心霊学研究所
kaleidoscope
('99.12.18作成)

肉体という下等なもの?


 

 シルバーバーチの霊訓やスピリチュアリズムの本を読むと、現世の肉体というものを、霊よりかなり下に置いていることに気付きます。これは日本でも、たとえば大本教あたりでも『霊主体従』と言っており、特に目新しい思想というわけではありません。

 が、シルバーバーチの霊訓の中では、「肉体という下等なもの」とか「肉体は精神の従僕です」など、あまりにもあからさまというか、身も蓋もない表現が多く(^^;、すっきりと納得できない人もいるようです。「肉体を軽視しすぎているのではないか?」「それはオレの実感と違うぞ」……と。

 しかし、決してそうではないんですね。シルバーバーチだって、別の部分では肉体の大切さを説いています。要はどちらも大切だが、その比重をどちらに置くかということであるわけです。そして現代の人間は、おおむね肉体の方ばかりかまっており、霊を軽視するキライがあるようです。

 シルバーバーチが、たとえば「肉体という下等なもの」と言っているのも、現代の“霊性軽視”へのアンチテーゼとして言っていると思えばよいでしょう。具体的には『シルバー・バーチの霊訓(5)』の122ページで言っているんですが、これは、心霊治療家を目指している人が病気にかかってしまっているという状況で、それに対して「こう思いなさい」という為に、ああいう極端な言葉になっているわけです。

 それからもう一つ(^^)。「従僕」という表現ですが、これは言葉の意味の捉え方の問題でしょう。「従僕」という言葉から、「肉体は無価値なもの、意味のないもの」というイメージを受けるという方もいらっしゃいました。ただ、これは表面的な言葉の意味に囚われるべきではないと思うんですね。決して「従僕=無意味な存在」という意味で言っているのではないわけです。霊という主人のために働いてくれる従僕(肉体)があるからこそ、霊はこの世で生活できるという前提があるのですから。

 たとえば、自動車に乗らねば高速道路には入れませんし、遠くに行くこともできません。道路の上では人間ではなく、自動車が動いているわけで、その意味では自動車はとても大切です。しかし、人間と自動車を対等と思ったり、ましてや自動車のほうが人間より大切だとは思わないでしょう。それと同じことです。

 それに、シルバーバーチは自分のことを、(大霊の)「僕(しもべ)」であるとか「従僕」「奴隷」「召使い」等と言っています。しかし、だからといって、自分の存在が無意味なものと思っているわけではないはずですよね。

 

 この世で生活を営んでいると、どうしても「やっぱり肉体が第一としか思えない。霊が従で肉体が主ではないのか」と思ってしまいがちです。しかし、思えようが思えなかろうが、それで事実が左右されるハズがないわけで(^^;、霊こそ肉体の上位に位置するものだと考えるべきでしょう。

 もっと言えば、エーテル体とかアストラル体、コーザル体などの霊的な身体も、この世の物質の肉体よりは精妙ではあろうけれど、やはり(霊的な)物質に過ぎない。その中でも、もっとも質の低いのが、この世の肉体であるということです。

初出:Nifty-Serve FARION『心霊学研究所』('96.1.20)を大幅に加筆・改稿


前ページ目次次ページ

心霊学研究所トップページ