心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)1401-1450の過去ログです。
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1449 はじめまして!
名前: まさき  投稿日: 2002年05月05日 (日) 02時30分51秒

輪廻転生について私は、こう思います。人は何も知らない白紙の状態で生まれてきます。それから人は色々な環境や境遇の中で物を見たり、感じたり、するなかで育ち、成長していきますが、ある人は、霊的真理を知らないで一生を送り、ある人は、霊的真理に目覚めて、真理に沿った生き方をしようと努力する。この違いは何からきてるんでしょうか?私は、偶然ではないだろうし又、自分のスピリットが生まれる以前に自分の守護霊や、指導霊とミーティングした結果、自分に何が足りなくて、必要なのか、自分の欲求などによって自ら決めて生まれてきてくると思ってます。霊的真理に出会ったのも自分の成長にとって必要だったからか、その段階にきているからかもしれません。いままでの過去生は、ほかの側面から物事を見て経験する必要が有り、又それらの経験をすることでしかクリアできない問題があったと思います。一つの側面からではものごとをすべて見通すことは不可能だと思うので、色んな国で、環境で、境遇で、実際に生身で経験することでしか悟ることは、できないと思います。そこに輪廻転生の必要性があると思います。みなさんはどう思われますか。どんな意見でも結構です。又この件に関して詳しいかた、まだまだ分からない部分が多いのでぜひ教えて下さい。

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1448 すいません
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月02日 (木) 13時53分07秒

かなり恫喝的・感情的な口調になってしまったなあと、反省してます。
丁度、田植えで疲れ果てていたときだったので、癇に障ったんです。
有希さん,ごめんなさいね。
どうも気になっていたので、投稿させていただきました。

今後ともよろしくお願いします。

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1446 もりふみさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月02日 (木) 05時29分17秒

農業で実際苦労している人間にとっては、無農薬を要求している人達の
身勝手さにいつも頭に来ていましたのでね。
無農薬を要求していながら、虫食いや曲がりキュウリなんぞ、絶対に買いませんからね。その連中とダブってしまったんですよ。
無農薬ということであれば、消費者側のレベルも要求されるわけです。
つい、ムキになりました・・・。
有希さんには申し訳無いです。
ただ、あなたの発言も充分感情的だし、失礼ですね(笑)。

私も本業は地方公務員ですので、農業オンリーではありません。
知らない業界について批判するのは簡単です。
でも、実際にやってみないと見えない部分も有るんです。

農業以外はみな遊びなんて、一言タリともいってないよ!!!!

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1445 きりこさんのご意見について
名前: もりふみ  投稿日: 2002年05月02日 (木) 01時02分48秒

 きりこさんの有希さんに対するご発言を読んで感じたことをひと言申し上げます。

 きりこさん〜:
>農業に関する貴方の意見については・・・、

 と仰っていますが、有希さんはなにも「農業に関する」論議をされているわけでもなければ「農業に関する」何らかの意見を展開されているのでもありませんよ。それは日本語で書かれた文章とそのコンテクストを理解するというごく基本的な能力がありさえすれば誰にだって分かるのではないでしょうか?有希さんとしては、あくまで分かり易いモノの喩えとして、たまたま身近なコメを持ってきただけですよ(もちろん口にする食品に対する普段からの関心の高さも手伝ってということもあるでしょうが、あ、いえ、これは私の勝手な推察ですけど)。大勢の人たちに分かり易い他の喩えがあればべつにコメ(農業)でなくてもいいわけです、そう、畜産業や漁業、漫画家の仕事や学校教師の仕事など、引き合いに出せるような喩えならナンでもよかったわけです。それをあたかも農業の素人が農業について語るのは許せぬとでもいわんばかりの口調であるばかりか、論議の主眼たる「スピリチュアリズムに関する話に関しては、私なんかより真摯に勉強なさっているようですので、いまのところ意見は差し控えます。」などと言うことによってあらかじめご自分を防御される姿勢に至っては、残念ながら有希さんならずとも不快感を禁じ得ません。「これはあくまでも農業に関することに絞って言わせていただきました。」とでも言えばご自分の自己中心的なものいいに対する免罪符をあらかじめ手にしたことになるとお考えでしたら、はっきり申し上げますが、その考えは間違いです。おそらくきりこさんは農業に従事なさっていることに大いなる矜持と誇りをお持ちだと思っておいでなのでしょうが、少なくとも私には(あなたのものいいの仕方からは)言葉の本来の意味での矜持、誇りからは遠いものしか感じられません。

>農業は遊びでやってるわけじゃないんですよ。
>生活かけてやってるんですよ。

 もちろんそうでしょう。ついでにお訊きしますが、人が業(なりわい)として従事していることで「遊びでやっている」ことや「生活かけてやって」ないことって、例えば何があるのでしょうか?まさかきりこさんは農業以外はみな遊びで生活かけてないなどと仰らないでしょうね?それとも、ホントにそう思っているからですか、ヒトに「なにやって生計立ててます?」などと失礼千万にして不躾極まりないことを訊いたり出来るのは?

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1444 無農薬野菜のこと
名前: 有希  投稿日: 2002年05月01日 (水) 23時44分54秒

きりこさん、はじめまして。
農業に従事していらっしゃるんですね。

> 現実の体験として、無農薬なんて不可能ですよ?

私は浜松に住んでいますが、無農薬野菜をつくっていらっしゃる農家の方はわりといらっしゃいますよ。
厳密に言えば、農薬の代わりに無害なものを使っているとはおっしゃっていましたけど。

私が以前取り寄せていた野菜やお米、果物は全て完全無農薬でした。
数年前にそこのご主人が亡くなられたので、今は他から調達しています。
その方がしてくださったお話を少し書きますね。

そこは除草剤も何も撒かないので、草がボーボーでした。
それで、一度だけ草取りのお手伝いに行った事があります。
その時に聞いた話ですけど、そこの近所も皆農家なのですが、お隣から文句を言われたというのです。
「あなたのところで除草剤を使ってくれないから、虫がウチにばかり飛んでくる」と言うのです。
こんなことってあるのだろうかと思いましたけど、その方はかなり憤慨して言ってましたから本当だと思います。
その方の言うには「虫は健康な作物より、弱っているものの方によくつくんですよ」とも言っていました。
お米も、「田んぼ」ではなく「丘んぼ」だと言って、全く違う作り方をされていました。
ただ、無農薬栽培だけで生計を立てるには、虫が食っていても買ってくれる消費者との連携がないと難しいようですね。

それと、私の家の近くにも農家がたくさんあって、週に2回、農協の場所を借りて余り物を売ってくれます。
つまり、自宅用に作っているけど、多過ぎて余ってしまっている物と、出荷できなかった物を安く売ってくれるんです。
出荷できなかったのは規定に合わなかったものだそうです。
もちろん売り物として作ったものですから、農薬を使っていると言っていました。
農薬は恐いから、自宅で食べる物は形が悪くても何でもいいからと言うことで、無農薬にしているんだそうです。
この話はわりとよく聞きます。
ただし、無農薬の作物は皆さん並んで買われるので、すぐに売りきれてしまって、なかなか私の手元には渡らないのが残念なんですけど。

> コメ作りに限らず、野菜もそうです。作れないことはありませんが、
> 虫食いや病気でとてもとても売り物になりません。

知っています。
近くの農家の人もそうおっしゃっていました。
だから、生活のためには農薬を使わざるを得ないんですよね。

> 自然保護団体の連中も、口では偉そうなことや理想論を吹いてても、虫食いや
> 病気は絶対に買いませんしね。

困った人たちですね。
でも、そういう人たちが多いのも事実ですものね。

> 無農薬じゃなければプロじゃないなんて

ということですが、「プロ意識」に関しては、先日ペーパーバーチさんとお会いして霊的なことについて話した中でのことであって、農家の方のことをあれこれ言ったのとは違います。
誤解を招く書き方をしたことは謝ります。
「プロ意識」に関してどんな話の展開があったかは、2週間ぐらい後には「スピリチュアリズム勉強会&座談会」に出せると思いますので、そちらを読んでいただければと思います。

> 有紀さんはなにやって生計立ててます?

小さな学習塾を営んでいます。

> ビッグママさんや有希さん、ペーパーバーチさんその他の方々の真摯な取り組みには敬服しています。

あ、ありがとうございます A^^;)

> 農業は労多くして報われることの少ない商売です。
> 兼業でなければ、今の御時世生きていけません。
> ま、そこのところだけでもわかって欲しかったので・・・

ええ、充分わかっているつもりです。
現実の社会は、悲しいけど理想と現実はなかなか一致しないですものね。
でも、霊的な世界では一致させるように努力していかないと価値がなくなってしまいます。
そのためにも、シルバーバーチとかニューズレターを読むわけですけど。

> (*)減農薬農法は可能です。冬のハウス栽培は虫が少ないので、一回の消毒だけで充分です。
> (病気予防薬は必要ですが)
> ただ、ハウスは暖房が必要なので、本当に意味での自然農法とは言えないでしょうが・・・・・

確かな情報をありがとうございます。
農業に関しては、喩え話として使っただけなんですけど、気分を害されたことに関しては謝ります。
それと、私のこの書きこみに関してコメントをいただいても、連休が明けるまでは多忙なので、レスできないと思いますので、ご了承ください。

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1439 宗教的?
名前: 有希  投稿日: 2002年05月01日 (水) 17時24分37秒

トップページに「飲んで書いてます」とあったので、その流れで書いたのかなと思いつつ、それに対する私の意見を述べさせていただきます。

ペーパーバーチさん wrote:
> ……揚げ足取りみたいになっちゃいますが、このたとえ話で自分がCさんと分類されるのには、少なからず抵抗
> を感じるんですけど(^^;。

私はスピリチュアリストを自認している人、と書いたのであって、江原さん以外の人は具体的には分類していませんよ。
酔って記憶が飛んでませんか? (^◇^)

ただ、あの喩えは少々無理があったのかもしれません。
分類すること自体、本当はおかしなことだし、もしかしたら言いたいことが伝わらずに、別の解釈をされるかもしれないなと思いつつ、それを承知の上であえて書いたわけです。
でも、たまさんが私が言いたかったことをそのまま受け止め方をしてくださったので、すごく嬉しかったです。

この喩えを、「成長した人がCさん」、という分類だと、私だってそんなのとてもおこがましくて言えません。
私が言いたかったのは、「動機の大切さ」であって、「どんな自分になっているかという結果ではない」んですよ。
「自分はどんな人間になっていきたいのか」、「どんなスピリチュアリズムを伝えたいと思っているのか」「どれだけ実践しようとしているのか」ということなんです。

ペーパーバーチさんは、「質の高いスピリチュアリズムを伝えるのが大切」、というふうに言っていますよね。
それは私も全く同じ考えです。
スピリチュアリズムの質を落とさずに伝えたい、できればより高い質のものを伝えるには、自分もそれに見合った成長をしていきたい、と願っている人、これをあえて今分類するとすれば、Cさんを指していることであって、その人自身の成長度合いとか、理想通りになっているかどうか、できているかどうか、ということではないんです。
だって、思ったってそんなに簡単に実践できるわけないんですから。
結果も大切ですけど、それ以上に「実践しているかどうか」の方がもっと大切だと思うのです。
これだけ書いても、私の真意は伝わらないのかなあ・・・

> なぜなら、Cさんの方法では高価なお米を少量しか生産できないことが予想される(限られた裕福な人のものに
> なる)のと、たまたま成功したCさんの陰に、高すぎる理想と現実とのギャップに挫折した人も多かろうと思っ
> てしまうので……。頭でっかちな理想に凝り固まって現実が見えていないイメージを感じるわけです。

う〜ん、そんなのは全く考えていませんでした。
そういう現実的な受け止め方もできるわけですね。
でも、私が書いた喩えは、こうした裏の部分の解釈を省いて考えてもらった方がいいかも。
ただ、戦前は無農薬が当たり前で、農薬を使って作った見栄えの良いものの方が高かったと思います。
今は完全に逆転していますね。
無農薬の物の方が高い世の中になっていること自体、何かが間違っています。
それこそ、プロ意識の欠けた結果ではないでしょうか。

> で、そういう頭でっかちな人以外は全員「農薬がどんな悪影響を及ぼすか考え」ないダメ人間と決め付けられて
> いるわけで、あまりに極端な二分法は「まるで宗教みたい」と思う人が出るのも仕方がないんじゃないかと……。

感じ方は人それぞれですものね。
そう思う方はどうぞ、という感じかしら。
それと、農薬が危険だというのは、農業に従事している人にとっては当たり前の知識だと思いますけど。

もう一つ言えば、相手にとって一番ベストなものを提供する、害のない栄養豊富な良い作物を提供するというのはペーパーバーチさんの言われた「プロ意識」ではないでしょうか。
松茸風味のスピリチュアリズムではなくて、本物のスピリチュアリズムを伝えることこそ、プロ意識ですよね。
こうした考えを「まるで宗教みたい」と感じるなら、それはその人の感じ方なんでしょう。

>全信頼を置くというのは、既に盲目的な信仰のレベルに落ちているんじゃないか。それでは既成の宗教と同じではないのか。

ということですが、まあ、これはどのように理解していただいたとしても構いませんが、違和感を感じるのは自分とは違う感覚だからに過ぎないのだと思います。
私だって自分と全く違う感覚のもの、それも自分の好みに合わないものには違和感を感じますから。

それと、私は「全てを信じている」と書いたのではなくて、「全信頼」と書きました。
確認も何もしなくて最初から無防備に信じたら「盲信」になるでしょうけど、私は自分の体験からいろいろ確認して、これは確かだと思った部分がかなりあるので、それを基盤にして「全信頼を置いている」と書いたのです。
私には、地上にいる未熟な人間より、高級霊の方が圧倒的に信頼に足ります。
高級霊界のことを知識としてだけわかっている人は、信頼するということすらわからないでしょうけど、体験的にその存在、働きがわかればわかるほど、信頼は増すと思うのです。
これは既成の宗教と同じですか?

> 僕の考えるスピリチュアリズムとはちょっと違うんですね。

それはペーパーバーチさんの考えであって、それが全面的に正しいとも言えないわけですよね。
否定しているのではないですよ。
私も同じ考えを持っていますから。

> 「ニューズレター」礼賛は、確かにホドホドにしておかないといけないでしょうね。

これはセーブすべきものではないと思います。
悪いものならセーブしなければいけないと思いますけど、なぜ善いものをセーブしなければいけないのでしょう。

以前、心の道場の人がおっしゃっていたことなんですけど、「今まで求めに求めて、ありとあゆるものを読んできて、そして行きついたところが、“シルバーバーチの霊訓” と “モーゼスの霊訓”でした。これに出会った時は本当に心が楽になりました。」といったようなことを言われていました。その言葉の中から、ニューズレターは心の道場の方たちが様々な辛苦を乗り越え、その中で霊的真理を実践して確認した上での見解であって、適当な体験を元にして書いているものではないと思ったんです。

それと、ニューズレター一冊を書くたびに、「毎回全てのシルバーバーチの霊訓に目を通して確認しているんですよ」とも言われていました。ですから、シルバーバーチの読みこなし、理解度は半端じゃないと思います。それと、語られた言葉の端々から、本当に多くの実践をされてきたことがよくわかって、その誠実さに感動し、頭が下がりました。

ですから、ニューズレターは「あの人たちの考え」ではなくて、「シルバーバーチの説いていることを実践して確信したこと」だと思うのです。
そういう意味でも、私はニューズレターはすばらしいと思っています。
ですから、自分がすばらしいと思えるものを礼賛するのは当たり前じゃないでしょうか。
もちろん、ニューズレターよりすばらしいものが出れば、そちらをより礼賛することになるのは必然ですけど、現時点ではまずニューズレターに並ぶものも出ないとは思います。

ペーパーバーチさんもシルバーバーチは最高のものだと言われていますし、もちろん私もそうだと思っています。でも、心の道場の方たちがシルバーバーチを推奨するのは、私たちの比ではないと思うのです。土台が違うのですから。と、こうやって書くと、またしても既成宗教みたいだと言われるかもしれませんけど、そう思うならそう思っていただいて構いません。
わかる人にはわかるでしょうから。

シルバーバーチを読む時は、自分が理解できるところだけを受け入れて読む場合が多いので、それほど抵抗はないと思います。でもニューズレターは徹底して書いてありますから、自分の考え、自分の感覚こそが正しいという観点で読んだら、厳し過ぎて近寄り難いし、好きにはなれないかもしれません。
でも、これは個人の「好き嫌い」で判断することではないと思うのです。
だって、霊的真理は自分の「好き嫌い」で受け入れるわけではなくて、理性・霊性で受け入れるものですよね。
もし「好き嫌い」で判断して行動するのなら、バシャールのニューエイジと同じではありませんか。
それに、「好きだからする、嫌いだからしない」というのは利他愛ではなくなりますものね。
教師や医者が好き嫌いで生徒や患者に接したら、大変なことになりますしね。
自分で理解し難いところがあったら、それは一旦保留にしておいて、実践して体験する中で真偽を確認していったらいいと思うのです。
もしくは、嫌だと思ったなら、なぜ自分は嫌だと思うのかを考えてみてもいいかもしれません。
それで、これはどう考えても違う、と思うのなら、それから拒否すればいいと思います。
それが真理に対する真摯な姿勢だと思います。

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1438 雑談・余談です
名前: もりふみ  投稿日: 2002年05月01日 (水) 11時37分52秒

 ペーパーバーチさん、こんにちは。

 先日、大連国際空港から帰国(出張です)したのですが、その際、空港ロビーで「大連旧影」と題した写真集を見つけて思わず購入してしまいました。その中に浅野和三郎が欧州への旅の第一歩をしるした「旧大和ホテル」の当時の写真がありました。まさに張作霖爆殺事件(いわゆる奉天事件)と満州事変勃発の間のややこしい時期のものですが、あのような暗雲立ち込めた時代にスピリチュアリズム探求の旅に勇躍出立した博士の熱意にあらためて思いをいたすことが出来ました。この建物は現在も(改装を施されて)「大連賓館」としてダウンタウンの一角にその姿をとどめています(ロシア風の外観はいまでも趣きがあるのですが、内部は相当に黴臭い)。

 余談の余談ですが、「旅行記」の「第三信 大連からハルビンまで」の第二パラグラフに「金州(訳注:錦州のこと?)」とありますが、これは金州で間違いありませんのでカッコ内の?つき注釈は削除されてもいいと思います。金州は大連郊外の市街で、満鉄の駅がありました(もちろん現在も)。錦州も同じ遼寧省の都市ですが、こちらは奉天(現在の瀋陽)西郊にあり、旧満鉄ではなく、北京と奉天を結ぶ京奉線(現在の京瀋線)沿線にあたりますから博士はここを通過した訳ではありませんね。

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1437 はじめまして
名前: えりりん  投稿日: 2002年05月01日 (水) 00時20分12秒

最近ある本でシルバーバーチという不思議な方の存在を知ってさらに詳しく
しる為に今日、早速本をかいにいきました〜!これからよむ本が増えて&神様
の事勉強できそうでわくわくしています!でも絶版になっている本が多い事が
かなりさみしいです(;_;)シクシク古代霊シルバーバーチ不滅の真理を探しに
さがしまくっています!ご縁がありますように!!
またちょくちょくここにきたいとおもいます(*^.^*)どうぞよろしくです

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1436 1435について≪賛同≫
名前: きりこ  投稿日: 2002年04月29日 (月) 22時39分09秒

はじめまして。きりこと申します。
ペーパーバーチさんの、とてもバランスのとれている発言に賛同します。
私も、100%無条件で信じること、それを強く勧奨する姿勢と言うのは、
従来の宗教を想起させるのでどうかなあ?と思っています。
高級霊になればなるほど、疑問や批判には誠実に答えこそすれ、お怒りになられることはあり得ないでしょうし・・・

それに、霊的進化には様々なパイプがあってもいいのかな?とも思いますので、シルバーバーチの霊訓も、数多あるパイプの1つであると柔軟に考えても
良いと思うのですが。
この世に生をうけ、生きていくことに伴い、必然的に発生する(付随する)様々な喜び、悲しみを体験して、その体験を通じて学んでいくことも進化ではないかと考えています。
ま、どちらにしても何事も余りムキになっていると、良いことはあまりありません。
ボランティア活動をやっていますが、あまり真面目過ぎたり使命感もってやっている人ほど、すぐに自滅したり激しい対立を引き起こしたりで長続きしていません。
霊的進化もそうだと思いますよ。
ペーパーバーチさんも、奥さんも子供もいらっしゃるそうですが、私もそうです。
霊訓だけでは家族を食べさせることはできませんからねえ≪笑≫。
私はアメリカや中国の株式投資も幅広くやっていますが、これって、禁欲的な人達からすれば悪行なんでしょうかね・・・・

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1435 RE:1408 禁欲的宗教的?(笑)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月29日 (月) 19時31分08秒

TMHさん、こんにちは。

|ここで前々から気になっていたのは「シルバーバーチ至上主義」「ニューズ
|レター礼賛主義」ともいうべきこの場の雰囲気です。

ううむ、そうですねぇ……。ここはシルバーバーチをテキストに学ぼうというサイトですから、ある程度は「シルバーバーチが述べることは正しい」という前提で話が進むのは仕方がないと思うんです。いちいち相対的な立場を確認しながら話してはいられないですし。
そのために一部の人が「宗教みたい」と思ってしまうとしても、その点に関してはもう仕方がないので、七割の人が理解してくれれば十分だと思っています。

ただ、TMHさんが懸念しておられるのはそんなレベルの話ではないんですよね。僕も以前から違和感を感じることがあったのは、たとえばTMHさんが引用されていた有希さんの「今私はスピリチュアリズムに全信頼を置いています。」という……ううむ、なんと説明すればいいのかちょっと難しいですが、100%信頼して従うような、そういう在り方というのは既にスピリチュアリズムではないんじゃないか……とまで言うと言い過ぎかも知れませんが、僕の考えるスピリチュアリズムとはちょっと違うんですね。

全信頼を置くというのは、既に盲目的な信仰のレベルに落ちているんじゃないか。それでは既成の宗教と同じではないのか。僕はシルバーバーチが最高だと思っていますし、その判断は正しいと思っていますが、でも、他の宗教の人たちもたぶん同じようにそれぞれの宗教を信じているに違いないわけです。とすると「なんでお前は自分の判断だけが正しいと思ってるんだよ」という話になってきますよね。
(統一協会でさえ、自分たちの教えは科学的だと思っているんですから(苦笑))

だから、どこまで行っても100%の信仰に突き進んでしまうのではなく、そういうのとスピリチュアリズムとでは何が違うんだろうとか、シルバーバーチはこう言っているけれども仮に別の立場(たとえば唯物主義の)から見たらどうかとか、そういう複眼的な視点を忘れてはならないと思います。

その上で、シルバーバーチのこの言葉はどうか、自分はどう行動すべきか、など、自分で判断することこそスピリチュアリズム的なのだと思います。どこかに「スピリチュアリズム」という“正解”があって、それを信頼してその通りに行動するというのは、それはそれで立派なことではあってもロボットのような在り方でしかなく、既成宗教の信仰となんら変わるものではないのではないか。

と、TMHさんは考えたんじゃないかと思ったんですが、如何でしょう。で、僕もまったくそのように思っているのです。


「ニューズレター」礼賛は、確かにホドホドにしておかないといけないでしょうね。もちろんすごく良いことが書いてあって啓発されることも多いですが、やはりこの世の人間が書いたものです。信仰的で、禁欲的な在り方にしても、それはあくまでもあの人たちのやり方であって、確かにそういう方法も一つの道ではあるものの、決して唯一の正解とは僕は思いません。心の道場の人たちだって、ニューズレターの内容が最高だなんて思ってないはずですしね。だって、「シルバーバーチの霊訓さえ読んでくれれば、こんなもの(ニューズレター)は必要ないんです」と言っていたぐらいですから。


|だから僕は読むだけで食欲(^-^;がなくなるような禁欲主義の「ニューズレ
|ター」も百利の陰に一害あるようで好きではありません。

あはは。でも、心の道場の人たちにとっては、それほど厳しい禁欲主義という意識もなくて、ごく当たり前のことを書いているつもりだと思いますよ。ただ、少しだけ「普通の人のダイエットにプロボクサーの減量方法を薦める」感じはしますよね(^^;。普通の人にとっては、各々の霊性とかけ離れて禁欲するのは、やはり弊害があると思います。
(ガッツ石松のダイエット本が「と学会」に採り上げられてましたよね。一般人がそんなダイエットしたら死にますって)

確か以前ニューズレターで性欲がテーマになったときにも同じ事を書いたと思いますけど、禁欲して霊性が伸びるとは僕は思わないんです(全く無いわけでもないでしょうが)。霊性が伸びると、結果としてつまらない欲が無くなるということではないかと……。

ただ、僕は肉もセックスも大好きですが(汗)、心の道場の人たちに「この低級霊界の走狗め!」とか言われたことはありませんから、ニューズレターで書かれている通りにしてなければ絶対にダメなんてことは思ってないと思いますよ……違うかな(^^;。

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1434 RE:1387 霊的真理を知らないご先祖様のために(^^;
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月29日 (月) 18時44分09秒

サードさん、こんにちは。いつものようにぐずぐずしていたら、あっという間に元発言は流れていってしまいました(^^;。いまさらかも知れませんがコメントさせていただきますね。

シルバーバーチが言うには、死んだ後の肉体は火葬にするのがいいんだそうです。燃えて無くなってしまえば執着を断ち切ることができますから。

葬式や墓は残された者のためというのもサードさんの仰るとおりだと思います。霊界に行ってしまえば関係ないですものね。しかし、生前に霊的なことを知らなかった人は、自分の葬式を見てようやく自分が死んだことに気付いたり、死んだらお墓や仏壇に入るのだと思ってそこでじっとしているような(未浄化)霊は、ちゃんと供養してやらないと子孫にすがり付いてきたり、ということもあるようです。

そう考えると、先祖代々の宗教の儀式も霊の側にも全く無意味というわけでもないようですし、スピリチュアリストである我々には必要なくとも、ご先祖様の霊のためにはやっておいた方がいい場合もあるのでしょう。霊的真理が普及するに伴って、そういう必要が無くなって行くべきなのは言うまでもありませんが。

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1433 いろいろまとコメ
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月29日 (月) 18時29分07秒

そろそろひと段落つきましたかね。僕にとっては関心の深いテーマだったので、もっと議論に参加したかったんですが、ちょうど仕事のほうがゴールデン・ウィーク前の修羅場だったので(^^;。いまさらですが、皆さんに簡単にご挨拶だけでもさせていただきますね。


>1397 圭さん

圭さん、はじめまして。

「聡明な書き込みの合間を縫ってしまい」なんてとんでもない。心のこもった良い書き込みをしてくださったと思いますよ。「シルバーバーチの高潔さに心を打たれました」との言葉には、読者の多くが「そうそう」とうなずいたと思います。

是非またご発言下さい。今後とも宜しく。


>1398 ヨッシーさん

ヨッシーさん、はじめまして。鋭い書き込み、気持ちいいですね。

確かに江原さんには『スピリチュアリズム』という言葉を使って欲しくないですよね。スピリチュアリズムなどと言いさえしなければ、宜保愛子や織田無道と同じようなものと見做して無視することも出来るんですが……(実際同じようなもんですし〜)


>1400 有希さん

|Bさんはごく普通のお百姓さんだと思います。農薬を使って労を少なくし、
|農薬がどんな悪影響を及ぼすかは考えずに、見栄えの良いお米を作るタイプ
|です。
|Cさんは水にも品質にも全てにこだわり、本当に良いものをお客さんに提供
|するためには労を惜しまないタイプです。

……揚げ足取りみたいになっちゃいますが、このたとえ話で自分がCさんと分類されるのには、少なからず抵抗を感じるんですけど(^^;。

なぜなら、Cさんの方法では高価なお米を少量しか生産できないことが予想される(限られた裕福な人のものになる)のと、たまたま成功したCさんの陰に、高すぎる理想と現実とのギャップに挫折した人も多かろうと思ってしまうので……。頭でっかちな理想に凝り固まって現実が見えていないイメージを感じるわけです。

で、そういう頭でっかちな人以外は全員「農薬がどんな悪影響を及ぼすか考え」ないダメ人間と決め付けられているわけで、あまりに極端な二分法は「まるで宗教みたい」と思う人が出るのも仕方がないんじゃないかと……。有希さんの言わんとするところは判るんですけどね。

そんなわけで、僕もCさんそのものを目標にしているかと言うと、そういうわけでもないんですが、Cさん的理想を現実的に受け入れられる範囲で少しずつ取り入れていこうと思っている……という感じですかね。


>1401 ビッグママさん

いやもう書かれる内容には文句のつけようが無いのですが、ちょっとだけ。

丸数字(??など)はMacではカッコに曜日((月)(火)みたいなの)が表示されてしまいますので(1)(2)(3)のように書いたほうが良いと思います。もっとも、ほとんどのMacユーザーは脳内で変換する能力を身に付けいてるので、それほど気にする必要はありませんけどね(汗)

ついでに#1412ですが、夜更かししすぎ……って言うか朝じゃないですか!(笑) 身体を壊さないように、ほどほどにしてくださいね(^^;。(と言っている僕も、最近家に帰るのは、いつも日付が変わってからだったりします)


>1414 hiromi☆さん

はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ。

謙遜されてますが、僕にとっては嬉しい書き込みでした。涙が滲みますか……いやぁ、色男はつらいねぇ(女を泣かせる)。って落語かい!(「お前の母ちゃん泣いてたぞ」「いやぁ色男は辛いねぇ、女を泣かせる」というやつです(^^;)

シルバーバーチの本を読みましたら、また感想をお聞かせくださいね。

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1432 ビッグママ、ハナリンさんへ
名前: PMA  投稿日: 2002年04月27日 (土) 11時18分05秒

 こんにちは、PMAです。ビッグママ、ハナリンさん貴重なご意見、まことにありがとうございます。真理を探求するのは常に孤独な道ではありますが、私なりに模索していこうと思います。がんばっていきますので応援のほど宜しくお願いいたします。私自身は必ず、シルバーバーチの高級霊団が私にふさわしい生きる道を与えて下さるものと信じております。私もたまにここに顔を出しますのでまたそのときは宜しくお願いします。どうもありがとうございました。

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1431 曖昧の霧をはらそう
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月24日 (水) 05時07分35秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。

アラムさん、こんにちは。
もりふみさんが基本書についてのコメントをされていましたので、あまり多くは書きませんが私も少しだけ・・・

確かに、心の道場さんの「続スピリチュアリズム入門」は、スピリチュアリズムの体系的理解をするにはもってこいのものだと思います。そういう意味では基本書といっていいと私も思いますし、お勧めも出来ると思います。おっしゃるとおりでしょうね。

しかしですよ、私がアラムさんいいたかったのはアラムさんの

『まがいものの全くない基本的真理だけをまとめたものがあればよいのですが、それがみつからないのであれば、まがいものが多い中に真理が散りばめられたものを探していくしかないとも言えます。』

というご意見に対してです。
問題なのは、「まがいもの」があることを前提にして真理をちりばめるとかいう中途半端なことを是とするようなコメントです。さらに、1428のコメントです。人生相談のようなものとありますが、人生の中でスピリチュアルな観点から応えるのはシルバーバーチが十二分にやってくれていると思うのですが・・・事細かに「あなたはこうするといいですよ」などというアドバイスがいるというのでしょうか?

シルバーバーチが一教師の質問に答えるこんな場面があります。ちょっと長くなりますが参考になると思います。

『交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題――50年後には何でもなかったと思えるでしょうが――を霊にもちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます。・・・・・・霊のほうから自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。』シルバーバーチの霊訓2−66

私たち地上人が日常であれこれ悩む俗世的なことを霊媒を通じて尋ねると霊媒の潜在意識が出てきたりして、霊媒能力が混乱するというのです。霊側から自発的に述べる情報――霊訓はそうですよね――の方が霊的要素が大きいといっているのですよ。どちらがいいというのでしょう。

スピリチュアリズムというのは、徹底して霊界側から地上サイドに向けて発信されているものです。しかも「肉体の牢獄に閉じ込められ曇った霊性しかもてなくなった地上人を救うため」という目的でです。そうした働きかけの中、霊界から私たち地上人にむけて語られた霊的真理を、自分で自分の問題に照らし合わせて考えてみる努力が私たちには必要ではないしょうか。

一般の人生相談ならいざ知らず、スピリチュアリズムに触れようとするなら、
霊訓に取り組んで、そこから自分へのヒントを探すくらいの姿勢が必要じゃないでしょうか?押し付けではなく、そういう姿勢がより霊的真理を身近に感じるようになり、物事を見る視点も霊的な視点に変わっていくと思うのです。

『人生の悩みにスピリチュアルな観点からアドバイスするというものです。
日本ではそうしたものがほとんど見当たりません。』

ということですが、このご意見に対しては私はあまり必要と考えません。霊媒を通してもシルバーバーチが語るようになるのですから、地上人が応えてたら
スピリチュアルという味付け程度のものにしかならないのではないでしょか?
(勘違いしていただきたくないのですが、苦しんだり、悩んだりしている人に
たいしたとき、出来る限り霊的な視点でもってアドバイスをすることをすべて否定しているのではありませんよ。)出来る限り、霊界から語られた真理に各自で照らし合わせられるようにしたいですよね。そしてまだ真理に触れて間もない方にはそれが必要だよ、それがいちばんあなた自身を高めることになるよということを伝えてあげるべきだと思います。

『江原さんが本来はそうしたものを出してくれればよかったのですが、「スピリチュアル」な観点からのものとはなっていません。』

江原さんがそんなもの出したら大変です。スピリチュアリズムのために働きかけている高級霊の意図が台無しです。

一般向けとかスピリチュアリズムに触れた間もない人向けということがしばしば論議されますが、「まだよく知らないんだから○○でいいよ」とか「低いところでも精一杯やってるんだから」というのはいかがなものか?低いとか知らないとかいうレッテルを誰がはっているのでしょう?明らかに低級霊と思われるものからの通信とわかっていてそれを受け入れてでもいるのでしょうか?いえいえそんなはずはありません。ここへいらしている方はみなさん、シルバーバーチのすばらしさを知っていらっしゃるではありませんか。

もちろん、その真理に添えない自分を「低い・未熟だ」というのはわかりますよ。(私もそうですから)しかしですよ、いくら低かろうと、精一杯やってるのは上を目指すからなんですよ。低いところで精一杯でいたいなんてあるんでしょうか?
もし、「いいよ、いいよ、精一杯だろうからそんなにがんばらなくて。もう十分だよ。」なんて言われたら、ほっとはするかもしれないけど、もう「がんばろう!」って気にはならなくなってしまうんじゃないかな。もう向上しようって気にならなくなるか、自分はもう向上する見込みないよって言われたようで悲しくなると思うなあ、私なら。

『霊的知識を授かった者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増えるほど、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。
しかし、内在する霊的資質を顕現せしめるためには、いくつかの困難を覚悟し、それを挑戦目標と歓迎し克服して行かねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。ですからいかなる困難に出会っても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え撃つのです。』シルバーバーチの霊訓10−169

シルバーバーチがこう言ってるんです。
楽じゃないって言ってるんです。はじめから。「いいじゃない、これで」なんて調子の箇所は見たことありません。私がこういうのは、何も私が優れているわけでも、ほかの人との間に線を引こうとしているわけでもありません。私が知る限り、スピリチュアリズムとはこういうものなのだからです。

少しのつもりが長くなってしまった。えーい!長くなりついでだ。もう少し書かせてくださいね。

サードさんコメントにちょこっと。
サードさんこんにちは。

『しかしその江原氏でさえも、真実へ向かうために用意された布石の一つであるとは考えられないでしょうか。苦悩を味わうために生まれてきた、とシルバーバーチ霊は述べていたと私は覚えております。我々が地上に生を受けたのは、勉強するためです。苦悩こそが勉強そのものなのではないでしょうか。ならば迷いや間違いは大切なことなのではないでしょうか。真実へ向かうためには、回り道による苦悩を味わう必要があるのだと私は思うのです。江原氏も、そんな回り道の一つなのではないでしょうか。』

というサードさんのコメントに対してレッドマンさんがシルバーバーチを引用しています。

『私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心を持つのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは、混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおしゃっても、私には聞こえません。一方には間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。』
シルバーバーチの霊訓9―150

私もこのシルバーバーチの言葉はぴったりだと思います。シルバーバーチ流に言うならば「偽スピリチュアリストでも江原氏のおかげで何らかの救いになった人がいるのだからとか(サードさんのように)、それを信じて幸せと思っている人もいるのだからあえて江原氏の偽スピリチュアリスト性を指摘することは、混乱を巻き起こすからとかの理由でそのままにしておくべきであるとおっしゃっても、私には聞こえません。一方には江原氏のいいかげんな書物のおかげで混乱してしまった人、安易な人生をよしとしてしまった人、無知の牢獄に閉じ込められている人、偽りの幸福に貴重な地上人生を費やしてしまう人が無数にいるからです。」といったところでしょうか。

要するに、「不必要な苦悩」に過ぎないのです、江原氏は。
サードさんにとっても、ほかの人にとっても、必要な苦悩とは江原氏ごときの
ものではありません。利己的な思いが拭い去れない自分と向き合っていくとか、不治の病と闘うとか、自分の子供が障害児として生まれてくるとか・・・
こうしたときに霊的真理に出会い、目覚めていくというケースが多いのです。
サードさんはそうした苦悩の末シルバーバーチにあったわけではないのですよ。私もそうです。シルバーバーチに出会うのは必ずしも苦悩の中にいる人だけではありません。誰でもめぐり合えます。そして誰でも、苦悩の時にシルバーバーチの言葉と向き合い、心に刻み込むようになっていくのです。

シルバーバーチの言葉はその後にこう続いています。

『わずかばかりの立派そうに見えるところだけを抜き出して“ごらんなさい。まんざらでもないじゃありませんか”と言ってそれを全体の見本のように見せびらかすのは、公正とはいえません。』

江原氏に関しても同じです。わずかばかりの人の成長に貢献したかに思えるところを取り出して、彼の所業をまんざらでもないと認めるわけにはいかないのです。彼が私たちの成長の布石の見本であるなどとは決していえないでしょう。

不必要な苦悩・回り道と必要な苦悩・回り道は違うのです。
江原氏は、人の苦悩・回り道とならずとも、その能力を生かせば人の霊的なサポーターになれたはずなのです。それをせず、世俗受けをして一部の表面的な幸せを演出してしまった。それが彼の最大の罪でしょうね。

・・・と思いました。

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1430 基本書?
名前: もりふみ  投稿日: 2002年04月23日 (火) 12時23分10秒

 ペーパーバーチさん、皆さん、こんにちは。そしてアラムさん、こんにちは、ご無沙汰致しております。

 アラムさん、私はあなたが仰るところの「出版されることを希望している基本書」なるものはべつに出版されようがされまいがどちらでもいい、いや、仮に出版されても結局は「屋上屋を架す」(very bestのものであったとしても)以上の意義を有するには至らないとしか思えないので、むしろ不要だとさえ思います。シルバーバーチを「解説者が自分の思い込みで解釈してしまうと云々」とありますが、どこの誰がどんな解釈をしようが(仮にイエスや仏陀、マザー・テレサが解説書を書いたとしても、あるいは大江健三郎、鈴木ムネオ、星野仙一、紫式部などが解説しようが)、それぞれに色がつくことは避けられない(解釈・解説というコトの性格からして恣意的にならざるを得ないことは自明でしょう)ものです。ましてや「人生相談」的に編集したり「初心者に向けられて説かれたものと霊能者、ヒーラーに向けて説かれたもの、スピリチュアリズム・サークルのメンバーに向けて説かれたもの」を「別々に編集しなお」すことを誰がどういう基準で行なうのでしょう。それよりも何よりも、そのことにどんな意義があるだろうかと訝しく思わざるを得ません。

 アラムさん、スピリチュアリズムは学究の対象でもなければ磨くべきスキルを云々するものでもないと思います。ですから「〜編」も「〜用」もないと思います。「超ひも理論とビッグバン」、「絶対音感とは」、「テニス上達法」や「ワイド馬券の極意」などの解説書は大いにアリでしょうが、「シルバーバーチの霊訓」に関しては、それを読む者ひとりひとりのその時点での理性(敢えて「霊性」とは書きません、私の拙い「理性」では「霊性」の何たるかを把握しきれていませんから)こそが唯一無二の羅針盤だと思います。

 しかし、とは言ってもアラムさん的な学究的な掘り下げ方そのものも必要だとは思いますから、アラムさんのスタンスを私は決して否定するものではありません、ただ、以前のビッグ・ママさん、有希さんやレッドマンさんの書き込みにあった「寸鉄」の如き本質的なディベーティングに比してアラムさんの論が枝葉に偏っているような印象を持ったので斯様な書き込みをしただけです。

 ではまた。

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1429 PMAさんへ
名前: ハナリン  投稿日: 2002年04月23日 (火) 07時37分49秒

こんにちは。霊的真理を勉強したいそうですが、もちろん本を読むのは大事ですが、実践できる仲間に会えることもいいですね。

私も霊的治療家を目指しているのですが、そこの仲間たちで勉強会を開いて、シルバーバーチの本を読んだり、治療の中で気づいたことなどをシェアしています。シルバーバーチの教えは本を読んだり引用するだけじゃなく、だれでも実践できるのがすごいですね。

私が個人的におすすめするのが、「HPをつくること」もいいと思います。実際に会わなくても、何人かメールで話せますし、私もつくってから、何通もメールをいただいて、求めている人が多いのに気づきました。

でも、シルバーバーチが言うように、霊的探究者は孤独の道を歩むので、その中で真理を学ぶことも必要かもしれませんね・・・。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

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1428 基本書
名前: アラム  投稿日: 2002年04月22日 (月) 23時55分50秒

ペーパーバーチさん、皆さんこんにちは。

ビッグ・ママさん、ご意見ありがとうございます。

「基本的真理をまとめたものがあれば」という私の希望に対して「シルバーバーチの霊訓はそのものずばりではありませんか?」とのご意見ですが、私が思っているのはその「シルバーバーチの霊訓」を中心としたものです。

心の道場さんから『続スピリチュアリズム入門』が出ていまして、その中で「真理編」と「実践編」とに分けられていましたよね。

現在までに日本語訳で出されている「シルバーバーチの霊訓」はテーマ別に編集されていますが、基本的真理の部分と実践に関して説かれている部分とには分けられていません。

さらに一冊の中でスピリチュアリズムの初心者に向けられて説かれたものと霊能者、ヒーラーに向けて説かれたもの、スピリチュアリズム・サークルのメンバーに向けて説かれたものが一緒になっていたりします。

これを別々に編集しなおして、全ての人々に向けて説かれたもの、霊能者に向けて説かれたものといったように分けることは出来ないだろうか ということです。

最低限、真理編と実践編とには分けられているといいなあと思います。

「進化論」や「類魂」、「他の星のこと」といったことは基本書の中には必要ないでしょう。

ペーパーバーチさんはそのように分けると良くないと思われるでしょうか?


もう一つは一般向けのものとしては「人生相談」のようなものがあるでしょう。
人生の悩みにスピリチュアルな観点からアドバイスするというものです。
日本ではそうしたものがほとんど見当たりません。
江原さんが本来はそうしたものを出してくれればよかったのですが、「スピリチュアル」な観点からのものとはなっていません。

『続スピリチュアリズム入門』では一部分がそのようなものとなっていましたが、一冊そのものではありません。
「シルバーバーチの霊訓」の中でブラザー・ジョンという方がコラムと「人生相談」をまとめて「真理にラベルはない」というようなタイトルの本を出版されたように出ていましたが、日本語訳されていませんので、その内容は分かりません。

そして、「シルバーバーチの霊訓」の解説書です。
心の道場さんの『続スピリチュアリズム入門』しか見当たらないような状況です。

しかし、ここには大きな問題があって、解説者が自分の思い込みで解釈してしまうと「シルバーバーチの霊訓」からはとんでもなくかけ離れたものとなってしまいます。
ペーパーバーチさんが述べられているように桑原さんのは解説とはほど遠いものでした。
自分の思い込みを交えず解説したものがあるといいと思います。

以上のようなものが私が出版されることを希望している基本書です。

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1427 TMHさんへ
名前: レッドマン  投稿日: 2002年04月22日 (月) 07時52分02秒

TMHさん、こんにちは。レッドマンです。
少し遅くなりましたが、私への質問でした「他者とのかかわりの中におけるスピリチュアリズムの厳しい面について」そして、それに対してのTMHさんの「優しいだけのスピリチュアリズムがあってもいいのでは」について書かせて頂きます。

話をはじめる前に、基本的な考えを確認しておきたいと思います。
まず、「優しさ」も「厳しさ」も本来は、「愛」から発しているものということです。
TMHさんも言われるように、特に親子の関係の中で、親が子を育てる中で考える「優しさ」「厳しさ」は、どちらも「親の愛」から出ているもので、同じ「愛」の両極にあるもの。ということはあえて言うまでも無いことでしょう。

ここで最初に言いたいことは、同じものの両極にあるものという点です。「優しさ」は、優しさだけで存在できるものではありません。「厳しさ」も厳しさだけで存在できるものではありません。両方無ければ
存在できないものです。そうした意味から、どんな場合であっても「優しさ」と「厳しさ」は、一体不可分のもの、ワンセットとして考えなけばならないと思います。

さて、私もTMHさんと同じように「特に自分自身に対して」は、厳しさが重要視されて良いと考えます。そして、たぶんこれも同じかも知れませんが、「自分自身に厳しく、周りの人には寛大であれ」という姿勢が大切と考えています。自分自身の実践がどの程度できているかは、別としてもこうした目標を目指すべきと考えています。
それは、  1.自分に優しく、相手に厳しい。
         2.自分に優しく、相手にも優しい。
           3.自分に厳しく、相手にも厳しい。
             4.自分に厳しく、相手に優しい。  ・・・と考えられる中で、
良きスピリチュアリストとして目指すべきは、当然、4と思うからです。しかしこの4は、4つの中で一番
努力のいる、ある面で苦しい、実現の難しい内容です。でもこれが、「一番理想的なのだろう」と自然に自覚しています。

それでは、本題の、「相手との関係において」ということですが、
私は、どんな場合であっても相手の内容や立場、その場の様子や背景によって、優しい言葉をかけた方が良いのか、あえて厳しい言葉をかけた方が良いのか、それとも言葉としては、なにも言わずにいた方が良いのか、それともただ祈るだけの方が良いのか考えます。(もちろん私自身の能力と経験の範囲内でのことですし、時には意とすることが実践できないことも有ります。)
当初のりゅうじんさんの言葉が、もし「相手の内容も全く分からない見ず知らずの人に対してのもの」という特定の設定で有れば、たぶん私も「優しい言葉をかけた方が・・・」という気持ちになると思います。(私はりゅうじんさんの言葉を漠然と受取ってしまいましたので)
しかし、もし「相手の内容もよく知っていて、その様子や背景もはっきりと分かる」場合には、優しく接する場合と厳しく接する場合のどちらも考えられます。それはどちらも相手を思いやる心から出る「愛」の表現だからです。
TMHさんは、親と子の関係や大人が子供に対する関係に限って「厳しさ」があってもいいと言われていますが、どうしてそうしたものだけに限定するのでしょうか。そこが私には、分かりません。
確かに親子関係の中では、誰もが「優しさ」と「厳しさ」の必要性を痛感させられるので、実感として分かりやすいと言えます。どんな親でも、優しさだけ、または厳しさだけでは人を育てられないと分かるからです。子供を立派な人間に育てたいという「愛」から、使えるものは全て、「優しさ」も「厳しさ」も
使います。しかし、この相手を思いやる「愛」の表現の一つである、「厳しさ」がどうして親子関係や大人が子供に対する関係だけで終わりなのでしょうか。
確かに大人になって社会的にはそれぞれ人権を保障された一人一人になります。また年齢差はあっても社会的な大人同士という関係になります。
しかし私は、ある人が、他の人を思いやる純粋な「愛」をある相手に抱いた時、それは「親の愛」と同じであると思います。(これは恋愛感情の愛とは次元の違う話です)

純粋な「愛」で真剣に相手のことを思う場合、相手がその苦しみから本当の意味で解放されるために何がベストか、肉親と同じようにまた、肉親以上に真剣に考えるはずです。
しかも、もし相手の内容を自分がよく知っていて、その様子や背景もよく分かる中で、ここで相手に与えるべきものは、「厳しさ」しかない。と直感し、確信していながら、「優しさ」しか与えることができなかったとしたら、それは、相手を本当の意味で愛しているとは言えないのではないでしょうか。
また、苦しんでいる相手自身が自分で「自分自身の甘えやわがままが一番の原因」と自覚している場合が有ります。「自分自身にカツを入れなければダメだ」と知っている場合もあります。こんな場合には「優しさ」があだになる事もあると思います。

TMHさんは、それでも「優しさだけ」が良いのでしょうか。・・・もしもそうだとしたらあなたの「相手を思いやる心」の中に利己的なものは無いでしょうか。もしかして「自分が良く思われたい」というような心は無いでしょうか。
私は、純粋な利他的「愛」から発していれば、「優しさ」も「厳しさ」も本物であって、どちらも相手を
感動させるほどの行為になり得ると思います。なぜなら本物の純粋な「愛」は魂に響くからです。
切実な思いで、純粋に相手を思う「愛」には、「霊的な世界」がすぐに反応します。同じ情熱に燃える
霊達が、私達には出来ない協力をしてくれます。そしてそれも相手を最も良い解決の方向へ向かわせる大きな力になるでしょう。
大切なのは親心と同じ、純粋な利他的「愛」から出ているかどうかだと思います。

次に、TMHさんの「優しいだけのスピリチュアリズムがあってもいいのでは」についてですが、ここまでの書き込みでお分かりのように、私はこの意見には反対です。
そして、このTMHさんの意見や当初のりゅうじんさんの言葉の中に私は、「ニューエイジ」のような雰囲気を感じます。
私が、ニューエイジから受ける印象をランダムに挙げれば、
どことなくかっこいい。包み込んでくれる優しさがある。知的に高い。喜びを与えてくれる。泥臭さがなく洗練されている。少しお金がかかる。苦労というものを知らずに生きられそうな気がする。ファッソナブルでハイセンス。・・・と言ったものが出て来ます。
私は、ニューエイジも私達人間の霊性向上のための大きな動きの一つ・働きかけの一つだと思っています。しかし内容的には、霊的レベルというよりは、まだ精神レベルにとどまっているように思います。私は、「優しさ」や「喜び」だけからではなく、「厳しさ」や「苦しみ」からも多くを学べると思います。

最後に、TMHさんに「具体的な実例」をと言われていましたが、「たま」さんの書き込みの体験の方が、切実で奥深いと思いましたので、また特に実例がなくても分かって頂けると思いますので省略し
ました。

これが、私の率直な意見です。

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1426 よろしく
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月22日 (月) 02時28分51秒

はじめまして、PMAさん。
ようこそ、いらっしゃいました。(あ、ここはペーパーバーチさんの掲示板だった!(笑))
こちらのサイトの主より先に僭越とは思いますがちょこっとアドバイスを・・・

まずは、心の道場さんのビデオやニューズレター、スピリチュアリズム入門、続スピリチュアリズム入門をお読みになることをお勧めします。心の道場さんの内容は厳しすぎるとおっしゃる方もおありかとお思いますが、内容は確かに正論ですので、玉砕覚悟で(?)正面から取り組んでください。得る物は非常に多いと思います。ほかにもスピリチュアリズム関連の書物はあるかと思いますが、シルバーバーチを深く理解するためにも、やはりここから行きましょう!はじめに中途半端なものに触れるより、やはり本筋をガーンと出してくれるものがいいですよね。勉強会や座談会もいいですが、まず、これらの本をお読みになるといいと思います。その後で、次にどうしたらいいのかわかってくるのではないかしら?
こちらの掲示板への書き込みは、良質なコメントが多く、私は大変参考にさせていただいています。霊的な目を養いながら読んでみてくださいね。

さて、皆様、あらためてこんにちは。
いつも真摯なご意見がたくさん書かれて、大変うれしく拝見させていただいております。そこで今日も少し・・・

スピリチュアリズムとかスピリチュアリストというとなんだか高尚な「型」が出来て、その「型」から一般の人との間に線引きを感じる方がでてくるのでしょうね。これも地上ならではのことですよね。霊界に行ってしまえばそんなことは起こらないでしょうから。

『「スピリチュアリズムは一部の人のものだ」とは、この掲示板をはじめて何も知らずに見た人が、そういう感想を持つんじゃないかなと思ったのです。霊的なこと信じてる人ってやっぱり近づきがたいと。』

とりゅうじんさんが書かれていました。そう思う人もきっといらっしゃるでしょうね。でも、逆に、ここまでまともに(本当にこの世的に見たらうそだろうと思われるかも知れないくらい真剣に)みなさんが書いていらっしゃるからこそ、あらためてこの掲示板に目を向けていらっしゃる方も多いのではと思うのです。決してスピリチュアリズムもこの掲示板もマニアックなものでは在りませんが、シルバーバーチ等高級霊の意図や霊的真理はいつも明確にし、決して人間側の事情で薄めても、歪めてもならないと思うわけです。

・・・という意見を出していく、そして、りゅうじんさんのような意見もでてくる、その中で見ていらっしゃる方は、ご自分の知性と霊性を総動員して(ちょっとおおげさですか?)考えると思うのです。一人一人みな持って生まれた内容も、背後の霊も違いますから、どのように受け止められるかまではわかりません。それは受け止める方に任せましょう。

アラムさんが書かれていた、

『「シルバーバーチの霊訓」は実用的と言われるかもしれませんが、「読んでも内容が頭に残らない」、「難しくて理解できない」と思う人もいます。
基本的な真理だけを取り出したものも必要とされるのです。
まがいものの全くない基本的真理だけをまとめたものがあればよいのですが、それがみつからないのであれば、まがいものが多い中に真理が散りばめられたものを探していくしかないとも言えます。
少しづつまがいものの少ないものを求めて、純粋な本物にめぐり合うことになる人もいるでしょう。』

というご意見に少しコメントを。「読んでも内容が頭に残らない」、「難しくて理解できない」ということですが、確かに、近藤先生の名訳で、すばらしく難しい漢字や熟語が出てきたりして(でも一時代昔の人たちならきっとわけなく読み、感動したんでしょうね。)、難しいかもしれませんが、よーく読めば必ずわかるところがあるはずなんです。何せ基本的真理ですから。読み物として読んだら残らないと思いますよ。でも、これは単に読み物として読むものでは在りません。心の目で読むというか感じるというか・・・抽象的な言い方ですがそういうものでしょう。決して知的とはいえない普通のおばさんのような方でも(私?)、難しいことはわからないけど、一番大事なことはわかるといってシルバーバーチを何度も何度も読み返していらっしゃいます。

『まがいものの全くない基本的真理だけをまとめたものがあればよいのですが』

ということですが、シルバーバーチはそのものずばりでは在りませんか?確かにみつけていらっしゃらない方には仕方ないかもしれませんが、少なくとも、まがい物と本物の区別がつく人間は、決してそれをよしとはしてはならないでしょう。そういう意味で、ここに集う方々の多くはシルバーバーチという本物を知っていらっしゃるわけですから、まがい物は徹底排除しましょうくらい言ってもいいのではないでしょうか?江原さんはあきらかにまがい物です。もっといえば、本物を明らかにするだけの能力までもちあわせていたのですから、それを曲げて使っているのはいかがなものか?ほんとうに、ペーパーバーチさんがおっしゃるように、こうした一連の書き込みを江原さんが読んでくれたらどんなにいいでしょうね。霊能者にはそれなりの役割があるはずなのにね。
何が悲しいって、能力あるもの、本来霊界の意図をいちばんよくわかり受け止めて、道具となってくれるはずのものが、自己の利益にはしって本筋を逸脱していく様を見ることほど悲しいことはないでしょう、霊界人の立場になってみれば・・・そう思いませんか?

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1425 現実
名前: キートン  投稿日: 2002年04月22日 (月) 01時16分05秒

江原氏についての議論はおおよそ終息のようですし
同じ方向性の見解が早くから示されていたので
拝見するのみで投稿するつもりはありませんでしたが
自身の日常での守備範囲で、江原氏がらみの質問を受けることも多く
実際に今日もそうした事があり
問題に現実に直面し、ちょっと出させて頂くことにしました。

江原氏ばかりではありませんが、こういったことはとても厄介です。
どんなに言葉を選んでも、見解の相違を避けて通れません。
そうした時の拒否反応が御当人にとっての試練になりますが
江原氏をきっかけにされた方の場合
江原氏への批判を自分の来し方や人格への否定と受け止めてしまったり
また、すでにスピリチュアリズムにふれている方の場合
日時計主義(良きことのみ見る、良きことのみ語る)的な人の良さから
厳しい批判的見解は心の曇りになると忌み嫌うといったような
甚だ大雑把ですが、そんな傾向も感じています。

しかし、あるがままをお伝えするしかありません。
その方のために対応してゆくこと自体はやぶさかでないにしても
無責任に巻き散らかされた恣意的な思想の影響にある方々に
草の根でどこまでフォローしてゆけるかと思うと
生きた真理が届けられている時代に
真理と人との間にライブタイムで夾雑物を拵えていることは
単なる出しゃばりで余計なことであり
「寛容」によって養護する価値を感じません。
大鉈をふるう立場ではないし、原則そうしたことは慎みたいですが
一歩間違えば無垢な人の重い足枷となってしまう事態を看過できないし
江原氏的なありようを容認することで
間接的にでも微量なりとも当事者の増長に加担してしまうことも
自己の責任の内において断じてするわけにいかないし
ゆえに問われれば、明確に価値判断を表示せざるをえません。
当事者にとっても禍根をのこすことになるでしょう。
(「迷える霊との対話」エディー女史、ブラバッキー女史のケース)

私の投稿は既に終息にある議論への意思表示を目的としたものではなく
これから本格的にひも解こうとしている方々への呼ばわりです。

いつでも誰でも、多かれ少なかれ新しいものを掴もうとするなら
思想的葛藤をへて捨て去らねばならないものです。
「破邪は顕正に先立つもの」です。
「信じたいから信じる」ではいけないと思います。冷静でないと。
ぜひぜひ原典にふれて下さい。
まっさらな気持ちで良心と理性のみで当たってほしいと思います。
体系的に整理して理解しようとするのは後で良いと私は考えます。
そして、シルバーバーチはもちろんですが
私個人として、さらにお薦めしておきたいものを絞って絞って2つ。

・「霊訓」第32節(心の道場 自費出版による復刻版の上下2巻)
↑できれば全部通読された方が良いですが
色んな意味でやや難解っと感じられる向きもあり、とりあえずココは。

・「迷える霊との対話」(ハート出版)
↑深遠な教訓の言葉といったものではありませんが
生々しく厳しい霊的現実がここにあります。(ちょっと高いですが)

人によってお薦めは一様ではないでしょうけれど
これらは長い旅に出発するにあたって
時たま原点に回帰するときの大事なポイントになるかと思い
スタートしたらできるだけ早い時期に読んで頂きたいものとして
日頃から縁あった方に御紹介させて頂いています。


どなたかのお役に立てば幸いに思います。

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1424 はじめまして
名前: PMA  投稿日: 2002年04月21日 (日) 20時37分18秒

 はじめまして、PMAと申します。普段からスピリチュアリズムに関心があり、シルバーバーチの霊訓ほどレベルの高いものはないと感じておりました。
友人にも一人、心霊に関心のある人がいてたまに深く話し合ったりするのですが、もう少し心霊について深く語り合い、支えあう仲間がいればと思っています(どっかの宗教団体の勧誘ではないのでご安心を(笑))。勉強会や座談会もしたいのですがどうしたらいいでしょうか?量よりも質を求めています。私もまだまだ霊格は未熟ですので一緒に学んでいける仲間を探しています。私は現在学生で群馬にいます。貴会のアドバイスをいただければ嬉しく思います。宜しくお願い致します。

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1423 TMHさんへ
名前: たま  投稿日: 2002年04月21日 (日) 18時00分28秒

↓タイトル直せません。ごめんなさい。

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1422 TMHxy^
名前: たま  投稿日: 2002年04月21日 (日) 17時55分48秒

TMH さんへ

こんにちは。
いえいえ、はじめましてではありませんでした。いつぞやは別の場で私の下手
な日本語の問題点を懇切丁寧に指摘していただいて、いまだに感謝しています
(^^)。今回はまた、いつまでも表現の下手な私の発言を、丁寧に読みまたレスを
書いてくださり、ありがとうございます。

> 反論を書くことでその問題点が炙り出されたらいいなと思ったからです。

批判覚悟とおっしゃっていましたから、私にも TMH さんのその意図は分かって
いたつもりです。また、私も同じ意図がありました。

> 僕が求めたスピリチュアリズムにおいて他人との関係性の中に厳しさが必要かと
> いう疑問の答えにはなっていないようです。

なるほど。私も、 ROM の中にはいろいろな立場の方がおいでですからそれぞれ
の立場や知識や経験からあそこまで言えばそれぞれにお分かりいただけるかと
乱暴にも思っていましたが、たしかに TMH さんだけを向いた言い方ではなかっ
たと思います。すみませんでした。
では今回は TMH さんに向けて書きます。

「厳しくする相手」について、誤解なさっているように思います。

> ボランティアが自分を厳しく律して向上すれば解決する問題であり、

とは私は思いません。そこの違いが起因して被災者に厳しくするというハナシに
なっていないと思われたのかもしれませんが、私が挙げた例で言えば、時に厳し
く対さねばならない相手は「同じく上を目指すすべての人」のうちの「いつまで
も怠けている人」「自分は上を向いているつもりで横の人の足を知ってか知らず
か引っ張っている人」さらにはペーパーバーチさんが江原本の姿勢に対しておっ
しゃるように「上を向いているフリをして己のために他者を利用しようとしてい
る人」に対して、ということになるのではないでしょうか。
他の方々が江原本に端を発して「他者の成長の躓き石になるべからず」という意
味のことをこと挙げ「そのためには厳しくあらねばならない場合がある」とおっ
しゃっているのは、そういう相手、そういう意味であると私は解釈していますが。
「スピリチュアリストとして」等という言葉を使わずに書こうとしたため分かり
にくかったかもしれません。再度すみません。

はい、もっと具体的に、ですね。では引き続きあの震災を例にしますね。なにし
ろ多数多種類の苦しむ人々のことですし、内容をよくご存知の方も多いと思うの
で。(注:以下、私にはどなたのことも非難する意図は全然ないとお分かりいた
だいた上でお読みください)。

まず、「頑張って」を言って被災者の心を傷つけたのは、「ボランティア」の人
たちだけではありません。それどころか少なくとも彼らは「俺にはこれしかして
あげられることがない」と考えた上で自分の身体と時間と労働を提供しようとし
た素晴らしい善意の人たちですから、もし彼らから「頑張って」と言われて傷つ
いたとしても、遠方から『被災者を心配して』電話をかけ「何もできないけど頑
張ってね」と言った人々の傷つけ方とは、雲泥の差があります。電話もしてこな
くてそのまま疎遠になった人の方が傷つけてこなかっただけよっぽどマシだ、と
思っていた被災者が多々いたことは読まれたでしょうか。

被災して一ヶ月後に早くも自力で遠く離れた土地に移り、新しい生活を立て直そ
うとしている人がいました。震災から半年ほど経った時、その土地の人々や有志
が集まりその人を励まそうと某民宿で飲み会を開きました。通りかかった人など
も気軽に参加し、とてもいい雰囲気です。いろいろな人と話し飲み笑い、その人
も周りの人々も心の緒が少し緩くなっていた時、たまたま、日ごろ赤い電車を運
転している無邪気な気のいいおじさんがその人の隣に来ていました。話すうちに
おじさんはポロッと言いました「俺、○赤に50万寄付したんだよ」。
面と向かって言われたその人は、誇らしげなおじさんの顔を見ながらどう答えて
いいか三秒ほど迷った末、「こちらに移ってきてから、私はいかにたくさんの人
が職場で学校で町内会でと何重にも義捐金を出され家計の負担になっているかを
知っていますから、会う人ごとに神戸を代表しているつもりでお礼を言い続けて
います。でももうすぐ半年になろうとしていますが、実際に私の手には一銭も届
いていません。今あなたにそう言われて、私はどう答えればいいんですか。他人
よりも多い額だから、もっとお礼を言えばいいんですか。ごめんなさい。私には
もう言えません」といいながら泣いてしまいました。静かな泣き方でした。

あるいは、一年半後の被災地の様子を描いてみてください。その頃の一部「ボラ
ンティア」の方々の頭痛の種の一つに、「すでに世間の大半は被災者状況に興味
を失っているにもかかわらず、なんとか苦労して種々物資を非被災者から援助し
てもらい、それを仮設住宅で無料配布する」という奉仕活動の際に当たっての、
被災者たちの態度がありました。当時こう嘆いていた人と話したことがあります。
「石鹸とかの腐らないものならまだ分かるけど、この暑いのに、とにかく野菜だ
ろうがパンだろうが『貰えるもんは貰ろとかんと』とばかりにめいっぱい取って
行く人がいて……かと思えば、そういう時に取りに来ない人っていうのは、こち
らから個別に届けても遠慮するし……そういう人にこそ届けたいし届いてほしい
んだけど……それに仮設の中の世界、今大変だよ、村八分とかさ、平気であるん
だねぇ、今の時代でも……だからこっちにも当たってしまうのかなぁ、言われる
んだよね、なんで隣の仮設には行ってウチの方には来ないんだとかさ…」以下延
々続く。
「今の私」なら、具体的にその人がどうすればいいか、よほど相手のことを知ら
なければ何も言わないでしょう。その人の感じた「地獄絵図」の中で揉まれて苦
しんで学ぶことが、そのときのその人にとって大切なことなのですから。私はそ
の課題を邪魔すべきでありませんから。
しかし「その時の私」は、自分のストレスも手伝って、その人に『アドバイス』
をしてしまいました。そもそもなぜその人が「仮設に」行くのか、しかもなぜ
「無料供給してもらったもの」を持って行って「無料配布」しようといているの
か。その人の中にあるそれらの行動の根っこにあるものが見えてしまい、それを
棚上げしたまま愚痴をこぼすのを聞いていることが、とてつもなく私のストレス
になったんです。今よりさらに未熟でした。どんな『アドバイス』だったかはご
想像にお任せします(-_-;)。

全然違うように見えるかもしれませんが、これらに共通するキーワードがありま
す。「一見愛に見えるもの」です。「被災者を見る視点」が苦しんでいる人に対
するものではなかったということです。自分の立つ位置を見失った人々に、被災
者は傷つき苦しまされ続けたのだと思います。

TMH さんもおっしゃっている「相手の痛みに心を沿わせることができる想像力」
というのは、自分が苦しまずしては決して手に入らないものですよね。ところが、
じゃあ苦しんだからといって手に入るものでもない。そこに本人の意思がなけれ
ば、いくら苦しんでも苦しみ損ということもあると思います。
被災後七年経った被災者のすべてが、現在被災前よりも霊的に成長しているとは、
私には思えません。その苦しみに負け、「可哀想な人」として扱われることに慣
らされてしまった人がどれだけいるでしょう。そしてそれは被災者だけの責任で
しょうか。私などが悲しく思うことの比でない多くの愛が泣いているのを感じま
す。それを思えば、ペーパーバーチさん言うところの「成長のための最良の地図」
を手に持っていながらグズグズ言い怠けている同輩の姿に厳しい態度をとるのは、
(彼らの万分の一ではあっても)それも愛なのだと私は信じています。

> ということは他者との関係においては優しいだけのスピリチュアリズムがあって
> もいいと考えてもいいと理解してよろしいでしょうか。僕としては厳しいスピリ
> チュアリズムは自分自身かせめて親子の間、もしくは大人が子供に対したときの
> みでいい、と考えています。説諭したつもりでも、相手が爪を隠した鷹であるか
> もしれませんしね。

私がこれについて言わせていただいていいなら…。
TMH さんが自らを「Bの人」と位置づけていらしたことに私がつい苦笑してしま
ったのは、優しさ厳しさの定義や他者との線の引き方について TMH さんのこう
いう感覚が透いて見えた気がしたからです。
だって…

> 有希さんの意見をよくよく読むと、こんな人も C の人と言えるのでしょうか。

はい、言えますとも。
というより、なぜ自ら「Bの人」などと腰が引けた自己申告をしてしまわれるの
でしょう。なぜ「自分自身かせめて親子」「大人が子供に対して」なら厳しくて
もいいと感じられるのでしょう。なぜいつまでも「余計なもの」に愛着すら感じ
られるのでしょう。なぜ「余計なこと」を全て捨て去れた世界を「どんなに息苦
しいだろう」と思われるのでしょう。すぐしなくていつならできると思われるの
でしょう。TMH さんの中でそれらの根っこにあるものはなんなのでしょう。
その及び腰が他者へのおっとり刀の所以となり、「可哀想な人」を真摯に慰める
行為は、相手の足を踏む行為になっていないでしょうか。
どうぞ TMH さんが N さんのことについてもっともっと苦しんで、もっともっと
多くを学ばれ、もっともっと N さんのお役目に感謝なさる日が来ることを、心
から祈っております。

真剣に言葉は選んだつもりですが、僭越な内容を書いたため、この世的には酷い
言い草が並んでしまいました。ごめんなさい。真意を理解していただけると信じ
ながら……

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1421 たまさんへ
名前: TMH  投稿日: 2002年04月21日 (日) 02時55分20秒

たまさん、はじめまして(かな?)。
確か以前米国同時多発テロについて鋭い分析を投稿されていた方ですよね。

>毎度のことながら、言葉の使い方の下手な私です、不快に感じられたら謝罪します。

いえいえとんでもない、明晰な論旨の展開には感心させられました。
今回僕の未熟な意見にお付き合いいただいてありがとうございます。
ただ若干誤解されている点もございますのでもうしばらくおつきあいください。

まずはじめにお断りしておきたいのは、有希さんやビッグママさん、レッドマンさん、たまさん、そしてペーパーバーチさんたち、いわゆるCの道を目指していると自認していらっしゃる方々が実際に選民意識を持っていらっしゃるという印象は、僕には全くございませんのでその点ご了承ください。むしろこれらの方々は僕の中の現代人の中ではもっとも尊敬に値すると本気で思っております。(そうでなければ苦労して書いた原稿を預けたりはできません。)
その上で僕が反論めいたものを書いたのは、それらの方々の意識の中にある、なしにかかわらず(恐らくないでしょうが)、彼らの意見を読んだ人々の中に誤解を生じるのではないかと危惧する点があったと感じられたからであり、反論を書くことでその問題点が炙り出されたらいいなと思ったからです。
その点お含みおきの上お聞きください。

たまさんwrote;
>他の方はともかく、TMH さんが「慰めるだけでも動機は愛なのだから十分だ」と満足し、
>慰められた人がそれによって泣いているかもしれない可能性を感じたくないと思われるなら、
>これをおっしゃってもいいかもしれません。
>愛は愛であり、質は誰にも問われることではないと思われるなら、
>これをおっしゃってもいいかもしれません。

僕が自分のことをBの人と言った意味を、Cの人=スピリチュアリズムを手本として努力している人、Bの人=スピリチュアリズムをいいとは思いながらも努力をする必要まで感じずに現状に自己満足している人と捉えられているようですが、少し違います。僕が有希さんのご意見を把握しきれずに書いたあたりに原因がありそうで恐縮ですが、僕が書いた意味は、Cの人=シルバーバーチにの全てを受け入れ人生の全ての取捨選択の場面においてそれのみを指針としている人、Bの人=現在の自分を少しでも成長させたいと日々努力しており、その人が価値を感じている指針の中の一つにスピリチュアリズムがあるが、一方自分と言う人間を冷静に見つめたときにシルバーバーチの世界とはあまりにかけ離れた矛盾だらけ、欲望だらけの自分がおり、わかってはいるけどそんな自分の「余計な部分」を捨てきれず、一足飛びの理想のスピリチュアリストになるのは無理だから足元を固めながらやっていこうよ、というタイプの人だと言いたかったのです。有希さんの意見をよくよく読むと、こんな人もCの人と言えるのでしょうか。

僕の中ではこの「余計な部分」に愛着があって、厄介なんですよね。それも年とともに(今年で41歳になりますが)、すなわち人生経験が増えるとともに、この「余計な部分」が増えていくようで困ったもんです。

具体例をあげた方がわかりやすいので、Nさんの話をしましょう。
Nさんは僕が研修医の時に出会った末期がん患者の若い女性で、頭頚部の癌(具体的な部位を言うと守秘義務に触れるかも知れませんので伏せさせてください)の早期に未熟な医師が見逃したために手遅れとなり、僕が最初に出会ったときは顔の半分がお岩さんのように腫れあがっていました。そして医師のミスを恨みに思う気持ちが強いために、自費出版までして現代の医療を糾弾されていました。つまり医師にとって扱いにくい方だったわけです。そんなNさんの主治医になった僕は同世代のNさんをはっきりいって恐れており、腫れ物を触るように接していたと記憶しています。
そんなある日仲のよかった看護婦から、
「NさんTMHさん(当時の僕。当然仮名。)のことをお好きみたいですよ。愛人でもいいからしてくれないかなあとおっしゃってましたよ。」
と聞きました。僕は「愛人」と言う響きに切ないなあとは思いつつも、当時付き合っていた女性(今の嫁さん)もおり、青臭い正義感からNさんとは距離感を詰めることはありませんでした。
Nさんはそれから半年ぐらいして亡くなられました。享年23歳ぐらいだったと思います。そのころ僕はスピリチュアリズムにあまり関心がありませんでしたが、彼女の死に際して不思議な事が起こり、それが肉体以外のスピリットの存在を確信させる証拠の一つになり、今のようにスピリチュアリズムを信じる(99%^^;)に至ったわけですが、そのことは本題から外れますのでまた機会があったら書かせて頂きたいと思います。
以上がNさんの話です。今でも時々彼女のことを思い出すんですが、この年になると変な話ですが、あの時Nさんとデートでもしてあげればよかったなあなんて思うんですよ。だって「愛人」ですよ「愛人」。自分はこんな顔だから彼女になることなんてできないという彼女の悲しみ、切なさ、そしてこのまま恋人もできないまま死んで行くのかと言う絶望感…。それに当時彼女は僕の私生活など知りようもなかったはずですから、僕にステディがいたことは知らなかったはずです。だからこそそんな彼女の想いが「愛人でもいいから」といううら若き娘に似つかわしくない言葉に凝縮されているように思えるんです。もちろん本当の恋人でもない僕がそんなことするのは彼女に失礼だろうし、たまさんがおっしゃるように結果的に彼女を傷つけていたかもしれません。もっと言うなら、スピリチュアリズム的に癌という困難は彼女の魂の成長のためであり、僕が人間的レベルで彼女を慰めても意味のあることではなく、かえって余計だとわかっています。わかっちゃいるけど彼女のあの時の気持ちを考えると、もっと何かしてあげていればどれだけ彼女は慰められただろうと思うんです。そしてあの時の自分は若かったなと。

「余計なこと」とはこういうことです。そして世の中全ての人が「余計なこと」を全て捨て去れば、どんなに理想の世界に近づくだろうと思う自分と、そんな世界はどんなに息苦しいだろうと思う自分が日々せめぎ合っているのです。

だから日々の診療の中で何十人と病に苦しむ人たちと接しますが、未だスピリチュアリズムを前面に押し出した対応はできません。しかし患者の苦しむ手を取って真摯に祈りながらさすってあげる、ということなら躊躇なくできます。そのあたりが「余計なもの」を捨てきれない今の僕にとって「スピリチュアリズム」の殻に閉じこもらずに世間と渡り合っていく中での精一杯のラインなんです。

>でも向上を志しながらも世間と乖離しないためには必要なことだと思っています。

とはそういう意味をこめて書いたのです。
わかりやすく言い直せば、『今の段階では「余計なもの」を捨てきれないが、世間と乖離しないような意識を維持しながら、その中で精一杯の向上を目指していきたい。』と言いたかったんですが、言葉足らずで申し訳ありませんでした。

たまさんwrote;
>しかし、その先にある現実に思いを至さずにそれだけで満足してしまうことを「自己満足なのでは?」と自分で疑う人々もいて、
>その人々はさらに上を目指す=自分の愛の質を高めようとするのだと私は思います。そのために彼らは自分の愛の視野を広げ、
>その行動の結果までを現実として真摯に謙虚に見つめ己のとるべき道を探していこうと努力するのだと思うんです。
>そして、これは「スピリチュアリストだから云々」とか「シルバーバーチが言っている云々」とか「ボランティアのあり方云々」とか
>「善意の表現方法云々」とか、そういうラベルには一切関係ないことだと思います。
>ただただシンプルに、他者の痛みを感じる人々は感じ、上を目指す人々は目指さずにおれないものなのだと思うんです。
>単純に「人の道」なのだと思うんです。
>そしてその「向上心」をこそ貴重な大切なものだと考えているのは、スピリチュアリストだけではないのではないでしょうか。
>もちろん、そのために選ぶ行動の道は人それぞれ、その人たちの数だけ具体的な行動の顕れ方は違うと思いますが。

前述の理由により、たまさんのこのご意見まったくおっしゃるとおりだと思います。
お示しいただいた例について付け加えるならば、被災後の人々は過度のストレスと喪失感によりPTSD、いわゆる心的外傷後ストレス症候群に陥っている人が多いと考えられます。中でも特にストレスに弱い人は「誘発うつ病」になっていた例もあるでしょう。ご存知と思いますがうつ病にとっての禁忌(してはいけないこと)の第一は「励ますこと」です。励まされたうつ病患者はヘタすると自殺しかねません。そんな人に対して「頑張って」と言うほど酷なことはありません。というわけで、災害地のボランティアを志す以上身につけなければならない知識が欠落していた結果の悲劇と言え、そういう意味からもどんな人間にとっても向上心は大事だということでしょうね。

ところでお示しいただいた例は非常にわかりやすかったのですが、やはり自分の向上心についての自分に対する厳しさに終始しており、僕が求めたスピリチュアリズムにおいて他人との関係性の中に厳しさが必要かという疑問の答えにはなっていないようです。なぜならたまさんが提起した問題は、ボランティアが自分を厳しく律して向上すれば解決する問題であり、被災者に厳しくする云々という話ではないですよね。ということは他者との関係においては優しいだけのスピリチュアリズムがあってもいいと考えてもいいと理解してよろしいでしょうか。僕としては厳しいスピリチュアリズムは自分自身かせめて親子の間、もしくは大人が子供に対したときのみでいい、と考えています。説諭したつもりでも、相手が爪を隠した鷹であるかもしれませんしね。

>でも、本当に、今まで誰一人 TMH さんが慰めた人々で傷ついた人はいなかったのでしょうか。

これは耳が痛い限りです。こちらが親切心でしたことに傷ついた人も中にはいるかもしれませんね。こういう話を聞いて僕が大事だと思うのは「思いやり」、突き詰めれば「想像力」ですね。相手の痛みに心を沿わせることができる想像力。結局は人生経験が大きくものをいうのかもしれません。相手の痛みに心を沿わせることができなかった例がないとは言い切れない自分がいると言うのが正直なところです。もっともっと人間的に向上しなければ、とあらためて思います。

さてROMの方々の中にも「余計なもの」を捨てきれない人が大勢いると思います。でもそんな人たちにも自分のできる範囲で、気軽にスピリチュアリズムと向き合って欲しいんです。質が低くてもそのレベルで精一杯なら「質の高いものを目指さなければスピリチュアリズムとは言えません」などと撥ね付けなくてもいいじゃないか、なんてね。有希さんのご意見もよく読むと僕の言っていることと矛盾しないということはわかっているんですが、色んな読者のことが気になってあんな投稿をした次第です。有希さん、レッドマンさん、ビッグママさん、非難されたように感じられるのは本意ではありません。そうだとしたらごめんなさい。

ビッグママさん
つたない意見に対し真剣にお答えくださってありがとうございます。
詳しくレスしているととんでもなく長くなりそうですので、いつかまた機会を改めてお返事させていただきたいと思います。
ただ結論だけ申し上げておきますと、僕の意見もビッグママさんとまったく同じだということです。

hiromi☆さんはじめまして。(星もいるんですよね。)
意見を読んでくださってありがとうございます。
これからも気軽に意見交換できるのを楽しみにしております。

こんな発展途上の僕ですが、みなさま引き続きスピリチュアリストの末席においてくださいませ。m(_ _)m

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1419 RE.1410 お答え有難うございます。
名前: ポカQ  投稿日: 2002年04月21日 (日) 00時51分25秒

こんにちは、ポカQです。
ペーパーバーチさん、答えて下さって有難うございます。

>(過去にもいろいろ試行錯誤した上での確信犯なので。)
私はホームページを運営したことが無く、ペーパーバーチさんが過去にどのような体験をしたかというのがあまり理解できなかったので、去年の九月頃までの過去ログを見て参考にさせていただきました。
なかなか大変なことなのですね。
私は今回のやり取りの上っ面だけを見ていたのかもしれません。

「確信犯なので」ということは、自分の行動によって起こる出来事に対しての覚悟ができている、と私は推測しました。(違ってたらすみません)
覚悟がおありでしたら、私はこのようなことに関してはもう何も言いません。
自分の信念のままにお進み下さい。

最後にひとことだけ。
ペーパーバーチさんの今回のようなやり取りは私は好きにはなれませんが、意見自体はペーパーバーチさんに全面的に賛成です。
では、また。

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1418 お待たせしました。
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月20日 (土) 01時58分22秒

有希さん〜
>まず、なぜ皆さんが少ししか書きこんでいないりゅうじんさんの言葉に反応してしまったのかおわかりでしょうか。
江原氏のずさんなスピリチュアリストぶりをきっかけにして、スピリチュアリズムというものを別の角度から見なおしていたところに、水をさすような意見を書かれたからです。
それはわかっていらっしゃったでしょうか。

はい。公の掲示板なのであまり偏っても何だし、別の意見があってもいいかなと思って正直な気持ちを書きました。

>例えば、救急隊員が必死になって人の生死に関わっている時に、「どうせもうすぐ死ぬのに」という言葉を投げかけられたような、そんな感覚と同じものを感じたんです。
でも、これは今回だけではなく、今までもあったことです。

まあ、そういう気持ちは正直なところあります。死んだら霊界に任せればいいですし。

>そして、すみれさんが
> りゅうじんさんはスピリチュアリズムについて全然分かっていないようですね。
と書かれましたけど、今回は私もそういう思いを強くしました。
他の方もいろいろ書いてくれましたけど、その書きこみに対してどう思ったのか、読んで何を考えたのか、そのあたりに対するレスが何もないんですよね。
「のれんに腕押し」のような感じを受けています。
これでは「全然わかっていない」と言われても仕方がないかなと思います。

そう思われるのならそうかもしれません。
ひとつひとつに答えなくても、そこら辺を含んだ書き込みをしたつもりだったんですが。

>それは次の文からもそう思いました。
> 言わずもがなですが、一番救わなければならないのは何も知らずに苦しんでいる人で、スピリチュアリズムは一部の人のものではなく、万人を救えるものだと思います。
誰が救うというのですか?
「スピリチュアリズムは一部の人のものだ」と、誰かそういう表現をしたのでしょうか?
(略)
救うのは神でも宗教でもスピリチュアリストでもないんです。
「自分を救うのは自分しかいない」と書いたのを読んではくれなかったのですか。
それとも、私の書いたことが理解してもらえなかったということなのでしょうか。
どちらにしても、残念でなりません・・・

僕は、人間も含めた全てのものは神の中にあるのだということを、受け入れられる人には一人でも多く伝えたいだけです。それさえ理解できたなら後は自分で考えながら生きて行けるはず。その後の悟りは自分でしか見つけられないものでしょう。存在している時点で救われているのだという表現は誤解を招いたかもしれませんが、「自分を救うのは自分しかいない」ということは理解しているつもりです。

「スピリチュアリズムは一部の人のものだ」とは、この掲示板をはじめて何も知らずに見た人が、そういう感想を持つんじゃないかなと思ったのです。霊的なこと信じてる人ってやっぱり近づきがたいと。マニアックなところだと割り切れば、いいといえばいいんですが。

>> 僕が今回書き込んだのは、スピリチュアリストを自認している人たちが、自分たちはすごいんだとか、霊的なことに気づかない人より優れているんだとか、気づかないやつはだめなんだとか、そういう気持ちがないといいなと思ったからです。
この部分は、ずっと以前からりゅうじんさんが折に触れて発言されてきたことですよね。
りゅうじんさんがそうおっしゃるのは、実はご自分が以前そう思っていたから、他の人もそういう思いを持っているんじゃないかと考えていらっしゃるんじゃないでしょうか。
もちろん、今はそういう思いは持っていないのはよく知っていますが。
でも、「自分たちはすごい」なんて思っているスピリチュアリストは誰もいないと思います。

僕は今でも完全にないとは言えないと思います。完全というものは神以外存在せず、それも真理だと思っているので。なんでこんなことわからないんだという気持ちは以前はすごくあり、多分、多くの人を傷つけてきました。皆さんにはないなら安心です。

>むしろその逆で、真理を知れば知るほど自分の未熟さが浮き彫りにされるし、時には真理も何も知らないのに多くの人の力になっている人を見ると、自分よりもはるかに優れていると思うこともあるし、真理を知っている自分が何もできないでいることが情けなくなるほどです。
宝の持ち腐れにしてはいけないと思いつつ、今以上のことができない自分の不甲斐なさを嘆いているスピリチュアリストの方が多いと思います。

ほんとうに、僕も、霊的なことなど何も知らないすばらしい人にたくさん出会いました。霊的なことを知ることと、人間の成長は関係ないのかもしれません。まあ、知ってしまったのは僕の役割でしょうから、自分なりに果たすつもりではいますが。

>実のところ、私が自分自身を誇れるのは、高いところを目指しているという一点だけです。

僕の目指してる方向は低いのかもしれません。でも、広くありたいと思っています。

>スピリチュアリストに大切なのは、読書量や知織量ではないし、年数でもないはずです。
大切なのは「どれだけできているのか」じゃなくて「どれだけ努力しているか」じゃないでしょうか。
「結果じゃなくて動機が大切」というのはシルバーバーチが何度も述べているとおりです。

僕は結果も大切だと思うんですよね。自分勝手な動機で人を傷つけたくないので。

>「シルバーバーチを書物として読んでいます」という人にも何も言いません。
でも、りゅうじんさんはスピリチュアリズムのHPを公開されているのですから、霊的視点に立った上で、できるだけ善いものを多くの人に提供してあげて頂きたいのです。

ありがとうございます。でも、僕の考えていることやしていることはそんなにレベルが低くて悪いのかなあ。確かに最近はシルバーバーチ以外のいろんなものを読んで真理の表現はほんとにさまざまで奥深いと感じていますが。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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1417 BとCの間には…
名前: たま  投稿日: 2002年04月19日 (金) 16時25分20秒

ペーパーバーチさんはじめ皆様、こんにちは。

まず、これを書く下地として、恥ずかしながら告白しておきます。私はシルバーバーチの本を二冊しか持っていません。また諸々の条件から、ニューズレターは読めず、実際ネットでしか読んだことがありません。それでも、「私の成長にとって必要」な部分はネットや他人様のご好意のおかげで、すべて手に入っているはずと信じています。つまり徹底的な「体験体感先行型」の道を歩まされている「スピリチュアリストでないCを目指す者」と自分では思っています(^^;。
その上で…

#1408で TMH さんが

> スピリチュアリズムの厳しい面とは具体的にどういうことでしょうか。自分を律
> するときの話ならわかりますが、ここでは前述のように僕もりゅうじんさ んも
> 他者とのかかわりについて言及していますから、よくわかりません。できれば引
> 用ではなく具体的な例をあげてお教えくだされば幸いです。

と、具体的な例を求めていらっしゃるので、私などからでは役不足でしょうが、一言。
有希さんがABCの3タイプを挙げていらしたのを受けて、TMH さんはご自分やりゅうじんさんのことを自ら「Bの人」と位置づけていらしたことには失礼ながら少々苦笑してしまいましたが、ここは私の言葉でCタイプの人々の感じ方の実例を挙げさせてください。

私がイヤというほど

> ある程度の信念をもとに苦しむ人に接した時、「大丈夫?」と声をかけながら心
> の中で諸霊に「祈り」を捧げる

という行動の意味を身体で考えさせられたのは、七年前の神戸の震災の時でした。
それこそアメリカのテロ犠牲者の比でないくらい多くの人があの時あそこでは苦しんでいましたし、今も苦しみ続けている人はいます。あの時あそこにいたのは、苦しんでいる人々であって、可哀想な人々ではありませんでした。

彼らが苦しんでいた理由は、もちろん愛する人々や財産や職やあらゆるものを突然に失ったということもありますが、それだけではなく、その大きな喪失の後にさまざまな形で受け続けた心の傷に苦しんでいたというのが実際ではないでしょうか。
そして、その心の傷の一つに、「被災していない人々からの心ない慰め」があったことは種々の報道にもありましたからご存知でしょう。「被災していない人から『頑張って』と言われることがとてもイヤだった」という、あれです。
でも、「頑張って」と言った人々の動機は、間違いなく愛でした。
「頑張って」と言われるたびに傷つき続けた人々が、それでもそれを言った人の「なんとか慰めてあげたい」という想いを慮って、心に血を滲ませながらも顔に笑みを作り「ありがとう」と返し続けたのは、しかしそれもまた、愛ではなかったでしょうか。
そして、私の感覚には、「頑張って」と言った人の愛よりも、それに傷つきながらも隠して笑顔で「ありがとう」と返した人の愛の方がその時点では視野が広いと感じられたのです。

それでも何か力になりたい、言葉でなく行動で示さねばと思った人々は、「無料奉仕」(すみませんがボランティアという言葉を使いたくありません)や義捐金という形を採りました。
が、被災者自身が道に迷うほどの状況の中、さまざまな地方から助けに行った地理に明るくない人々は、「助けられる人々」に助けてもらわねばその人々を助けることなどできなかった例が多々なかったでしょうか。
○赤という組織がどういうものかを疑わず知ろうともせずに、純粋な真心としてその組織にお金を託した善意溢れる人々のお金は、実際にどれだけ「被災地のため」でなく「被災者のため」に生きたでしょうか。

助けたい一心の発露としての言葉も労働力もお金も、すべて愛の形として尊いのは当然です。動機としては満点です。そこで満足している人に対して、私はその行動を100%尊重します。
しかし、その先にある現実に思いを至さずにそれだけで満足してしまうことを「自己満足なのでは?」と自分で疑う人々もいて、その人々はさらに上を目指す=自分の愛の質を高めようとするのだと私は思います。そのために彼らは自分の愛の視野を広げ、その行動の結果までを現実として真摯に謙虚に見つめ己のとるべき道を探していこうと努力するのだと思うんです。
そして、これは「スピリチュアリストだから云々」とか「シルバーバーチが言っている云々」とか「ボランティアのあり方云々」とか「善意の表現方法云々」とか、そういうラベルには一切関係ないことだと思います。
ただただシンプルに、他者の痛みを感じる人々は感じ、上を目指す人々は目指さずにおれないものなのだと思うんです。
単純に「人の道」なのだと思うんです。
そしてその「向上心」をこそ貴重な大切なものだと考えているのは、スピリチュアリストだけではないのではないでしょうか。もちろん、そのために選ぶ行動の道は人それぞれ、その人たちの数だけ具体的な行動の顕れ方は違うと思いますが。

というわけで、私には、 TMH さんが

> でも向上を志しながらも世間と乖離しないためには必要なことだと思っています。

と結論付けられるのは、逆ではないかと感じられるのですが。
自分がBであることに気付き苦しんだ後にCであろうと努力している人は、愛の質を高めるためには世間と乖離しては無理であることを、その苦しみから自分の身体で知っている人であると私は思いますから。

さらに、これまで書き込まれた江原本の存在意義に端を発した一連の発言を読んでいて、どなたの発言にも真摯な姿勢で生きる人々の想いは感じても、 TMH さんやりゅうじんさんのおっしゃるような「スピリチュアリストだけ」選民意識などは、私には感じられないのですが。たしかにここは「スピリチュアリズム」や「シルバーバーチ」をキーワードとしてそれに引かれた人々が集まる場ですから、笑顔で握手する程度の仲間意識の顕れとして「スピリチュアリスト」という言葉は多用されているとは思いますが。
また、有希さんの#1367や#1383の書き込みは、多分有希さんが長い間いろんな事実をためつすがめつし、ご自分の中で何度もご自分の感じ方を考え直し思い返しした末にやっと出てきた、Cの人の愛に溢れた発言だと私は感じましたが、如何でしょう。

> ところで「知識には責任が伴う」というシルバーバーチの言葉を強迫観念的に
> 捉えるあまり、その段階に達していない人、敢えて一歩引いて捉えている人(B
> の人?僕やりゅうじんさんやサードさんやアラムさん?)にまで C の人の態度
> を強いるのはどうでしょう。

他の方はともかく、TMH さんが「慰めるだけでも動機は愛なのだから十分だ」と満足し、慰められた人がそれによって泣いているかもしれない可能性を感じたくないと思われるなら、これをおっしゃってもいいかもしれません。
愛は愛であり、質は誰にも問われることではないと思われるなら、これをおっしゃってもいいかもしれません。
でも、本当に、今まで誰一人 TMH さんが慰めた人々で傷ついた人はいなかったのでしょうか。
懸命にCであろうとする人々に対してこの言葉が出てくるということで、そういう疑問を感じてしまいました。

毎度のことながら、言葉の使い方の下手な私です、不快に感じられたら謝罪します。

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1416 「のれんに腕押し」では・・・
名前: 有希  投稿日: 2002年04月19日 (金) 09時54分28秒

驚くほどのスピード展開で、読んでその真意を理解するだけでアタフタしております (^^;)
そんな中で、りゅうじんさんのレスに対して、もう一言書かせてください。
責めているつもりは全くないので、その辺りはうまく理解して読んでくださればと思います。

まず、なぜ皆さんが少ししか書きこんでいないりゅうじんさんの言葉に反応してしまったのかおわかりでしょうか。
江原氏のずさんなスピリチュアリストぶりをきっかけにして、スピリチュアリズムというものを別の角度から見なおしていたところに、水をさすような意見を書かれたからです。
それはわかっていらっしゃったでしょうか。
例えば、救急隊員が必死になって人の生死に関わっている時に、「どうせもうすぐ死ぬのに」という言葉を投げかけられたような、そんな感覚と同じものを感じたんです。
でも、これは今回だけではなく、今までもあったことです。

そして、すみれさんが
> りゅうじんさんはスピリチュアリズムについて全然分かっていないようですね。

と書かれましたけど、今回は私もそういう思いを強くしました。
他の方もいろいろ書いてくれましたけど、その書きこみに対してどう思ったのか、読んで何を考えたのか、そのあたりに対するレスが何もないんですよね。
「のれんに腕押し」のような感じを受けています。
これでは「全然わかっていない」と言われても仕方がないかなと思います。
それは次の文からもそう思いました。

> 言わずもがなですが、一番救わなければならないのは何も知らずに苦しんでいる人で、スピリチュアリズムは一
> 部の人のものではなく、万人を救えるものだと思います。

誰が救うというのですか?
「スピリチュアリズムは一部の人のものだ」と、誰かそういう表現をしたのでしょうか?
霊的真理が霊訓によって知らされているのは、「全ての人間を救うため」だというのは誰が考えてもわかることです。
全ての人を救いたいと思って降ろされた真理なのに、どうしてみんな受け入れられないのでしょうか。
あなたは私の書いたものを読んではくれなかったのですか・・・
誰かが救うのではないんですよ。
救うのは神でも宗教でもスピリチュアリストでもないんです。
「自分を救うのは自分しかいない」と書いたのを読んではくれなかったのですか。
それとも、私の書いたことが理解してもらえなかったということなのでしょうか。
どちらにしても、残念でなりません・・・

> 僕が今回書き込んだのは、スピリチュアリストを自認している人たちが、自分たちはすごいんだとか、霊的なこ
> とに気づかない人より優れているんだとか、気づかないやつはだめなんだとか、そういう気持ちがないといいな
> と思ったからです。

この部分は、ずっと以前からりゅうじんさんが折に触れて発言されてきたことですよね。
りゅうじんさんがそうおっしゃるのは、実はご自分が以前そう思っていたから、他の人もそういう思いを持っているんじゃないかと考えていらっしゃるんじゃないでしょうか。
もちろん、今はそういう思いは持っていないのはよく知っていますが。
でも、「自分たちはすごい」なんて思っているスピリチュアリストは誰もいないと思います。
むしろその逆で、真理を知れば知るほど自分の未熟さが浮き彫りにされるし、時には真理も何も知らないのに多くの人の力になっている人を見ると、自分よりもはるかに優れていると思うこともあるし、真理を知っている自分が何もできないでいることが情けなくなるほどです。
宝の持ち腐れにしてはいけないと思いつつ、今以上のことができない自分の不甲斐なさを嘆いているスピリチュアリストの方が多いと思います。

実のところ、私が自分自身を誇れるのは、高いところを目指しているという一点だけです。
目指してはいるけれど、残念ながら思っていることの十分の一もできていないのが現状ですが。

ビッグママさん wrote:
> 受け入れられないよといっている人に押し付けるという気はさらさらないのですが・・・きっと有希さんもそうだ
> と思います。「読んじゃったから全部やらなきゃ駄目だよ。」とか、「シルバーバーチ」の批判は許さないとい
> う雰囲気というのもちょっと違うと思います。あたかも実践をしようとする人たちが優位にたってものを言って
> いるように感じていらっしゃるようですが、それは違います。

ビッグママさんの書かれた通りです。
読んだからと言ってすぐに何もかもその通りに実行できる人なんて誰もいません。
50年経っても60年経っても自分の思い描くようにはできないと思います。
スピリチュアリストに大切なのは、読書量や知織量ではないし、年数でもないはずです。
大切なのは「どれだけできているのか」じゃなくて「どれだけ努力しているか」じゃないでしょうか。
「結果じゃなくて動機が大切」というのはシルバーバーチが何度も述べているとおりです。
それを言いたくて3タイプの例をあげたつもりなんですが・・・。

私の日常生活を見たら、誰もが「それでよくスピリチュアリストと自認しているね」と言うでしょう。
私が理解していることなんて、深さも広さもそれほどあるわけではありません。
それは自分でもわかります。
数年前の自分に比べたらずいぶん深くなったとは思いますが、シルバーバーチを読めば読むほど、ニューズレターを読めば読むほど、自分の理解力のなさが情けなくなります。
でも、実践すればするほど霊的真理の確かさに感動します。
「シルバーバーチを読み始めました」といって感想を送って下さる方の方が、私よりはるかに深く読みこなしていらっしゃるように見えるし、その方たちの感想を読むと、その純粋さと謙虚さに自分自身が恥ずかしくなることもたびたびあるぐらいです。

そんな私がなぜ高いところを目指しているのかというと、ある人から手厳しい指摘を頂いて、一つの殻を破ることができたからかもしれません。
それに、シルバーバーチが折に触れ述べている「知識には責任がともないます」というところや、「霊的真理を次の人に伝えてあげなさい」という言葉も私には響いています。
人に伝える時に、どうせ自分なんか大して成長できないから低いところでもいいや、なんて思っていたら、せっかくの真理も低いまま、それも場合によっては歪められて伝わってしまうと思うからなんです。
これでは相手を愛しているとは言えないじゃないですか。
本当に相手を愛しているなら、できるだけいいもの、間違いのないものを伝えてあげたいと思うじゃないですか。
誕生プレゼントでさえ精一杯心をこめたものを用意するのですから、その人の魂に影響する霊的真理ならなおさらいいかげんな気持ちでは伝えたくないわけです。

「自分は成長しなくてもいい」といっている人には何も言いません。
「シルバーバーチを書物として読んでいます」という人にも何も言いません。
でも、りゅうじんさんはスピリチュアリズムのHPを公開されているのですから、霊的視点に立った上で、できるだけ善いものを多くの人に提供してあげて頂きたいのです。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit

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1414 ありがとうございます
名前: hiromi☆  投稿日: 2002年04月19日 (金) 09時05分03秒

ペーパーバーチさん、みなさん、はじめまして!

今、書き込んで良いものか・・・というのも考えましたが、
スピリチュアリストとはどのようなものか・・・というのも
あまりわかっていない私の位置からの思ったことをお知らせ
したいなと思いました。(あまりにも、恥ずかしい)

1.2ケ月前より、時々こちらを拝見させて頂いてました。その
当初は、ちょっと難しいなと思ったのですが、江原氏の名前が
でてきていたので、クギづけ(笑)になりました。
・・・それは、江原氏の言葉の中や、本の後ろのほうに載っていた
『シルバーバーチ』って何?・・から始まり、ネットで検索をかけ、
こちらに辿り着いたからです。
そして、シルバーバーチの霊訓に興味を持ち、是非、書かれている
本を読んでみたいと思っています。
みなさんの書き込みの中で江原氏の御意見が沢山ありましたが
真摯に受け止め、読ませて頂きました。
私も確かに江原氏の本の中で「あれっ??」と思うところも
ありましたが、今は知らせてもらったんだと思っています。
実際、日常生活の中で、江原氏が書かれていたような考え方を実践
されている人が周りにいたら、随分と日々、スムーズ(語弊があるかも
しれません)になるのでは・・・と思いました。
だけど、それすらも、ままならない状態なのが現実だと思うのですが・・・。
広めていきたい・・・という江原氏の言葉には、そういう意味が
あったのでは、と思います。
・・・その方法が良いのか・・・は私などには今、
わからないです。

それから、りゅうじんさんは、優しい方だなぁ・・・と思いましたよ。
字面ではなく、思いが伝わってくるようでした。
TMHさんの御意見も、『うん、うん』なんて思わず頷いていました。
そして、ビッグママさんやペーパーバーチさんの御意見の中には
思わず、涙が滲んでくるところが・・・。
なんだか小学生の感想文みたいになってしまいましたが(ははは・汗)
ご容赦ください。

ペーパーバーチさん、また、これからも読みに来させてくださいね!
いろいろな働きかけ、ありがとうございます。感謝してます☆

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1413 サードさんへ
名前: レッドマン  投稿日: 2002年04月19日 (金) 07時49分34秒

サードさん、こんにちは。1403のサードさんの意見について書かせて頂きます。
私は、「シルバーバーチの霊訓」の愛読者の一人として、また十数年、愛読している者として
率直な意見を書きます。

まず、
>しかしその江原氏でさえも、真実へ向かうために用意された布石の一つであるとは考えられないでしょうか。

についてですが、はっきり言って「つまずき石」になることはあっても「布石」になることは有りません。
・・・「なぜ、そこまで言い切れるのですか」と言われそうですが、順に読んで下さい。

私は、サードさんが、
>私は、間違っても良いし、騙されても良いと考えます。
私は迷うことはとても重要な勉強だと思のです。騙される事さえも大切なチャンスではないでしょか。
間違った分だけ、迷った分だけ、真実の重みが増すと思うのです。私は断固としてそう思ってます。

というように考えられるのは、たまたま例外的に「正しい視点に立つことができた人だったから」だと
思います。正邪を見分けられる「霊性」を身につけていたから。江原氏の示す内容とシルバーバーチの示す内容の違いをはっきり読みとれる「霊性」を持っていたからだと思います。
しかし、すべての人がサードさんのようには、とてもいきません。

多くの人達は江原氏の巧みな話術に乗せられ、「偽スピリチュアリズム」の中で無駄な時間、迷路を
さまよう事になるでしょうし、さらに、場合によっては、「本物のスピリチュアリズム」(霊的な真理)に出会う時の来ている人達をも迷わせることになるでしょう。(これは「霊的な世界」の貴重な働きかけをすべて水の泡にしてしまうことでもあります)

私は、以前にも書きましたが「スピリチュアリズム」(霊界からの人間の霊性向上のための働きかけ)に対する裏切り行為・反逆行為の重大さは、計り知れないと考えています。なぜならそれは、「人々の霊性」と「霊的世界」(神・霊界・高級霊)に係わる事だからです。地上時代だけでなく死後にも係わる問題だからです。江原氏は、人間は騙せても、神や高級霊を騙すことはできません。地上での人生最大の目標である「霊性の向上」を阻害することの重大性は、私達人間にはなかなか分かりにくいのかも知れませんが、霊的な世界から見れば、すべては明白です。

またここで、あえて「キリスト教」の問題点をいっしょに取りあげたいと思います。
シルバーバーチは、その霊訓の中で、「キリスト教」を厳しく非難し、「キリスト教」による霊的真理普及の試みは失敗に終わったとはっきり言っています。
これは、神やイエスの名のもとに興された「キリスト教」が、実は霊的な事実から見て、まったく神や
イエスの願いとかけ離れたものになってしまっているからです。本来は、神やイエスから最も信頼されるべきものが、最も重大な裏切りを犯して来たからです。

<SB9巻・P150>
(質問者)・・・キリスト教の教えも無数の人々の人生を変え、親切心や寛容心を培ってきていると思うのです。そういう教えを簡単に捨てさせることができるものでしょうか。

(SB)「私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心を持つのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは、混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおしゃっても、私には聞こえません。一方には間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。」

ここで言われているように、死後の世界に旅立ってからでさえも、いまだ地上時代の間違った教義の呪縛から逃れられずに苦しみ、「霊的な向上」ができない霊達が現実にいるという事実があるのです。

このスピリチュアリズムに対する「キリスト教」の弊害は、最初に挙げたスピリチュアリズムに対する
「江原氏の示すもの」の弊害と同じものです。

この問題はこうした次元の、こうした質の問題なのです。
私は、江原氏が「スピリチュアリズム」という言葉を出さずに持論を広げようと言うのであれば、何も
こんな風に批判する気はありません。しかし「スピリチュアリズム」という言葉が出たとたんに、それは、神・霊界・そして何百何千何万という高級霊との深い係わりを持つ事になります。そこに目には見えない重大性があるのです。
私は江原氏が本物のスピリチュアリズムを、正しい姿で広めようとしてくれたら、どれだけ大きな成果が得られただろうかと思います。本物のスピリチュアリズムを広める努力と偽のスピリチュアリズムを
広める努力では、あまりにも大きな隔たりがあります。・・・その大変な違いが想像できますか。

私は江原氏の示す「偽スピリチュアリズム」は、本来ないもの、有るべきでないもの、なくて良いもの
と確信を持って、断言します。

サードさんへ、これが私の意見です。

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1412 真理は真理
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月19日 (金) 04時50分13秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。すごい勢いの書き込みをさかのぼって読み返してたらまたまたこんな時間に・・・。

TMHさん、こんにちは。いつもユニークで知的な内容のコメント拝見させていただいております。

さて、TMHさんの1408に対して少し書きますね。
「シルバーバーチ至上主義」「ニューズレター礼賛主義」ということですが、そうなのかな・・・。確かに私もシルバーバーチをわざわざ引用して(出典まで明らかにして)自分の意見を述べさせていただいていますが、シルバーバーチでなくてはならないとは思いませんよ。シルバーバーチを越えるすばらしい真理を語ってくれる者があらわれたらすぐに鞍替えしますね、さっさと。しかし、現実には、シルバーバーチの語る内容を越えるものはなく、やはり最高といっていいのではないかと思います。そしてさらに言うと、「シルバーバーチが言っているから」ではなく、「シルバーバーチが語る内容がすばらしい真理であるから」受け入れているわけです。真理は真理、誰が語っても曲げられません。
シルバーバーチはこう言っています。

『私たちは決してあなた方に“理知的に難しく考えず、ただ信じなさい”とは申しません。逆に“神から授かった理性を存分に駆使して私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが述べることの中に低俗なこと、邪悪なこと、道義に反することがあると思われたら、どうぞ拒絶してください。”と申し上げております。』シルバーバーチの霊訓2−102

TMHさんのおっしゃるように理性でもってシルバーバーチの言葉を判断されればよろしいと思いますよ。実際、シルバーバーチの語ることを丸ごと受け止めて実践しようとするのは「シルバーバーチ等のことを試している」ということではありませんか?実践しなければ、真実かどうかもわからないですものね。でも、内容を見る限りだけでも、TMHさんが99.9%受け入れるに足るとおっしゃるようにまず間違いではないですよね?ならば、丸ごと受け止めて実践しても私たちに害はないと思うし、きっと益の方がはるかに多いと思います。


『「知識に責任が伴う」という言葉を強迫観念的に捉えている、そもそもこの言葉は当時のキリスト教の聖職者がうすうす真理に気付いていながら既得権益に固執するのを批判する過程で出た言葉だ』

とおっしゃっていますが、その時代にその背景のもとで語られたというのは事実ですが、シルバーバーチの言葉はいつの時代でも通用する内容だと思います。むしろそこから学ぼうとする姿勢の方が得るものは大きいんじゃありませんか?また、強迫観念とはちょっと違うんではないかなあ。「〜しなくてはいけない」と書かれていても、人間の自由意志が尊重されますよね。受け入れられないよといっている人に押し付けるという気はさらさらないのですが・・・きっと有希さんもそうだと思います。「読んじゃったから全部やらなきゃ駄目だよ。」とか、「シルバーバーチ」の批判は許さないという雰囲気というのもちょっと違うと思います。あたかも実践をしようとする人たちが優位にたってものを言っているように感じていらっしゃるようですが、それは違います。

『高級神霊界の神が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時おり見かけます。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが踏みにじられていく人間の愚行を見て、いつかはその愚かさに目覚める日がくることを祈りつつ眺めているのです。そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせておられるのを見かけることもあります。無名な平凡な人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。』シルバーバーチの霊訓2−113

こんな風に、いつも背後から私たちを見守り、支え、応援してくれている霊たちに言われたら「がんばろうよ!」って思わずにはいられないんじゃないでしょうか。自分の出来・不出来も関係ないんですよ。霊界の高級霊の愛を感じたらどんなに今の自分がみすぼらしくても情けなくても、やっぱりその意に添って実践していこうって思うと思います。決してえらぶってるわけでも何でもないと思うんです。

ニューズレターに関しても、私はこう考えています。自由意志をもっていても、肉体を持っているがために楽なほうに流されていってしまう地上人にとって、魂を成長させるには、自分たちをより高いところ(何度も言いますが偉ぶって言ってるのではありませんよ)に位置付けて、自らを律していこうとすることが必要なのだと、ニューズレターは、こうした地上人側の苦しい事情を助けるためのものだと思っています。

そばで悩んでいる人に励ましの言葉と勇気を与えてあげることは尊い事だと思います。同時にもう少し目を広げると、世界中に人間の利己主義から発した貧困や飢え、人種差別に苦しむ人、命すら落としていっている人はいまだ後を絶ちません。こうした無知とエゴからくる人間の不幸を駆逐するのが高級霊とその道具となる人間です。私は出来るなら自分も道具として使ってもらいたい。どんな形でもいいのです。自分の内容の乏しさも棚に上げてもそう思わずにはいられません。それほどシルバーバーチの言葉は人を動かす力があるのです。

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1411 スピリチュアリズムの本当の「救い」
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月19日 (金) 01時31分40秒

この数日、すごい勢いで投稿が……追いつけない(^^;。既に一つ一つの投稿にコメントしていくのは不可能なので、以下、特に誰あてということではなく、でもちょっとだけりゅうじんさんやサードさんの投稿などを意識しつつ、自分の思うところを書いてみたいと思います。

うーんと、やっぱり、りゅうじんさんって優しいんですよね。どういう形であれ、一人でも多くの人が救われて欲しいという思いがあるんじゃないかな……違うかな(^^;。でも、しかし……なんですよね。

江原さんの教えで得られる「救い」が、本当に救いになるのか?と、思わずにいられません。確かに江原さんの教えでも「死」への恐怖からは救われるでしょう。しかし、江原さんの教えで霊的に成長できるかというと、それは……無理でしょう。弱さや甘えを助長され、霊能者への依存、思考停止、etc...。江原さんが与えてくれるのは、一時の「安心」ではあっても、決して「救い」では無いと思います。

そういうものは過去の宗教がいくらでも与えてくれます。内容を問わねば(江原偽スピリチュアリズムを許容するというのは「内容を問わない」ということですよね)仏教だってキリスト教だって救ってくれます。もっと言えば、オウム真理教なんて一切迷いの無い救いの極地です。

そういうのと同じでいいの? じゃあスピリチュアリズムの価値って何? ということになってしまうんじゃないでしょうか? なるほど、そんなものでいいと思って、そのつもりで江原さんの本を見れば、近頃のニューエイジの中ではまあまあのレベルかな、という気もしないでもない(^^;。ならば、それらの宗教とスピリチュアリズムとは、いったい何が違うんでしょう。

僕が思うにスピリチュアリズムの価値とは、ただ安心して救われた気持ちになるだけではない真の「救い」。つまり「霊性の成長」の手引きになってくれることだと思うんです(もちろん、死からの解放による安心の救いも大切な要素ではあるのですが)。これ(スピリチュアリズム)があると、どうすれば霊的な成長という人生最大の幸せが手に入るのか、その方法がよく判るということ。

ただ注意して欲しいのが、それはあくまでも「手引き」であり「地図」みたいなものであるということですね。エスカレーターみたいに自動的に上に連れて行ってくれるわけじゃない。「地図」があれば目的地に行きやすくなるけれど、持っていても地図の通りに進まねば目的地には着かないし、逆に地図を持っていなくても目的地に到着できる人はいる。

というところで、りゅうじんさんが1384で書かれた「これを信じた人だけが救われるとか」という疑問への答えは出たと思うんですがいかがでしょう。そう、スピリチュアリズムなんて信じなくても、唯物主義者でも、ちゃんと霊的成長という救いは手に入ります(シルバーバーチだって言ってますよね)。手に入りやすさは違ってくるかもしれませんけどね。逆に言えば、信じたって救われないこともある。

信じても信じなくても、宗教や思想信条にかかわらず、誰にでも霊的成長という救いを手にすることは出来ます。だからこそ、どんなふうでも、なんでもあれば良いとは言えなくなる……手引きとしてのスピリチュアリズムの質、正確さが無くなったら、スピリチュアリズムとしての存在意義は失われます。

多くの宗教や江原的偽スピリチュアリズムに引っかかった人は、死の恐怖からの解放という「救い」は手に入ります。しかし、それと引き換えに「霊的成長」という、本当の「救い」が手に入らなくなってしまいます。なぜなら、それらの宗教の地図の多くは不正確で、道に迷ってしまうからです。そんなのは本当に救われたとは言えないだけでなく、放っておいても誰でも死ねば自動的に手に入るもの(死の恐怖からの解放)と引き換えにする価値はないでしょう。

もっとも江原がこれほど批判されているのは、単に不正確な地図を配っているからというだけではなくて、本当は霊的真理という目的地への正しい地図(スピリチュアリズム)を持っているはずなのに、自分の賽銭箱行きの嘘の地図を配っているからでしょうね(笑)。他の人もきっと同じだと思うんですが、僕はスピリチュアリズムやシルバーバーチを愛していますから、あんなふうに薄汚い意図でスピリチュアリズムを悪用する人間には、やはり憤りを感じます。

で、サードさんが仰ってた、江原さんにも何らかの存在意義はあるのだから批判は出来ないんじゃないかということ(でしたよね?)ですが……。うん、何らかの存在意義はあるんでしょうね。その理由のすべてを人間が判らないというのはサードさんの仰るとおり。

……なんですが、彼の存在意義が「心あるスピリチュアリストにその間違いを徹底的に否定し去られることによって真のスピリチュアリズムを世に知らしめること」に無いとも誰にも言い切れないわけで……(笑)。究極的なことは誰にも判らない。だったら、個々人の信念と良心に忠実に行動するしかないと思うんです。シルバーバーチだってキリスト教を批判しているわけですし、僕が自分の信ずるところに従って江原を批判して何の問題がありましょうや(だいぶスケールが違うなぁ(^^;)。事の成否は時が明らかにしてくれることでしょう。

それに関連して一つ。シルバーバーチによれば、苦難によって人間は成長するといっても、苦難の原因を放っておいて良いわけではありません。「無くもがなの苦しみが多すぎます」とシルバーバーチは言っています(記憶を頼りに書いてるのでちょっと違うかも)。この世の人間の努力で解消できる苦難なら、それを無くす努力をする義務があるということではないでしょうか?

あ、そうそう、江原さんの本がきっかけでシルバーバーチに出会ったという、サードさんのような幸運な人は、本当にレアケースで、ごく稀な例外として考えたほうが良いと思います。僕のサイトにたどりついたおかげでシルバーバーチと出会えたと言ってもらえるのは涙が出るほど嬉しいんですが(;_;)、そんな(僕を泣かせてくれるような)人は江原本を読んだ人のうち1000人に1人ぐらいのものでしょう(^^;。

それに「自分の言動がおかしければ信じないでください」と言っているのはシルバーバーチなので、江原さんの本しか読んでない人は「信じないでくれない」ような気がするんですけど……(汗)


……っと、ここらで今日は時間切れ。急いで書いたので乱文でゴメン。TMHさんへのコメントも書きたいところですが、もう風呂入って寝ます(^^)。

では、また。

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1410 RE:1379 なんか今更なコメントですが……
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月19日 (金) 01時30分32秒

ポカQさん、こんにちは。遅くなりましたが1379へのコメントです。

えっと、生意気なんて事はありませんのでご安心下さい。心配してくれた上でのアドバイスでしょうし、こういうことを書くのは勇気も要ったことと思います。敢えて言ってくれたことには感謝します。でも、大変申し訳ないんですが、僕はこの手のアドバイスには聞く耳もちません(過去にもいろいろ試行錯誤した上での確信犯なので(^^;)。

どれほど大きく意見が食い違ったとしても穏やかなコメントを返すことは可能だと思いますし、実際、僕もほとんどの場合はそうしているつもりです。意見が違うだけであれば、最終的にお互い理解できないままで終ったとしても、意見の否定と人格の否定を混同するようなマネをすることは(全くないとは言えませんが)極力少なくするように心がけてはいます。そうでなければ、ネット上でこんな調子で七年間も自分の会議室、そして掲示板を維持することなど出来なかったという自負もあります。

ですが、最初から荒らし目的で来る相手には別です。経験上、優しくいなしてやると味をしめて、何度も何度も同じような因縁を付けてきますから。叩けば来なくなる場合が多いので効率的な対処方法と言えます。もっとも、まれに無料プロパイダを使って別人のフリをしてまで出てくる粘着もいますが(文体と論理展開のクセで、この人は……と思ったりします)

僕は、どこぞの宗教の人たちのように、何を言われてもニコニコと聖人の“フリ”をするつもりはありませんし(気持ち悪いと思ってしまう(^^;)、時には毅然とした態度で臨むことも必要だと思っています。ましてや最初の発言から無礼な態度、無礼な言葉で難癖を付けてくる人間にまで優しくコメントするなど……それは確かに不可能ではないでしょうが、延々と絡んでくる相手の対応をし続けるための時間的余裕は、今の僕にはありませんから。

また、本人たちが嫌と言っているのだから支那の呼称は理屈抜きに止めるべきなどという考え方。そんな道理に合わぬ考え方がスピリチュアリズムらしいと思っている人間が、スピリチュアリズムのなんたるかを僅かでも知っているとは僕は思いません。知りもせずに他の宗教と同類のように考えて言っているか、せいぜい何冊か本を読みかじって、ニューエイジ的な腐った理解をしているだけの輩でしょう。
(正しいことで傷ついてしまうなら、それは霊的成長のために必要なプロセスです)

自分のやり方が最善だとは思っていませんが、叩くべき相手に容赦しないのが僕の芸風ですし(笑)、よその掲示板でも「バカはさっさと出て行け」という対応をするところのほうが好きなぐらいなので、今後もそれを変えることは無いと思います。
でも、そういうのとは考えが合わないという方は、どうぞ、当サイトの巡回を切って下さって、それぞれの理想と思う運営方法でウェブサイトを立ち上げていただきたいと思います。

……なんて、無茶なことを言ってると思います? でも、かなり本気なんですよ。誰でも自分の理想を追求できるのがインターネットの良いところだと思いますし、スピリチュアリズム系のウェブサイトがネット上に林立すれば、僕みたいな暴れん坊のサイトも目立たなくなるのにな〜と思ってるんですけど(^^;。僕はスピリチュアリストとしては、知識も経験も知能も霊性も、決して上のほうではないと思ってますし、もっといいページが作れる人なんて日本中に何百人もいるはずなんで、僕なんかよりもっと良いウェブサイトを、みんなが作ってくれると嬉しいんだけどな。

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1409 江原さんへの評価・批判について
名前: アラム  投稿日: 2002年04月19日 (金) 00時08分48秒

ペーパーバーチさん、皆さん、こんにちは。
私へのご意見もありがとうございます。

私は江原さんに対しても完全には否定しない見方をしようと思いました。

先に国際スピリチュアリスト連盟の原理などを取り上げましたが、こうした原理、七大綱領などを信奉し、SAGBで「スピリチュアリズム」を学んだということで「スピリチュアリスト」を自称する人もいるわけです。

江原さんについて私は「スピリチュアリズムを悪用した」とまでは見なかったわけです。

江原さんは「スピリチュアリズム」を「霊的真理に基づき実践するもの」とは捉えていない段階にある人だと思います。
最初の著作の旧題も『自分のための「霊学」のすすめ』となっていますし、スピリチュアリズムを「現代人の救済を目指して打ち立てられた幸福の原理」としています。
「スピリチュアリズムとは学問である」という認識をされているのではないかと思われます。
『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』のプロフィールにも「英国で学んだ学問としてのスピリチュアリズムも取り入れ」とされています。

江原さんの著書のどこにも「霊訓によって示された霊的真理に基づき実践し、霊的向上を目指す」とは書かれていません。
「現在の私のスピリチュアリズムは、英国で学んだこのスピリチュアリズムの土台をもとに、自分のインスピレーションによって得たスピリチュアル・ワールドからのメッセージを加えたものです」と書いてあります。

江原さんは「霊訓によって示された霊的真理を指針としたスピリチュアリスト」ではないわけです。
ですから、私は江原さんを完全に否定する見方は厳しすぎるのではないかと思ったのです。
江原さんは「自分で学んだと思っているものを多くの人に伝えたい」と思っているだけではないでしょうか?

「スピリチュアリズムを学問」と思っていると、「これを生活に用いることによって幸せになれる」、「程度を落とすことによって多くの人に広まるようにしたい」という思いが出てきます。
スピリチュアリズムの真髄が理解できていないレベルであるからです。
霊能者となると自分が受け取った霊情報をも加えてより多くを知ったつもりになるでしょう。

ですから、江原さんに対しては否定するよりも誰かが「あなたはスピリチュアリズムに対して間違った理解をしていますよ」と示してあげることの方が必要なのです。
江原さんがスピリチュアリズムに対する正しい見解を知りながら、現在のような行為をしているのであれば、「スピリチュアリズムの悪用」と責められても仕方ありませんが、スピリチュアリズムに対する不十分な理解でもって、スピリチュアリズムを受け入れる段階にない人のためにと思って行っているのであればそこに許すべきところもあるのではないでしょうか?

江原さんの理解が未熟であることは『スピリチュアル・ブック』でも示されています。
「スピリチュアル・ブック」という題名ですが、カウンセラーとしての役割に合わせて精神的なものに重点をおいているのか、「スピリチュアル」に関するものはほとんど出てきていません。
「スピリチュアル」への理解が「霊に関係するもの」という程度なのではないかと思われます。

料金については「それでも構わない」という人がいるのであれば、その人の自由意志に任せるべきだと考えました。
江原さんが「多くの人のために役立つような施設の資金にしたい」と思っているのであれば、集まったお金をどのように用いるかに応じた報いを受けることでしょう。
また、「料金が高い」と思うのであれば、そこから「他のものに頼るべきではない」ということを学ぶ人もいるのではないかと思います。

江原さんの著書については、「霊能者や教えを伝える人を絶対視しない」、「教義を絶対のものとしない」という点で評価しました。
また、「あなたはスピリットです」、「あなたは一人ではありません。あなたをずっと見守る霊的存在がいます」、「よいことも悪いことも自らのまいたものの結果です」、「偶然はありません。全ては必要があってのことです」といった基本的真理を伝えているという点では評価します。
霊的真理を受け入れられない人にとっては何かの意味があるかもしれません。
しかし、既に霊的真理を受け入れられる段階の人にとっては利点は全くないかもしれません。
ただ、「このような程度の答えで一時的に満足する人もいるかもしれない」ということを知ることにはなるでしょうし、「このような具体的な例題を挙げることも必要かもしれない」ということを考えるきっかけにはなるでしょう。

「シルバーバーチの霊訓」は実用的と言われるかもしれませんが、「読んでも内容が頭に残らない」、「難しくて理解できない」と思う人もいます。
基本的な真理だけを取り出したものも必要とされるのです。

まがいものの全くない基本的真理だけをまとめたものがあればよいのですが、それがみつからないのであれば、まがいものが多い中に真理が散りばめられたものを探していくしかないとも言えます。

少しづつまがいものの少ないものを求めて、純粋な本物にめぐり合うことになる人もいるでしょう。

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1408 世間と乖離するべからず
名前: TMH  投稿日: 2002年04月18日 (木) 21時20分45秒

もたもたしているうちにりゅうじんさんがあやまっちゃって、このまま終息しそうな状況ですが、前々から感じていたことともリンクいたしますし、ペーパーバーチさんがおっしゃるように有意義な議論だと思いますので、批判覚悟で少し詳しく書かせて下さい。

レッドマンさんwrote:
>>「できる人はすればいいと思いますけど、・・・」の言葉には、りゅうじんさんは、実践的に「真理」を活かそう という気持ちがないような印象を受けます。

これは多分に誤解なさっていると思います。りゅうじんさんがおっしゃりたいのは恐らくご自分のことではなく、スピリチュアリズム初心者の人々のことに目を向けて発言されたのだと思います。色んな学びの段階の人がいるんだからその人たちの気持ちも少しは考えようよ、いきなりそのレベルじゃついていけない人もいるだろうという彼の優しさから出た言葉なんじゃないかな。ご自身は霊的に啓発的なホームページを運営されているほどですから、人一倍向上心が強い方だとお見受けいたします。ただ他人に対して「僕はこれだけ努力しているんだ」とあからさまに言えない謙虚な性格なんでしょうね。(この部憶測m(_ _)m)そしてりゅうじんさんはいつか述べますが、皆さんと少し違ったアプローチの仕方で霊的に向上を目指していらっしゃるんだと思います。
(これはりゅうじんさんのご発言の前に書いたものですが、図らずも当たっていたようですね。)

ここで前々から気になっていたのは「シルバーバーチ至上主義」「ニューズレター礼賛主義」ともいうべきこの場の雰囲気です。

有希さんwrote:
>今私はスピリチュアリズムに全信頼を置いています。
>神と霊界の役に立つ良い道具になりたいと思っています。
レッドマンさんwrote:
>私は、「霊訓」が手元にある現代は、「真理の実践の時代」に入っていると考えています。
>スピリチュアリズムを知っているということが重要ではなくて、いかに実生活のなかに活かし実践して行くかが重要だと思います。

皆さんのとても真摯な姿勢に感銘すら覚えますが、皆さんも始めからそんなにシルバーバーチにはまっていたわけではありませんよね。ROMの中にはまだその名を知ったばかりの方もいらっしゃるでしょうし、まだ疑問を抱えていらっしゃる方も大勢いらっしゃると思います。だけどそれはすごく大切なことだと思うんです。真剣に向き合うからこそ、疑問が生じ、それが解かれることにより信頼が高まる。その過程が非常に大事なんです。最初から全部疑問もなしに受け入れるのであれば、それは盲信です。

実際シルバーバーチには僕自身驚くほど感銘を受けましたが、現在でも100%無条件で受け入れているわけではありません。1%いや0.1%ぐらいの自分の中の理性は「バーバネルの解離性人格障害による妄想」じゃないかという疑問があります。昔研修医の時、精神病院で驚くほど完璧な妄想建築Wahngeba:udeの持ち主がいて、弁も立つしたじろいだことがあります。だから99.9%の自分は、その素晴らしさに酔い、生きる指針とするに足ると受け入れていますが、0.1%の理性は捨てるつもりはありません。この姿勢は非常に大切だと思います。もしそのわずかな理性に照らして穴が見つかったら、いつでもシルバーバーチを捨て去る覚悟はできています。

だから有希さんやビッグママさんが「Cの人」を目指すのは素晴らしいと思いますし、シルバーバーチを座右の銘として生きようという態度はうらやましい限りですが、僕自身は上記の理性が残っているが故にそこまで踏み切れません。知識を得て十年経ったからもう実践しなければだめだというような単純なことではないんです。ところで「知識には責任が伴う」というシルバーバーチの言葉を強迫観念的に捉えるあまり、その段階に達していない人、敢えて一歩引いて捉えている人(Bの人?僕やりゅうじんさんやサードさんやアラムさん?)にまでCの人の態度を強いるのはどうでしょう。そもそもこの言葉は当時のキリスト教の聖職者がうすうす真理に気付いていながら既得権益に固執するのを批判する過程で出た言葉だと記憶しています。だから「読んじゃったから全部やらなきゃ駄目だよ。」という解釈の仕方は、シルバーバーチの本意ではないんではないでしょうか。そこのところがシルバーバーチを取っ付きにくくしている一つの理由だろうし、結果的にスピリチュアリズムの間口を狭めていることになっているような気がします。だからBの人との間に境界線を引きたがる態度や、「スピリチュアリズムについてぜんぜんわかっていないようですね。(すみれさん)」と拒絶する姿勢に接すると、りゅうじんさんの「何かの宗教みたい」とか、「シルバーバーチを閉じて考えてみよう」と言われるのも無理ないなあと思うし、「シルバーバーチ」の批判は許さないという雰囲気には疑問を感じます。Bの人もBの人なりに真剣だと思うし、「シルバーバーチ」を声高に叫べなくても、ある程度の信念をもとに苦しむ人に接した時、「大丈夫?」と声をかけながら心の中で諸霊に「祈り」を捧げる程度でもそれなりに意味のあることだと思います。そんなレベルのスピリチュアリズムがあってもいいではありませんか。あるいはもっと些細なこと、怒りの念をなるべく抑えるとか、言葉に気をつけるとかそんなことでさえ自分にとっては結構難しいんですから。でも向上を志しながらも世間と乖離しないためには必要なことだと思っています。赤の他人(もちろん生身の人間)が真理(=シルバーバーチ)を振りかざして厳しいことを言うよりは、その方が好きです。だから僕は読むだけで食欲(^-^;がなくなるような禁欲主義の「ニューズレター」も百利の陰に一害あるようで好きではありません。

レッドマンさんwrote;
>シルバーバーチの言葉の中にも、優しい言葉をかけてあげるだけでも「サービス」になるというような部分は有りますが、
>スピリチュアリズムの示す「霊的な真理」全体から見れば、優しい面と、厳しい面の両方があります。これらは表裏一体のもので一方だけを取り出して、
>こちらだけがスピリチュアリズムですと言うことは出来ません。

スピリチュアリズムの厳しい面とは具体的にどういうことでしょうか。自分を律するときの話ならわかりますが、ここでは前述のように僕もりゅうじんさんも他者とのかかわりについて言及していますから、よくわかりません。できれば引用ではなく具体的な例をあげてお教えくだされば幸いです。

りゅうじんさんwrote:
>スピリチュアリストを自認している人たちが、自分たちはすごいんだとか、霊的なことに気づかない人より優れているんだとか、気づかないやつはだめなんだとか、
>そういう気持ちがないといいなと思ったからです。

以上の理由により全く同感です。

最後にアラムさんへ
皆さんが指摘されたことは僕もある程度当たっていると思いますが、ただアラムさんはアラムさんなりに試行錯誤されて向上しようとされているのだと思うし、知識を弄んでいるだけとは思いません。それにアラムさんの発言で気づかされた事もたくさんあります。
反省すべきはし、反論すべきはきちっとするべく、また発言されるのを楽しみにしております。

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1407 他人事だとは思っておりません
名前: サード  投稿日: 2002年04月18日 (木) 12時20分23秒

こんにちは、よっしーさん。サードと申します。
江原氏関する件では既に書き込みをさせていただきましたので、私宛のコメント部分についてお返事を
させていただきたいと思います。

『本当にこのようにお考えですか?人ごとだからいいんですか?
 大変無責任な発言だと思います。少なくとも真理を理解している人の発言とは思えません。
 そんないい加減な態度ではなく、良いものは良い、悪いものは悪いと、はっきり言うべきだと思います。
 法外な値段をつけて良いわけはありません。』
                            No1398 真理について  改行位置変更

私が真理を理解しているかどうかですが、私は真理を理解しと言えるほどの者ではありません。
何故なら、真理を理解するべく努力している最中だからです。
若干ではありますが、これは真理ではないか?と思えることもあるので、それを述べる事はあります。
ですがその僅かに思えたことでさえも、空恐ろしいほどの奥深さがあります。
単純に口にしてはいけない、という畏怖を常に抱きつづけているのです。
ですので「私は真理を理解した」と言える者ではないのです。
真理を学び続けるの者なのだと、私は自らのことを思います。
さて、これらを踏まえた上で、ヨッシーさんへのコメントを書かせていただきます。

ボッタクリ料金5万円。これで幸せになれるのなら、苦笑いするしかないです。
他人事だから良いのだ、と思ってるわけではありませ。他人事ではないから、そう思っているのです。
かっての私はこのような「勉強代」を必要とする人間だったのです。
昔の自分のことだから良く分かります。代価を払って、しまった!と自覚するまで他人様の言葉は
耳に入らないものなのです。どんなに周りから言われても、「いや、俺は信じる」と受け付けないのです。
そして、気が付くのです。お金の高い安いではなく、他人様に問題解決を依頼したことが間違いだったと。
・・・今でもそうですが、私は愚かですよね。
でも自分が愚かだと気が付くためには、この手の詐欺同然行為を味あわないと分からない人間なのです。
他人事ではないので「それは間違ってるよ」という言葉が如何に届かないかが良く分かるのです。
振り返ってみてはじめて「あの人の言葉は正しかった」と分かるものなのです。
トラブルが起き、痛い目に会ったとしても、それはその人が味あわねばならない重要な勉強だと思います。
だから、他人様で同じようなことがおきたとしても、見守るしかない時期があるのだと私は思うのです。

んで、良いものは良い、悪いものは悪いと、述べさせてもらった上で私は見守るしかないのだと思うのですが、
私は、江原氏のやり方が良いとは一言たりとも言ってませんよね?(^^;;
忌憚なく彼の著作や伝え聞く行いを評価すれば
「詐欺師同然」、「スピリチュアリズムには程遠い」、「軽佻浮薄の奇麗事のみ」
と言ったところでしょうか。つまり、信用に値しないということです。
人の言葉をこき下ろすのはあまり好きではないので、やんわりと否定したつもりだったのですが、どうやらそれが
誤解を招いてしまったようです。ですので、江原氏に関しこの場ではっきりと酷評させていただきます。(^^;

ちなみに、ですが。江原氏の料金設定は「法外」ではありません。
料金設定が世間一般の常識から大きく逸脱しているだけの、法的には合法な行為なのです。
五万円でも良いという人がいるので、両者納得の上での取引ですから、法的には口をはさむ余地がない。
結婚しよう、などといって相手を騙くらかして、金だけとってとんずらこいた、という詐欺師とは違うのですよね。
だから詐欺師同然であっても、詐欺師ではないのです。
これが霊感商法等の真にいやらしいところなんですが・・・。

とはいえ地上の法規にのっとれば合法でも、霊界の真相から見れば「悪質な便乗商法」なんですがねえ。
(ここらは有希さんが、正確に述べているところですよね)

さて、以上になります。
ヨッシーさん、今後ともよろしくお願いいたします。

サード

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1403 学ぶとは何か
名前: サード  投稿日: 2002年04月18日 (木) 11時29分22秒

ペーパーバーチさん、皆さんこんにちは。サードと申します。
私の書き込みに対して、レッドマンさん、よっしーさんからコメントを頂きました。
その部分について私の意見を述べさせてもらいますね。

まずはレッドマンさん。

『私は、サードさんのように、「詐欺師は詐欺師なりの報いを受けるからほっておけば」とか
「だまされる人も、悪いのだからほっておけば」というような見方。
 明らかに間違ったもの、間違った行いと知りつつ放っておくことが正しいとは思えません。
「スピリチュアリズム」というものの、ことの重大さが見えていないのではないでしょうか。』
     NO1391 スピリチュアリズムとは、2 改行位置変更

スピリチュアリズムの重大さが見えていない、というご指摘は、なるほどその通りだと思います。
私にとって霊的知識というものは、「今後の取組み課題」のようなものです。勉強の端緒についたばかりであって、
その内容の真の重大さを理解しているとは言いがたいと、自覚しております。
皆様のようにもっと真摯に受け止めたいとは思うのですが・・・その点では恥じ入るばかりです。

ですが、間違ったものを放っておく、というご指摘は私の姿勢とは異なります。
私は「江原氏は信用に値しない」と明言しております。
今後はともかく、少なくとも現在の氏の著作はスピリチュアリズムに値しないとはっきり申し上げております。
その上でも「いや、江原氏は素晴らしい」と述べる方がおられるのならば、徹底的に議論した上で「ご自由に」と
申し上げたいと思っているのです。
これだけでも、決して放っておいているわけではないのだと、ご理解いただきたいと思います。

じゃあ間違ってもよいのか、騙されてもよいのか。そうお考えになる方もいるかもしれません。
私は、間違っても良いし、騙されても良いと考えます。
私は迷うことはとても重要な勉強だと思のです。騙される事さえも大切なチャンスではないでしょうか。
間違った分だけ、迷った分だけ、真実の重みが増すと思うのです。私は断固としてそう思ってます。

迷うことは真実へ向かうための道筋だと思うからです。重要なことは真実に向かおうとする気概です。
江原氏という影響、すなわち紛い物の影響を打ち消せるのは、真実しかないと思っております。
真実がシルバーバーチ霊の言葉ならば、真実へ向かうための道標はペーパーバーチさんや有希さんのようなご活躍
だと思ってます。私自身がそうです。江原氏の著作を読んでからペーパーバーチさんや有希さんのページを知り、
シルバーバーチの霊訓に触れました。その結果、もはや江原氏の述べる言葉は軽佻浮薄で真実から遠いものでしか
ないと痛感しております。

私自身、ペーパーバーチさんのページに出会うまで、シルバーバーチ霊の言葉を知りませんでした。
そこに至る間、哲学、宗教、ニューエイジ(江原氏も含まれます)、様々な遍歴を行い、かなり痛い目にも会いました。
でも、それはとても重要だったと思っております。不可避で不可欠な行程だったと思うのです。
江原氏を信じたが為に痛い目に会う方もいるかもしれません。
それもまたその人が味あわねばならない、重要な勉強ではないでしょうか。
また、私のように江原氏のスピリチュアリズムという言葉からペーパーバーチさんへ辿り着くこともあるのです。
江原氏の述べていることは、意図的に歪められたものだと私も思います。
その責務は彼自身が払わねばならない重大なものとなるでしょう。
しかしその江原氏でさえも、真実へ向かうために用意された布石の一つであるとは考えられないでしょうか。

苦悩を味わうために生まれてきた、とシルバーバーチ霊は述べていたと私は覚えております。
我々が地上に生を受けたのは、勉強するためです。苦悩こそが勉強そのものなのではないでしょうか。
ならば迷いや間違いは大切なことなのではないでしょうか。
真実へ向かうためには、回り道による苦悩を味わう必要があるのだと私は思うのです。
江原氏も、そんな回り道の一つなのではないでしょうか。

こんな所でしょうか。
それではレッドマンさん、今後ともよろしくお願いいたします。

サード

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1402 ありがとうございます。
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月18日 (木) 11時14分20秒

みなさん、こんにちは。お騒がせしてます。
僕の乱暴な書き込みにいろいろとご意見をありがとうございます。

りゅうじん〜
> 僕は、何も知らずに自信を失って苦しんでる人に、大丈夫だよと言ってあげたいんだけど。

まず、これが結構混乱を招いてしまったようです。僕は「大丈夫だよ」と言って、「なんで?」と聞かれたら、その後、その人の理解できる範囲で話を進めて行くというつもりで書いたんですが、言葉足らずでした。すいません。

僕は確かに大したことはできていません。霊的な発想をベースにいろいろ考えたことをたまにホームページに発表して、それなりの反応はもらっていますが、あとはごく普通の生活をしている凡人です。自分では真理に添って生きているつもりなんですが、そんなんじゃだめだと言われればそうかもしれません。

僕は普段は、霊的なことに目覚めた人に対してはそれぞれのやり方もあるし、自分で考えるしかないことだし、とやかく言うつもりはありません。ただ、僕が今回書き込んだのは、スピリチュアリストを自認している人たちが、自分たちはすごいんだとか、霊的なことに気づかない人より優れているんだとか、気づかないやつはだめなんだとか、そういう気持ちがないといいなと思ったからです。

言わずもがなですが、一番救わなければならないのは何も知らずに苦しんでいる人で、スピリチュアリズムは一部の人のものではなく、万人を救えるものだと思います。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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1401 真理の二面性
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月18日 (木) 02時49分07秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。
この2日間の皆さんの書き込み、じっくり拝見させていただきました。

りゅうじんさんの
 『真理とは、誰も見捨てられることなく、その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの。スピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど、多くの人には受け入れられにくいんじゃないかな』
というコメントにいろいろな面が見え隠れして、たくさんのご意見が出てきたのでしょうね。

シルバーバーチはこう言っています。

『真理は魂がそれを悟る準備のできたときに初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備のできていない者は救われません。霊的真理を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。』シルバーバーチの霊訓1−55

霊的な真理を受け入れる準備のできた者が始めて学べるといっている箇所です。確かに、りゅうじんさんのおっしゃることは、こうしたシルバーバーチの言葉と同じようですが微妙にちがうのです。

『真理とは、誰も見捨てられることなく』
ここまではうんうんそうそう、誰一人見捨てられることはないのです。
『その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの』
ここらへんが問題なのでしょうね。真理は真理、摂理なのですから人間の側から「与えられるべきもの」と決めるわけにいきません。その人が受け入れられるレベルまで達して、その魂の内容に応じてふさわしいものが与えられるだけで、人間側の都合で与えられるものではないのでは?さらに
『スピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど』
スピリチュアリストという名称はどうでもいいのですが、スピリチュアリズムを受け入れ、真理を知ったものはこうあるべきというのは高級霊が何度もいっている内容ではありませんか?

『知識を獲得した者は、それを他人のために使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕のために使用する義務があります。それが取りもなおさず自分の魂の向上へとつながるのです。』シルバーバーチの霊訓2−52

シルバーバーチは「こうあるべき」どころか「義務」とまで言っています。これを実践しなさい、それがあなたたちの義務なのですと。有希さんやレッドマンさんがおっしゃるのはこのあたりのことでしょうね。そこのところをさらにりゅうじんさんは
『多くの人には受け入れられにくいんじゃないかな』
ということをおっしゃる。人間側の都合の言葉ですよ、これは。本来ならば、誰もが受け入れられるはず(霊的に向上し、澄み切った霊性をもてたら)の霊的真理なのですが、今の地上では霊性が曇りきってしまい、わずかな人がわずかな真理を徐々に受け入れていくしかできなくなっているわけです。多くの人が受け入れられるというものは、霊的な真理のかけらではあるかも知れませんが、その最も核心的なところには触れることすらないに違いありません。

霊的真理から受け取る内容には二面性があります。
?神は摂理を通して一人も欠けることなく愛し導いてくださる。
   (守護霊の気の遠くなるような献身的な働きかけ、無償の愛はまさにこれです。)
?獲得した知識をもって、一人でも多くの人のために奉仕することが大切。

りゅうじんさんがおっしゃるのは、?のことですよね。そして有希さん、レッドマンさん等がおっしゃるのは、??両方だと思うのです。彼等も「神が気づいた人だけを救おうとする」などとはこれっぽちも思っていらっしゃらないと思いますよ。むしろ?はうれしい、でも、これまでの神・霊界の働きかけを考えたら、それより?奉仕の実践に自分たちは目を向けるべきだろうとおっしゃっているのだと思うのです。そして私もそうだと思います。

またまたシルバーバーチを引用しましょう。

『今の時代にもっとも必要なのは、簡単な基本的真理――墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみまで大霊の愛の温もりをもつ慈悲深い力が行きわたっていて、一人ひとりに導きを与えていること、それだけです。これは人間すべてが知っておくべきことです。』古代霊シルバーバーチ不滅の真理139

りゅうじんさんの言葉にぴったりですよね。「最もシンプルな真理」です。そして、さらに同じ本で

『いつかは魂が光明を求めるようになります。・・・・・・そうした段階に至った人たちのために、できるだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。・・・・・・愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょう。が、そうしたものにも耐え抜かないといけません。・・・・・・いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、すべての人に愛をもって、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。それが霊的教訓の基調なのです。』古代霊シルバーバーチ不滅の真理27

とも言っているのです。この後の部分を抜いては、スピリチュアリズムは語れません。私たちが実践していかなくてはならない内容です。

せっかく出会ったシルバーバーチの霊訓、参考書などといわず、座右の書として、人生の指針として向き合っていけたらいいと思いませんか?

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