能するようになるということです。

神様は人間が成長するために全てを揃えてくれているわけですよね。環境も肉体もそうですし、これを全て使っていろいろ体験しなさいというのはすごい愛だと思うんです。人間は人を愛することで成長するわけだし、自分が成長するためには何を使ってもいいと思ったら、一気に神が身近に感じるようになりました。そう思うと肉体が重いなんて言ってちゃいけないですね。

哲子:ペーパーバーチさんが最初に神というものをそんなに大事に考えていないと言っていましたけど、スピリチュアリズムは信仰だというのはどのように考えていますか?

ペ:例えば、祈りにしても神に祈るのではなくて、自分の守護霊に対して祈るのでもいいかなと思うし。

有希:それはそれでもいいですよね。

哲子:繋がっているんじゃないんですか?

ペ:繋がっているんだけど、神というとあまりにもレベルが違いすぎて想像もつかないから、とりあえず自分の場合は全然分からないものは棚上げしておいて、自分のわかるレベルに向けて何か考えたいなぁと。

長田:ペーパーバーチさんは正確さを要求しているんですね。私達は分からなくてもとりあえず神と名をつけて呼んでおこう、みたいなところありますよね。

哲子:そうですね。私はなるほどなるほどと分かったような気でいるだけかもしれないです。ペーパーバーチさんはそこを自分でしっかり検証するというか、確認できないと呼べないというところがあるんですね。

ペ:だからこの内容が間違っているとは思わないんです。ただあまりにも神というものを強調されると、自分には分からないし困ったなぁと思っちゃうんです。守護霊じゃダメなの?ってなっちゃうんです。

有希:私も最初は神様が分からなかったから、何に向かっているのかもわからないほど曖昧にお祈りしていました。さっき言った一番ひどい時ですけど。(^◇^)

ペ:まぁ、守護霊というのもちょっと近すぎるかなという気がしないでもないですけどね。そうすると、自分が一番想像できる限りの一番高い霊界の誰かという感じなんじゃないですかね。唯一の絶対的な神というのも存在しているんだろうなと漠然とは思いつつも、でも分からない、実感できないからという感じですね。

有希:じゃこれから探っていくところですね。

長田:どこかに書いてありましたけど、神を信じない人に対して何をどう言って説明しても分からせることは出来ない、というのは本当だなと思いますよね。

有希:神だけじゃなくて何でもそうですよね。この前、あるHPを見ていてびっくりしたんですけど、いまだに天動説をとなえている人達がいるんですね。

ペ:ありますよ、平らな地球協会という、日本語直訳だから本当は何て言うのか分かりませんけど。飛行機とかで地球が丸く見えるのは光の屈折でそう見えるんだとか、一応現代の科学も意識しているという(笑)。

有希:そうなんですか。そういう人達には何を言っても無駄ですよね。物理的なことも信じないなら、それこそ神様とか霊界なんてもっと信じないですよね。シルバーバーチが言う、生まれつき目の見えない人に色を教えるようなものですもの。

長田:本当にそうですね。

有希:では今日はこのぐらいにして、感想で終わりにしましょうか。

ペ:今日は祈りに対するお話が大変ためになりました。初心者としては、きっとこれを読む人にも一番参考になるところじゃないかなと思います。

長田:最初ニューズレターを手にした時は、さら〜と読んじゃって特別印象に残らなかったんだけど、今回改めて読んでみて、本当に細かく分かりやすく書いてあるなぁと思いました。私自身まだ神が実感として分からないという事が明確になったことと、祈りってやっぱり大切なんだなぁと、もっと真剣に祈りに対して考えていかなければいけないと思いました。

哲子:みんなが自分と同じ感覚でいるような錯覚でいましたけど、話を聞いてみて、みんなそれぞれ違うんだなと改めて思いました。それから、完全性は不完全性から生まれるものというところで、全ては進化の途中であってみんな神様から愛されているんだなと思うことが出来ました。自分なりに神というものがあるつもりだけど、実はもっともっと深くてすごいものじゃないかなと思いました。

有希:私は今回、何かが剥がれたような気がしてすごくうれしかったです。今まで神というものがすごい遠い存在だったのが、一番近い存在になったというのがすごくうれしい。ニューズレターに書いてあるけど、「自分は今、霊の親である神から愛されている、そう考えるだけで心は喜びで満たされます。」これが昔は分からなかったんです。「自分は何と幸せなのだろうかと、感動の思いが湧いてくるはずです。」まさに今この状態なんです。愛してくれていることは頭では分かるけど、本当に身近なところで感じる事が出来なかったのが、今回実感を伴ったというのが大きかったです。ここに来るためにそういう読み方が出来たので勉強会に感謝です。偶然はないというところから考えると、すごい導かれ方をしているなと改めて思います。
で、次回は「シルバーバーチは語る」第8章の「祈りの効用」ですね。

長田:今回のと繋がっていて、タイムリーな内容ですね。

 


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