スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.06.11作成)

第一回('01年5月26日)
「スピリチュアリズム・ニューズレター」第13号について

その1


 

■5月26日(土)、真理の勉強会&座談会をペーパーバーチ、有希、長田の3人で行いました。
以前は大勢が集まって交流会を行っていましたが、今回からは3人がベースになります。この日、ペーパーバーチさんは徹夜明けでちょっとボーっとしてました。以前の交流会は皆さんが話したことを筆記して、それをまとめたものを載せていましたが、今回からはテープに録って、それを長田さんが文字にしてまとめることになりました。(有希)

■有希さんは全体の取りまとめ役と、連絡役として働いて下さいました。テープに録った後の文字おこしは長田さん、HTMLの作成等サイト構築はペーパーバーチが担当しました。(ペーパーバーチ)


まず有希さんより「勉強会&座談会」の主旨の説明がありました。

有希:先回は予定していた交流会の欠席者が多くなるということもあって、これは逆にいい機会かもしれないと思い、以前の交流会を急遽取りやめにして小人数で新たに始めることを思いつきました。今までの交流会だとただ漠然としていて、話の内容も今一歩スピリチュアリズムに添いきれていなかったのをすごく感じていました。また、人数が多いとどうしても話がバラバラになってまとまりがなくなってしまうので、小人数でスピリチュアリズムを中心にした話の展開がしたかったこともあります。それと遠い人だと参加したくても物理的に無理があるので、掲示板を新たに設置して多くの人に参加してもらえたら、というのもあります。長田さんとペーパーバーチさんが私の意図するところ汲んでくださったので、3人で始めることにしました。予定としてはできれば月に1回ぐらいのペースでやれたらと思います。

 

第1回目はまずお祈りで始め、今回のテーマの確認後、「スピリチュアリズム・ニューズレター」第13号(4月1日発行)についての話し合いに入りました。 

1)地球は全宇宙で下から2番目?

有希:私がなるほどと思ったのは、1ページのこの部分ですね。

大変ショッキングなことですが、シルバーバーチや他の高級霊訓では----「生命体のいる天体(惑星)は宇宙に無数に存在しますが、その中で、地球より進化のレベルの低いものは他に一つしかない」(シルバーバーチは語る・202)と言っています。すなわち地球は、全宇宙に数え切れないほど存在する惑星の中で、霊的進化のレベルにおいて下から2番目の低さであると言うのです。(P.1)

有希:地球が全宇宙の中で下から2番目の低さであるという点ですが、確かに低いと思うし、それなら今色々な事件とか、わけのわからない事が起きてもしょうがないと思いました。

ペ:た、確かに……。
でも実はこの部分、僕が以前から引っかかっていたところなんですよ。というのは、全宇宙に存在する星の数の膨大さを考えると、その中で言葉通りの意味で“下から2つ目”というのはちょっと考えずらい、信じられないな〜という気がするんです。原語で何と言っているのか解らないですけど、レベルでいって下から2つ目のところだよ、というような意味ではないのか。例えば小学校の2年生の子供に対して「君は今2年生だから日本中の小学生の中で下から2番目のレベルだ」みたいな意味じゃないかと。
どちらにしても今の地球という星の状態が、動物的なレベルからようやく個的自我(パーソナリティ)を得て、人間という存在として生まれられる最低レベルであろうことは間違いないと思います。

長田:やはり地球が下から2番目と聞くと、世の中を見ても肉主(霊従)ばかりでそうなんだろうと、まだまだ先が長いなーと思わずにはいられません。また、たとえ自分が少し真理を知っていたとしても所詮「井の中の蛙」にすぎないと思ったし、思っていないといけないと思いました。

 

2)「善きサマリア人」とは?

長田:8ページの「善きサマリア人」の……そうそう、ここの部分。「善きサマリア人」って、いったいどんな人なんだろう?

自分自身に厳しくなければならないということです。よく聖句を持ち出して----「自分はパリサイ人や律法学者でなく、善きサマリア人でありたい」などと言う人がいます。しかしそうした言い方そのものが、自分自身の甘さを容認していることなのです。自分に対しては厳しく、他人に対しては真実の愛と寛容の精神で臨む姿勢があるならば、聖句にかこつけて自分自身への甘さを良しとするようなことはないはずです。(P.8-9)

有希:自分はいい人間だと思っている人じゃないでしょうか。自分は人の為に一生懸命尽くしているし、善い事をたくさんしていて悪い事なんかしていない、と自分で自分を自負している人の事。イエスはパリサイ人の事を偽善者と言っています。口では立派な事を言っているけど中身は違う、人の目に善く映ることはするけど、人が見ていなければ何をやっているかわからない人です。善きサマリア人とは本当に善い人であって悪い人のことではないように思います。世の中にはボランティアをしたり、人の為に精一杯やったりと、真理は知らないけれども善い人は沢山いると思うけど、「自分は善い人間だ、あれもこれもやってあげている」と自己満足している人の事を善きサマリア人と言うんだと思います。

ペ:同感です。僕は常々言ってるんですが「自分が善人だと思っている人ほど鼻持ちならないヤツはいない」(笑)……というか、イヤですね。
以前読んだ本の中に、障害を持つ子供の母親の話があったんですけど、その人が子供を連れ歩いて、いつでも一番いやな思いをさせられるのが、いかにも親切そうな顔して話し掛けてくるおばさんだ、と言うんですね。確かにありがちな話で納得してしまったんですが、やはり自分の善意を疑わないから……善い事をしてあげているつもりでいるから、無神経でいられるし、より深く傷つけてしまう、ということはあるでしょうね。

有希:それは一杯あるような気がします。自分は善いと思っているだけで本当は相手を傷つけていたりする場合ですよね。

ペ:ここに「自分の愛を受けてくれない相手に出会えば、たちまち吹っ飛んでしまうような薄っぺらな愛しか持てません」(P.9左上)とありますけど、精神世界にかぶれている人には特に、こういうの、いっぱいいますね。ネット上にも捨てるほどいる。雰囲気は穏やかな感じで善い人っぽいオーラは発しているんだけども、何か自分と意見が衝突する相手にいきなりキレてしまうというか……キレると言っても穏やかな雰囲気はそのままなんですけど(苦笑)……「何と悲しい人でしょう」みたいな、いきなり人格攻撃を始めてくれる人がいますよ。

 

3)「自己への絶望」を体験した事ありますか?

ペ:今回のニューズレターですごく共感したところがあるんですよ。ここの部分なんですけど、なるほど、ホントにそうだよなぁ……と。

霊的真理を真剣に実践しようとすればするほど、それに比例して自分の醜さ・足りなさを強く自覚するようになります。何度も同じ失敗を繰り返し、なかなか成長することができない自分の弱さを思い知らされるようになります。(中略)
 真剣になればなるほど、誠実にスピリチュアリズムの道を実践しようとすればするほど、誰もがこうした苦しみや絶望を体験しなければなりません。(P.9)

長田:生活の中で肉と霊との関係で弱さを感じるのはよくありますが、絶望感となるとまだないです。ただ、愛するという事を考えると、真理を知れば知るほどにその実践の難しさを痛感させられ、打ちのめされることはありました。

ペ:「我《われ》スピリチュアリストなり」という看板や、スピリチュアリストとしての理想に対する、自分の実状とのギャップを痛感するわけです。
頭の中ではロクでも無いことも色々考えたりするし、物欲もあるし、弱い心に負けて楽な方に流れたりもする。
シルバーバーチやモーゼスの霊訓とか色々読んでいるくせに、なんてダメな人間なんだろうと。これでは何も知らない人と変わらないじゃないか。自分がこうやって勉強している事っていったい何なんだろう。と思ってしまう事はあります。

有希:絶望の一歩手前はあるけど、真理があるから絶望までは行きませんでした。真理がなかったらいっていたかもしれません。正直言って、2年間死ぬ事しか考えていなかった時期があって、自分では死ねないから、誰か私を殺してくれないかなー、車で引いてくれたら丁度いいのになーって無意識にそう思っていた時がありました。今思うと正常ではなかったし、ひょっとしたらうつ病だったかもしれないし、何とも言えないけど、その時救ってくれたのはやっぱり真理でした。「必ず良くなる。ずっと今の状態が続くわけではない。」という言葉に励まされていたし、いつかは変わるかもしれないという希望があったからそういう意味では絶望ではなかったです。そしてその時期を越えたらすごく強くなって、「あの時よりはまし、何だってやれる」という強さが生まれました。それまではすごく弱くて何か言われれば涙したりしてましたから。

ペ:中身入れ替わったんじゃないんですか、皮をはいだら別人が出てきたりして(笑)

有希:本当にそんな感じです。昔の友達に会うと「本当に同じ人?」って言われる事あります。


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