心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)4001-4050の過去ログです。
(メールアドレスは、スパムメール防止のため過去ログ収納時に削除しています)

過去ログの目次][心霊学研究所トップページ


4050 桑原さん訳の良作 (Re: No.4022)
名前: cerefica  投稿日: 2005年02月21日 (月) 23時06分07秒
キューピーさん、はじめまして!
こちらこそ宜しくお願いします。


>桑原啓善さんについてですが、この方はホワイトイーグルという方の翻訳をされてて、一冊だけ買いましたが、どうしても読む気がしません。読んでいると自分の中で整理しながらでなくては読めなかったので、途中までしか読んでいません。近藤千雄さんの翻訳はないのでしょうか?どうか教えて下さい。

Amazonで調べてみましたが、桑原さん以外にホワイトイーグルを訳した方はいらっしゃらないみたいですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-4669830-4699456

私はホワイトイーグルの本はまだ読んでいないのですが、桑原さん訳の他の本では、

ワードの「死後の世界」(ワンネス・ブックシリーズ第5巻)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795205841/qid=1108993797/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-4669830-4699456

人は永遠の生命(ワンネス・ブックシリーズ第1巻)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795288186/qid=1108994191/sr=1-6/ref=sr_1_2_6/250-4669830-4699456

が良かったですね。特に「死後の世界」は、主人公が地獄の底から這い上がってくるというドラマチックな展開で、スピリチュアリズムに興味を持たない人でも楽しめる作品です(^^)
http://knit.ws
4057 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 01時54分46秒
細かい訂正ですが(^^;
ワードの『死後の世界』は浅野和三郎の翻訳を現代文に直しただけですし(僕やTMHさんがやっているのと同じですね)、『人は永遠の生命』は桑原さん自身の著書であって訳したものではありません。

『死後の世界』は本当に面白いですし、やはり現代文の方が読みやすいのでかなりオススメ。

『人は永遠の生命』も、桑原さんがおかしくなる前に書いたものなので、割とマトモなスピリチュアリズムの入門書です(15年前に読んだ感想なのでトンでもない間違いかもしれない(^^;)

http://www.paperbirch.com/
4058 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 02時22分56秒
cereficaさん、すみません。修正依頼をいただいていたのに今気付きました。

しかし、残念ながら投稿修正するとリンクの部分がおかしくなってしまうので(掲示板の仕様です)今回は修正は見送らせてください。代わりに正しいリンクを張っておきますね。

というわけで、cereficaさんの投稿中一番上のホワイトイーグルの検索結果はエラーが出ます。こちらのリンクをご利用くださいませ↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=paperbirch-22&keyword=%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88+%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB&mode=blended

http://www.paperbirch.com/

4049 祈りと利他愛について (Re: No.4016、4017)
名前: cerefica  投稿日: 2005年02月21日 (月) 22時39分30秒
ヨシさん、こんばんは^^


●祈りについて

(No.4016より)
>『その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。つまり肉体に宿るが故の宿命的な障害を克服して本来の自我を見いだしたいと望む魂の祈りです』(霊訓(3)−219ページ)
>
>私は、この祈りを、「自身の弱さ、未熟さを見つめ、その上で霊的生命との調和を求めようとする必死の祈り」、「自身の持つ否定的な欲望、感情によって閉ざされた霊的生命との交流を図ろうとする必死の祈り」と解釈しています。
>
>別の言葉で言えば、「自身の霊性を回復しようとする祈り」、あるいは「自分への愛」と言ってもいいと思います。
>
>★「利他愛の祈り」だけがスピリチュアリストの祈りではないと私は思っていますし、むしろ「自身の霊性を回復しようとする必死の祈り」を伴わなければ、「利他愛」も空回りする・・のではないかとも思っています。


「自身の霊性を回復しようとする祈り」という表現は分かりやすいですね。確かに「利他愛の祈り」だけがスピリチュアリストの祈りではないですね。丁寧に説明してくださり、ありがとうございました。


●利他愛について

(No.4017より)
>私も含めてのことですが、利他行為、利他愛を説いたり、行っている人たちにはこのような、「正義」の名の下に隠された「傲慢さ」、「他者への無配慮」はないでしょうか?
>
>このような自己反省がないと、「正義」の名の下に隠された「傲慢さ」、「他者への無配慮」が潜んでいることを忘れてしまうと思います。

おっしゃる通りだと思います。利他愛の実践に際して、傲慢な心がないかチェックすると同時に、細やかな気遣いができるように私自身も気をつけたいと思います。
http://knit.ws

4048 もしも妻が
名前: cerefica  投稿日: 2005年02月21日 (月) 22時03分25秒
雄貴さん、こんばんは^^


>個人的には「妻の噴火が治まるように」という祈りは、大霊に認めてほしいような気がしますけど。それこそ、こころの底から湧き出てくるような真摯な深いーーーーい祈りのような気がします。

分かります。もしも妻が富士山だったら日本はどうなっていたかと思うのですよ。
ところで雄貴さんってご結婚されてたのですか??


>次回7月2日予定からの広島市読書会は「霊的新時代の到来」(心の道場発刊)をテキストにします。あの本は、SBの厳しい部分と優しい部分が両方バランスよくまとめられてとってもいい本です。

あの本は何度も読み返しています。なぜか分からないのですが、とても惹かれてしまいますね。
http://knit.ws

4047 しんさんへ
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月21日 (月) 19時39分55秒
>おはようございます。
>キリコさんに質問したのですが、質問を返されました。私としては直感的
>に”似ていたのでは?”と思ったので質問しただけだったのですが・・・。
>私は戦時中に生きていませんので詳しい事まではわかりません。

せっかく興味を持ったのですから、掘り下げて見たら如何ですか?
別に私にレスしてくれなくとも結構です。
どこで、なんとなく思ったのか・・・それを自分自身で掘り下げる事には、大変意味があると思います。
なお、戦前に生きていなくとも、現代の文献で比較考量することができます。
逆に、当時生きていた人間よりも、客観的な評価ができる場合もあると思います。
日本の歴史については、山川出版社の書籍が一番優れています。
大学受験参考書の会社ですが、同社の日本史にかんする記述には定評があり、「日本史の山川」と言う評価は、数10年前から不動です。

私的には、「詳説 日本史研究」がお勧めです。

4046 おはようございます
名前: しん  投稿日: 2005年02月21日 (月) 08時50分35秒
おはようございます。
キリコさんに質問したのですが、質問を返されました。私としては直感的に”似ていたのでは?”と思ったので質問しただけだったのですが・・・。
私は戦時中に生きていませんので詳しい事まではわかりません。特に2つめの質問など、テープでそういう事実があったという事を聞いた事があるだけなので聞いただけです。 
何か子供のケンカのようになってきましたので、この話題については以後ご遠慮させて下さい。話題をふったほうが話しから逃げるようで申し訳ありませんがこの会話のままだと私自身が前を向けませんので勝手言ってすいません。私の無知につきあってもらってキリコさんありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 ところで管理人さん。 モーゼの霊訓の掲載ありがとうございました。 早速印刷して読ませて頂きました。非常にありがとうございました。

4045 シルバーバーチを贈る
名前: PEN  投稿日: 2005年02月21日 (月) 08時32分42秒
妹さんを亡くされてショックで入院までされた方にシルバーバーチの本2冊を送らせて
頂きました。その方と私とは全く面識がありませんので、はたして読んで頂けたのか
どうかすらわかりませんが、私が出来るのはここまでと思っております。そこで一句。

知らぬ間に  値上がりしていた  シルバーバーチ

4044 北朝鮮と戦前日本が似ている点
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月19日 (土) 10時28分52秒
ということで、しんさんが論点を整理してくださると思います。

わたしは、それについては考えた事がなかったので、是非、しんさんに頑張っていただきたいと思います。
@政治体制
A軍事
B報道
C経済
D海外渡航
E外交
F貨幣制度

国としての、根幹を成す部分です。

戦前の日本と、現在の北朝鮮と、制度的に似ていたのか否か、比較するとしたら、最低限の要件です。
しんさん、頑張ってください。勉強させてください。
私としては、比較などした事がなかったので・・・

4043 質問する前に教えてください
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月19日 (土) 10時10分51秒
>先日も書きましたが、今の北朝鮮と昔の日本は似ていなかったのでしょう>か?北朝鮮の人がどういう思いでいるかが分かりずらいとこなので難しいでし>ょうけど、どう思われますか?

どのような点で似ていると思われますか?
具体的に教えてください。
曖昧に言っても難しいかもしれません。
@政治体制
A軍事
B報道
C経済
D海外渡航
E外交
F貨幣制度
の6点だけで結構ですので、日本と北朝鮮と似ていると思われる点について
具体的に教えてください。

>もう1点質問です。戦時中に日本国内で米兵を捕らえた時に罵声や暴力を奮>い”人”として扱わなかった事についてはどう思われますか?

これも、@いつ A誰が Bどこで Cどのように D誰に対して Eどうしたのか
を、具体的に教えてください。

4042 いつもありがとうございます
名前: しん  投稿日: 2005年02月19日 (土) 07時37分32秒
いつもご意見ありがとうございます。
勉強になります。私、本当に感謝しています。

先日も書きましたが、今の北朝鮮と昔の日本は似ていなかったのでしょうか? 北朝鮮の人がどういう思いでいるかが分かりずらいとこなので難しいでしょうけど、どう思われますか?

もう1点質問です。戦時中に日本国内で米兵を捕らえた時に罵声や暴力を奮い”人”として扱わなかった事についてはどう思われますか?

4041 そして・・・・・
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月18日 (金) 23時08分26秒
ご存知の様に、日本は敗戦を迎えました・・・・・

では、神風の犠牲は無駄死にだったのでしょうか?硫黄島や沖縄の地獄は?
そんなことはないのです。
戦後のアメリカ軍の駐留は、なんといっても厚木の飛行場にコーンパイプをくわえてB29から颯爽と降りてきた、マッカーサー将軍が有名ですが、実は、駐留していた連合軍は、恐怖していたのです。

あの、自分たちにはとても真似できない勇猛さを見せて、武力と物量で圧倒していた自分たちを、死に物狂いの強さを見せ、散々苦しめていた日本人が、いつ、またあの武装闘争をはじめるか、始めたら地獄の沖縄・硫黄島が、日本全土で勃発してしまうと、二の舞だと、連合軍は大変恐れていたのです。

勇猛果敢をもって鳴る、陸軍のマッカーサーや海軍のニミッツ、スプルーアンスも、みな、同じでした。

だからこそ、アメリカは日本を植民地化するのではなく、日本を民主化し、軍を解体し、土地解放を行ったのです。
北風政策ではなく、太陽政策を取ることにしたわけです。

そして、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦が本格化し始めたら、
「勇猛果敢な日本人を共産圏に取りこまれたら大変だ!!!」
ということで、日本を同盟国にしていくよう、経済的にも支援を本格化したのです。

そして、それがその後の戦後体制、日米安保、そして現在の日本の繁栄へと繋がって行くのです。

同時期に、アジア各地でも、植民地となっていた国々が、次々と独立闘争を開始しました。
そのときも、以前のアメリカならば、植民地を確保するべき算段を巡らせていたでしょうが、沖縄や硫黄島で悲惨な地上戦を経験したアメリカは、それに直接介入しませんでした。
猛将マッカーサーは、「2度と、アメリカはアジアでの地上戦に関わるべきではない」という金言を残しています。
この金言を忘れ、ベトナムで惨敗しますが・・・

太平洋戦争における、神風の勇者達の死は、戦争としての戦略的意義はほとんどありませんでした。
しかし、いまの日本の繁栄には、大きく寄与していると、私は感謝しています。

4040 こんばんわ
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月18日 (金) 22時44分19秒
先人達への気持ちについては、アップルさんが素晴らしいご意見を仰ってくださったので、感謝しています。

以下は私の考えです。
しんさんに押しつけることはしません。
私の職場の人だって、大半の人は、国や民族について、ほとんど意識などしていません。
意識するのは、サッカーワールドカップや、オリンピックの時だけです。
今の平和と繁栄を、あたりまえのように考えているだけです。
それが、いまの平均的な日本人です。
島国かつ、ほぼ単一民族で生活する事ができるという、世界的に見ても希有な恵まれた環境にいる我々日本人は、逆に、民族とか、国家とか、意識しないで済みます。
これは、本当に素晴らしい事です。

ただ、大戦中は違いました。
当時は、一般市民を標的にした大量殺戮が行われていました。
東京大空襲もそうです。
あれは、東京外周から円形に、まず焼夷弾を降らせました。
そして、逃げ場を、退路を完全に断った上で、非武装の市民の上に、大量の爆弾を雨あられのように落したのです。
何十万人もの市民が、生きながら火に焼かれ、死んでいきました。

地方都市でも、田園地帯でも、グラマンが、小学生を殺戮しました。
日本中の国民が、なんの抵抗もできない一般市民が、女子供が、虫けらの様に無慈悲に殺戮されていたのです。
戦争に蒔けたら、日本国民は皆殺しにされると、信じる事が妥当な状況だったんです。

そのような状況を目の当たりにして、年端も行かない少年達は、家族を守るために、爆弾を抱えて敵艦に突っ込んで行ったんです。
そして、そのほかの戦地の日本兵も、玉砕して行ったんです。

一応、彼らの建前は、天皇陛下のため!ということになっていましたが、本音は国民や家族を、大量殺戮から守るために、戦ったのです。

神風特攻隊も、その他部隊の玉砕も、地獄の硫黄島で戦った兵士達も、同じ思いだったことでしょう。
インパールから生還した私の祖父も同じ思いでした。

私が知って欲しかったのは、その思いです。

戦争自体を美化する事はできません。
あの戦争は、いまではファシズム対自由主義などというすり替えが為されていますが、実態は、欧米植民地主義対、日本の植民地主義の権益争奪戦でしたから。
アメリカも、けして中国人民のために日本を経済的に追い詰めて戦争に追いこんだわけではなく、単にアメリカの中国権益の拡大を図る上で、日本が邪魔だっただけです。

日本も誤っていましたが、アメリカも英国も、決して正義だったわけではありません。

しかし、戦争で亡くなった兵士の方々は、純粋に家族や国為に、戦って、死んでいったのです。
なにかというと、悪かったのは軍部だ!とか、いや、財閥だ!とか結論付けられてしまいますが、
植民地主義が世界を支配していた当時の状況では、遅かれ早かれ、日本は戦争に追い込まれていったでしょう。
日本が、欧米列強のまねをして、植民地主義に傾倒して行った事は、国策の最大の誤りだったと思います。
が、国としても国民としても、当時の日本人は素晴らしいものを持っていた事は間違いないと思います。

だからこそ、日本は明治維新から、一気に先進国の仲間入りを果たせたのです。

4039
名前: しん  投稿日: 2005年02月18日 (金) 08時09分25秒
下の k は私です。
この掲示板は早く書かないとエラーになってしまってダッシュの連続です(笑)
4056 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 01時44分27秒
この発言は見過ごせませんので、先にコメントしておきます。当掲示板のローカルルールに……

「よくお考えの上で、しっかり推敲した文章をご投稿ください。」
http://www.paperbirch.com/sp-bbs/localrule.html

というのがあります。ブラウザ上の入力欄で文章を作成するのではなく、テキストエディタもしくはワープロソフトなどであらかじめ文章を作成してから投稿していただくようにお願い致します。思い付きで根拠も挙げられないような話を書き殴って「ダッシュの連続です(笑)」などと書かれても、笑えません。

http://www.paperbirch.com/

4038 書きもれていました
名前:   投稿日: 2005年02月18日 (金) 08時08分03秒
すいません。書きもれていました。

先日ふと思ったのですが、今の北朝鮮と昔の日本は結構似ていたのではないでしょうか? 違う点は今の北朝鮮は庶民まで国家の意思が行き届いていないという点ではないでしょうか?

4037 書f
名前:   投稿日: 2005年02月18日 (金) 08時06分32秒

4036 おはようございます
名前: しん  投稿日: 2005年02月18日 (金) 07時55分59秒
おはようございます。
キリコさん、気分を害されたようですいません。あまり具合が悪くなるようでしたら話題を変えてもらっても結構ですよ。感情論になるといい話しできませんからね。

ちなみに 中学生ですか? との問いにはあえて回答しません。
中学生であったらどうなのでしょう?違ったらどうなのでしょう?
そんなので壁を作ってどうします? 先入観が増す一方なのではないですか?

4035 追記
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月18日 (金) 05時52分36秒
最後の、中学生ですか?
は、私自身、中学・高校時代は、しんさんとかなり同じ意見だったので、在りし日の自分の意見を見ているようでしたので、もしかしたら?と思って書きました。
学校の先生に教えられた(サヨの日教組先生)話を、鵜呑みにしていましたから・・・

また、スピリチュアリストと言っても、いろんな意見の方がいますので、しんさんのご意見に近い人も沢山いると思います。
日本は、世界で一番他国の侵略を受ける危険のない国ですので、あまり国とか民族とか、意識する必要もありません。

続きは夜、書きこみます。
もう、出勤の準備せにゃ。

4034 おはようございます。
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月18日 (金) 05時30分31秒
しんさんの意見には、たんにステレオタイプのイメージで作られた事実誤認が多いですね。

特に、神風の方々への意見は、彼らの遺書(軍の検閲を受けていないものもあります)や志願の過程など、よく本を読んでから意見を言ったほうが良いでしょう。
あまりにも失礼ですね。

戦争は人殺しとか、実に単純です。国は単に領土だし・・とか、あなたは典型的な根無し草です。
日本人の典型です。
外国に囲まれていない日本人ならではの発想です。
四方に海があると言う事は、素晴らしい事です。

失礼ですが、中学生ですか?

4033 うーーーむ・・・・・・・(独り言)
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月17日 (木) 20時35分04秒
しんさんの意見、私の20年前と同じ。

かつての自分にレスするようで・・・具合が悪い・・・

4032 おはようございます
名前: しん  投稿日: 2005年02月17日 (木) 08時10分33秒
おはようございます。
ご意見非常にありがとうございます。こんな話を他ですると全く相手にしてもらえないので嬉しい限りです。
キリコさんもアップルさんも考えが確立されているようで凄いです。
私はそれほどまでに世界平和を真剣に考えてはいないのでしょう。
私の考えはあくまで”思想”としてです。”現実”はキリコさんのいうとうり日本は特殊なのでしょうね。
私は知覧の特攻隊員の方は泣く泣く参加した方がほとんどだったのではないか?と個人的に思っています。もちろん将来の日本の事も考えていた方もいたかもしれませんが、参加しなければその家族が罰せられるといういわば強制的に参加した方が多かったと思います。私は戦争の犠牲者と見ています。個人は正義の名の下に殺人は許されませんが、国家は許されるという非常におかしい状況を戦争というもので感じます。ですからその誤った時代の犠牲者を前に誇りを感じるという気にはなれません。しかし、当時参加した人の気持ちは複雑だったでしょうね。大事なものを守るため自分の命をかけて相手の命を奪うという究極の強制であったでしょうから・・・。今の平和な世の中だから言えるのですが、それでもきっとその選択は間違いなのだと思います。インドのガンジー的な発想ができればいいなあと自分であったら思います。まあ、私には無理でしょうし、いざとなったら私いの一番に逃げるでしょう(笑)
これ質問なのですが自国に誇りを持てたら他国に誇りを認めるのでしょうか? 今のアメリカ(しか知りませんが・・・)を見ていたら、自国には誇りを持っているようですが、その文化の押し付けをしているような・・・しかも誇りを傷つけられたら凄い攻撃をしてきそうなムードも感じます。
今の”日本”って何でしょう? 領土はただの区域だし、政治家も只の代表だし・・・と考えると私は結局一人一人だな〜と思います。そこに”日本”や”世界”は存在しないのでは?と思います。あるものは”私”と”あなた”だけのような気がしまして。で、結局誇りとか愛国心とかは必要ないという意見です。現実を変えられるとは思ってませんのであくまで私心でしかないし、思想です。
長々と書きましたが私の考えはまとまってないのでよって意味不明になってしまいました!(笑)すいません!
ところでアップルさん、私スピリチュアりストじゃないと思います。
霊訓も少し読みましたし、他の本も割りと読んでますが”そうなっているんだ!”(霊の存在とか色々)と感じるには至っていませんので。ただ、何かそんなのあるのかな〜?あったら体験できたら生き方変わるかもな〜と切に思っている・・・そんな状況です。
4074 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月23日 (水) 23時37分56秒
しんさん、こんにちは(^^) 今日はちょっと雑談モードで。

戦争は悪いに決まってますよね。まぁ、アプリオリに「決まってる」なんて言うのも思考停止で良くないのかもしれませんが、良いことじゃないだろうとは、誰だって思っていると思います。ただ、北朝鮮みたいな国に宣戦布告される可能性だってあるわけですから、軍事力というものは絶対に必要だと思いますし、戦争も止むを得ない場合もあるわけです。でも、こんな当然のことを言っただけでもちょっと前までは“右翼”と言われたものですけどね。

何が何でも戦争はイケナイという左巻きの人たちの考えは、突き詰めれば次のような思想に行き着くしかありません。

「外国に攻め込まれたら占領されれば良いでしょう。皆殺しになっても仕方がありません。抵抗せずに殺されても、素晴らしい平和憲法を守ることには代えられません」

……呆然、狂ってますねぇ。これ、実は20年前の高校時代の僕自身の発言です(^^;;;。はい、本気でこんなことを信じてましたとも。ええと、誰か僕にタイムマシン下さい。この馬鹿を殴ってきます(苦笑)。

先ほどアップルさんへのコメントで特攻隊員の時世の句をご紹介しましたが、あのような純粋な滅私の行為に身を捧げた先人たちを、僕はやはり誇りに思いたいです。もちろん特攻なんていうのは史上最悪の愚鈍・愚劣な最低の作戦です(※注)。絶対にあんな馬鹿な真似を繰り返させてはいけません。あんな作戦を実行しようと思った時点で、やはり当時の日本のある部分は確かに狂っていたのでしょう。しかし!です。そのことと、特攻隊員たちの高貴な魂に感動し、誇りに思うこととは、まったく別の問題なんじゃないかと思うんです。

※ただし無意味な作戦だったわけではなく、得られる戦果は非常に大きなものがあり、特に敵軍に対する心理的な効果は絶大だったようです。

アメリカは凄い国粋主義、軍国主義の国ですね(^^;。まだ若く歴史の浅い国で、おまけに多民族国家なので、意図的かつ人工的に愛国心を煽らないと、国がまとまって行かないという事情もあるのではないでしょうか? そこら辺は案外、支那あたりと同根のものがあると気がします(あちらももともと三国志だの史記だのの世界なので、一つの国でありつづけるのはかなりのエネルギーが必要)

http://www.paperbirch.com/

4031 つづき
名前: アップル  投稿日: 2005年02月17日 (木) 00時22分50秒
しんさんの意見とは少し違うかもしれません。
ただ、日本国民全員が利他行為を実践するには
以前の道徳性の高い清楚な精神性が必要ですと主張します。

我々は毎日の生活で色々な恩恵を受けている事を考えてみます。
今の日本を考えたときに、いきなり日本を作った人はいませんよね。
ずーっと先人が社会を受け継ぎ相続しているからこそ、
今の日本が成り立っているわけですから、
今私がここで生活している事は
先人たちのおかげといってもいいと思います。
生活すること自体が、先人や人生の先輩方への
感謝が必要だと考えます。
最近はメディアがガンバルもんだから権利の主張ばかりで、
権利に伴う義務が軽視されてしまっている風潮です。
「今の生活環境は権利の結果で、これからの生活は自由でしょ」ってな
カンジの主義がまかり通っていますが、
今までの国土を作っていただいた先人たちには
そうはいかないと思います。
より素晴らしい生活環境を作り上げ次代につなぐ
努力が必要ではないでしょうか。
戦後六十年ですが、
この六十年は過去から受け継いできた伝統の連続性や
国に対する主体性がだんだんとなくなりつつあると感じています。

しんさんのお近くの知覧に特別な意味があるのは
特攻で出向かれた特攻隊員の私たちに託された想いが
あるからではないでしょうか。
戦況が悪くなる一方で後生の日本(今のわたしたちですよ!)を
すこしでもいい環境にしたいと考えていただいて、
飛び立たれた先人たちを振り返ることは
とても重要なことではないでしょうか。
知覧に行けない方でも、
靖国神社のHPで彼らの遺書は読むことができます。
20才そこそこの彼らがどれだけ高き精神で心の整理をつけられたか
ぜひ、考えていただきたい事です。

以上、上記の様な考え方をとおして
今の日本に自信を取り戻したいんです。

以下は大正11年にアインシュタイン博士が日本を
訪れた時にのこされた有名な言葉です。

近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。
一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
私はこのような尊い国が
世界の一ヶ所位なくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、
最後の戦いに疲れる時が来る。
その時、人類はまことの平和を求めて、
世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、
武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、
また尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。
我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれたことを・・・。

再びこのような日本になれればいいですね。
4073 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月23日 (水) 23時30分00秒
アップルさんに深く同意します。

サヨクの人達は特攻された英霊たちを、無知、狂信、被害者というキーワードで括って矮小化したいようですが、彼らは決してそんなものではありませんでした。特攻隊として死地に赴かれた青年たちは、皆当時の一流のエリートです。現代の戦闘機乗りも同じだと思いますが、一握りの優秀な人間しかなれないものであって、オウム真理教に騙された似非エリートとはわけが違います。そんな彼らが実際の戦況に気付かぬはずがありません。

それでも特攻して行ったのは、戦後の日本人の精神に、気高い武士道を残したかったからではなかったでしょうか。「人間には命より大切な物がある」ということを、たとえ米軍に占領されることになっても日本人が忘れないように、ではなかったでしょうか(いや、もちろん第一には勝利を目指してはいたでしょうが)。彼らとて恐かったはずです。死にたくはなかったでしょう。まだ年端も行かぬ、少年と言っても良いほどの彼らが、どれほど故郷に帰りたかったことか。どれほど父母に、兄弟姉妹に会いたかったことか。わざと失敗して海に落ちれば、又はどこかの島にでも逃げれば、生き残って、いつか帰ることは出来たでしょうに……。

それでも彼らが特攻することを選んだのは、故国日本の後の世の子孫たちに、何かを残したかったからです。「日本は負けるかもしれません。しかし敗戦後の日本のためにも、自分たちは行かねばならないのです」と、実際にそのように言った人もいます。(※おおよその記憶で書いてますので実際の発言とは違います)

彼らの遺志を矮小化してはなりません。戦後60年、日本は彼らのことをすっかり忘れてしまいましたが、今からでも遅くない……いや、今こそ彼らの決意に思いを寄せるべき時が来ているのだと思います。インターネットによる草の根の情報ネットワークの発達と、それに伴う既成メディア(朝日新聞など)の信用の失墜を見ていて、そのことを特に最近強く感じています。

   いざさらば我は御国の山桜 母の身元にかへり咲かなむ

故郷の桜に生まれ変わって、皆を見守っているよ、と……特攻隊員の辞世の歌です。彼が愛した故郷日本を、平和の中で愛せるとは、なんと幸せなことでしょう。願わくは僕たちの子供の時代にも、さらにその子供たちの時代にも、同じように愛せる国柄であって欲しいと……否、我々の世代がそのような国柄を守って行かねばならないのだと思います。

   散る花のいさぎよさをめでつつも 母の心はかなしかりけり

上の時世の句を受けて、母の返歌です。こんな悲しい時代が二度と来ないようにしなければなりませんね。

『いざさらば我はみくにの山桜―「学徒出陣五十周年」特別展の記録』靖国神社(編)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886561063/ref=nosim/paperbirch-22

http://www.paperbirch.com/

4030 しんさんへ
名前: アップル  投稿日: 2005年02月16日 (水) 23時08分04秒
しんさん、はじめまして。
キリコさんにつづいて、私の意見を掲示いたします。

>世界平和に”条件”がいるのでしょうか?と感じます。 
>人は何のこだわりもなくせば自然と平和のような気がするのは
>私だけでしょうか?

平和に条件なんかないですよね。
すべてが幸せだったら素敵なことです。
我々は(失礼!勝手にスピリチュアリストと判断しました)世界平和を
実現するためにも霊的真理の普及と実践を重んじなければならないと感じます。

最近、モラルのない事件が多いですが
せめて自分のいる地域が安全ですごしやすい
毎日を送れるように努力しないといけないと感じています。
自分の生活している地域から市町村に波及して、
県単位や地方まで行き届いて
最後は国を通じて全世界に平和が波及するのが理想でしょうか。
なんせ、世界は主義主張がバラバラですから
いきなりは難しいですよね。
まずは自分の地域でできることから努力することかなと、
考えています。

つづけます

4029 キリコさん
名前: アップル  投稿日: 2005年02月16日 (水) 22時56分13秒
さすが!
キリコさん、すばらしい!

私はまだ行けてません。
靖国のHPで涙する程度です。
みなさんと語り合いたいなー。
家が近かったら・・・・。

4028 つづき。
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月16日 (水) 20時25分37秒
根無し草が他国の文化を本当に学ぶことは、難しいでしょう。。
たんにフランスに染まっているだけで、根を生やすことはできませんから。
毒にも薬にもなりません。でも、戦争は起こしませんね。
無害です。
いまの日本人は、無害です。どこまで行っても無害です。
これはこれで、美徳とさえ言えるかもしれません。
逆に、愛国主義・民族主義と言うのは、無害・無益な根無し草と異なり、程度を超えると、極めて危険な存在となります。
それは排他性、潔癖主義、独善、無理解、憎悪などの様々な弊害を生みます。
そして、それは悲劇に直結します。
おそらく、しんさんの仰る懸念も、そこにあるのだとおもいます。
最近は、宗教が戦争・紛争のほとんど全ての原因となっていますが、ようは、同じ事ですね。

霊訓でもいっておりますが、社会常識的にも、ようは、大事なのはバランスだと思います。
宗教や愛国心、民族の誇りは、下記で述べたとおり、大事なものだと思います。
それ自体に問題があるのではなく、バランスと寛容に欠けた人の心が、排他性、潔癖主義、独善、無理解、憎悪などの様々な弊害を生むのだと思います。
ただ、「過ぎたるは及ばざるが如し」というのは、霊的真理云々言う前に、人類古今東西老若男女をとわず、本当にそのとおりだとおもいます。
世界の情勢を見ていると、確かに宗教的非寛容、民族的非寛容、国家的非寛容が原因による悲劇が多すぎると思います。
こう考えますと、日本人の宗教的な節操のなさは、逆に、とても良い部分もあるわけで・・
非常に寛容ですね。神道自体が、信じられないくらい寛容だというのもありますが…
だいたい、スピリチュアリズムなどと言うのは、日本では別になんとも思われませんが、熱心なクリスチャンにしてみたら、おそらく悪魔の手先と思うのでは…・・?

いまの日本では、魔女狩りは起こりようがないし・・・
それはそれで素晴らしいですね。
バランスがとれていないけど。
4068 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月23日 (水) 01時15分57秒
まだまだ地球人類全体が幼すぎて、愛国心とか民族愛が偏狭なところに迷い込んでしまうことが多いということなんでしょうね。

ただ(しんさんへのコメントの繰り返しになりますが)自分を育み構成している国や民族を愛する気持ちは自然なものですし、それを無理に無くそうとすると、現在の日本の教育の如く、歪んだものになってしまいます。

実はイギリスでも1940年代以降に、現在の日本と同じような教育が行われていたことがあるそうです。左翼政党主導で行われた教育内容は、イギリスの植民地支配を糾弾し、植民地の歴史を教え、「総合学習」という科目は教師のイデオロギー教育の隠れ蓑となり……ほとんど現在の日本の自虐&ゆとり教育そのもの。サヨクのやることは洋の東西を問わないようです(苦笑)。その結果どうなったかと言えば、やはり子供たちの学力は急落し、中学校入学時点で2/3の生徒が九九を知らないほどだったとか。

それを変えたのがサッチャー首相の教育改革でした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog375.html
↑こちらのサイトより引用させていただきます。

1979(昭和54)年に登場したサッチャー保守党政権は、「イ
   ギリス病」克服のために、経済再建だけでなく、イギリス国民
   としての誇りと道徳の回復を訴えた。経済の低迷は単なる経済
   政策の問題ではない。自虐史観によって誇りを傷つけられ、宗
   教否定の教育によって道徳心を失った国民が、国家公共のため
   に尽くそうという志をなくしてしまった結果である。

上記サイトによれば、1988年の教育改革法により自虐教育は禁止され、学校のあり方も大きく変革された結果、1955年には基準レベルの成績が取れた生徒は10%しかいなかったのが1998年には46%に、少年犯罪の数も1977年から2002年で20万人から10万人に半減(!)したそうです。現在の日本の状況を考え合わせると、非常に示唆的だと思います。人間から誇りを奪うことが、いかに意欲と向上心を奪うことになるのか、という。

愛国心のない日本人を、キリコさんは「無害」と評しましたが、下手をすると近い将来「無知」「無能」というのも付け加えざるを得なくなるかもしれません。そうならないよう、政府には早急な対応が求められるわけですが……。

http://www.paperbirch.com/

4027 しんさんへ
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月16日 (水) 19時43分06秒
追加でお断りしたいのですが、私の投稿は、自分なりの愛国心についての意見を、自分なりにまとめているのです。
なので、
しんさんへの返信と言う趣旨からは、ずれてきているかもしれません・・・

4026 私の意見
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月16日 (水) 19時37分40秒
こんばんわ。
久々に意見の交換ができて、、本当にうれしいです。
今回の件に関しては意見が違いますので、どうしても反論みたいに見えるかもしれません。
でも、この機会に自分自身の考えをまとめるために、あえて文章を書きました。

人類はナショナリストではなく、コスモポリタンであるべし!
それは、そのとおりであります。
それを目指すべきです。
全く同意見です。
そして、学生時代までは、それが成就されるのに一番問題となるのは、国や民族を愛するような精神こそが、平和を阻害している!と思いました。
しかし、
その後、私も海外に行ったり、国際交流などを通じて他国の人や異文化を持つ方と接する機会がありました。
その経験から、コスモポリタンと言うのは、単なる無国籍主義と言うことではなく、自分の国や文化に誇りを持ち、自分のアイデンティティをしっかり確立してからこそ、始めて成りたつと言うことを痛感しました。
そして、その上でこそ、他国の文化や歴史に本当の意味で敬意を持つ事ができると、私は考えます。
日本国内で生活していると、自分が日本人であると言うことを全く意識しないで生活することができます。アイデンティティの確立は全く必要ありません。
しかし、
外国で生活しようとすれば、イヤでも日本人としての自分を強烈に意識しなくてはならなくなります。日本人だけではなく、これは世界共通です。
日本国内が特殊なだけです。
私が国際交流で接した外国人は、みんな、自分の言葉で、自分の国のことを語ることができます。経済が貧しくとも、各自、しっかりと自国の歴史や文化に誇りを持っています。
そして、その上で他国の文化を学ぼうとしています。
日本人はどうでしょうか?
アメリカやフランスにちょいと留学して、単なるフランスかぶれになっている人が・・・・・・多すぎます。

つづく(続きは明日かも)

4025 こんにちわ
名前: しん  投稿日: 2005年02月16日 (水) 12時10分56秒
こんにちわ。2回目の投稿となります。
キリコさんより”無国籍主義が世界平和の条件ですか?”と聞かれました。
私はまず世界を肌の色や言語、生まれた国、観念等々で区別する必要はないと思っています。あくまで私心でありますし、思想上の問題としてです。 特に”誇り”とかいうものは逆にもたないほうがいいのではないかと思っています。誇りを英訳すると”プライド”になりますが、プライドを傷つけられて怒る人の多いこと・・・。 世界平和に”条件”がいるのでしょうか?と感じます。 人は何のこだわりもなくせば自然と平和のような気がするのは私だけでしょうか?
皆様にも聞きたい事や教えてもらいたい事が山ほどあります。
以後宜しくお願いします。
4067 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月23日 (水) 01時04分29秒
以下、しんさんの新しい投稿#4063を読む前に書いたものですので、いまさらという部分もありますが、せっかく書いたので投稿させていただきます(*^_^*)


|特に”誇り”とかいうものは逆にもたないほうがいいのではないかと思って
|います。誇りを英訳すると”プライド”になりますが、プライドを傷つけら
|れて怒る人の多いこと・・・。

そんなに簡単に傷ついてしまう程度の糞プライドなら、確かに無い方が良いですよね。しかし、確固たる内実を伴なった誇りであれば、他人にどうこうされたからって傷つく事などあり得ないはずです。誇りとは、自らの内心に期するものです。他人に傷つけられたと思ったなら、その相手に怒るのではなく、その程度で傷つくような脆弱な糞プライドしか持っていなかった自分を恥じるべきです。

それはそうと、僕は自分の仕事に誇り(プライドと言っても良いです)を持たない人間と仕事をしたいとは思いません。パートナーとして信頼することが出来ないからです。また、自分自身に誇りを持とうとしない人間とも、付き合いたいとは思いません。こちらが真剣に対峙しようとしても、中途半端なところで平気で逃げ出してくれるからです。
(しんさんには是非、松本零士のマンガを読んでもらいたいですね〜。銀河鉄道999とか、誇り高い男(女も)がいっぱい出てきますし〜(^^)。……ストーリーはグダグダなのが多いけど(´・ω・`))


|人は何のこだわりもなくせば自然と平和のような気がするのは私だけでしょ
|うか?

そう思うのはしんさんだけではないでしょう(実際いっぱいいます(-_-;)が、残念ながら間違っていると思います。こだわりがなかろうが食糧問題や環境問題は待ってくれませんし、仮に世界の99%の人々が「こだわり」を持たず平和なつもりで暮らしていても、たった一国のたった一人の独裁者の出現で、世界中が北朝鮮のようになってしまうでしょう。

人の欲やこだわりを無くしてしまおうというのは、言ってみれば縮小再生産であって、生物としての人間の本能に反するだけでなく、霊的な側面からも間違っていると思います。困難な問題からの逃避になっているからです。欲も、こだわりも、無くすことなどできません。目を瞑って、頭を抱えて「無いんだ、無いんだ」と言い聞かせても無くなりはしません。
(思い余って男性器を切り落とすまでしても性欲から逃れられなかったお坊さんの話は有名ですが、なかなか示唆的だと思いませんか?(^^;)

欲が消滅したら人間は生命を維持できません(いちばん分かりやすいのは食欲、性欲、睡眠欲などでしょう)。こだわりが無くなったら同時に文化も文明も無くなってしまうでしょう。僕がパソコン通信時代にお世話になったある霊能者は、そうした人間の内面の、一見“負の部分”と見られる要素を「虎」と呼んでいました。そして、その虎を殺したら人間も死んでしまう。もちろん暴走させて(虎に屈して)もいけない。猛獣使いとなって御《ぎょ》していかねばならないのだ、と。

愛国心や民族主義だって、同じですよね。本来、自分の生まれ育った国や自分の民族を愛することが、悪いことであるはずがない。ごく自然な、当たり前のことでしょう。自国を愛する気持ちがあれば、もっと良い国に、世界に誇れる国にしたいと思うことに、いったい何の問題があるでしょう? 変に愛国心を暴走させるのではなく、乗りこなしてやれば良いんです。もっと素晴らしい国にするために他の国を攻撃だ、侵略だなんてのは、愛国心とは別の欲望から来るものなんじゃないでしょうか?(と僕は思うんですけれども……)

譬えて言えば国や民族というのは、自分を育《はぐく》んだ母親のようなものでしょう? ちゃんと愛情を受けた人が、正常な愛情を持って育っていれば、自分の母親への愛情表現のために他人の母親を侮辱したり、他人に向かって「お前の母親をよこせ!(侵略ですね)」なんて有り得ませんものね。普通に静かに愛して親孝行して、他人の親にも敬意を払うことこそ、本当の愛国心なのだと思います。他国を侵略して併合したって、その部分は“自分を育み、自分が愛した祖国”では無いわけで、本来の愛国心から言えば無意味な行為のハズなんですから。
(もっとも民族紛争みたいなのは、もっといろいろグチャグチャ有って起こっているから難しいのですが)

というところで、次の発言へのコメントは多分明日(^^)

http://www.paperbirch.com/

4024
名前:   投稿日: 2005年02月16日 (水) 11時50分23秒

4023 しんさんはじめまして。
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月16日 (水) 05時33分36秒
おはようございます。
ご意見ありがとうございました。

ちょっと確認なのですが、しんさんのご意見と言うのは、無国籍主義こそが恒久的な世界平和への条件であると言う意味で捉えてよろしいでしょうか?

4022 はじめまして!
名前: キューピー  投稿日: 2005年02月15日 (火) 21時20分40秒
皆様、はじめまして!
キューピーと申します。心の道場さんの無料で読めるシルバーバーチの所に昨年秋にたどり着き、シルバーバーチにとても衝撃を受けて、遠回りをしましたが、スピリチュアリズムを知りました。とても感謝しております。兵庫県中部に在住してる者です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

さっそくでありますが、先輩の皆様に質問があります。桑原啓善さんについてですが、この方はホワイトイーグルという方の翻訳をされてて、一冊だけ買いましたが、どうしても読む気がしません。読んでいると自分の中で整理しながらでなくては読めなかったので、途中までしか読んでいません。近藤千雄さんの翻訳はないのでしょうか?どうか教えて下さい。
4055 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 01時16分44秒
キューピーさん、ようこそ心霊学研究所へ。コメント遅れて申し訳ありません。

僕も桑原さんのホワイトイーグルは何冊か持っていますが、確かに読む気がしませんね。シルバーバーチや続・霊訓も訳していますが……「近代神霊主義百年史」という本の翻訳は普通に読めましたので、要するにこの人は高級霊界通信ほ翻訳するのに必要な何かが欠けているんじゃないかと思ったり思わなかったり(^^;。

閑話休題。近藤さんはホワイトイーグルの翻訳はしていませんし、大昔(10年ぐらい前)の講演会で「翻訳するつもりはありません」と断言していましたので、たぶんこれからも無いと思います。「確かに良いことは言っている(高級霊には違いない)が、なぜか自分が翻訳しようという気持ちにはならない」と、たしかそんなふうに仰っていました。

http://www.paperbirch.com/

4021 はじめまして
名前: しん  投稿日: 2005年02月15日 (火) 09時44分43秒
はじめまして。 しん といいます。
この前からこの掲示板に参加したいと思ってたのですが、パソコンの設定の関係でなかなか入れずやっとでした。
管理人さんのお名前はペーパーバーチさんで宜しいのでしょうか?

キリコさん はじめまして
私は鹿児島に住んでいるので知覧の特攻記念館には何度か子供の頃行ったことがあります。
ふとした疑問というか私なりの感想ですが、”日本人としての誇り”はいかがなものでしょうか? 世界を区別するものとして”民族”とか”国家”とかはびこってますが私は本当の意味での平和はそういう概念さえなくなった時に初めて生まれるような気がします。 もちろん先人には感謝の意を持てる人間にはなりたいと思ってますが。 
初めての参加で意見してしまって申し訳ないですけど、何かひっかかってしまったもので・・・ 気を悪くさせてしまったならば申し訳ありません。
4054 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 01時14分27秒
しんさん、はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ!

いろいろと話は進んでいるようですが、全てを俯瞰したコメントを書くのも大変なので、個々の投稿へのコメントとして書かせていただきます(手抜きでスミマセン(_ _))

|世界を区別するものとして”民族”とか”国家”とかはびこってますが私は本
|当の意味での平和はそういう概念さえなくなった時に初めて生まれるような気
|がします。

それは理想を言えばその通りだと思います。が、それは共産主義が夢見たのと同じ種類の理想ですね。実際、共産主義の夢想を声高に叫べなくなった左翼人士が「地球市民」などということを言い始めていることからも両思想の類似性が伺われます。皆で平等に富を分配して貧困をなくすはずだった共産主義の国家群がどうなったか? 百歩譲って一部の支配者層が搾取する側に回ったのは置くとしても、貧困はなくならず、結局“みんな揃って貧困になった”だけだったでしょう?

愛国心を否定する「地球市民」「故郷は地球」とかいう発想は、結局“何も愛さない”ことにしかなりません。考えてもみてください。自分を愛せない者が家族を愛せるでしょうか? 家族を蔑ろにしている者が語る隣人愛を、あなたは信用できるでしょうか? 故郷を愛さない者が異郷を心から愛せると思うでしょうか?

厳然たる事実として断言しますが(^^;、その対象となる概念が大きければ大きいほど、それを愛するのは難しくなります。愛するために必要な自分自身のキャパシティも大きくなるワケですから。
ですから、愛国心さえ持てない人間が(より大きな概念の単位である)人類全体を愛せるはずがありませんし、逆に、愛国心や民族愛を否定するなら、故郷や、地域、帰属する集団への愛情も否定することになるのは当然の帰結です。その行き着くところは利己主義でしかあり得ません。

事実、頻《しき》りに「地球市民」だのと言いたがるサヨク連中は、有りもしない「従軍慰安婦」だの「南京大虐殺」だのをでっちあげて支那や韓国に注進し、彼らの未熟なナショナリズムを刺激し、対日感情を悪化させては気炎を上げています。とにかく先の戦争のことは謝っておけば平和は保たれるという考えで、愛国心がないからこその行動であることは間違いありません。しかし、平和を連呼する彼らの行動こそ、将来の戦争の火種をばら蒔く行為に他ならないのではないでしょうか。彼らの好きなフレーズに「軍靴の足音が……」というのがありますが、その音は実は彼ら自身の足元から聞こえてくるのでしょう(-_-;。

さて、もう一度考えてみてください。国や民族や人種を取り払って“地球”全体を愛するべきと考えるなら……もう一歩押し広げて、どこか宇宙の彼方の異星人を、人類に抱くのと同様の友愛を以って愛することが出来るでしょうか? その相手は、何やらネバネバした外見で悪臭を放っているかもしれませんし、スタートレックのホルタみたいに岩のような外見で感情表現があるのかないのか分からないかもしれませんし、文化や言語体系が地球生物と違いすぎて、科学分野(※)以外での意思の疎通が一切不可能かもしれません。
正直に言えば、そんな相手を人類と同様に愛するのは、相当困難であろうと思います。それでも同じように愛せるなら、それはもうとっくにこの世を卒業できるレベルの高級霊であって、滅多にこの世に生まれてなんか来ません。よって、愛国心などの概念を無くすのが平和への道という考えは、現実に合わない、地に足の付かぬ理想論と言うべきだと思います。

※余談ですが、数学や科学分野に関しては全宇宙共通で交流は可能と思います。ですから、たとえどれほどお互いの在り方が異なっていても、少なくとも相手が知的生命体であると判断は可能であろうと(かなり楽観的に)考えています(^^)

プライドについてなどは別のアーティクルで、また後日に。

http://www.paperbirch.com/

4020 自虐的歴史観 反対
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月15日 (火) 08時40分32秒
昨日まで、南九州に行ってきました。
知覧神風特別攻撃隊記念館に、ツアーで一時間ほど、寄らせていただきました。

涙が止まりませんでした。
泣いたのは何十年ぶりでした。

日本人は、もっと国と自国の歴史に誇りをもち、日本国民としての自尊心を持つべきだと、改めて思いました・・・
4053 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 00時28分07秒
知覧に行ってこられましたか! 僕も九州へは一度だけ、大学時代に行ったことがありますが(一人で車で寝泊まりしながら)、当時はまだサヨク的マインドコントロールの檻から抜けたか抜けてないかぐらいの何も知らない頃でありまして(^_^;ゞ、知覧に寄るなど思いも寄りませんでした。今思えば惜しいことをしました。九州は遠すぎて、もしかしたら二度と行く機会はないかも知れませんしねぇ。

それ以前に、靖国神社にももう何年も行ってないわけですが……。

http://www.paperbirch.com/

4019 もりふみさん
名前: ヨシ  投稿日: 2005年02月14日 (月) 22時13分26秒
ご指摘どうもありがとうございます。

★私が提示したテーマが一般化・普遍化に適しているか否かの議論はさておき、私の文章は回りくどくて読みづらいだろうということは私自身が常々思っていることですので、ご指摘の件も踏まえ、今後の反省材料にしていきたいと思います。

★このことを踏まえ、4016及び4017で私が言いたかったことを端的に申し上げれば以下の2点でした。

@:スピリチュアリズムを語るサイトでは、「自己愛」(エゴイズムではありません)がなおざりにされて「利他愛」だけが語られる(あるいは強調される)傾向があるように見受けられるが、「自己愛」も同時に見ていかないと、真の「利他愛」は得られないのではないか・・・という問題意識

A:@にも関連しますが、「利他愛」という「正義」の名の下に「傲慢さ」、「他者への無配慮」がないか自己点検する必要があるのではないか・・・という問題意識

★なお、スピリチュアリズムの解釈・考え方は、その基本原則さえ踏み外さなければ(注)、いろいろな考えがあっていいと思っています。いろいろな考えが提示され、読者がそれらの考えを自ら吟味して判断すればいいし、そのための判断材料としていろいろな意見が提示されることが望ましいと考えています。

(注)この基本原則は何か・・というテーマ自体がまた大きなテーマになるかと思いますが、これについてはSpiritual Cord掲示板(http://spcc.cc/board/index2.html)のQ&Aで提示しましたのでここでは繰り返しません。
4052 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月22日 (火) 00時21分14秒
真の利他に至るには利己をなおざりにしてはいけないというのはとても良いご指摘だと思います。が、今回は瑣末な部分の茶々入れを(^^;。

ええと、以前からヨシさんの投稿で気になっていたんですが、「スピリチュアリズムを語るサイトでは」と、簡単に一般化してスピリチュアリズム全体の傾向を窺うかのように論じられることが、ままありますよね? でも、スピリチュアリズムのサイトで活発に意見交換が交わされているところが何カ所あるか……もちろん僕が全部把握しているとは思いませんが、せいぜい4〜5カ所。スピリチュアリズムのサイトと認める基準を緩めても10カ所にも満たないのではないかと思うんです。

つまり、その程度のサンプル数では、スピリチュアリストの傾向を推し量るに足る有意な数とは言えませんよね。その後の論考が結構良いことを書かれていることも多いだけに、こんなところで説得力を失うのは勿体ないな〜、と思っていた次第です(^^;。

#「スピリチュアリズムでは」ではなく、「スピリチュアリズムを学んでいる人の中には○○という人もいるが〜〜」と書かれたなら同意できるのにな〜、と思うことが多いです。

http://www.paperbirch.com/

4018 ヨシさん、余計なお世話ですが・・・
名前: もりふみ  投稿日: 2005年02月14日 (月) 18時39分53秒
ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。

ヨシさん、どうも。御無沙汰致しております。
ヨシさんの書き込みを拝見してちょっと心配になりましたので、ひと言だけ申し上げたいと存じます。

意見の交流あるいは情報の発信において、関連するモノゴトをできるだけ普遍的な領域で語ろうとするヨシさんのスタンスは私の大いに共感するところです。しかしモノゴトの中には一般化・普遍化を志向することに適していてなおかつそれに意義があることと、それに適さないもの(明確な定義を拒むもの、あるいはそのこと自体にあまり意義があるように見えないこと)があると思います。「祈り」という行為や「利他愛」という概念も後者に属すると思われ、一般論・普遍論を志向しながら論じようとしても隔靴掻痒の感が深まるばかりです。この種のテーマはむしろ普遍から遠ざかる方向(個別論)で語っていただいた方がヨシさんの趣旨が明確になると思います。少なくとも「利他愛の祈り」や「自身の霊性を回復しようとする必死の祈り」という具合に無理やり普遍化しようと試みる必要はないのではないか、逆にそう志向することがヨシさんの趣旨を輪郭の曖昧なものにしてしまっているのではないかと思います。

余計なお世話かもしれませんが、私の意図するところが伝われば嬉しいと思います。

ではまた

4017 利他愛について
名前: ヨシ  投稿日: 2005年02月12日 (土) 10時28分29秒
利他愛についてさらに考えてみたことを述べさせていただきたいと思います。

★駅や道ばたで困っている人がいると、何も考えずに(「利他愛だ」とか意識せずに、無意識のうちに)助けようとする・・このようなことはよくあります。これは自分の霊性のレベルに見合った利他行為だと思います。

他方、「これは正しいことだから・・」、「これは利他愛だから・・・」と意識的に考えて行動する(あるいは行動しなければならないと考える)ことがあります。これは自分の霊性以上の利他行為をしようとしているのだと思います。

自分の霊性以上の利他行為が悪いというわけでは決してありません。むしろそのような目標を持って努力することはいいことですし、それによって助けられる人たちがいるのならば大変良いことだと思います。しかし、そこには「これは正しいことだから・・」、「これは利他愛だから・・・」という意識があることを念頭に置く必要があるだろう・・ということを私は言いたいのです。

★遠藤周作氏がある短編で、ハンセン病(昔のライ病)施設で働いているシスターのことを書いていました。そのシスターは素晴らしい人で、ハンセン病患者のために献身的に働いていて、自分(遠藤周作)にはとても真似ができない立派な人だ・・という前置きで、それでも彼女がハンセン病の患者を自分に紹介したときに、その患者の細やかな心情(他の人に紹介されることの心苦しさ、恥ずかしさ)に配慮しないで、あからさまに紹介したシスターの「自分は正しいことをしているのだから」という傲慢さを感じたという話でした(少し記憶違いがあるかもしれませんが)。

私も含めてのことですが、利他行為、利他愛を説いたり、行っている人たちにはこのような、「正義」の名の下に隠された「傲慢さ」、「他者への無配慮」はないでしょうか?

このような自己反省がないと、「正義」の名の下に隠された「傲慢さ」、「他者への無配慮」が潜んでいることを忘れてしまうと思います。

★私が、(↓4016 本来の自我を見いだしたいと望む魂の祈り)で、『「自身の霊性を回復しようとする必死の祈り」を伴わなければ、「利他愛」も空回りする・・のではないか』と書いたのは、自分の霊性の向上を伴う努力がなければ、純粋な利他愛に近づけないだろう・・・「利他愛」だけを強調するのは本来のスピリチュアリズムから逸脱するし、誤解を招くのではないか・・という問題意識でした。

4016 本来の自我を見いだしたいと望む魂の祈り
名前: ヨシ  投稿日: 2005年02月10日 (木) 20時38分11秒
祈りについては、「利他愛の祈り」が強調される傾向があるようですが、私は必ずしもそうではないと思っていますので、ここで私の祈りについての考えを述べさせていただきたいと思います。

★祈りについて、シルバーバーチは次のようにも言っています。

『その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。つまり肉体に宿るが故の宿命的な障害を克服して本来の自我を見いだしたいと望む魂の祈りです』(霊訓(3)−219ページ)

私は、この祈りを、「自身の弱さ、未熟さを見つめ、その上で霊的生命との調和を求めようとする必死の祈り」、「自身の持つ否定的な欲望、感情によって閉ざされた霊的生命との交流を図ろうとする必死の祈り」と解釈しています。

別の言葉で言えば、「自身の霊性を回復しようとする祈り」、あるいは「自分への愛」と言ってもいいと思います。

★「利他愛の祈り」だけがスピリチュアリストの祈りではないと私は思っていますし、むしろ「自身の霊性を回復しようとする必死の祈り」を伴わなければ、「利他愛」も空回りする・・のではないかとも思っています。

4015 いろいろ
名前: ひろしま白樺山サークル 雄貴(ゆうき)  投稿日: 2005年02月10日 (木) 14時18分16秒
 こんちは!!cereficaさん。 読書会への激励ありがとうございます。

>間違っても「仕事が楽になりますように」とか「妻の噴火が治まるように
>^^;」とか祈ってはいけないと私の乏しき理性が訴えてます。

 個人的には「妻の噴火が治まるように」という祈りは、大霊に認めてほしいような気がしますけど。それこそ、こころの底から湧き出てくるような真摯な深いーーーーい祈りのような気がします。
 次回7月2日予定からの広島市読書会は「霊的新時代の到来」(心の道場発刊)をテキストにします。あの本は、SBの厳しい部分と優しい部分が両方バランスよくまとめられてとってもいい本です。

 皆さんこんにちは。
 南セントレア市ですか。どうせカタカナの名前にするのだったら、南ニューヨークとか南パリとか南TOKYOとか、間違って観光客がきちゃうような名前にすればいいのにね。ちなみに山陰にはハワイ町があります。本当です。
 冗談はせておき、怖いのはセントレア市なんて名前がついて、土地の歴史感が薄らいでいくことですよね。

4014 雄貴さん、読書会お疲れさまでした
名前: cerefica  投稿日: 2005年02月09日 (水) 22時24分07秒
雄貴さん、こんばんは^^

二回目の読書会お疲れさまでした〜
次回の読書会も期待してます!


> スピリチュアリズムとしては、どのような内容を祈るべきなのか?
> 祈りって結局なんなん?大霊との調和?祈りで霊格をあげる?わしゃようわからん?
などは様々な考えが飛び交ってました。

スピリチュアリストがするべき祈りは、定番ですが「私が社会に貢献できる方法を教えてください」だと思います。
間違っても「仕事が楽になりますように」とか「妻の噴火が治まるように^^;」とか祈ってはいけないと私の乏しき理性が訴えてます。
http://spcc.cc/

4012 日野原先生はやはりすごい。
名前: アップル  投稿日: 2005年02月08日 (火) 22時46分50秒
プロジェクトXみました?
地下鉄サリン事件で被害にあった患者さんを
受け入れられた聖路加国際病院のみなさんの奮闘ぶりを!
日野原理事長の手記だと640名を受け入れたそうですが
それほどの多数の患者さんを受け入れるには、
器(建物)が大きくなくてはだめですが、
そのために大きな礼拝堂(処置室になる)を設けたり、
廊下などにも医療用の酸素などの配管設備を
作っておられたそうです。
ロビーなどもとっても広いらしい。
(東京のかた広いですか?)

先生が東京大空襲の時に病院が狭くて処置しきれなかった
経験からとても大きな空間のある病院をお作りになったそうです。
人に対する愛とか思いがなければできないですよね。

やっぱりすごいわ。日野原先生。
先生の著書もご参考ください。

4011 そういや・・・
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月07日 (月) 21時14分26秒
モーツァルトの音楽と言うのは、実に不思議。
どの曲も、底流に、なんというか、物悲しさを感じる、不思議な世界を抱えているような気がします。

4010 豊川稲荷は
名前: キリコ  投稿日: 2005年02月07日 (月) 21時07分31秒
豊川稲荷のままである事を、望みます。

うーむ、それはさておき、本当の新年と言うのは節分から、らしいので、
今年も1年頑張りたいと思います。

プチ断食募金も、献血も、いまのところ続いています。
「継続は力」というのは、古今東西不変の黄金則ですので、今後も無理のない程度に続けて行きたいと思います。

いま、「個人的存在の彼方」を読み終わったところですが、随分と高度な天文学的知識がちりばめられているので、ビックリしました。
書かれたのが、エドウィンハッブルが天文学史上最大級の発見をした後に書かれていますから、これをもって証拠とはなりませんが、
以前、「ベールの彼方の生活」の火星人や金星人の記述について、矛盾を感じる旨の投稿を指せて頂いた事がありますが、今回、「個人的存在の彼方」の記述に、多少なりとも参考になる部分がありました。

もう数回、読みこんで行くつもりです。何回か読まなければ、書物と言うものは身につきませんので・・・わたしは・・・・・・

最近雅楽が大好きで、聞きながら読書します。雅楽は日本の誇る音楽芸術の最高峰だとおもいます!
モーツァルト以上かもしれない。

4009 未決でしたか!
名前: もりふみ  投稿日: 2005年02月04日 (金) 17時55分44秒
 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。

 ペーパーバーチさん、ありがとうございます。やはり地元でも評判は芳しくないのでしょうね。最終決定でなくてよかったと思います(と言っても楽観はできないのでしょうが)。豊川にも合併話があるとは知りませんでした。やはり3月の期限までの駆け込み合併なんでしょうね。もし「穂の国」市になったとしたら、全国にある「豊川稲荷」はどうなるのでしょう。「穂の国稲荷」への改称が行われ・・・るワケないか。

 それではまた
4013 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年02月09日 (水) 17時29分31秒
合併に関する何とか委員会とか(うろ覚え)で「南セントレア市」の名称は見直しの方向で議論されることになったようです。あまりにも評判が悪く、日本中から反対意見が寄せられたため。……と、さっきラジオで言ってました。(忘れないうちに取り急ぎ(^^;)

豊川市の合併話も、完全に無くなったわけではないものの、いったん棚上げになっているようです(これもうろ覚えですが)

http://www.paperbirch.com/

4008 読書会
名前: ひろしま白樺山サークル 雄貴(ゆうき)  投稿日: 2005年02月02日 (水) 12時03分47秒
1月29日(土)に広島市において、「シルバーバーチのスピリチュアルな行き方Q&A」の読書会を開催しました。
 第一章祈りについて、参加者の方と読書、議論を行いました。
 議論として盛り上がったのは
 スピリチュアリズムとしては、どのような内容を祈るべきなのか?
 祈りって結局なんなん?大霊との調和?祈りで霊格をあげる?わしゃようわからん?
などは様々な考えが飛び交ってました。
 みなさんも「シルバーバーチのスピリチュアルな行き方Q&A」の第一章を読み直して考えてみるとおもしろしですよ。
 次回は 7月2日土曜日の午後1時を予定します。場所は広島市内中心部です。
 よろしかったら、予定を空けていてください。

4007 僕は「知多美浜市」がイイと思う(^^;
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2005年02月01日 (火) 14時01分58秒
もりふみさん、皆さん、こんにちは。

「南セントレア市」問題(^^;ですが、地元住民は大反対……と、僕はラジオのニュースで聞きました。まだ本決まりではないようなので(合併撤回の可能性もあり得るとか)こういう馬鹿な話は是非潰れてもらいたいモンです。

ちなみに僕が住んでいる豊川市でも合併話がありまして、新市名の住民投票をやったりしてました。その時の候補の一つに「穂の国市」というのがありまして、投票結果では確か最下位でしたが、あくまでも住民投票は“参考にする”だけなのでまだ可能性は消えていないという……。

だから「南セントレア市」問題はまったく他人事ではないんですが……でも、「穂の国市」なんかよりは「南セントレア市」の方がマシかなぁ、なんて思ったりして(^_^;ゞ。


●新市名トリビア(?)
 ・新市名は一般公募されていたが、約330件の応募作中「セントレア」は一つも無かった。最多は「南知多市」。
 ・「セントレア」は中部国際空港株式会社が登録している一企業の商標。(つまり“南セントレア饅頭”とかを売り出すと中部国際空港株式会社の権利を侵害することになるわけ)
 ・中部国際空港セントレアの所在地は「南セントレア市(仮称)」ではなく、隣の常滑市。
 ・ちなみにその住所は「愛知県常滑市セントレア一丁目1番地」。町名では既に有るわけですね>セントレア。
http://www.paperbirch.com/

4006 空腹は虚構か?
名前: もりふみ  投稿日: 2005年02月01日 (火) 09時59分00秒
あまりさん、おはようございます。
そうですよね、キリコさんも仰るように「南セントレア」は、ちょー恥ずかしいと感じてしまいますよねー。しかし実際に南セントレア市民になる方々にとっては切実な問題・・・ではないのかしらん。東京のメディアはその「決定」後の動向は何も伝えていませんが、地元ではどうなのでしょう、ちょっと気になるところではあります。ひょっとするとアレは虚構報道だったのでしょうか。
ところで今朝の「新聞」報道によれば、節分を前にして、都内の市民団体が「福は内、鬼も内」と街頭で豆まきデモを行って鬼の人権保護をうったえたということです。こうしてあたかも虚構のような出来事が現実となり、現実のような虚構が実際には虚構のような顔をした現実の中で虚構となって、非現実的な現実が虚構の装いを纏った現実の肉体として虚構化された現実として虚構の中に息づいて、それが巨大な虚構として現実に虚構として現実化されるという何がなんだか分からない現実が虚構として私たちを取り巻くのですね。だとすれば、この世に生を受けた私たちの存在も虚構なのか現実なのか分からなくなりますが、虚構であろうと現実であろうと腹は減るものですね。

ではまた

4005 わたしも愛読者
名前: あまり  投稿日: 2005年01月29日 (土) 20時20分48秒
もりふみさ〜ん、こんばんわ。

ペーパーバーチさんご紹介の「虚構新聞」は、わたしもお気に入りにいれて毎回ニヤニヤして読んでいるのですよ。どこからこういうものを見つけてくるのかペーパーバーチさんてほんとに忙しいのかしらって疑ってしまいましたよ。

これだけハチャメチャな新聞の社主氏が、じつは批判に対してへこみやすいネガティブな性格の持ち主であるために、過去に新聞閉鎖騒動があったという「虚構新聞の歴史をたどる」は、何回読んでもおかしいです。

こういうユーモアを含んだ批判精神は大切ですよね。

セントレア市のことは知りませんでしたが、自分の住所としては絶対書きたくありません、もう恥ずかしくって。

4004 え?
名前: キリコ  投稿日: 2005年01月28日 (金) 22時50分16秒
あれって、パロディじゃなかったんですか?
セントレアなんて恥ずかしい名前、正式名称にするんですか?
ニックネームだと思っていました。

東京は、23区が合併する話、まったくでてきませんが・・・
ま、そのときは無難に東京市にしてほしいです。つうか、わたしは内部の人間ですが、ま、命名に携われる、決定できるようなポジションにいることは決してないでしょうけど・・・(笑)
ま、東京市なんてできたら、名実ともに日本最強の自治体になってしまうでしょう。なので、つくらんとおもふ。

4003 虚構?それとも現実?
名前: もりふみ  投稿日: 2005年01月28日 (金) 20時22分41秒
 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。

大 いに遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます、という挨拶を早くしなければと思っているうちにペーパーバーチさん御紹介の「新聞」にしばらく熱中してしまいました。すべての「記事」やコラムに目を通しているうちに涙が涸れはてて、さらに腹筋が徹底的に鍛えられるというとんでもない事態に陥ったのであります。ペーパーバーチさんも正月そうそうからたいへんなサイトを御紹介くださったものです。とくに私の涙を誘ったのは、プーチン大統領が米ロ間のホットラインを使った振り込め詐欺の被害にあった事件を報じる「記事」でした。犯人に抗議する大統領の表情の痛々しさに、私は嗚咽をこらえることができませんでした。つい先日、新メニューの「マクドナル丼」をトライしようと近所のマクドナルドに赴いた際にも、気の毒な大統領の顔が脳裏に浮かんだ結果、ついつい定番メニューを注文してしまったくらいです(近いうちにトライしてみたいと考えています)。

 さて、「新聞」といえば、今朝の全国紙に現実とは思えないような記事が掲載されていました。愛知県の美浜町と南知多町が合併してできる新たな市の名前が「南セントレア市」に決定したという、出来損ないのパロディのような報道です。セントレアとは来月から運用が始まる中部国際空港(Central Japan International Airport)をつづめてニックネームにした(らしい)Centrairという語を指すようですが、この報道がもし本当なら、市の名称がこのようにふざけた言語感覚に基いて決められたことに対して地域住民は反対の声を挙げるべきではないだろうかと余計なお世話を言い出したくなります。そういえば山梨県に「南アルプス市」が誕生したときも、地方行政が自らの管轄地域を呼称するに、どこかの国の公知の固有名詞を以ってするというココロザシの低さ(とそのあまりにもあざとい意図)に唖然とさせられたものですが、またしてもタワケ行政が知多半島南部で露呈されたということになりますね。こんな新市名を戴く市長は、少なくとも「文化」行政に携わってもらいたくないものだと思うのは私だけでしょうか。もし関係者が市の名称を良質のパロディに仕立てあげたいと考えているのであれば「虚構新聞」をよく読んで勉強すべきでしょう。

 ではまた

4002 1月29日土曜日 広島市 シルバーバーチ読書会
名前: ひろしま白樺山サークル 雄貴(ゆうき)  投稿日: 2005年01月26日 (水) 12時23分15秒
 トップページから落ちそうだし、読書会まで1週間を切ったので、もう一度宣伝させてもらいます。

ひろしま白樺山サークル 
雄貴(ゆうき)
広島市でシルバーバーチ読書会を行います。

日時 1月29日 土曜日 13時〜15時 (12時40分位には開錠します)
 
場所 広島市青少年センター 第2会議室
http://www.hitomachi.city.hiroshima.jp/y-center/map.html

持参物 「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A―崇高な存在との対話」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4892954969/ref%3Dnosim/paperbirch-22/249-3681597-9627549 22ページQ13より
 事前の申し込み不要。参加費無料。
 当日直接会場にお越しください。本がない方は、当日お貸しします。

 #三大霊訓では何よりも、寛容、思いやり、愛、奉仕、慈悲などの実践が大切だと何度も繰り返し述べられています。
 しかし、日常では肉も食い、アルコールも飲み、自分勝手に考え、愚痴や悪口をいい、短気をおこしているという人が多いのではないでしょうか?私も恥ずかしながら、そうした一人です。
 読書会に参加した人が、せめて読書会当日だけでも、霊訓の思想の実践し、日常生活に努力することに繋がるような読書会にしたいと思います。

4001 久々に民放で感動
名前: キリコ  投稿日: 2005年01月21日 (金) 21時29分27秒
水谷先生、素晴らしい。
スピリチュアリストでもないでしょうし、信仰を持っているわけでもないでしょうが、
全国の助けを求める若者達に、真正面から向き合って行く生き方、
本当に凄い人がいるものだと、感動してしまった・・・

ぼくには、できない・・・

過去ログの目次心霊学研究所トップページ