心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2701-2750の過去ログです。
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2750 「カルマ」があって良かった(^。^)/
名前: 知足  投稿日: 2003年08月27日 (水) 21時54分45秒

皆さん、「カルマ」についての解説をありがとうございます。
「カルマ」というのは、重苦しい「宿業」というイメージがありましたが、
それが、払拭されました。

「カルマ」があればこそ、私たちに生きる意味があり、その「カルマ」を
どのように乗り越えたかは、神(=法則)によって、過不足なく判断されるということの中に、
温かみがあるのですね。

だれひとりとして、抜け道や特別扱いはないという「平等」の中に、
「大いなる安らぎ」があることも理解できました。

時間は、いくら掛かってもいいのですし、追試は何回でも受けれるのでしたね(?)。
それに、採点するのは「自分」でしたね。
「全部、自分の自由意志でする」と、委任されているのですね。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

2758 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年08月29日 (金) 00時26分57秒
カルマをマイナスイメージで考えるのはヒドイ誤解であって、本来「カルマとは愛なのである」というのが僕の持論です。そのことに関しては過去にも何度か書いているつもりなんですが、いざ探してみると意外にまとめて論じているのが見つからないもんです(^_^;ゞ

http://www.paperbirch.com/companion/Companion021.html
↑ここらへんが少しは参考になるかと……。

http://www.paperbirch.com/


2749 こんにちは!
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年08月27日 (水) 21時17分21秒

こんにちは!
以前に一回この掲示板に書き込ませてもらいました。
そのあと、接続できなかったので、説明してあったとおりにしてみたら、この掲示板に来れるようになりました。
スピリチュアリズムにはとても興味があります。
シルバーバーチの霊訓は全巻そろえて目下読み途中ですし、小桜姫はこのHPでいつも愛読させてもらってます。
今後とも、みなさまよろしくお願いします(^^)

 


2748 やはり
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月27日 (水) 13時28分52秒

結論は、霊主肉徒なんですよね。理屈や理論では無いのです。

与えられた、この環境・身体で精一杯生きる事。これだけですね。

 


2747 執着との闘い
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年08月27日 (水) 02時20分20秒

わたしたちは、この物体の世界に降りて肉体をまとった瞬間から執着と欲望の強烈な重圧がかかってきます。その重圧を押し返し跳ね返して、魂の向上を図っていきます。

霊的法則を理解し、いざ法則に乗っ取った生活を決意して物体次元での修行をスタートすると、直ぐに執着の心が噴き上がります。しばらくすると、うんざりしてしまったり、失望感や絶望感が起こります。そして高い力を自らカットしてしまったお人を何十人も見ました。

決意したことは大変有意義ですが、執着を乗り越えた事にはなりません。

祈らせて頂いている方に、いつも話して喜ばれるのは、シルバーバーチの言う乗り越えられない試練はないということです。

カルマとか因果律だと言うと、苦・困難の真っ只中にみえる方は、落ちてしまいます。貴方にはこの苦・困難を乗り越えられる力があるから、敢えてこの苦・困難が現れてくるのです。どうぞいらっしゃいませという気持ちで一緒に祈りでもって乗り越えましょうねと言うと、皆さん安堵の表情を浮かべられます。

私たちは物体次元に存在しているので、物体次元に起きる現象を、世間の人々は物体次元でのみ捉えます。例えば胃癌になったとすると、食生活から母親が悪い、妻が悪い。ストレスから会社が悪い、家庭が悪い。体質からこんな体質に産んだ母親、父親が悪いとなってしまい、解決の方向へ進むことが少ないです。

法則を掴んでいれば、苦・困難は魂を鍛え、魂の計画を実現する為に現れると、高い視点から物体次元を捉えることができます。

何故、うまく捉えられないかは又の機会にお伝えします。

 


2746 現象が教えてくれる
名前: yumi  投稿日: 2003年08月26日 (火) 23時46分49秒

ミュウチリンさん私も同じ意見です。

自分が選んでいるもの、良いと思っているもの(悪いと思っているもの)、それが本当に法則にかなっていなければ「本当にそれでいいのか?」「本当に解っているのか?」という確認の現象が起きますよね。

最初は小さなものですが、解らなければ解るように少しづつ現象は大きくなっていくようです。
そして、ガッツ〜ン!!と痛い目にあって、始めて自分に目が向くことになります。
要は早めに気がつけばいいんですが、私なぞは痛い目にあって気付くことが多いです・・トホホ・・。

自分の背後の人のメッセージが解らなくても、起こっていることから方向性を見いだすことが出来るということは、とてもありがたいシステムですね。

 


2745 カルマ・業・因果
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月26日 (火) 13時14分55秒

私の場合これらをかな〜りシステマチックに捉えています。
どこの境地や場所に生きていてもオートマチックに誰にでも働く「宇宙摂理監視装置」なのではないかと。
そしてそれの相互関係がこういった呼ばれ方をしているのではないかと思います。

ある人が生活している内に知らない間に摂理に外れた事を行い、自然とその結果がその原因を行った人にもたらされ、その人が何故にそういう事になったのかを考え、そういう結果に繋がらない生活を心掛けて実践するまではいつまでもその因果関係からは逃れられないのではないでしょうか。同じ所をグルグル回る人もいるかと。

しかしそういった人が一旦それに気付いたら、それまでずっと痛い目に遭っていた分、摂理を外れる可能性はその体験を踏まえていない人に比べ格段に低いのではないかと思います。

その様な辛い結果に繋がらない様にする為には宇宙のルールといったものに従わねばならない訳で「それにはどうしたら良いの?」となりまして、その方法が先に地球で生きて、今は霊の世界で生活をしている人類の先輩達からもたらされているのではないかと見ています。
暗中模索ではなく、より摂理に順じた生き方が既にこうしてあるのですから、焦らずに自然と出来るものから順々にそれを身に着けて行ったら良いのではないかと思います。時間は無限にあるのですし。

付け焼刃がすぐに剥がれ落ちるのと一緒で、本を読んだのみでは絶対に身に着くものではないと思います。それだけではすぐに忘れるか、身に染みないでしょう。
どんな良い内容のものであってもあくまでガイドラインにしか成り得ないかと。
実際に何かを通して自分で痛い目、辛い目に遭い、その体験を通して摂理に対しての目が開く事が物的身体を持っている間に必要なのではないでしょうか。(自分で体験すると一番納得出来ますもんねっ)

その辛い体験が、焼いて叩いて刃を刀身へ融合させるのと同じ過程なのではないかと今までの体験からそう痛感しています。

でもやっぱり辛いのは ヾ(≧∇≦)〃ヤダヤダッ!

 


2744 カルマ
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月26日 (火) 06時39分24秒

お早うございます。

私にとってカルマの意味とは、魂の向上に必要な生きる為のメッセージだと思っています。

埋め合わせ・苦難や修行と書く人も居ますが私は、肉体あるがゆえに伴う苦しみ悲しみから何を学ばされているのかと自問自答して、行動する様になってしまいました。

今日も皆様にとって良い日でありますように。

 


2743 知足さん ありがとう
名前: 光のシャワー  投稿日: 2003年08月26日 (火) 05時18分33秒


このパソコンにようやく接続できました。 知足さん、ありがとうございます。あゆさんにも 知足さんのおかげで読んでいただけたと思います。 
 
 カルマという言葉が、霊訓の2巻12章(病気とカルマ)という目次があり、 10巻7章(再生問題を語る)115ページ  11巻3章(心霊治療)69頁から71頁にあります。 

そしてホワイトイーグルにも天使と妖精、自己を癒す道、光への道 にもカルマの論述があります。

私はスピリチュアリズム、つまり、死後にもっと素晴らしい世界があって、そこでこそ永遠の命があるという人生哲学を、知ったということでずいぶん大きな安心感、幸福感をえました。 

でも、寸分の狂いもなく計算されて、法則は適用されるというあたりが、 私には苦しいです。  

このあたりが、知足さんの指摘されたところでしょうか。 本当に、この意味では、カルマ、その単語からは怖くて重いものが伝わってきます。 知足さんと同じ意見です。

 


2742 光のシャワーさんへ
名前: 知足  投稿日: 2003年08月25日 (月) 23時15分51秒

光のシャワーさんの投稿。たぶん、パソコンの入力方法の関係で「一塊」
になってしまったと思いますので、分けて書いてみました。
内容に関しては、おっしゃる通りだと思います。

ただ、「カルマ」という言葉(概念)は、仏教のものだと思うのでですが、
「シルバーバーチの霊訓」の中に、「カルマ」という言葉が出てきましたっけ。
手近にあるコピーには、「カルマ」という言葉は出てきませんが、どうでしょうか?

なにか「カルマ」という言葉を使うと、「我々はすべて、業を背負っている」という
重たいイメージになって、暗くなり、きりこさんが言われるような「大きな安心感」
が無くなってしまって、「シルバーバーチの霊訓」の持つ温かさや大らかさが
伝わってこないように思います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

霊訓8に、あなたが生命を与えたのではありません、ですから勝手に奪うことは許されません、
生命は神のものです、とあります。そのように行動できずに、殺人を犯した場合、
自らの選択ゆえに責任が生じます。その責任は当事者が負うので、
私ごときがなにかにいいおよぶ状況ではないのかもしれません。
 
自爆殉教者がなくなったあとにも、心が開けないとしたら、テロリストや、
自爆者の集う境界で、更なる自爆への支援を行うことにもなりかねません。
スピリチュアリストの会まであるそうですから。

何の用意もなく霊界に来るものを導くのに、いかに苦労するかと、シルバーバーチは、
何度も繰り返して霊訓の中でのべておられますね。巻き添えでなくなった人も、
もし、殺したり殺されるだけのカルマがあったとしてもなかったとしてもです。

 このごろは 殺さずにおわらせる、殺されずに終わらせる、ようにしていかなくてはならない、
という観点から私は霊訓を学んでいます。でなければ、人類の霊的向上は望めないと思うからです。
神は人の犯した悪の中からでも良いものを生かそうとしてくれている(自己を癒す道 ホワイトイーグル
)、つまりは、人殺しをしても、動機が純粋だとか、なんとか。 
悲しみは、人を鍛錬します。
 しかし、家族のなくなった場合、それがいかに悲しいことか。
以前 大天使という人が、亡くなった子供さんは天に召されて幸せになっているというような
記述をしていました。その発言はご記憶とおもいます。 
自爆テロや殉教は、憎しみの再生産にしかなりません。
 悲しみは、確かに人を強くはしますが、しかし、違うやり方で人は、悲しみを知り、
それに打ち勝っていくべきではないでしょうか。

 たとえば 動物や人の命を救い損ねて悲しいとか。
 あなたは私という観点に立つと、何でそれがあなたで私ではないのか、
ということになるといいます。人みな仲間だからです。この世からの平和に満ちた旅立ちと、
突然の旅立ちは公式は同じでも、出る答がずいぶん違います。
肉体から抜け出でる事象は同じでも状況も心持も全く違うのではないですかね。

 以上書いてみました。 ペーパーバーチさんから知足さんと議論なさい、
とお勧めあって書いてみましたが、何か見当はずれみたいになってしまいました。
知足さん、ペーパーバーチさん、遅れてすみません。
ライトセーバーさん、知足さんにたいしてのように私にもご意見ください。

                      (光のシャワー)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2741 光のシャワーさんへ
名前: あゆ  投稿日: 2003年08月25日 (月) 12時31分01秒

こんにちは。
投稿を読みたくても私のような者は、
行間にスペースがないと、読みづらくて・・・(やーめた)となってしまいますぅ (=^^ゞ もったいないですよん。

http://www.tensmile.jp/

 


2740 こんにちは
名前: 光のシャワー  投稿日: 2003年08月25日 (月) 02時56分21秒


いつもと違うパソコンですのでつながりますように。

霊訓8に、あなたが生命を与えたのではありません、ですから勝手に奪うことは許されません、生命は神のものです、とあります。そのように行動できずに、殺人を犯した場合、自らの選択ゆえに責任が生じます。その責任は当事者が負うので、私ごときがなにかにいいおよぶ状況ではないのかもしれません。 自爆殉教者がなくなったあとにも、心が開けないとしたら、テロリストや、自爆者の集う境界で、更なる自爆への支援を行うことにもなりかねません。スピリチュアリストの界まであるそうですから。何の用意もなく霊界に来るものを導くのにいかに苦労するかと、シルバーバーチは、何度も繰り返して霊訓の中でのべておられますね。巻き添えでなくなった人も、もし、殺したり殺されるだけのカルマがあったとしてもなかったとしてもです。 このごろは 殺さずにおわらせる、殺されずに終わらせる、ようにしていかなくてはならない、という観点から私は霊訓を学んでいます。でなければ、人類の霊的向上は望めないと思うからです。神は人の犯した悪の中からでも良いものを生かそうとしてくれている(自己を癒す道 ホワイトイーグル)、つまりは、人殺しをしても、動機が純粋だとか、なんとか。 悲しみは、人を鍛錬します。 しかし、家族のなくなった場合、それがいかに悲しいことか。以前 大天使という人が、亡くなった子供さんは天に召されて幸せになっているというような記述をしていました。その発言はご記憶とおもいます。 自爆テロや殉教は、憎しみの再生産にしかなりません。 悲しみは、確かに人を強くはしますが、しかし、違うやり方で人は、悲しみを知り、それに打ち勝っていくべきではないでしょうか。 たとえば 動物や人の命を救い損ねて悲しいとか。 あなたは私という観点に立つと、何でそれがあなたで私ではないのか、ということになるといいます。人みな仲間だからです。この世からの平和に満ちた旅立ちと、突然の旅立ちは公式は同じでも、出る答がずいぶん違います。肉体から抜け出でる事象は同じでも状況も心持も全く違うのではないですかね。 以上書いてみました。 ペーパーバーチさんから知足さんと議論なさい、とお勧めあって書いてみましたが、何か見当はずれみたいになってしまいました。知足さん、ペーパーバーチさん、遅れてすみません。ライトセーバーさん、知足さんにたいしてのように私にもご意見ください。

 


2739 『地下鉄サリン事件』の解釈
名前: 知足  投稿日: 2003年08月24日 (日) 06時48分13秒

★ミュウチリンさん、丁寧に説明して頂きありがとうございました。
とてもよく理解出来ました。「人間社会の霊的構造」のついての明確な解説ですね。
この「解釈」で、「人類の霊的構造の全体像」が理解できた気がします。

★「ライトセーバーさんのご意見」も重要なテーマの一つだと思います。

>「魂を開放してあげる」と、無差別殺人をした事件がかつて地下鉄であったのを思い出す。
>あの惨状を「霊訓の定説」として祝福できるか?
>加害者は裁判で苦しみ、被害者は後遺症で苦しんでいる。
>どこにも喜びはない。「霊訓」の定説もそうやって解釈することもできるんだね。

『モーゼスの霊訓 (下巻)』の「悲しみの試練」p233の中に
『何人(なんびと)といえども、悲しみの試練を経ずして、
栄光ある頂上に登ることは許されません。』というのがあります。

「加害者も被害者も、苦しんでいる」。確かに苦しんでいます。
そして、それは「悲しみ」です。その「悲しみの試練」を経なければ、
栄光ある頂上に登ることは許されない」とモーゼスは言います。

この法則を地下鉄サリン事件にあてはめますと、「加害者も被害者も、その悲しみの試練を
経て、栄光ある頂上に登ることが許される」といことになります。

ライトセーバーさんは、「加害者や被害者の『祝福』はありえない」と述べています。

確かに、「世間の価値観」から言いますと、「地下鉄サリン事件の被害者は苦しんでいる」
という概念で、私たちはとらえがちなのですが、一人ひとりの心的世界では、
モーゼスのいうような「価値の転換」ともいうべきものが、霊的真理というレベルで
起こっていることは、充分に考えられると思うのです。

もちろん、他人が、地下鉄サリン事件の被害者に対して、
『何人(なんびと)といえども、悲しみの試練を経ずして、栄光ある頂上に登ることは許さない。』
のだから、「地下鉄サリン事件の被害者になったという悲しみの試練を経て、
あなたは、栄光ある頂上に登ることが許されるのです」などということは、それこそ許されませんが、
被害者ご本人の霊的理解のレベルの中では、
「これで、良かったんだ。これが、私のこの世での課題だったんだ」という
理解がありうると思うのです。そういう意味でこその「霊的真理の理解」(スピチュアリズム)
だと思うのです。

しかし、これは何回もいいますように「真理は個人の心の中に、別々にあるもの」で
すから、個人が気付く霊的レベルを無視して、外部からこの霊的真理を
納得させることはできないというのが、わたしの意見です。

地下鉄サリン事件の加害者は、この「個人の霊的理解のレベル」を無視して、
強制的に自分達の「霊的理解」(しかも「誤解」)を押し付けたということに問題があるということも、
「ミュウチリンさんの解説」を読ませてもらって、解かりました。

★このようなことを、今の、この掲示板の議論のなかで、理解したのですが、
どうでしょうか? 皆さんのご意見をお聴かせください。
そして、もうすこし補足なり、「私の誤解」の指摘なりをしていただけると嬉しいです。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2738 テロ
名前: yumi  投稿日: 2003年08月24日 (日) 02時42分13秒

私見です。(と断る必要もないかもしれませんが)

現象は一つの側面だけではなく多くの側面を持っています。

「テロ」は何も無いところには発生しないと思います。そこには原因と結果がありますよね。
テロと言う行為によって亡くなった、加害者も被害者も(その家族も)コインの裏表のように思います。両者は同じ所にあると思います。
そしてお互いが「テロ」と言う行為を通してそれを学んでいるのだと思います。

自分達の意見ばかり押し付けて、相手の意見を聞かない。しかも自分達の利益のためなのに美しい言葉で正当化してごまかす。それがどういうことを引き起こすのか。
自分の意見や主張が通らないからと、自分や他人の命を利用して通そうという手段が、たとえ宗教的に正当であると言われていたとしても、どういうものであったのか。
何が正しいかと言うことが問題ではないのだと思います。
彼らは根本的に力で解決するという意識を持っています。
そして両方とも自分達さえよければいいという、利己的なものですよね。
それが現象を引き起こします。

元論他にも色々な意味はあると思いますが。

亡くなった当人達は別の世界でそれを学ぶことになると思いますが、当人達はそういうものを選んで生まれてると思います(正確には選んだ現実の一つかな、持てる意識の中から)のでテロという行為が何であったか解れば、今度はテロを阻止するような立場を選んで生まれてくるかもしれませんね。それは本人によるものなので何とも言えないことです。私達が考えてもおよばないものです。
でも本人達が解るまで理解への工程は敷かれていると思います。それが立場を変えての再生であるか、他の方法であるかは本人の問題であると考えます。

家族の問題ですが、上にも書きましたが両家族とも一番身近に切実にテロというものを考える環境を選んで来たということだと思います。テロと言うものを考える為に自分が選んできた環境であると思います。そこで何を学ぶか本人次第ですが、私的には何かを讚えたり、あるいは恨んだり、憎んだりというよりも、テロと言う行為が二度と起きないように努力をされるのが良いのではと、勝手に考えてます。

もう一つ、この現象はマスコミなどの媒体を通して全人類に問題提起しているのだと思います。なんの意味も無く自分の目に耳に知らされることはないと私は思っています。
自分が小さなテロリストになっていないか?と自分を振り返る毎日です。

 


2737 複数ハンドルの使用について反省
名前: ライトセーバー  投稿日: 2003年08月24日 (日) 01時53分57秒

 今回、複数ハンドルの使用と文章内容ををペーパーバーチさんに指摘されて、最初は見せしめにされたようでショックでした。
(できればメールで直接に指摘をもらい反省したかったです。)
けれどよくよくローカルルールを読めば禁止事項であったことを知り、
恥ずかしい気持ちになり、管理者の立場を思えば当然の措置でした。
すみません。
文章はあれでも数十行を2時間かけて書いたんです。
冷静に書いたつもりが熱がこもっっちゃったようで…不評落ち。
 ここで自己分析するのも何ですが、ローカルルールといい、人の書いたものを頭から最後まで読んでいないというのがそもそものつまづきの始まりで…。
 ライトセーバーは一読者にもどります。さようなら。

※ところで、こんなところで提案ですが、
今後自分と同じような轍を踏む人を増やさないために、入力時点で複数ハンドルでの投稿ができないような防止設定をお願いします。

 


2736 ありがとうございます^^
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月23日 (土) 22時16分00秒

PENさんの考えよくわかります^^
宗教の洗脳してくるところが、いやなんです。
(この宗教をしない人は馬鹿だ)みたいな感じになるところが
すごく鼻につくんですよね(−。−;;
ここは、道徳があるから、なんかすきだ^^

 


2735 洗脳
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月23日 (土) 18時41分27秒

宗教は、決して悪い事ではありません。一人一人が神様だけを見て進んでいれば良いのですが、教祖の洗脳を真に受けて進むべき道を見失い個性まで無くなり団体に染まってしまう事が怖いのだと思います。

友人のページを紹介します。こんな考えも有るんですよ。

http://homepage3.nifty.com/peroisgermanshepherd/

 


2734 うむ!
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月23日 (土) 17時16分52秒

PENさんの宗教に対する意見、まさに正鵠を射ていますね。
読んでいてすきっとした。

私は神仏を崇拝・信仰すること自体はすばらしいことだと思います。

しかあし!

なして団体と云う形をとると、あのようになってしまうのでせうか・・・

 


2733 宗教の定義
名前: PEN  投稿日: 2003年08月23日 (土) 12時34分19秒

さらりさん初めまして。シルバーバーチの霊訓(四)にそれらしきことが述べられて
いますので引用します。

> みんなに質問してみたいです、宗教はどこがいけないとおもいますか?
> 宗教していたのですが、どこか偏っているのではないかと感じている今日この頃、
> 意見聞かせてくれませんか?

………………………………………………………………………………………

……●シルバーバーチの霊訓 (四) P216

ある日の交霊会で“宗教”の定義を求められてシルバーバーチはこう述べた。

「宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することです。
本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません。人間の魂に
内在する神性を地上生活において発揮させるものでなければなりません。自分と神
とのつながり、そして自分と同胞とのつながりを大きくするものでなければなりません。
自分一人の世界に閉じ込もらずに広く同胞のために自分を役立てるように導くもので
なければなりません。

宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教
です。そのほかのこととは何の関わりもありません。肉体が朽ちてしまえば、それまで
永いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚
で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長して
いないからです。魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。
他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。

地上にはこれまであまりに永いあいだ、あまりに多くの世俗的宗教が存在し、それぞれ
に異なった教えを説いております。しかしその宗教がもっとも大事にしてきたものは
実質的には何の価値もありません。過去において流血、虐待、手足の切断、火刑といった
狂気の沙汰まで生んだ教義・信条への忠誠心は、人間の霊性を一インチたりとも増して
おりません。逆に、いたずらに人類を分裂させ、障壁をこしらえ、国家間、はては家族間
にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。分裂と不和を助長
することばかりを行ってきました。神の子等を一つに結びつけることに失敗しております。
私が宗教的建造物や俗にいう宗教に価値を認めない理由はそこにあります。
主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは何を為すかです」

………………………………………………………………………………………

シルバーバーチの「」内の発言を読みやすいように区切りましたが本文ではつながって
おります。引用はあくまでも参考です。シルバーバーチはこう言っていますよ、という程度
のものです。判断するのはあくまでもさらりさんだということを付け加えさせて頂きます。

……………………………………………

私の親戚は某大手宗教団体に属しておりますが、現世利益がどうのとか、坊さんが謀反
を起こしたからその坊さんが書いた巻物(御本尊)を他の坊さんが書いた物と入れ替える
だとかそんなことばかりに躍起になって、自分よりも困っている人の為に自分を役立てる
という一番大切な行為にはとんと意識が向いていないようです。長い間冷静になって端か
ら観察していると、どうも自分の現世での利益ばかりを祈っているように思えます。
私は子供の頃からその親戚達と接してきて“自分よりも困っている人の為に自分を役立
てなさい”などというセリフはただの一度も聞いたことがありません。

商売がうまくいきますように、受験合格しますように・・・そんなお願いを朝晩真剣になって
毎日毎日お題目を唱えています。(私の知る限り)

私は幼少の頃からこういう人達に囲まれて育ってきましたし、今でも囲まれていますが
あまりにも強引に彼等の価値観を押し付けてくる親戚に愛想を尽かし、この間その親戚
とはこちらから一方的に絶縁しました。もういいかげんうんざりしたのです。口を開ければ
強引に高いところから教えてやるという態度で接してくるからです。その宗教に入っていな
い私よりも自分の方が偉いとでも言いたいのでしょう。「あんたのために」とか思っている
からなおさら質が悪いのです。(強引な人ばかりではありませんが)

シルバーバーチの霊訓を知ることによって、直感的な拒否から知識を土台とした拒否へと
変わることが出来ました。その気持を一言で言うと・・・ああ楽になった (´。`) これです。

 


2732 2725知足さんへの私の考え
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月23日 (土) 09時49分00秒

~~~ヾ(^∇^)おはよーございます♪

2725にありました知足さんの疑問に対して私も考えちゃいましたよっ。
なのでちょいと書かせて頂きますね(^.^)

・お尋ね?に関して
Aさんは自然な形の死ではなく、無理やり物的身体から霊的身体が不自然な形で引き剥がされたのを考えると、未だその霊体の意識はその突然のショックの為、朦朧としており自分の置かれている現状を認識出来ていないのではないかと思います。
そしてAさんの目が覚めるまで霊界のその様にして亡くなった方を収容する施設に保護され、癒されているのではないかと。
しかしながらニュースを見ていると、被害者の方々へ祈る方が多く見られましたので、結構早く目覚めるのではないかと思います。
目覚めた後は向こうの世界の指導役の方や肉親だった方が現状をAさんへ諭し、それが順調に運べばそのまま霊界での生活へ入って行くのではないかと思いました。
そしてまた霊体を持って地上へと戻り、世界の為になる行いをする存在となるのではないでしょうか。そうなって欲しいので私も後でお祈りしましょう( ̄ο ̄)

お尋ね?に関して
上記しました内容と重複してしまいますが、Aさんはその様になる可能性は十分に有り得る事ですので、私がAさんの家族ならば霊界でその認識が目覚める事を祈り、そこでの向上に努めてくれる様にとも祈る事になると思います。
どんな道を辿るにせよ、いつしか皆、向上への道へと入って行くのでしょうから、そう祈る事が霊的知識を持つ者の取る行動の一つだと私は思います。
そうする事で、霊界へ赴いた後のAさんの助けにもなるものだと思いますし、Aさんのご家族の方は家族が突然目の前から居なくなり激しい悲しみに覆われておられる事でしょうが、真にAさんを思いやるのであれば、まずAさんの霊的身の上を案じて祈ってあげる事も地上人に出来る事の一つなのではないでしょうか。
その様に様々な方から愛の篭もった祈りがAさん達の元へ届けられているならば、Aさん達は上手く霊界の生活を受け入れられるものと信じます。

お尋ね?に関して
Bさんは自殺していると共に、他者まで道連れにしてその目的を達成しています。
これはかなりBさんの魂に重大なハンディを負わせる事になっているのではないでしょうか。
霊的身体を手にしたBさんは霊的知識が無いのであれば長い期間暗闇におかれつつ、自分が犯した行いの映像を自らが自らに見せ続けているのではかと。
しかしながら、Bさんは理想の為に自分を犠牲にしているのですから、そこである程度足かせが軽減されているのではないかと思います。
ですが、自殺と他の者の地上生命を強制終了させたのは明らかにBさんですので、それらが及ぼす結果を一身に受けるのはBさん自身でしか有り得ないでしょうね。
霊的実相についての知識があったならこの様な行いはするはずも無いでしょうから、物的身体を離れた後のBさんは知識が無かった事を悔やみつつ、自ら犯した行いについても苛まされ、相当過酷な状況に置かれると思います。(Bさんのご家族の祈りがあればその助けになるでしょうけど)

その後、人間に生まれ変わったとしても何がしかのハンディを背負って生まれて来るかも知れませんし、向上への道に入るとしてもそれはその自らが課した業が晴れるまでお預けになると思います。
しかし冷たく暗い世界で、深い後悔と罪の意識に苛まされた後に、向上の道へ入ったのならば、もう二度と過ちを犯す事の無い存在に成り、地上の人々の為になる存在となる事と思っています。
そうあって欲しいです。

お尋ね?に関して
Bさんのご家族の方も辛いでしょうね。大切な家族を失った訳なのですから。
しかしそれも、そのご家族の類魂が犯した業の清算になり、
それがこの様な形で顕れたのかもしれません。
ご家族の方は、その志により爆死されたのですから、やはりBさんを誇りと思う事でしょう。
しかしBさんの犯した行いは、Bさんへと課せられる事に変わりは無い訳で、ご家族の方にBさんへの思いやりと霊的知識があるならば、その罪の軽減となるべくBさんと被害者の方への祈りを欠かさない事が、Bさんにや被害者方のみならず、巡り巡ってそのご家族の方々の救いにも繋がるのではないかと思います。

と、こんな感じに妄想してみました!(^▽^)
なんにせよ、これに関わった人達みんなが首尾よく歩むべき道へ向かわれる事を願いますよっ。

 


2731 さらりさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月23日 (土) 06時52分15秒

もめてないですよ。

討論をしているだけですよ(笑)。

 


2730 2713さらりさんへ
名前: yumi  投稿日: 2003年08月23日 (土) 01時29分55秒

他の方も言ってらっしゃいましたが、宗教はいけなくないですよ。
私は仏教を10年やっていましたが、とても楽しかったです。
その時そこでしか学べないことを沢山学びました。だからとても感謝しています。その私がなかったら、今の私は存在しませんから。

多分御自分に聞いてみると、宗教と言うものが自分にとって何であったかちゃんと解っていると思いますよ。

宗教はきっとどんなものでも宗教になりえます。本来は真理を伝え、それを自分のものとするための機関であったはずだと思いますが、私の居た教団は、教祖を広告塔に教団維持と拡大にはしっていました。
そして何よりも私は、自分の中に神か在ることを知ったことで、形骸化され偶像化した神や仏に手を合わせることに疑問を感じました。

ということで、今は自分の内側の神を信仰(?笑)しています。

 


2729 永遠無限の進化の道
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年08月23日 (土) 01時03分37秒

今晩は。東海地方は厳しい残暑です。皆さんも体調の維持にお努め下さい。

知足さんは#2711の発言で安らいだように言ってみえたのに、熱心ですね。(からかってるんじゃないです。)論理的に説明するのは、とても難しいし、思いは人それぞれだし霊性の進化の度合いで思いも変わって行くのも自然の摂理だと思います。

私は、霊って聞くと、即、お化け〜なんて5〜6年前は思ってました。そんな私が祈りでもって、お人の病苦を軽減したり、迷える霊の供養をさせて頂いています。

対面で祈らせて頂いている時に、見たこともない光が見えたとか、何かがスッと抜けていったとか言われても、今の私には、それがどういう現象なのか分かりません。追求しようにも分からないです。段々、気にしないようになってきました。

yumiさんの言われるように十人十色の考えがあるから、その進化の段階に合った答えがあるのじゃないでしょうか?

お陰さまで、私は、家族を含めて病気らしい病気はしたことがありません。所が、8月からお盆の15日までの2週間は、とてもきつい霊のすがりを体験しています。胸に針を刺されてるようであったり、去年は40度近い高熱でうなされました。それが16日になるとスッと抜けるんです。偶然と思う人もいれば、霊障と言う人も居ます。素直に受け止めていれば、霊性向上の道に導かれると、ただ信じています。

私は、魂は永遠だと思います。全てのものを顕す力を敢えて神とするならば、テロや事故や殺人などで命を奪われた方は、簡単に再生できるとは思いません。死を自覚していないから、意識がこの世に向けられており、さ迷っている霊がたくさんいます。その方々の意識が神の方へ向くよう祈るのが供養だとおもいます。思い込みと受け取られても構わないのです。

霊的なことだけじゃなく、解明できない事など、この世には星の数ほどあります。27日には6万年ぶりに火星が地球に接近するそうです。今もかなり大きく見えます。皆さんも一息ついて神の現わされた宇宙に思いを馳せるのもいいと思います。

 


2728 うううう
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月23日 (土) 00時37分42秒

みんなの会話にはいれないすT.T
なにか、もめることでもあったのでしょうか?
みんなの読んでいるのですが、そんなにもめるような内容はないとおもうのですがT.T

 


2727 了解しました。
名前: ライトセーバー  投稿日: 2003年08月22日 (金) 23時34分20秒

様々な指摘内容了解しました。
今回のコメントどうか削除してください。

 


2725 ライトセーバーさんへの回答
名前: 知足  投稿日: 2003年08月22日 (金) 22時41分15秒

少し、議論が噛み合っていないように思います。
わたしは、テロで死んだ人のことを「霊的真理に基づいて」どのように解釈したらいいのですかと
尋ねているわけです。
人生には、起こることが起こります。生きているのだから、死ぬことがある
当然のことです。(そういう意味では、「なんの問題もない」のかもしれません。)

テロで死んだAさんは、「肉体から解放された」のだから、悲しむべきことではない。
ただ、この世の修行は中断されてしまったので、また、次の肉体で修行しましょう(再生)と、
私たちが「解釈」すると、一応納得できる形になるのですが、それでいいのでしょうかという「お尋ね?」です。

もちろん、Aさんの残された家族のことも考えなければなりません。嘆き悲しんでいると思います。
Aさんの残された家族の気持ちに対して、どういう「霊的真理に基づいた解釈」
をすることによって、私たちの気持ちも含めて、
納得させることができるのでしょうかということが、問いたいのです。(「お尋ね?)

そして、自爆テロをしたBさんにも家族がいるわけで、彼らも悲しくないわけはありません。
Bさんの自爆テロは、彼の「霊」にとってどんな意味があり、(「お尋ね?)
Bさんの家族は、「霊的真理に基づいて」Bさんの死をどう捕らえ、
どういう意味を見出せばいいのか(「お尋ね?)などの、ことを
「霊的真理(霊魂不滅)」の立場から、解説して欲しいのです。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2724 宗教・・・
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月22日 (金) 21時19分10秒

桜姫さん、参考になりました^^
自分は思うのですが、社会に起きている現象にとらわれすぎずに生活する姿勢も精神世界の歩みのようなきがします。
いろいろな所みてきたけど、ここにいる人はみんないい人だ^^
あまり思想に偏らず、自分の考えを押し付けず、
普通に考え普通に生活している、
簡単なことだけど難しいことをしている人たちのような気がします。
キチ外のようにお祈りしたり、教祖をおがんだり、戒めを恐れたりするところではないように思いますから、すきです^^

 


2723 知足さんの投稿
名前: あゆ  投稿日: 2003年08月22日 (金) 16時56分58秒

私も知足さんの疑問点の投稿に対しての意見された方が違う解釈をされてるように思います。

>そして、「人間の本質が、肉体ではなく、霊であり、不滅のものであ>る」のなら、
>被害者も加害者も共に「死とは、肉体という牢獄からの解放であり、>喜びである」というのは
>「霊訓」の定説なのですから、「自爆テロ」になんの問題もないこと>になると
>思うのですがどうでしょうか?
(これは、本当にどう解釈していいのか迷っています。)

なんのも問題もないことになってしまっていいのですか?と
皆さんに聞いているんではないでしょうか、
知足さんはそれは違うよね・・という意味で。

ただ、知足さんの熱心さは分かりますが、
ここまで深く追いかけると更にシルバーバーチなどが言いたい事、真理から離れて行くような気がするのは私だけでしょうか?

http://www.tensmile.jp/

 


2722 コミュニケーションの意味(追加的説明)
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月22日 (金) 16時33分05秒

(↓)の投稿に関し、追加的に説明します。

双方のコミュニケーションについて、誤解があるといけませんので追加的に説明します。私の言う霊界とのコミュニケーションとは、会話のような霊聴、目に見える霊視、音のするラップ現象だけではなく(そのような現象を使ったコミュニケーションもあるかもしれませんが)、当方からの切なる祈り、質問に対しインスピレーション、魂の底からの喜悦をふとしたことで感じる(受信する)ということも含まれます。

 


2721 現代の交霊会のあり方?書籍を通じてのみの実践?
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月22日 (金) 14時49分23秒

いろいろな議論が活発に行われているところに割り込むようで申し訳ありませんが、現代の交霊会のあり方について皆様のご意見をお伺いしたいと思います。

シルバーバーチの霊訓に
『その叡知すなわち宇宙の霊的摂理は地上という物質界に届けられるべく、常に用意されているのです。ですが、それが実際に地上に届けられるためには、霊媒を含めたこのサークルのメンバーのような通路の存在が必要なのです。』
という発言があります(「シルバーバーチは語る」第15章)。

霊界の教え、導きは霊媒という通路が必要だと言う発言です。この掲示板に参加されているほとんどの方々はシルバーバーチなどの書籍を通じてのみ真理に接していると思いますが(私もそうです)、今の時代には交霊会というものは必要なく、書籍を通じてのみ真理に接するという時代なのでしょうか? 19世紀中葉のハイズビル事件から始まった霊界の地球浄化の大計画の一環として見るならば、現在は交霊会は必要でなく、シルバーバーチなどの高級霊訓のみを通じてスピリチュアリズムを実践する時代に入ったのでしょうか?

そうかもしれません。しかし、シルバーバーチの交霊会では送信、受信という双方向のコミュニケーションがありましたが、書籍のみの実践では双方向のコミュニケーションがないのでは、とも思うのです(これは私が以前問題提起した「祈りのあり方」、「守護霊の存在を実感できるか」という問題と関連することになりますが)。また、個人の身の回りのきめの細かい指導も双方向のコミュニケーションがないと受けれなくなるとも思うのですが(もっとも、このようなことは、自己の自由意志で自己責任のもと考えていくべきことかもしれませんが)。

 


2720 感想
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月22日 (金) 14時40分26秒

>2714 ライトセーバーさんへ

知足さんは後書き部分で「私は、「自爆テロ」を悪しき行為だと思っています。」と述べていますが、この部分は全く考慮に入れていないのではないかと感じました。

それに知足さんは、こういった様々な事象に対して霊的な事柄に照らし合わせ、どう自らに吸収させて行くのかを探っている段階でそこまで批判する事はないのではないかと思ったのですが。。(-_-)ゞ゛
私もあなたも誰しもまだまだ知らない事が幾らでもあるのですから、
同じく発展途上にある人に対してその様な物言いはどうかと感じました。

 


2719 追伸
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月22日 (金) 14時00分25秒

 
 2718は、2705知足さんへのものです。私も霊訓読み初めてから
日は浅いです。しかし、自爆テロ 殉教のかかれた内容のようには、私は理解しません。 日が浅いのを理由にしないでください。

 


2718 自爆テロ 殉教
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月22日 (金) 13時14分04秒


される側にたつとわかるとおもいます。
なくなって家族が悲しみ、路頭に迷い、
生き残って、一生身障者、後遺症で、くるしんだりするわけです。
自分がされたいように人にもせよ、というのは、世の基本です。神霊の
こころは、とうていはかりがたく、私たちが、どうのこうの言い及ぶところをこえています。 双方に、救済はくだされるでしょう。 これは、カルマ?これは、新たなカルマ? 夢中になって残酷な実験を繰り返す医師のように、知らないうちに、私たちが議論するようになってはいけないのですよね。

 


2717 きりこさんへ
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月22日 (金) 05時56分14秒

結論は毎日の生活にスピリチュアリズムを生かす事、私も、それだけです、だから誤解しないで下さい。全ては自分の理性・知性で検証するのです。枠を作らない、自分自身が良き先生なのですから。それが自分にとって大切ならばボランティアやサポートをしてください。それも黙って謙虚に行動するのです。

 


2716 2713さらりさんへ
名前: 小桜姫  投稿日: 2003年08月22日 (金) 03時59分05秒

さらりさんのレベルが上がってつまらなくなったようにお見受けします。
きっと次の出会いがまっているのではないですか?
宗教の批評は過去の自分への否定につながりかねません。
私も言えないはずかしい心酔時期がありましたが肯定しておかないと大変。
行き着いた宗教の良し悪しを見る目安は「お金を要求しない」ほとんど費用のかからないところ。です。
神道系と書きましたが、実際はあっちこっちかじり教です。ss

 


2715 2713さらりさんへ
名前: 小桜姫  投稿日: 2003年08月22日 (金) 03時18分07秒

子桜

 


2714 「殉教」について1考察
名前: ライトセーバー  投稿日: 2003年08月22日 (金) 03時11分34秒

>2705 知足さんへ
>そして、「人間の本質が、肉体ではなく、霊であり、不滅のものである」の>なら、被害者も加害者も共に「死とは、肉体という牢獄からの解放であり、>喜びである」というのは「霊訓」の定説なのですから、「自爆テロ」になん>の問題もないことになると思うのですがどうでしょうか?

この、「なんの問題もない」という展開には驚いた。
「牢獄」と言う意味にはあちらの方が、「物質世界では波動が荒くてわずらわしく、自由に動き回れないからいやだ」と言ってるんではないか?
「本質の霊は不滅」と言うことばは、カルマのケリがつくまで何度でも生まれ変わるという意味だと思う。

自分は「霊は普遍であるのだから、悪事をただし、艱難辛苦を耐え、喜び多く、和合をもって人々にあたれ」と「自分の死を恐れるな」と解釈する。
 確かに死は肉体からの開放で、死を意識した重病人にはやすらぎをもたらす。
しかし、テロは違う。
 突然人生を奪われた人が、「牢獄からの開放」の意味を理解できるものか?
これは次の生での新たなカルマを作ったことになるのではないかと考える。
 また遺族に悲しみと憎悪を生み出す。現世に成仏できずに引き止られる者も出るだろう。お互い立場を理解し許しあわなければ未来永劫続く悲劇だ。
 
「魂を開放してあげる」と、無差別殺人をした事件がかつて地下鉄であったのを思い出す。あの惨状を「霊訓の定説」として祝福できるか?
加害者は裁判で苦しみ、被害者は後遺症で苦しんでいる。どこにも喜びはない。「霊訓」の定説もそうやって解釈することもできるんだね。

ところで、あなた自身の心は大丈夫?

2726 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年08月22日 (金) 23時11分00秒
小桜姫の読者B=ライトセーバー=小桜姫さん、当掲示板では複数ハンドルの使用は禁止です。
掲示板のローカルルールをご覧下さい。
http://www.paperbirch.com/sp-bbs/localrule.html
(今回は猶予しますが、削除およびアクセス規制対象です)

|ところで、あなた自身の心は大丈夫?

知足さんの発言に関しては、ミュウチリンさん、あゆさんのコメントが的を射ていると思いますので、(複数ハンドルでの連続投稿という異常な行動も考えると)僕はむしろ小桜姫の読者B=ライトセーバー=小桜姫さんの精神こそ大丈夫なんだろうかと思ってしまいます。当サイトでは論理的な議論を推奨します。言葉尻に反応しただけの脊髄反射のコメントはなさらないようにお願いします。

ついでで申し訳ないですが、同じく#2718・#2719の光のシャワーさんの発言も、単なる感情論であって知足さんの疑問への答えにはなっていませんね。あなたはしっかりと議論するべきです。「議論するようになってはいけない」と仰ってますが、あなたはあなたに欠けているものを議論によって得られるハズです。それを「いけない」というのは、あなたの理性の声ではなく、それから逃げたい、目を逸らしたいという感情の声に過ぎないのではないでしょうか。

http://www.paperbirch.com/


2713 しつもん
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月22日 (金) 00時42分22秒

みんなに質問してみたいです、宗教はどこがいけないとおもいますか?
宗教していたのですが、どこか偏っているのではないかと感じている今日この頃、意見聞かせてくれませんか?

 


2712 神業を知って,子供を見る。
名前: 小桜姫の読者B  投稿日: 2003年08月22日 (金) 00時04分41秒

 神道の団体で難解な神界話を聞いていた私にとって、「小桜姫…」はドキュメンタリーです。口語訳がまた臨場感がして身近です。修行の意味、神様の存在など次々と合点しました。
 死んでからはあの世で修行が待っていると思うと、世の中に対して悪いことは悪いというべきだと目覚めました。
  近著に「江戸の子育て」という江戸時代の文献を拾い集めて子育てを紹介する本があるのですが、子供は比較的素直な幼いうちに善悪をしつけないと、それ以降は死ぬまでなおらないと嘆く家康の話がありました。
 つまるところ素晴らしい魂がこの世に現れても、親の育て方ひとつにかかっているのだと思い知りました。
 この世にいる間は少しでも世の中を良くしようと思うとき、やはり子供に先鞭をつけなくてはならないんだなと思うこのごろです。

 


2711 「大きな安心」があるのが本当
名前: 知足  投稿日: 2003年08月21日 (木) 21時44分15秒

きりこさんの「霊と肉体について」の中にある

>はっきりいって、スピリチュアリズムに出会おうが、出会うまいが、
宗教信者であろうがなかろうが、そんなことはタイしたことじゃ有りません。
べつに、スピリチュアリズムの本を読んで、神様にお祈りしているからと言って、
なにか特別であると云う事は無いと思います。

>日々の生活から様々なことを学ぶ、これが我々にとって最も大事なことだと思います。
それに、スピリチュアリズムの教義はきわめて単純明快です。

>本を読むことは大事ですが、字面に縛られてしまうことは、陥穽にはまります。
一人一人、それぞれ学ぶべきことがあって生まれてきたんですし、
それほど大それた霊的使命があるわけじゃ有りませんから、
日々の生活の中で地道に学習して行けば良いと思います。

の書き込みを読んで、心安らかになりました。

スピリチュアリズムについて語る時には、
こういう「大きな安心」というか、受容性とでもいうべきことが最も大切だと思いました。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2710 はじめましてっ!( ´ ▽` )ノ
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月21日 (木) 11時28分26秒

お初に書かせて頂きます。ミュウチリンと申します。

私は特にスピリチュアリストでは無いのですが、常々普遍的なものは何なのかを求めています。これは勤めてそうしているのではなく、子供の頃からの癖でして、そんな変な子供だったので周りとも上手く折り合えず、孤独な幼少時代を過ごしておりました。(;>_<;)
さすがに今は周りと折り合い付けるのは上手くなりましたが、相変わらず内面的繋がりが持てる人間は、ほとんどいないのですけどねっ!('-'*)エヘ

ですが、そういう心掛けで日を送っていますと何気ない出来事からこれはある事を象徴していると感じたり、実相に対しての理解を深める事が出来るのですね。例え犬の散歩をしている時にもそれはあります。
実相に迫る理解を得るには別に出家する必要も、どこかの宗教に入信する必要は無いのではないかと思います。
逆にその宗教に入る事でそこの凝り固まった考え方に染められてしまい人によっては実相からどんどんかけ離れてしまうのではないでしょうか。現代の宗教団体は危険因子をかなり含んでいると思われます。
それにスピリチュアリズムも、あまりその「スピリチュアリズム」の型にはまってしまうと、現代においての宗教じみてきやしないかと思っています。
別に「スピリチュアリズム」や「霊的真理」や小難しい言葉など、それに関心が無い人達が反発を覚える様な用語を使わなくても一般用語で十分にその内容は伝える事が出来るんですよねっ。
そして自然な形でそういった方向へその人の判断で進んで行ったならそれはその人にそれを受け入れるだけの容量が出来ていたという証でもあると思うのです。
受け入れ準備の無い人に何を言っても無駄なのは身に染みて痛感してます。また自分自身も理解の範疇を超えていると感じる事は当然受け入れられないのでしょう。

そんな感じで、誰しもそれぞれにあった成長の仕方があるのでしょうから、人それぞれに応じたやり方で、自分の出来る範囲の事をしたらそれでOKなのではないでしょうか。
何事にも無理はいけないですもんね。

一見者ながら長々と失礼致しましたっ!_(._.)_ ユルシテ

 


2709 2706の発言の意図
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月21日 (木) 05時17分24秒

あの投稿だけ見ると、誤解される方も居るかもしれないので追記。

自分の霊的進化を目指し、お祈り、本「霊訓」による学習、その他の霊的活動を実践することは、とても重要です。

ただ、それのみに囚われてしまうと、片落ちになってしまうと云う事です。
バランス良くと云う事ですね。
下記で、自爆テロについての意見記載がありましたが、世界情勢だって学習素材です。
(良い意見だと思います。)
闇金の話だって、考えれば、いろいろな教訓や警告が得られますし。

日々のニュースから、自分なりに考えることも大事な勉強だと思います。
マスコミの報道は、いい加減な時がたまにあるので、一歩引いた所で冷静に眺めることも必要ですが・・・

 


2708 ひとそれぞれ
名前: yumi  投稿日: 2003年08月21日 (木) 02時28分47秒

私見ですが、色々な入り方があってよいと思います。
そこに課題があり、課題クリアの為にあらゆる形(物的、精神的、霊的どれも根っこは一緒)からアプローチがあっていいと思います。

本に師事するも、人に師事するも私的にはあまり変わらないかと・・・。
要は自分の足で確実に立って歩けるようになる為に(親のような役目かな)、そういう方や本があるのだと思い、そういうものが用意されていることがとてもありがたいです。

私は前にも書きましたが、ニューエイジだとかスピリチュアリスト等の枠を自分に設けてません。良いものは取り入れるというスタンスです。
ですのでもしかしたらこちらでは気を悪くされる方がいらっしゃるかもしれませんが、まあ一つの意見ということでお聞き流しください。

私はシルバーバーチやホワイトイーグルやその他の霊訓を読んで素晴らしいと思う反面、引っ掛かる所がかなり沢山あります。
今はそれらを自分のなかで調整中です。

知識は電車の切符のようなものだと思っています。その切符を使えばそうゆう方向が開けてそこへたどり着きます。そこで始めて「こういうことを言っていたんだ」と気付き自分の物になってゆきます。

 


2707 あっちゃー、、、、文法ミス・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月20日 (水) 23時44分07秒

人生という一番学習機会を存分に活用してすることが重要なのだと思います。
       ↓
人生という一番の学習機会を存分に活用することが、最も重要なのだと思います。

 


2706 ファニーズさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月20日 (水) 23時41分21秒

私には、団体サポートやボランティアが、どうでも良いこととは思えません。

ようはお祈りして、守護霊様と交信し、霊的進化を希求することが第一と云う事なのでしょうか?
もしくは、「真理」の普及こそが一番重要だと?

繰り返しますが、私はそうは思いません。

スピリチュアリズムと言う素晴らしい羅針盤を手にしながら、人生という一番学習機会を存分に活用してすることが重要なのだと思います。
苦しんでいる他者を救うことも、人生における大事なワークだと思います。

 


2705 自爆テロという「殉教」
名前: 知足  投稿日: 2003年08月20日 (水) 23時13分33秒

(過激な題名でゴメンなさい。)

busy_hermitさま、お返事をありがとうございました。
わたしは「霊訓」を知りはじめて日が浅いので、質問に教えて戴いて大変に参考になりました。
今後とも、色々と教えていただけると嬉しいです。

前半の
>「おできになりますか?真理を説くことではなく、真理を生きることを」という
啓示のことばは、大変によく理解できます。大賛成です。

後半の「殉教」ということについても、それは「ことばの比喩」であり、
>『その教えを捨てるくらいなら殉教=生活そのものを失う=死ぬも同じと考えたわけです。』
ということなら、理解できます。

でも、私にはやはり「殉教」という言葉が気になります。ニューズレターの編集者は、
どのような状況を想定して「殉教」という言葉を使われたのでしょうか。
「スピチュアリズム」のために『生活そのものを失う=死ぬ』などという場面があるのでしょうか。
「ない」から、比喩なのでしたね。(笑)

たぶん、ご自分の心意気とか心境のおつもりで書かれたのだとは思いますが、
他者に向けてメッセージとしては、言葉が過激すぎると思うのです。
すくなくとも私は、以後の号をあまり読みたくなくなりました。(笑)

昨日、国連への自爆テロが起こりました。自爆した本人は「殉教」のつもりなのでしょう。
この行為によって、「家族共々、天国のもっとも高い位置に召される」と思っているのでしょう。

そして、「人間の本質が、肉体ではなく、霊であり、不滅のものである」のなら、
被害者も加害者も共に「死とは、肉体という牢獄からの解放であり、喜びである」というのは
「霊訓」の定説なのですから、「自爆テロ」になんの問題もないことになると
思うのですがどうでしょうか?
(これは、本当にどう解釈していいのか迷っています。)

★私は、「自爆テロ」を悪しき行為だと思っています。その理由は、「手段を目的化している」
からです。シルバーバーチの霊訓に、「動機が、もっとも大切だ」というテーマがあり、
兵役拒否と参戦について、その時々に、自分に正直に「覚悟を決める」のが最善の方法で
あるという箇所があったのを思い出しました。ということは、自爆テロ犯も、言葉通りに、
自分の全存在と魂を賭けて、「自爆した」のかもしれません。(←意味不明ですいません)

★仏教に「卑下慢」という言葉があります。
「自分を下に置くという態度」が、傲慢になる場合もあるという戒めだと思います。
自分のことを「殉教者」だとか「神の道具」とか他人に語ることのなかに
どれほどの自己欺瞞と卑下慢が隠されているのか。
自分を調べてみると、私はよく、この過ちを犯しています。

 


2704 なんでもただ
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月20日 (水) 18時31分45秒


シルバーバーチの霊訓 そのた、ホワイトイーグルの 霊言
それらや、いろいろな刊行物があります。 指導はそれで十分です。
何回読んでも指導料もただ、覚えが悪くてしかられることもなし。

現代人は、ようやく自分の良心に照らして物事を考え、選び取ることができるようになってきました。 今までにこんな時代はなかったでしょう。 ひとりひとりが、その考えを尊重されるのです。 ですから、
ひとに、心や、魂を、明け渡すことなく、自力でがんばっていきましょう。野心のある方も大勢です。おかねや、リーダーシップ ねらわれないようにしましょうね。

 


2703 心さわやかに
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月20日 (水) 07時04分06秒

百人の方が居れば百通りのスピリチュアリズムが有ります。霊主肉徒になっていないと不満や批判が起こるのです。私もそうですが、ボランティアや何処かの団体のサポートなんて、今は、どうでも良い事です。黙って行動する謙虚な心が必要です。大霊様、守護霊様は必ず見ています。霊の道具として今日も頑張りましょう。

 


2702 はじめまして
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月20日 (水) 04時47分11秒

はじめて、スピリチュアの本読みました。
悩んでいたことがあって、いろいろ精神世界の本読みました。
だけど、今はお金がなくてそれどころじゃなく、毎日大変です^^;
まずは、お金ですね(−。−;
こんなこといったら、怒られるかも知れんけど・・
悩んだり、考えたりする時間もなく、自分の生活が精一杯です
世界や人間の人生をいろいろ考えたりする時間もなく
税金払わないといけんし、現実と上手に祭りあうのが基本かもしれんし
人それぞれだから善悪は人それぞれだから、と思うし。
とにかく、混沌とした毎日を送っている状態なんです。
いっそのこと、これは悪だ!これは善だ!と決め付けて生きていけたら
どれだけ、楽なことでしょう^^;
善悪は人が生みあらわしている事を知ってからは、自らが善悪のレッテルを世界に生みあわすことがないようにすることに意識をおいているので、毎日ふらふら〜。〜;;
すぐに社会現象に余計な念を出している自分に気がつき反省の毎日なんです。とにかく、つまらないたわごと言ってしまいました。
ごめんなさい(−。−;;読み飛ばしてください。

 


2701 光輝く魂
名前: あゆ  投稿日: 2003年08月19日 (火) 23時24分34秒

きりこさんの「どうもなぁ〜」と「霊と肉体について」の投稿に
とっても感動して思わず書いています。

私はまだまだスピリチュアルな事をいっぱい学びたいと思いますが、
きりこさんが言われるように、やはり自分自身の中に真実があるように感じます。

難しい理屈や言葉でいろいろと論じるような指導者はいらないと思います。
そんな素朴な真理の根本をシルバーバーチは私達に教えてくれていると感じるし、その根気よく丁寧で分かりやすいお話はかえって、
私達の心に響いてくるのだと思います。

どれだけ祈ったかとか、どれだけ人の役に立ったかとか、誰を尊敬したかとかも大切かもしれませんが、何よりも、どれだけ霊的に光輝く魂になれたかが一番重要に思います。

 


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