スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.08.10作成)

第3回('01年7月22日)
「シルバーバーチは語る」3章

その3


 

有希:他に私が気になったのは、P46後ろから5行目の

 地上の人間は自らの努力で自らを救済できるようにならなくてはいけません。既成《レディメード》の方法というものはありません。前もって用意されたシステムというものは存在しません(P.46)

やっぱり霊能者に頼ったり、宗教に頼ったり、自分を変えてもらおうと思ってするということは、自分で自分を救済出来ないからですよね。そうすると、誰かに頼って、当てが外れるとまた別の誰かに頼らざるをえないし、どんどん対象が変わっていくだけで、結局何もならなかったと言うことはよくありますよね。やっぱり最終的に自分を救えるのは自分しかないし、自分を変えられるのは自分の努力しかないなーと思います。
今日ここに来る車の中で話したんですけど、「それでも宗教に入っている人って違うよね。そこにとらわれ過ぎているから、そこから抜け出せないからまずいのであって。でも、宗教に入っている人達って、とっても情的に豊かだし、行動力もあるし、ただ本を読んでいるだけの人よりかは優れた霊性を持っている」って。だから、ある程度そこで自分が成長できたなーと思えば卒業してしまえばいいのだけれども、そこで縛られて居続けてしまうからたぶん変な事になっちゃうんだろうなー」ってね。自分を変える取っ掛かりとしてはいいかもしれないなーとか、そんなことを思いました。ただ本を読んでいるだけでは、自分を訓練することなんて難しいですから。宗教に入っていると、いやなことでも強制されてやっていくことが訓練になっていて、自分を変えるという面では早く力が付くような気がします。

ペ:ううん、それを全面否定はしませんが……でも、そういう信者をくいものにする宗教は多いですし、ちょっと僕は「宗教に入るのもいいことがあるよ」とは言いたくないですね。

有希:ええ、これは中身が分かったから私達も言えることで、何も知らないで先に宗教に入るとたぶんだめですけどね。

ペ:比較的まともな宗教ならいいかもしれないですけどね。でも、外に出てボランティアとか沢山してていいかなーと思っても、実はその裏で家庭が崩壊してたりとか。

有希:私は宗教はうまく利用すればとてもいいかもしれないと思っています。宗教を全面的に否定するつもりはないけど、ただ、まずい面が強力なので、そういう部分に取り込まれなければ魂にプラスになる面はやっぱり多分に持っているなーと思うんです。だけど危険度は高いなーとは思いますけどね。

ペ:入っちゃってた人はそういう面で役に立ったなーと思えばいいですけど、最初からそういう事が分かる人なら最初からスピリチュアリズムに来て下さいと(笑)。その方がすっといいですから。

有希:こう言っている私自身、「じゃあ宗教に入りますか?」と聞かれれば「いやー、いいです」と断ってしまうけど。

ペ:自分も入ろうと思わないものを良いなんて言っちゃダメです(^^;。

有希:それは失礼しました(笑)

長田:そうですね、通り過ぎてスピリチュアリズムにたどり着いたからこそ言える事ですね。

ペ:そのまま一生縛られたままで終わっちゃう人がほとんどでしょう。

長田:宗教の中でも、ここに書かれているような、自分の成長は自分でしなさい。ここに入っているから成長するというものではありませんよ、と言ってくれるところがあるといいですよね。あるのかな?

有希:わからないけど、宗教とは言っていない組織ならあるのは知っています。

ペ:たいていの宗教団体は、信者が自分で成長なんかしたら困ると思ってますよ、儲からないから。文字通り、信者と書いて儲けるですもん。だからしっかり縛り付けて、依存させて、抜けられないようにしてますよね。

有希:確かにそういう所が多いような気がします。

ペ:それと関連して、P53の1行目

 私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり教祖の言葉や権威に頼るようなお座なりのことは致しません。(P.53)

これはもうまさに、既成の方法というものはありません、というのと同じ意味ですよね。画一的な“教義”では事足りない。

有希:ものみの塔の人達って、全部聖書を開いて、ここにこう書いてありますの繰り返しですよね。自分の言葉で言って下さいと言ってもだめなんですよね。

長田:そうなんですよ。ということは、スピリチュアリズムを手にした人はお祈りの言葉も、何をどう実行するかも全て自分で考えて、そうやって成長していかなければいけないから、その方がすごく大変ですよね。

有希:自由というのは厳しいものですよね。逆に縛られている方が大変そうに見えて、本当は楽なんですよね。言われるままにやればいいから。

長田:そうそう、成長を考えると自由な分だけすごく難しいですよね。

ペ:難しいというか、そうじゃなくちゃ成長しないじゃないですか。宗教の人って成長しているのかな?

有希:成長している人は一杯いると思いますよ。

ペ:成長といってもすごく低いレベルのような気がするなぁ。偏見かもしれないけど。

有希:そうすると、何をもって成長と言えるか、ということになります。成長って何ですかね?

ペ:自分で考えずに言われた通りに活動して……そんなの会社で働いている社会人の方がよっぽどみんなしっかりやっているわけで、宗教でやる必要があるのかなーって思うんですけど。

長田:まぁ、宗教でも色々な人がいるから全部とは言えないですけど、自分を捨てるという事が素直に出来たり、人の為に尽くすことに躊躇しないで自分を犠牲に出来るところはスゴイと思うんです。

有希:お節介と思うぐらいに本当によくしてくれる人っていますよ。

長田:逆に真理を沢山知っていても、私達の方が自分の家庭があります、生活がありますって、守るものが多くて自分を捨てられない人がわりと多かったりして、それがいいか悪いかは別問題として、自分の全てを犠牲にできるということはスゴイなーと思うんですよ。

有希:確かに実行力はつきますよね。それと自己コントロール、自分で自分を抑える力はスゴクつくと思います。

長田:宗教を何でもかんでも否定は出来ないような気がするのね。

ペ:全部は否定しないですけど、何か納得できないなぁ。

長田:自己犠牲出来るから成長しているとは言い切れないかもしれないですけど、でもすごく成長した人なのになーという人はいるような気がするんですけど。だって情的に豊かな人っていますからね、ただその教義が問題なんですけど。

有希:そうね、話をしていて本当に謙虚だし、偉ぶったところがなくて、沢山体験していて、人の為にごく自然に尽くせる人って一杯いますよね。そういう人と話をすると、遥かに私なんかより優れているなーと思いますもの。

ペ:そういう立派な人は宗教に入る前から立派な人だったんじゃないかなーと思いますけど。そうでもないのかな?

有希:もともとそういう質を持っているからかもしれないですけどね。例えば、自分1人だけで本を読んでこつこつ勉強している人も何人も知っていますけど、その人の10年と宗教でやって来た人の10年とでは圧倒的に差があるというのは分かりますよ。実行力というか、人の為に尽くすことがいとも簡単に、何の躊躇もなくやっちゃいますもの。それが行き過ぎると問題ですけど。でも、本を読んだいるだけの人は変に考え過ぎちゃうせいか、躊躇しますから。

長田:でも、本当はシルバーバーチにも書いてあるように、相手にとって必要な事は躊躇しないでしてあげるべきなんですよね。

ペ:あまりそういう、この人は凄いと思えるような人を知らないから何とも言えないんですけど。

有希:私は結構知っているんですよね。逆にとんでもない人も一杯知っていますけど。
まぁ、そこの教義を越えて霊的視野で考えられる人は稀ですけどね。

ペ:たぶんその人はもともとそういうものを持っていて、例えば別の宗教に入ったとしても、また宗教に入っていなかったとしても、そうなったんじゃないでしょうか。

有希:それはあるかもしれません。でも宗教に入ったからとても速く成長したというのは感じましたよ。ただ自分だけで本を読んでいたら、そこまで成長するのに何年かかっただろうかとか。でもこれは結果論ですから何とも言えないですけど。

ペ:そういうように、宗教に入っている人でもちゃんとなれる人が100人に1人位はいるのかもしれないですね。

有希:いやー、もっと少ないかも入れません。ほとんどの人が宗教に利用されて呑み込まれてしまう中で、逆に宗教を利用してきた人達がこうして成長できるのかもしれないなーって思います。

ペ:100人に1人そうなれるとしても、残りの99人がどうなるかという事を考えるとやっぱりね。会社人間だって自己犠牲の精神は培われますよ。

有希:確かに。自分を全面に出すと叩かれますものね。でも、本当はそれがお金の為じゃなくて出来ると一番いいんですけどね。訓練にはなりますよね。

ペ:でも、実際やっている最中はお金の為なんて考えてないから同じじゃないですか?

長田:私はやっぱり、仕事と霊的なこととは違うような気がします。両方とも体験してみたけど、仕事はやっぱり仕事でしかなく、それに対する喜びというか自分の中の満足感が全然違うような気がしますけどね。でも仕事はいい訓練にはなりますけど。

ペ:僕はやっぱり日々の生活の中で培われていくものって一番大きいんじゃないかなーと思うんです。だから、何も知らない人がただ単に仕事頑張るというのと、スピリチュアリズムを知っている人間がそういう土台の上で仕事頑張るのとは、違ってしかるべきだと思うんです。

長田:それは全然違いますよね。

ペ:だから、宗教の中だけでそういうのが培われるわけではないと思うんです。

長田:それはそうですよね。

有希:宗教の中で地に足の着いていない成長の仕方をしている人、仮の成長というか自分で勝手に成長したと思い込んでいる人がいると思いませんか?

ペ:一見穏やかで立派な事も言うのだけど、どうかなーという人ですね。

有希:そうそう、表向きだけで地に足が着いているのかなーってね。そういう人の方が現実には多いのかな。

ペ:そういう人って話をしていても中身がないのが分かるから気持ちが悪いですよね。

有希:うん、でも本人は自分はスゴク成長しているんだー、なんて感じで話されると、ちょっと待ってよってなります。

ペ:作り物のような、人の心を暖かくさせない笑顔というか。

有希:(笑い)ええありますよね。苦しみだけを与えることが、自分を偉く見せる為の1つのステイタスみたいなね。宗教はこれくらいにして次にいきましょう。

 

長田:さっき生活の中でということで、P53〜P54の

人間みずからがその勢力に負けないようにならなくてはいけません。それは、その邪悪な念が住みつかないようにするために、日常生活のすみずみにわたって霊的真理の光で油断なく見張るしかありません。(P.53-54)

スピリチュアリズムを日常生活の中に活かすって、具体的にどんなことしていますか?

ペ:難しいですね。まず自分がやるべきことを一つ一つ誠実にやって行く事かなと思っているんですけど、どうなんでしょう?

有希:私の中では自己コントロールと実践が一番ですね。いいと思ったことは躊躇せずにやっていくという事です。例えば塾生から色々言われても、生徒のレベルに下がって感情的にならないようにするとか、自分の子供に対しても、雰囲気は子供と同じでも内容的にはやっぱり上にたって、率先して何か見せて行くような状況でいなければいけないと思うから。他には霊的視点を忘れないとか。こういった点はいつも気を付けています。

ペ:スピリチュアリストとして恥ずかしくない行動とか、ふさわしいあり方みたいな心掛けがなかったら、今の自分の生活とは全然違っていたはずです。少なくともいい歳をして未知の仕事に転職する冒険はできなかったでしょうね(28歳で家業のおもちゃ屋からデザインの仕事に転職したこと)。たぶん、いつ店が倒産するかと思いながら、未だにおもちゃを売ってたと思います。まさに有希さんのホームページのタイトル通り「人生を変えるスピリチュアリズム」ですよね(笑)。

有希:後はやっぱり、出来るだけ人の為に役に立つこと。その役に立つこととは、1つは出来るだけ霊的真理を伝えることと、もう1つは本当にその人の魂にプラスになるような役の立ち方。何でもかんでもではただのおせっかいになってしまうし、逆にその人をだめにしてしまうことがあるので、その人にとって本当にプラスになることを言ってあげたり、してあげたりしたいなーと心掛けているんですけどね。
すると時には、これは今言っておかなければいけないなーと思うとショックな事を言うこともあるわけです。そういう場合相手からすると傷つけられたーということになっちゃうわけなんです。では傷つけたから全部悪いかということになりますよね。言わなければならないことは言って、それで相手が傷ついたとしてもいつかは「やっぱり言ってもらってよかったんだ」と気がついた時は逆にいい事に変わるわけですからすごく慎重になります。そういうのはそんなにしょっちゅうあるわけではないですけど心掛けてはいます。
生徒にも必要な時には霊的真理を話していますし。例えば本当の意味の愛情とか、友情とか、その程度ですけど、これはずっと続けて行きたいです。時には生徒の親に対しても、親の立場についてとか必要なら話をしています。とっても神妙に聞いてくれますから、塾の講師ってそういう事が言える立場にあるからいい仕事だと思います。会社だとなかなか言えないでしょう?

長田:そう、分かっていてもなかなか言えないし、ましてや年が下だったりするとどうしてもね。

ペ:言えないですよね、僕の場合、クライアントさんはもちろん、印刷屋さんにも気をつかう立場ですし。
ですからせめて、出来上がったものでみんなが少しでも喜んでもらえるように心掛けているつもりです。商品を売りたい側だけじゃなく、お客さん側も、ですね。誇大にあおって本来なら必要ない人にまでアピールしたりしない……こんなことクライアントには言えませんけど(^^;。
それと、少しでも世の中のためになる方向でお仕事したいとは思ってます。たとえば最近では、間伐材を使った製品をエコロジーをテーマに訴えることを提案したり。啓蒙と広告と一石二鳥。

有希:本当に皆に喜んでもらいたいというところで、いつも動機を確認出来ればいいですよね。そこでP54の後ろから4行目ですけど

“役に立つ”ということは真理を普及することだけに限られるわけではありません。他にもいろいろあります。(P.54)

とあります。
ともすると、中には真理を伝える事だけが良い事と思っている人がいるじゃないですか。知的な人には知的なところで伝えられたらいいし、知的な事がだめな人とは一緒に体験を語り合う中で納得してもらったりということもあるし、色々ですよね。

長田:その行為に対して優劣をつけるべきものではないですよね。確かに霊的真理を伝えることが一番最高なんだろうけど、それだけがすばらしいわけではないと思うし、必要なものは相手のレベルによって様々だから。真理よりまず愛がほしい人も沢山いますよね。

有希:霊的真理を普及する事だけを考えると、結局宗教の普及と変わらなくなっちゃう。
私は何人の人に本を進めました、渡しました、ということになると本末転倒ですもんね。その辺をうまく考えていく必要があると、ここを読んで思いました。

ペ:誇大な広告を出してパーと広まっても永続きするわけないし、一日中エホバの人たちみたいに生活を全部犠牲にして組織的に一軒一軒回ったって、実際エホバがそんなに広まっているかというとそうでもない。ましてや自分の生活もちゃんとやらなければならないスピリチュアリストが同じ事をしたって広まるわけがないんですから。

有希:(笑い)確かにそれで広まるわけないですよねー。でも、シルバーバーチが伝えたがっているような真理をほしがっている人は少ないなーと思います。ほとんどの人は実践的な内容がほしいみたいです。例えば、子供の教育に関して言えば、どういう親になるべきかではなくて、どうしつけたらいいか、どう叱ったらいいか、具体的方法ばかりを聞いてくる人が多いんです。だから、霊的真理でもその辺のラインのものを知りたがる人がとても多いんですよね。本質的な事を知りたがる人って少ないと思いませんか?

ペ:どういう念仏をあげたらいいか、神棚はどういうのがいいか、そのラインですね。

長田:そうですね、スピリチュアリズムは具体的な内容は何も書いていないですからね。
「あなたがやれることを精一杯やればいいですよ」と言われても難しいですよね。

有希:ある人に本を勧めた時に、「この本をいつまでに読んだらいいですか?」とか「一日に何ページ読んだらいいですか?」と真剣に聞かれた時には少し笑っちゃいました。そういうものじゃないんですけどね。

 

−本日の感想−

ペ:有希さんの色々な知り合いの話がおもしろかったですね。宗教に係わる人でも色々な人がいるなーと思いました。

有希:そうそう、色々な人と話をすると逆に自分の変な観念が取れることってありますよね。自分の知らないこととか、体験していないことを聞いたりすると、ちょっと目先が変わったりしてね。

長田:そう、色々な人と係わる事って大切ですよね。今、家にいて本を読んだりして家族以外の人とあまり接しないと、どうしても視野が狭くなるのを感じますよね。今日は宗教の話が多かったんだけど、きっと今現在自分の宗教に疑問を持っている人が少なからずいると思うので、勇気をもって自由になってもらいたいと思います。それから、もしそういう人に出会えれば、躊躇しないで自分の出来る精一杯の事をしていきたいなーと思います。

 


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