心霊学研究所

(期間限定)悠々塾問題特設掲示板

悠々塾問題専用の期間限定特設掲示板。過去ログ(その1)です。

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1001 ペーパーバーチさんへ
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年08月31日 (金) 22時56分40秒

あなたに対する今回の働きかけはひとまず終えるときが近づいています。
この間のあなたとのやり取りにおいて、私はなるだけ私個人としての心情は差し挟まないようにしてきたつもりです。(もちろん完璧にそうできたとは言いませんが。)
しかし、先生のことについては私の個人的な気持ちを改めて伝えさせていただきたい。(今の私の気持ちは、敬体では綴りにくいので、申し訳ないが常体にて書き進めたい。決して興奮しているわけではないので思い違いをしないように)

参考資料として、98年に私が書いた文章を掲載させていただいた。
あの福山での集いの後、あなたも「事実の一部」に関してはご存知である不祥事があった。
ことの詳細についてあなたに全てを語るつもりはない。(霊界にて全てを知ったほうがあなたにとっては幸せだろう。)
一方の当事者は、先生と私のことを思って、数ヶ月間は私にも伏せていた。しかし、ついに持ちきれなくなって資料を添えて私に相談があった。ちょうどその頃は、私たち自身怪訝に思いながら、もたらされる先生に対する非常に厳しいメッセージの受信が続いていた。私たちは恐縮し、「尊敬する先生に対してなぜこのような厳しいメッセージがもたらされるのか理解できない。私たちの立場や気持ちに配慮していただきたい」と、霊団に要請するほどだった。
しかし、一方の当事者からの資料を見たとき、全てが分かり、改めてメッセージの適確さを思い知らされることになった。(メッセージの内容が本人にとって受け入れたくないものであるとき、拒絶反応を起こすことはしばしばある。しかし、本人が見たくなかった自分の心を見据える勇気が出たときに、本当はそうだった、と静かに認めることができるようになる。全てではないがほとんどの場合は。それだけ傷が深いということだろう殻、そのときはそれで仕方がない)

私と堀江は驚き、先生はその人のことを誤解しているのかもしれないと思った。(私の言う「誤解」とは、悪意のない間違いのことと理解していただきたい)それで、その人は決して裕福ではないこと、戦時中は中国に住み、子供の頃から寂しい思いをし、人に裏切られ、苦労を重ね、今は小さな小さな居酒屋を営んでいる。悠々塾発足の直前に私と出会い、シルバーバーチを読み始め「これで人生に迷わなくなる」と大感激し、店に来るお客に訝られながらもシルバーバーチを読むことを勧めている。今までの苦労を元気に換えてお客に注いでいるような人で、店でも悠々塾でも、お母さんのように皆から慕われている。
そんな人だから、「お役に立てればそれで嬉しい」と言ってくれていた。しかし、そんな人だからこそ、失望し傷ついているのが見えてしまった。
いろいろあったけれども今年もいい年だった、とその人が思えるように一言言ってあげてほしいと先生に手紙を書いた。もう年末になっていた。
その手紙のコピーはその人にも送った。その人は、大きく、しかし涙声で「ありがとう!」と言い、私(飯沼)と先生との関係が悪くなったらどうしよう、と言葉を続けた。

その後私たちがどう言われているかは、あなたの方がよく知っているのだろう。

ペーパーバーチさん、あなたは「悠々塾の飯沼は、近藤先生を利用しようとし、それが失敗すると態度を豹変させて、誹謗中傷し始めた」という意味のことを何度もこの場で言った。他のことでも、私たちを誹謗中傷しているが、その全てはあなたが事実を無視してもそう言わざるをえない、あるいはことの真実を理解するだけの力を持っていないからだと理解して、あまり取り合ってはこなかった。本当はどうなのか、私たちが知っていることなのだし、分かる気がない者に説明する不毛よりはもっと本質的なことを伝えていく方を選んだのだ。その意味では、この話も同じではある。事実はどうだったのか、それに対して私の考え、気持ちはどうだったのか、それは私がいちばん知っている。神の鏡に映った本当のことを。この件に関してのみは、あなたに私の気持ちを伝えておきたい。分かってほしいのではない。あなたはもう少し人が大切にしている心を知っておいたほうがよいと思うからだ。
事の次第を知った当初、私の中にも大きな驚きとともに、憤りがあったことは否定しない。裏切られた思いがした。許しがたいとも思った。しかし、それはすぐに越えられた。なぜなら、私はやはり先生のことを敬愛しているのだ。たとえどんなことがあろうとも。
(あなたと親しい人には、そんな私の気持ちを伝えていたのだが、なぜか今日まであなたには伝わらなかったようだ)

悠々塾の掲示板にも書いたと思うが、私は40歳を過ぎてはじめて霊的世界を受け入れた。先生の翻訳による「シルバーバーチの霊訓」を人から借りて初めて読んだとき、机に突っ伏して泣いてしまったのだ。(それより少し前に、ほかの人の翻訳のものの抜粋を読んだときには、あまり心に響かなかったのに。)
今までの人生で紆余曲折しながら、自分自身ずいぶんと傷つきながらも、捜し求めていたものにやっとめぐりあえた、そんな喜びは初めてだった。自分では抑えられないくらい涙が出て、今までの自分が恥ずかしくもあり、なぜか懐かしく嬉しくもあった。
その後も先生が翻訳されたものを次々に読み、霊的世界やその法則について学んで行くことができた。その頃は精神世界がブームになっていて本屋の棚には、玉石混合どころか味噌も糞も一緒という感じで、その手の本が並んでいた。実際、非常に有名になり精神世界の旗手のように宣伝されている人たちの著書や訳書が、内容的には魅力がなかったりで、先生の名前を目印にして先生のお仕事の後をたどるようにして私は学ばせていただいた。それがなければ、もっともっと遠回りしていたと思う。
私は、先生のお働きに導かれて、それまでの自分の人生を振り返り、さまざまな出来事に関する自分の動機をありのままにたどりなおす勇気をもつことができた。それは恥じ入りたい気持ちにさせられることもあったが、同時にこんな自分でも役に立つのならと、人生の目標や本当の意味での生きる喜びを与えてくれもした。その頃はすでに私が人の病を治すエネルギーの媒体になることは知っていたし、頼まれて病者さんと関わることもあった。そのことの意味を知ったのも先生のお働きによってだった。私は霊的真理に基づいて人を癒し、地上を癒すヒーラーを目指して、それまでの仕事をやめた。経済的なところでは家族には辛い思いをさせ、今も同じようなものだ。しかし、その時々に導きがもたらされて今日まで自らを点検しながら、働きを続けてきた。まさに魂の伴侶の堀江とも巡り会い、家族の理解も得られ、心から信じあえるたくさんの仲間や家族とともに学びと働きを続けている私は、今本当に幸せを実感している。病が癒され、そうはならなくても平安のうちに死を迎え、見送り、あるいはいがみ合っていた家族が手を取り合って涙する。そんな場に立会い、幾ばくかでもお役に立てたことの喜び。もちろん、全てがこちらの希望通りに運ぶわけでもなく、いつも、そしてまだまだ道は険しくとも。自らの過ちや至らなさを取り繕う必要もなく、ありのままに自分の動機や言動に心を向けてそれを認め、詫びるべきところは詫びて次の導きを待つ。人の気持ちは考慮に入れながらも、その人の魂にとって何が本当に役に立つのかを考え、確信がもてれば誤解や反発を恐れることもない。
この掛け替えのない喜びの全ては、「シルバーバーチの霊訓」に学び始めてからのものだ。シルバーバーチの波動と共鳴した先生の日本語訳があればこその幸せだと思っている。
だから、あなたの言うように、私は先生に大恩を感じている。
だからこそ、大恩のある先生だからこそ、今も敬愛してやまない先生だからこそ、先生のお働きから学んだ霊的真理でもって、動機を純粋にして先生に恩返しをしたいと思っているのだ。何よりも先生の今後のお働きのために。先の見えない不安の中で、澱みきったなかで、人々がようやく変化・変革を求め、新しい価値観を求め始めている今こそ、先生の使命である「霊的真理を地上に普及させる働き」に邁進していただきたいと思うのだ。

ペーパーバーチさん、私は先生のご事情やお気持ちはある程度分かっているつもりだ。
霊的に見れば非常に大きな働きが、地上においてはふさわしくは認められず、さまざまなところで報われなさを味わいながらのお働きであったことも。そんな先生のお気持ちは私にも痛いほど分かる。そんななかで、どんな人でも多少は心かげらせ、思い違いをし、地上的にも霊的にも言動にかげりが反映されてしまうのは、人間である限り、致し方のないことだとも思っている。
地上に生きる人間は、やはり弱いもの。
だからこそ、ときには背後霊団からの強烈な導きもあるのだし、その人のことを心から思う者達からの働きかけもあるのだ。
何としてもそこを越えなければ、次に進めない、背後霊団も次の導きをもたらしようのない大きな峠は確かにあるのだよ。先生にとっても、あなたにとっても。

ペーパーバーチさん。あなたが今年の2月に、有希さんの掲示板で悠々塾のことを、「あんな・・・」と軽蔑を含んで評した後、「近藤先生からの手紙を掲載したいのですが」と、あなたとやり取りをしていた彼から提案があった。私信といっても個人の名誉に関わることが書いているわけでもなく、それによって先生に対する働きかけができるのであればと思い、私も同意した。その意味では私の中に計画はあった。あなたが、そのことのモラルを問うのであれば、あなたの知っている事実に比して考えてみてほしい。そして、もっと大きな事実があるのを知っていたのであれば、どう考えてもそれに比べれば大した事ではない私信の公開をあれほどまでに攻撃したあなたの動機についても。そして、余裕があれば、ここで明かした私たちの動機についてももう一度考えてみてほしい。

これを読んであなたがどう思うか、そしてこの投稿をどう扱うか、それは私には分からない。
しかし、あなたは今、人の心、人の気持ちについて知らねばならない。
真実の喜びの人生を提示してくださった先生に対する、感謝と敬愛の気持ちは、たとえ何があろうとも消えはしない。まして、夜明け近くまで酒を酌み交わし、比べものにはならないにしても同じような報われなさに共感し、いたわりとねぎらいの気持ちを抱き、先生がもっともっと喜びと幸せのなかで使命を全うされることを心から願い祈った、そんな親愛の情が消え去ることは決してないのだ。たとえあなたがどう言おうとも、先生が今はどう思い何と言っておられようとも、私も堀江も、林さんも、祐造さんたちも。そして、もちろんもう一方の当事者の居酒屋のお母さんも。
確かに今の状態は私たちにとって、不本意ではあるし、寂しくもある。だからといって、先生に絶望したり、先生を否定したり、切り捨てたりはしないししたくもない。
現状がこうであるからこそ、先生のことを思う気持ちは強くなり、信じる心も強くなっていくのだ。先生の幸せを願うのだ。
シルバーバーチの翻訳は、やはり先生にしかできない大きなお働きだった。これからまだまだ先生にしかできない仕事が準備されていると信じている。むしろ、先生は今までのお働きを土台にして、これから先生ならではの真価を発揮されていかれると思っている。たとえ、先生ご自身が、今はそうは思えてはいなくとも。

ペーパーバーチさん、今のあなたには受け入れられなくとも、分からなくとも、これが先生への私の気持ちだ。この気持ちに一点の偽りもないことを、あなたはいつか知るだろう。それはもちろん、地上であなたが真実に目覚めたとき、あるいは真実の霊界に移行できたとき。
そのときには、たった一言でいいから心から詫びなさい。そうせずにはいられないとは思うが。私たちは、先生のお気持ちもあなたのことも分かったうえでの働きかけ。
許すも許さないもないのだよ。分かっているのだから。先生とあなたのことを思っているのだから。だから、そのときがくれば、たった一言でいい、「ごめんなさい」と言いなさい。勇気を出して、言葉にしなさい。全ては神の許しのなか。そして全ては神の愛のなか。現れの違いは、愛の大きさの違いのみ、自分に喜びをもたらそうとするのか、自分を含めた人やあまねく生命に喜びをもたらそうとするのか。人は必ず成長し、進化する。それゆえに、人の抱く愛の大きさ深さも成長する。
悠々、神とともに天地を歩め
悠々塾と、通信「天地悠々」の名前の由来です。

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1000 参考資料として
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年08月31日 (金) 22時52分49秒

 近藤先生を囲む会の御案内 
----「スピリチュアリズムと宇宙哲学」御出版を記念して----

「シルバー・バーチの霊訓」「ベールの彼方の生活」などの莊重な名訳で知られる近藤先生が、書き下しで「スピリチュアリズムと宇宙哲学」(現代書林)の著書を出版されました。先生は50冊以上の本を出版されており、今さら「出版記念会」でもないのですが、今回の御出版は先生のお働きにとってひとつの節目のように思われます。先生の著書、訳書に導かれてきた者として直感的にそう思われます。

 先生は40年以上もの間、ひたすらスピリチュアリズムをこの国の心ある者たちに伝え続けてこられました。おそらく「霊」という言葉を使うのもはばかれる時代から、吟味を重ねたうえで「本物」を選び、心の位相を高くして霊団からの導きを受けながら、翻訳を続けてこられたのだと思います。
「言葉は見えない真理をここまで言い表すことができるのか」と驚嘆しながら、何も知らなかった私たちは多くのことを学ばせて頂きました。死の意味、それゆえに地上の生の意味、永遠に学び進化し続ける私たちの霊魂、病について、癒しのこと、人の役に立つということ・・・・。 それらすべてが、生命の情報として、つながりをもって、この数年間の私たちを導いてくれています。そして何よりも、こんな自分であっても、そこにとどまることなく素直に、謙虚に自らの至らなさを克服していこうとすることが喜びなのだと知ることができつつあるように思います。近藤先生のお働きによって多くの人たちが魂に目ざめ、大いなる摂理の流れを感じ、地上人生についての考えを改めつつあることは間違いありません。しかし一方では、安易軽薄な物質主義や自分主義の世の風潮のなかで、大多数の人々がそれに触れようともしなかったのも、残念ながら事実です。それゆえに、金銭や名声など、肉眼に映る報酬とは遠いところでの先生の40年余りのお働きであったようです。
だからこそ、飾りを排した言葉があれほどまでにきらめくのかもしれませんが・・・・。
 同じ境遇にある私たちは見える分野ではお役に立てそうもありません。しかし、今回の御出版を機会にこれまでの近藤先生の地道で深いお働きに、改めて感謝の心をお伝えする意味で、「近藤先生を囲む会」を企画しました。何よりも、楽しい時を共に過ごしたいと思います。ぜひぜひ御参加下さい。
                       1998年4月14日

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0999 私自身が感じてきたこと
名前: 有希  投稿日: 2001年08月31日 (金) 17時29分07秒

Mr.しろさんのご意見には全て同感し、また納得のいくことばかりでした。
それどころか真摯な姿勢と的確な内容から、改めてスピリチュアリズムを再確認させていただきました。

また、私はこの話題に加わるつもりはありませんでしたが、しろさんに触発されて、少し述べさせていただくことにします。

飯沼さん wrote:
> 今までのこちらからのコメントなりメッセージなりを読んで、また、悠々塾のH・Pを読んで頂ければ、最低限
> それくらいのことはお分かり頂けると思います。

ということでしたが、正直言いまして、悠々塾のHPの内容はあまりにも地上的すぎるし、とても高級霊からのものとは思えませんでした。シルバーバーチにしても、インペレ―ターにしても、質問されないかぎりは地上的な細かい内容は出てきません。また、質問されても細か過ぎる具体的な回答は示していません。常に摂理に則った回答だけです。そういう観点から考えると、花粉症、不登校、いじめ、神戸事件、容姿、肥満、等その他はあまりにも地上的過ぎるといえば地上的過ぎるように思います。こうした内容を取り上げること自体、すでに高級霊からのものではないと最初から判断していました。ただ、悠々塾を信頼して集う方たちも多くいるようですから、あえてはっきりとは書きませんでした。ただーーー

> 一度も自分たちを「高級霊」や「高級霊団」などと名乗ってはいません。

とおっしゃっていますから、きっと回りに集う人たちが勝手に「高級霊」だと解釈しただけだったのでしょうね。
たとえ高級霊にしても、そうでないにしても、自分たちは高級霊団だとは伝えられないでしょうから、そういう観点で見れば、私からは特に何も申し上げることはありません。

Mr.しろさん wrote:
>  これまでの経験から、この質問の半分にほぼ正確に答えていただいたら、その霊界通信は本物だと判断しま
> す。これまで試して来た中で、本当の霊媒者では、いずれもそれぐらいの回答率を示しています。

ということで、回答率について少し述べさせていただきます。今年の2月に私のところの掲示板にある人に対してのメーセージが載せられました。それに対して、掲示板に載せるより個人メールで知らせた方がいいのでは、との旨のメールを出したところ、その回答は頂けずに、逆に私に対してのメッセージが降りたということで、その内容を頂きました。

ところが、そのメッセージは前面に渡って私個人の内容とはかけ離れており、とても私に宛てたものとは思えませんでした。回答率で言うならば、ゼロに等しかったです。こんなことを書いては失礼かもしれませんが、青森のイタコでももう少し当たるのではないかと思ったぐらいです。

そうした疑問を持って「どのあたりからのメッセージですか?」とお聞きしたところ(どの霊からのものとは聞きませんでしたが)

> 私どもからのメッセージをあなたに送るにあたっては、“どの霊”などと身元を明かす必要はない。
> ただ、あなたの「魂の成長」を願い導く霊、指導霊、からのインスピレーションとだけ理解してもらえば
> よろしい。

というお返事を頂きました。私の指導霊ならなおさらのこと、私の詳細、特にどれくらい成長しているかはことごとく把握しているはずでしょうに、どれもこれも残念ながら的外れなことばかりでした。それに加えて、もし私の指導霊からのものであるなら、私とは波長がピッタリするはずです。ところが波長が全く合わず、読んでもその真意が理解できず、それ以前に心に全く入ってきませんでした。ですから、読むのにかなり時間を要したのと、書いてある内容の要点もはっきりしていないため、言いたいこともつかめないままでした。ただ、読む視点を変えて、スピリチュアリズムをかじりかけの人が読んだらと考えれば、かなり当てはまっていたとは思います。

次に、悠々塾の掲示板でのK氏へのメッセージに対してですが、私はーーー
> 霊界通信について感じるところは人様々でしょうけど、こちらの掲示板に書かれてあったことを読んだ時、
> 私は人間的な感情が多分に入っているように感じました。霊界通信と称してはいますが、実はその影には
> ご自分たちの感情とか意見が無意識のうちに含まれてはいるのではないでしょうか。

とそちらの掲示板に書きました。それに対して

> 感情が強く入り込んでいる可能性は低いと回答いたします。少なくとも、霊団の意図を歪めるような、霊媒の
> 感情移入はないし、もしもあれば、私が指摘します。

ということでした。私は何度読んでも、いえ読めば読むほど人間的感情が入っているとしか思えないんですよね。それに、高級霊ではないにしろ、ある程度高い霊からのものであるなら、それは本人だけに送られるもので、ましてや本人の知らないところであのようなメッセージを載せることは許さないのではないでしょうか。

次に、以下のことに関しては、私がペーパーバーチさんのことをあれこれ書いて飯沼さんにメールを送ったかのようなニュアンスに受け取られるかもしれないので、それに対してです。

飯沼さん wrote:
>  なお、あのやり取りが終わったあとで、管理人である有希さんにはこちらから「牛若丸を名乗った」と
> お知らせしてあります。
> 彼女からはあなたのことについてメールを頂いていましたから、「牛若丸」のことはあなたの方にも伝わっ
> ていると思っていました。

確かにそれは伺っています。
ただし、それは個人メールで頂いたということは第三者に知らせるべきものではないと判断しましたので、家族同様のつながりを持った人以外には牛若丸さんが飯沼さんだったということは知らせてありません。

ちょうどこの頃、ある人を信頼してメールで話したのを、それをそのまま横流しされて愕然としたことがありました。当然、その方からは相手の方がどう言われたかも私に伝わって来ていますから(誰からのものとはいいませんが、当事者は思い当たると思います)、それ以降は個人メールの内容、特にメールの送り主自身に関することを第三者に伝えることには更に気をつけています。
ただ、このことに関しては自分の軽率さを反省したしだいです。

> 彼女からはあなたのことについてメールを頂いていましたから、

これに関しては、ペーパーバーチさんのことをあれこれ書いて送ったわけではなく、飯沼さんが「そちらの掲示板に,牛若丸の名で投稿したのは私です」と知らせてくださったことに対して返信メールを送った際、4行だけ言葉を書き添えました。飯沼さんはそのことをおっしゃっているわけですよね。

その部分を転載します。

>> 有希さんは,もうお解りかと思いますが,そちらの掲示板に,牛若丸の名で投稿したの
>> は私です。

> そうでしたか。
> ペーパーバーチさんのことは悪く思わないでくださいね。
> 悪気は全然ないんです。
> 彼は霊的というより、知性的なのでああいった表現になるようですから。

たったこれだけの内容です。
ペーパーバーチさんは私の同志であり、弟のような存在ですから、身内の感覚でこういうコメントをしました。
ですから、私が特別な意味でわざわざメールを送ったわけではありません。

以上、長々と書きましたが、飯沼さん個人に対してはとても純粋な方だと思っていますが、悠々塾に関しては以上のような次第です。

Mr.しろさん wrote:
> 真偽の確かでない霊界通信を自由に載せることは、スピリチュアリズムの権威をおとしめることになります。
> そうした明確な一線がないと、スピリチュアリズムを新興宗教と何ら変わらないレベルで扱うことになって
> しまいます。スピリチュアリズムの掲示板としての権威が失われてしまうように思うのです。
> いかがなものでしょうか?

おっしゃる通りです。
以後気をつけたいと思います。

最後に悠々塾の方達に一言。
今、悠々塾は原点に戻って考えるいい機会なのかもしれません。
私自身、スピリチュアリストを自称していますけれど、Mr.しろさんのおっしゃったことを自分にも当てはめて、もっとしっかりとした視点で臨まなければいけないなと深く反省しました。
Mr.しろさん、ありがとうございました。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit

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0998 シロさんへ
名前: 悠々塾  飯沼  投稿日: 2001年08月30日 (木) 23時22分47秒

シルバーバーチが地上に働きかけをはじめたその動機を、あなたはどうとらえているのでしょう。
まず、それに答えていただきたい。
それと、悠々塾の働きの動機と実際についてのあなたのご見解を是非聞かせていただきたい。

さにわについては、悠々塾の掲示板において掲載していると思います。
もしお読みになっていなければ、読んでみてください。ご感想もぜひお聞かせ願いたい。
確か、ペーパーバーチさんへのメッセージに近いあたりにあったと思います。

あなたとはもっともっと話をしたうえで、あなたのテストについては考えます。
テストをする人の資質や動機を見極めるのも、私の仕事ですし、それは当然のことでもありましょう。
信頼のおけない人のテストを受けるほど、私は媚びるつもりはありません。
今までのこちらからのコメントなりメッセージなりを読んで、また、悠々塾のH・Pを読んで頂ければ、最低限それくらいのことはお分かり頂けると思います。
それでもどうしてもと仰るのであれば、時間のあるときに受信をする事に吝かではありませんが、個人メッセージについては、その人のあるべき心の姿についてになりますから、あなたのご意向に沿えるかどうかは分かりません。しかしあなたの心は間違いなくあなたが知っているのですから、真偽はそれで分かるのではありませんか?私たちからは、あなたの親族のお名前はおろか、あなたのお名前さえ確かめようがないのですから、何いついて受信しても正誤の判定はあなたの気持ちひとつなのですし。
ざっと一読しただけですが、あなたの動機は語るに落ちるという印象です。

しかし、あなたが誰であるかは詮索しないまでも、もう少し大きな視野でアタマを使いませんか?

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/

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0997 アラムさんの御質問への回答です
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月30日 (木) 22時34分10秒

 「悠々塾」は団体や組織ではないことを、まずお伝えしておきます。ホームページを見て頂けば分かると思いますが、癒しの場(実際の治療)であり学びの場です。もともとは、治療に使う建物にその名前をつけたのが始まりです。ですから、会員制や規約はもちろんのこと、何の強制も規制もありません。集いたい者が集い、学びたい者が学んでいます。つながる人たちの「意志」が尊重されるのは当然のことと私たちは認識しています。

 私たちを導いてくれる霊団については、以下のように伝えられています。
 「地上人類の霊的進化のプログラムに従って、さまざまな働きかけが霊界側からなされました。私どもはその計画の一翼を担う者たちです。
 人々の心のかげりが地上界にまん延し、形となって表れ、それが極まってどうしようもない状態に陥った時、人類は次の段階へ進む時期だと言えるのです。
 その時に、「目指すべき方向を示し、それに至る具体的な生き方を提示し、気づきと変化を促していく、そのために多岐にわたる情報の提供―――それは人々の恐れを排し、希望を見出していくためのもの―――を通信の形でしていく、さらには最大の恐れである病の癒しをもたらしていく。地上的な恐れの解放は「病」から始まるがそれだけにはとどまらない。「死」について知ること、争いや飢餓をなくすこと、偏見や差別をなくすこと・・・。それぞれの分野でそれぞれの者がどう働いていけば、恐れを排し、希望をもたらしていけるのか。その具体的な指針は通信によって示していく。そのために与えられた場で力を発揮したいと願う者への導きは少しも惜しまない。私たち自身が、地上の浄化のプログラムを推進するための貢献を喜びとして集まった者たちなのだから。」

 私たちは「悠々塾からの情報発信」としてメッセージを提示しますが、そのなかでは常に「貢献を喜びとする者たちの集まり」と霊団は自称しています。一度も自分たちを「高級霊」や「高級霊団」などと名乗ってはいません。加えて、たとえ、いわゆる低級霊や邪霊とは、「まだ学びの進んでいない未熟な者ではあるが、全体から見ればそこでは彼らなりの貢献をしている」とも伝えています。(ここでは詳細は省きます)

 個人宛てのメッセージに関しては、その個人を導く指導霊なり守護霊なりからの情報は、霊団を通して受信します。が、時に、その個人の心に直接伝えられるべきエネルギーがある時は、霊団を通さないこともあります。その場合は、その個人への「感謝」や深い「愛情」であり、特に他界した人からその個人への感謝や愛情を地上のその人に実感してもらいたい時、がそうであるようです。
 普段の受信は主に筆記によりますが、そういった時は口頭で伝えられもします。

 個人宛てのメッセージに関しては、読んだその人がどう読み、どう判断するかはその人に委ねています。私たちは伝えられる内容を、そのままお伝えするのみです。
 アラムさんからの御質問にはありませんでしたが、アラムさんの指導霊からの要請で、あなたへの短いメッセージを受信してあります。読んでみようと思われたら、メールにてお知らせください。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/

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0991 またまたごめんなさい
名前: 悠々塾(林)  投稿日: 2001年08月29日 (水) 21時29分24秒

パソコンの未熟者ですみません。0988を訂正しようと削除しましたが0989に重複してしまいました。申し訳ありませんが0989の削除をお願いします。

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0990 再度訂正です。
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月29日 (水) 21時22分14秒

0989の投稿者名が悠々塾(林)となっていますが、
正しくは(飯沼&堀江)です。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/

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0992 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月29日 (水) 23時19分54秒
ご希望の通り989を削除して、ついでに988の名前欄も修正しておきました。
また、もしも988で修正したいところがあれば、数カ所程度の修正であればメールでご連絡いただければ修正しておきます。いくつも削除すると発言番号が飛び飛びになってしまいますし。

http://www.paperbirch.com/


0988 ペーパーバーチさんへ
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月29日 (水) 21時12分45秒

 そこまで躍起になってメッセージや私たちへの否定を繰り返すあなたの“心”の苦しさを思います。

 まず「牛若丸」の件です。もともと「悠々塾」に対して強い違和感、あるいは偏見をお持ちのあなたに対して、「神戸事件」のことを伝える時に、「悠々塾」とは切り離したところでの発言をしたかった、ということです。実際、「悠々塾」が「神戸事件」がらみの活動の場ではありません。そしてさらに、伝えたかった内容は、すでに“報道によって”明らかにされている事実、であり、あなたの発言に「事実誤認」があったためにすぎません。その「訂正」をしたまでのことです。それらの「事実」についてはいくらでも確認できるはずです。またその経緯については当時の投稿(1月9日〜)を読み返せばはっきりと分かるでしょう。「あの事件は冤罪だ」とあの場で主張したわけではありません。
 なお、あのやり取りが終わったあとで、管理人である有希さんにはこちらから「牛若丸を名乗った」とお知らせしてあります。彼女からはあなたのことについてメールを頂いていましたから、「牛若丸」のことはあなたの方にも伝わっていると思っていました。
 次に「悠々塾」の掲示板に掲載したあなたへのメッセージの件です。まず、先生がらみで「近々悠々塾の掲示板に掲載します」と有希さんの掲示板に予告しましたし、あなたの掲示板にも2月23日に「悠々塾の掲示板にペーパーバーチさんへのメッセージを掲載しています」とアドレスを添えて投稿したはずなのですが、過去ログを見ると消えているようです・・・・。いずれにしてもあなたが騒いでいるだけで、本質的な問題ではないと思います。

 さらに、先生に対する中傷云々に対しては、あなたが削除したメッセージがその回答にあたります。中傷する意図など全くありません。むしろその逆です。
「ある人へのメッセージ」をそちらに投稿したのは、言葉の遣い方や御説が以前先生から直接伺ったものとあまりに似ていたために、「通行人さん」がどなたであれ、その時期がきたと判断したのです。

 さて、ペーパーバーチさん、あなたの苦しさとは何なのでしょうか?
 ただ単に私たちが出まかせに言っているだけなのでしょうか?
私たちには、どうしてもそう見てしまう、そういうあなたが今は、とてもお気の毒です。
 何か人に見られたくないものを後ろ手に隠している子供が、ワーワー言いながら、もう一方の手を振り回し、自分に近づくな、さわるな、あっちへ行け、とわめきちらしている、そんな光景が目に浮かびます。まわりの者たちはそれを見ているのだけれども、「もう、いいから、やめなさい。」と言ってもその子は聞き入れそうにない。その子が隠しているもの、それは「良心の呵責」であり、「本当のこと」なのです。
 私たちは思います。あなたが初めから先生に関する事の次第を全て知っていたわけではないだろう、と。(実際、限られた数人にしか「事の全て」は知らせてはいません。)あなたが知っていたはずがないのです。
 もちろん、事実のごくごく一部は聞いていても、です。私たちとのやりとりのなかで明らかになっていく過程であなたは気づいたはずです。聞いている話と違う、と。確かに「事実」は符合していても、本質的なところが違いすぎるのだ、と。
自分が振りかざした大そうな刃をどこにも収めることができなくなっていることに気づき、あなたはあわてました。そして同時に、間違っていた自分を見たのです。それは一瞬のことだったかもしれません。しかし、そこであなたは「真実の光」に触れてしまったのです。
 あなたは自分の繊細さを自分で守るしかなかった人のようです。この時、自分のしてしまったことで自分を傷つけたのです。それはあなたにとっていたたまれないことだったのでしょう。良心の痛みを認めることは自らの過ち(しかも言いがかりにすぎない自分の発言)を認めなければならなくなる。そこではあなたは自らの良心に目をつぶる方を選んでしまったのでしょう。
 私たちを否定し、排除することでしか自分を守ることができないあなたの様子は、端で見ていて心寂しいものがありました。一定以上の霊的知識を持ち、それを伝える言葉の力を持っているはずのあなたが、自らの保身のために言葉を弄するのは、あなたに与えられている力に対して申し訳ないことだと思います。私たちはあなたが知識を豊富に備え、能力に長けた人だと思ってはいます。しかし残念なことに、自分を守ることからはまだまだ解放されていないのだと思っています。
 過ちも、自分を守ることも全く知らずに生きる者はいないと思います。たとえ、真理の普及に自分の人生を捧げた人であっても過ちは犯します。私たちはそれを糾弾したり、暴露したりするつもりなど毛頭ありません。
 過ちを犯す者どうしが、それぞれに自らの過ちを認め、詫びそれをあがなっていこうとすること、まわりの者はそれを受けとめ支えていこうとすること、そこに本来の人と人との許しがあり、償いが成り立ち、健やかな関わりがあると信じているのです。そして、「全てが神に許されている」のであるならば、なおさらのこと、素直に詫びることができるはずだと。どうしてもそれを認めることすらできなければ、“その時点”では仕方のないことです。ただそれ以上の過ちだけは重ねないでほしい、と祈るのみです。自らの過ちを認められずに、そしてそれを守っていくために、さらに過ちを重ねることほど愚かなことはないからです。
 私たちは人の心を信じ、それゆえに人の心にある「消すに消せない良心」を信じています。
 私たちは自分たちの信念にも、働きにも確信と誇りを持っています。あなたからどう言われようとも。そしてあなたからどう思われようとも、「あなたが自分の苦しさから解放されるように」と願っています。
 失礼致します。

 追伸
 アラムさんからの御質問には後日、あなたの掲示板上で回答させていただきます。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/

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0987 悠々塾へ(完結編?(^^;)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月29日 (水) 00時26分50秒

相変わらず「書いた後すぐに投稿する」習慣がないもので、964へのコメントはすぐに書いていたんですが、今更の投稿になってしまいました。本当はまだまだのつもりだったんですが、場合によっては彼らのID削除要求を出すかもしれない事態になりましたので、取り急ぎ投稿せねばならなくなったわけです。

それにしても、その後書き込まれた“メッセージ”とやらを読んでみても、それらがわざわざ追加で書かれた意味がさっぱり判らない。一度964を書いたものの、それだけでは腹の虫が治まらなくて、もっとたくさん書いてうっぷんを晴らしたようにしか見えません。高級霊団ならではの計画性がかけらも見られない、行き当たりばったりな様子をさらけ出していますね。

もちろんメッセージで名指しされている当事者である僕には、その内容が全く噴飯モノ……ハッキリと間違いだらけであることは「全て分かっている」わけで、こんなにハッキリと低級霊(もしくは潜在意識)の産物と判っているものには興味が持てません。いかに一目読めば程度が知れると言っても、それのどこがどういう理由で低級霊のモノなのかを考えるのが楽しいわけで(^^;、自分の事を書かれては、最初から犯人の判っている推理小説みたいなものです。
いくら書かれても斜めにしか読まないと思いますし、読者にも迷惑ですので、もうメッセージはお断りします。何か言いたいことがあるなら、この世の人間の言葉でご説明ください。

以下、964までを読んだ時点で書いたコメントです。

--------------ここから-------------------------------------

|あなたが、人の目に触れぬところで何をしたか。それはあなたが全て分かって
|いる。

そりゃあ判っていますとも。概ねのところはね。しかし、あなたが何を指して「何をしたか」と言っているかはサッパリ判りません(トイレの水を二回流しした事とかかね?(苦笑))。どうぞ誰にも判るよう具体的に書いてください。もっとも、また何も説明は無いのでしょうね。

相手には回答を求めるくせに、自分は何も答えない(いや、答えられないのか)。困った時には霊からのメッセージですか(苦笑)。そうですね、霊が言ったことにすれば、根拠を書かずに相手を中傷できますもんね。どんなことでも言い放題だ……で、自分が言ったんじゃないよ、霊が言ってるんだよ、ってなもんだ(^^;。哀れな人たち……。

それにしても、これら一連の“メッセージ”は、そのまま「飯沼さんへのメッセージ」とした方がピッタリなんじゃありませんかね? どうやら自分のことはよく判っているようで(^^;。

さて、964の投稿で終わりにするつもりなのかどうか判りませんが、どうも僕の発言に対して答えるつもりはないようですし、それはつまり答えられないという事だろうと判断し、現時点でのまとめをしておきます。(だいたい、964の投稿が統一協会とどんな関係があるのかさっぱりワカラン)

【まとめ:以下の指摘に対して悠々塾は答えること(反論)が出来ませんでした】
(文末の数字は根拠となる発言番号と行数)
●悠々塾の飯沼正晴氏は、牛若丸という変名を使い、悠々塾とは無関係の人間を装って自らの主張の正当性を補強しようとした(それは一般的には卑怯者として批判される行為である)>948
●“牛若丸”氏は自分への反論に対して感情的になり、いい加減な根拠と嘘に基づいて他人を中傷した。そして、それを指摘されると反論出来なかった。>948-23
●悠々塾は、自分たちは絶対に正しく、自分たちを批判をする人間は皆「誤解」しているか「心の眼」が閉じた人間であると決めつける偏狭な団体である。>947-23他
●悠々塾は神戸事件のA少年を犯人ではないと言い張っているが、それは少年の両親の協力さえ得られぬ独りよがりな運動であり、被害者の心情(そのことに関する質問には一度も答えなかった!)を顧みぬ言葉の遊びに過ぎない。>948-39
●悠々塾は、自分たちに都合の良い情報は事実に反しても訂正しないが、それを指摘されると大恩ある人間をバッシングしても自分の身だけは守ろうとする、人の情と信義に欠ける人間の集団である。またメンバーの誰もそうした行為を咎めたりしない。(どうも見ていると、会員以外の支持者も同じような人間に成り下がるようだ)>947-42他悠々塾の掲示板など
●悠々塾は、自分の行為の責任を他人に転嫁しようとする、恥知らずの集団である。>947-43
●悠々塾は、相手の見えないところで陰口を叩くことを良しとする団体である。もちろん霊団も、そうした行為に積極的に関わっている。つまり、その程度の霊ということ。>962-8
●悠々塾の霊団は、ペーパーバーチが何を知り何を知らないかという基本的なところさえ見えていなかった。そして、それにも関わらず、精神の内面の問題点まで判ったかのように指摘する、デタラメなメッセージを公開した。(そして……気付いてますか? 見えていなかったことを悠々塾自身が959-18で認めてしまっています。メンバーの皆さんも、その意味をよぉく考えてくださいね。メッセージを送っている霊がどの程度の存在なのか?)>962-11

最後に……

RE:959
|あなたとは、考え方に大きな開きがあることは承知していましたが、だか
|らこそお互いにとっても全体にとっても、意味のある話をしたいと思って
|いました。人は違いのなかからこそ学んでいくのだと考えていますから。

よくもそんなことが言えたものですね。僕からの質問にまともに答えなかったのはあなたの方でしょう。そんなことで、どうしたら「意味のある話」が出来ると思うのでしょうか? 自分たちへの批判は黙殺しておいて、答える代わりに霊のメッセージの形を借りた一方的な非難ばかり書き散らかす……そんな事で、あなたはいったい何を学べると思っているのですか?

--------------ここまで-------------------------------------

以上、僕は最低限根拠を示して「なぜそうなのか」を書いているつもりです。悠々塾がやっていることは、霊からのメッセージを騙った根拠のない中傷に過ぎません。霊が言ったことにすれば何を言っても許されるというものではありません。臆病な心? 愚かしい? 暗黒界?……まぁ、どうぞ好きなように言ってなさい。但し、相応の報いを覚悟しておくこと。

http://www.paperbirch.com/

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0981 悠々塾へ(警告)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月28日 (火) 22時56分44秒

警告の上削除したはずの発言が悠々塾によって再投稿されていましたので、再び削除しました。確信犯的な荒らし行為はお止めください。あなた方による今回の掲示板運営に対する妨害行為に関して、あなた方が契約しているプロバイダ(DION)にも報告させていただきました。

万が一繰り返された場合は、DIONに対して悠々塾のIDの停止を要求します(DIONは、荒らしなどをする悪質なユーザーには比較的厳しいと聞いています)。2度と同じことをされないように、強く警告します。あなた方の考える独りよがりな、身勝手な理屈など、社会では通用しないという事をよく考えること。

また、あなた方のようにまともに話の通じない人間と会うつもりはありません。話を伺うなどと言う前に、こちらからの質問に一つでもマトモに答えること。頓珍漢な“メッセージ”とやらは書き散らかしてくれていますが、あなたはこちらからの質問には全く答えていません。その上で、いったいあなた方は何を「伺う」つもりなのですか?

http://www.paperbirch.com/

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0980 悠々塾さんへ
名前: アラム  投稿日: 2001年08月28日 (火) 22時19分41秒

あなた方を通じて通信を送っている霊団はどういう立場にいるのですか?

悠々塾という団体とそこに関わる人々への指導をしているのですか?
霊界全体を代表するものとしての立場から通信しているのですか?
ある霊団としての見解を述べているのですか?
スピリチュアリズム(高級霊界における地上の霊的浄化の計画)に基づいてのメッセージを伝えているのですか?

また、個人に対してのメッセージを伝えられていますが、それは霊団から見たままの見解を伝えられているのですか?
その個人の守護・指導霊からのメッセージを代弁しているのですか?

本来はこちらの掲示板に書くべきことではないでしょうけど、そちらの掲示板には何故か書込みにくい感じを受けますので、こちらで質問させていただきます。

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0978 ペーパーバーチさんへ
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月28日 (火) 21時00分31秒

 あなたがなぜそこまで「メッセージ」の投稿にこだわるのか。「何の関係も脈絡もないものをわざわざそこに投稿するわけがない」いうのはごく普通のことでありましょう。“ある人”の目に触れる可能性がとても高いからこそあなたのホームページに投稿したのです。“ある人”はそれを読めば必ず「自分のこと」と分かります。
 もちろん、私どものホームページにも掲載致します。できるだけその人の目に触れる可能性のある場に出すことによって、少しでも早く気づいて欲しいからです。
 そこにある願いや思いを全く無視し、また事実関係や事実があることを踏まえたうえで「陰口」と言うのであれば、あなたの発してきた言葉は一体、なんと呼べばいいのでしょうか…。
 この投稿もまたあなたは“何らかのラベル”を付けて削除するかもしれません。でも、あなたがこれを目にした限り、あなたの心からは削除しようもないでしょう。その場合は、何らかの方法で再び投稿するだけでなく、正当な理由について改めて質問させて頂きます。また、場合によっては直接お会いし、お話を伺わせて頂きます。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa

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0986 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 23時42分37秒
証拠保全のためピン留め
http://www.paperbirch.com/


0975 ある人へのメッセージ
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月28日 (火) 17時18分39秒


管理人(ペーパーバーチ)より
一時的に発言預かりと致します。理由はコメントを参照のこと。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa

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0976 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 18時34分36秒
悠々塾の掲示板での僕へのメッセージでもそうですが、相手が見ていない可能性の大きいところに“メッセージ”を書く、その意図は何ですか? こういう行為を、普通“陰口”と言います。納得の出来る説明があるまで、一時的に発言預かりとさせていただきます。

あなた方にはこれで二回目の警告となります。心霊云々以前に、人間としての常識を弁えたご発言をお願い致します。あなた方の“メッセージ”なら、どうぞ、ご自分たちの掲示板にお書きください。ここに書かれるのは迷惑です。

http://www.paperbirch.com/


0974 りゅうじんさんのコメントを拝見して・・・
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年08月27日 (月) 12時57分10秒

 りゅうじんさんが、僕に気を使って下さり、僕のコメントの紹介を省略して下さったようですが、僕と致しましては、いっこうにかまいませんので、以下紹介させていただきます。
………………悠々塾掲示板より引用………………
■(ペーパーバーチさんへのメッセージに対する)個人的見解
 「悠々塾よりペーパーバーチさんへ」を読ませていただきました。その中でK氏について(僕にとっては)驚くべき事柄が記されていました。しかし、驚きはありましたがショックは全くありませんでした。彼の言動がどうであっても、高級霊の意を真に理解したスピリチュアリストにとって、スピリチュアリズムに寄せる確信に揺らぎはありません。
 僕も「心の道場」の主張と同じく、本来スピリチュアリズムは信仰であるべきであると思っています。学問ではなく、遊びでもなく、信仰!つまり実生活に知識が生かされてこそスピリチュアリズムなのです。ただその「信仰」なるものに、人物に囚われる要素が含まれてはまずいと考えます。自分の尊敬する人物のアラを見た時に、すぐに信念が揺らぐような信仰ではまずいということです。そこで僕は語呂合わせのようですが、「神向(シンコウ)」という言葉を好みます。神に向かって波調を合わせるという意味です。いかがでしょうか。
 また、ペーパーバーチさんに対する通信霊からのメッセージは自分に対するメッセージとして読ませて頂きました。僕のように欠点の多い人間にとって、通信霊からのメッセージは一スピリチュアリストとして、十分心にとどめ置かなければならない教訓であると思います。
 悠々塾がどういう霊団であるかは、こうしてネット上の言葉を拝見するのみでは、とうてい知る由もありませんが、自由人宮崎護は誰とでも語り、といって誰とも組せず、遠慮なく疑い、共に向上していきたいと願っております。

■批難、中傷ということについて
 りゅうじんさんから「批難、中傷」に関しての問題提起がありましたので、僕もひとこと意見を述べさせて頂きます。
 相手の欠点を指摘する発言が、すべて中傷ではないということは誰でも認めるところであると思いますが、それならば中傷であるかそうでないかの違いは、どこにあるのでしょうか?僕は「発言者の心がどこに向かっているか」という点にのみ、その違いがあると思います。
 例えば、親が子供に対して激しく叱責し、子供のプライドを甚だしく傷つけるようなことを言ったとしても、それを中傷と感じる人はいないと思います。何故でしょうか?それは、親の心が「子供を傷つけたい」ではなく、「子供を成長させたい」に向かっていることを誰もが感じるからです。逆に実にソフトに言いながら、相手の成長のことなど全然考えていない発言も多く見受けられます。
 そこで問題になるのは、発言者が相手の欠点を指摘しているかどうかではなく、発言者が志向している心です。僕の目には、通信霊のペーパーバーチさんに対する発言は、内容は極めて厳しいものですが、単なる中傷とは違うように映ります。何故なら、そこには相手を思う切実な気持ちが感じられるからです。
自分の経験を言って申し訳ありませんが、僕などは、指導霊からもっともっとキツイことを言われました。そして(僕の場合には)それが当たっているだけに、弁解の余地など全くなく、そのショックたるや相当なものでした。でも、そういう厳しい指摘があったからこそ、今の僕があるのです。親の心で厳しく自分を叱責してくれる友こそ、人生における最大の宝であると僕は信じます。
 また、公の場(BBS)で発表することの是非についてですが、これについては通信霊自身が「霊界側の判断」と明言している訳ですから、その判断が適切なものであったかどうかは、今後の推移を見守って行くしかないと思います。言葉には責任が伴いますから、予期せぬ結果を招いてしまった場合、因果律の矛先がどこに向かうかも、じゅうぶん霊界側はご承知のはずです。
 最後に付け加えさせて頂きたいことがあります。それは、いやしくもスピリチュアリストを自称する者は、生活に霊的知識を生かす努力を怠ってはならないということです。生活の中で霊的真理の顕現を心掛けている者は、例え相手に対して言い過ぎた場合でも、それは“叱責”であることが多く、逆に知識と生活が分離した者は、相手に対して言い過ぎた場合、“中傷のための中傷”になることが多いからです。

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0973 通行人さんへ
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年08月27日 (月) 12時55分14秒

〔実はこのコメントを書いてアップしようと思ったら、すでに悠々塾からメッセージが届いていました。必要なくなったようが気がしますが、でも一応投稿させていただきますネ。〕

 はじめまして、宮崎護と申します。通行人さんのご発言の中で、気になるところがございましたので、少しコメントさせていただきます。
通行人さんwrote:
|あなたの「霊界通信」には何の(真実に即した)目新しいところが
|あるわけでもないようです。言い換えれば、どうしても今、この時に、
|あなたを通してこれを残しておかなければならなかった、というような
|高級霊の動機のようなものがうかがい取れません。
これは明らかに間違ったご指摘です。理由を説明させて頂きたいのですが、よろしければ僕宛にメールを下さいませんか。掲示板では話が様々な方向に拡大してしまう可能性があります。僕もあなたと同じように時間が無い人間ですので、できるだけ時間を使わずに、「分かりたいと思う人(あなたがそうであるならば)」に、僕の知り得た範囲で素朴にお答えしたいのです。

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0972 通行人さんへ
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年08月27日 (月) 12時13分23秒

メッセージです。

○「私どもの霊団の目的」についてはすでに通信によって伝えてある通りです。そのうえで「何をどうしていくか」もここ(悠々塾)に集う者たちには繰り返し伝え続けています。
知り得た知識を現実の暮らし、自らの言動に反映させるとともに、それぞれが今あるところで何かしらの貢献をしていくこと、を集う者たちに求めています。そしてこの二人については癒しにおいて、あるいはメッセージの受信とそれを伝えることにおいて、それを二人の働きとしています。机上で知識の披露をする場ではありません。

○あなたは私どもの伝えるものを「どう」読まれたのか。さらには、私どもの通信の、どれ程に目を通したのか。数多くの霊界通信に触れたあなた、であるならば御存知のはずである。霊界通信は、ふさわしい時期に合わせての内容が送られるのだということを。そして、地上界の浄化を視野からはずすことなく各通信の流れをみてみれば、その“時代”に即し、受けとる人々のおかれている状況に即したものであることが。
その意味で寄せ集めや焼き直しが移りゆく“時代”に対応できるはずがありません。もちろん貫かれる真理そのものは普遍のものですから、何ら動くものではありません。

○あなたが取り上げた「部分」について、あと数回読み返してごらんなさい。
その後に続くあなたの主張の全体像を、私どもはどうこういうつもりは全くありません。しかし、「伝えられている内容」の読み取り違いは誰にでもある、とお伝え致しましょう。あなたは多忙な方のようですから。
自分が今まで見聞きしことのないもの、“新しい見解(と思ってしまったもの)”に触れた時、それをどう読むかはその人の柔軟性と申しておきます。それまで自分が「絶対」と思うものでしか判断できない者、新しいものに挑むことを恐れる者ならば、そこには客観性や論理性、公平公正を欠いた「判断」が残ります。
  
人類が進化向上の道を歩むことを求める存在であるならば“既存のもの”にしがみつくだけではその力は出せません。“既存のもの”を“古めかしい”と否定するのでなく、それの根底に流れるものを受け継ぎつつ、目指すものを見ていく。そのために今、何をすべきかを知り、実践する。それがとりもなおさず、地上の浄化を“人類が”推し進めることです。推進の主人公はあくまでも“地上の者たち”です。私どもは道を示し、導き、援助はしますが実行役ではありません。

○私どもの通信をあなたがどう評されようと一向に構いません。まして「盗作」などと。なぜなら、それを読んで涙し、救いを感じ、あるいは目標を見定めることのできた者たちの存在があるからです。彼らの心に光をもたらすことのできた「事実」をあなたはどうすることもできないからです。病にあるものが癒され、親愛なる者の死から立ち直れない者に希望をもたらし、不安に怯えていた者に安心を約束できたこと。それらの人々が手にした「喜び」は誰も否定できないものです。そういった者たちの心が放つ光によって照らされ癒されている者がさらに広がる。その連鎖・共鳴はあなたの「評価」などものとも致しません。
その人たちの光によってあなたの心にある「自分」を守ろうとするかげりが照らされることを祈るのみです。

○多忙なのは誰もが同じです。この二人(飯沼・堀江)もあり余る時間のなかでメッセージの受信をしているわけではありません。しかし、これもまた“働きのひとつ”と、この二人には認識してもらうしかありません。あなたのためにだけ、ではなく、あなたの「評価」「判断」によって“回り道”をしてしまうかもしれない人を出さないため。それだけのことなのです。

『指摘・批判・真実を恐れる者は、それを向けてくる者から逃げるために彼らを否定しようとする。自分を守るために。間違っている者、取るに足らぬ者から言われる話は「間違い」であり「取るに足らぬこと」であり「たわ言」なのだと言い張るのである。』 あなたは、この、“恐れる者”である。投稿の動機はここにある。たとえあなたが誰であろうと、あなた自身はこれを読めば分かるはずである。シルバーバーチの伝えた「動機の大切さ」について、手元の霊訓を読み返すように。

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0985 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 23時41分31秒
証拠保全のためピン留め
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0971 悠々塾さんへ
名前: 通行人  投稿日: 2001年08月26日 (日) 20時27分13秒

 あなたの「霊界通信」には何の(真実に即した)目新しいところがあるわけでもないようです。言い換えれば、どうしても今、この時に、あなたを通してこれを残しておかなければならなかった、というような高級霊の動機のようなものがうかがい取れません。

 残念なことに、わたしには既存の霊界通信を、あなたなりにまとめた手記にしか思えません。こういうのを音楽界や作家界や美術界等の人ならさしずめ「盗作」といって厭うところでしょうか・・・。

 思いつくだけでも、こういった霊訓が思い浮かびます。

・知識はもう十分です。わたしたちは実行する人を待ち望んでいるのです。
・わたしは霊界の「高級な教え」とやらを欲しがってばかりで、何もしない人を見ると、正直ウンザリすることがあります。

 また、一つ言っておきますが、悪の存在についてあなたは勘違いをしておられるようです。神は悪を決して自ら、積極的に利用したり、ましてや、それによって人を堕落へと導こうなどはなさらない、ということです。
 
(以下貴HPより引用)
○こういった、あなた方の学びのために援助を惜しまない魂とは逆に、あなた方が心をかげらせ、そのかげりを重ねてしまうようにエネルギーを送ってくる魂もまた存在します。輝きに生きる霊界とは逆に、かげりによってつくられた霊界もまた存在するのです。それは暗黒界と呼ばれます。
 そこに住まう者たちは、自分たちのかげりをさらに深める方向へとエネルギーを集める者たちです。
 ・・・彼らはあなた方が抱く心のかげりに向けてエネルギーを注ぐのです。ですから、「喜びではない心」をあなた方が抱く時、その時は守護霊・指導霊とのつながりよりも副守護霊とのつながりの方が強くなっている状態だと言えます。
(以上、引用文。)

 どうしてこういう解釈ができるのでしょうか?。悪など「副守護霊」とやらが導かなくても、ほったらかしのそのまんま、高級霊たちの霊団が今地球浄化の業からちょっと手を抜きさえすれば、それだけで間違いなく、ひどくなっていきます。高級霊たちが日夜必死の努力で援助してくれても、われわれ人類はこうした状態だというのに・・・。

 バーチが悪も神のものだ、と言った意味は、そうした意味では有り得ません。このバーチのことばからは、悪さえもうまく浄化への仕組みの一助として存在させる神の叡智への賛美はあっても、だからといって悪が存在していいという間違った正当化という意思など、どこにもありません。
 われわれは今までも、これからも、最善を尽くして悪を衰退させていかねばなりません。しかし「それにも関わらず、残る悪」については、これは神が人類の愚かさの故に、残されたものとしてそれを甘んじて克服の対象とするのです。その後者の過程をバーチは言っていたのです。決して前者のことを忘れていたわけではありません。

 繰り返しますが、悪でさえ、神は全てを掌握しており、その中の何一つとして知られないで終わるものもないし、神は人間が考える以上にタフでハードで、超越的高次元的存在だ、という意味で言われたのです。決して悪の存在がふさわしいものとして述べられたわけではありません。(注:神は自由意志のために悪をも選択できる選択権、「スペース」を与えただけであって、それを「選択するようには」勧めていない、ということです。人が格闘技かなんかのチケットをもらうことと、そのチケットで格闘技を見に行くのが違うのと同じです。もし悪を行う「スペース」がないなら、善を行う「スペース」もなくなります。そうなると、人は「自由意志」により行動することはできなくなりますから、そうなると、ただなんかの人間のような格好の物質が動いている、という状態になってしまうでしょう。それは飽くまでも人間が喜びつつ、「自由意志」を行使するための構造的スペースであり、決して悪を肯定しているわけではありません、むしろその逆です。だからこそ、善が価値があり、喜びもあるといえるわけです)。

 ソフトにハードがある。そのどちらも神のものである。ソフト(だけが)=愛なる神とはいえない。ハムスターが居て、おどろおどろしいワニも居る。そのどちらも神のものである。かわいらしい(だけが)=愛なる神ではない。啓示があり、沈黙がある。啓示だけが=愛なる神ではない。理想に現実がある。そのどちらも神のものである。理想(だけが)=愛なる神ではない。ラクがあって苦もある。そのどちらも神のものである。ラク(だけが)愛なる神とはいえない。

 愛する子への抱擁があれば、むちもある。そのどちらも神のものである。抱擁(だけ)が=愛なる神ではない。女の美しさがあれば、男の泥臭さもある。そのどちらも神のものである。女の美しさ(だけが)=神の愛でるものではない。春の日のうららかさもあれば、冬の凍てつく吹雪もある。そのどちらも神のものである。春ののどけさ(だけが)=神の愛であるとどうしていえよう。
 
 いやしがあり、病がある。信仰があり、努力がある。人間的観点からいえば多くのソフトを人間は欲する。しかしそれを与えられないとしても、決して当惑してはならないのである。
 
 したがって神にとって予期し得ないことなどない。受け入れられないほどに驚かせる事もない。であるのに、神を固定した観念で固めるのは人間の方である。

 
 また、それなりの進化を遂げれば、必ずしも悪を利用しなくても人間は成長できるということは、霊言にも書かれている通りです。
 
 P.S.わたしは多忙ゆえ、あなたがご返答なさったとしても、おそらくお返事をすることはできないでしょう(ペーパーバーチさんもお忙しい方ですよ)。しかし賢明なるスピリチュアリストなら、わたしごときが言うような、こうしたことは自明と考えます。以上、失礼いたします。

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0970 文字の訂正です。
名前: 悠々塾(林)  投稿日: 2001年08月26日 (日) 13時49分24秒

訂正です。
(その3)の上から11行目
(誤)人に心理を
(正)人に真理を
文字変換を間違えて投稿してしまいました。ごめんなさい。

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0969 ペーパーバーチさんへ
名前: 悠々塾(飯沼・堀江)  投稿日: 2001年08月26日 (日) 13時23分40秒

(その3)
○自分の情けない姿を見せ、認め、時に詫びるのは弱点をさらし弱みを見せることではありません。人より劣っていることの表れでもありません。
 「ありのまま」「素直」が最も強いのです。そうできることが揺るがぬ“人としての強さ”の表れなのです。「ありのまま」の前には、どんな偽りも作りごとも言葉も崩れ去ります。
自分がしてしまっている数々の過ち、は自分がいちばん知っています。そして本当はそこに良心の呵責を感じています。それを振り払うかのように、さらに言葉を重ねざるを得ないのが今のあなた、です。そのあなたが自分の姿を正面から見た時(見ることができた時)あなたは言葉を失うでしょう。今までの自分の行為行動、言葉に恥じ入り、自分を消してしまいたくなるでしょう。そのあとであなたの口から発される言葉は“真実の言葉”でしょう。それこそが人の心に訴え、人の心を動かし、人に心理を伝えていくものなのです。「真実味」のない言葉を並べたてていた頃のあなたには思いも寄らぬほどのことがそこに連なります。
なぜなら今回の人生であなたが描いていくものは「人が歩むべき道筋」だからです。もちろん今のあなたにはとても無理です。皮肉や中傷や偽りに満ちた言葉のエネルギーは、人を嫌な気分にさせ、傷つけ、穢すものだからです。
しかし、自分を守ることから抜け出た先に待つものは、これまでに獲得した言葉の力によって貢献する人生です。それは今のあなたには全く思い描けぬもの、受け入れたくないものでしょう。口先だけの通信、と思うなら、それでよろしい。人間は“分からない”のです。あとになってようやく「ああそうだったのか」と知るのです。それでよろしい。私どもはたとえあなたが何をどう言おうと構わないのです。あなたの些細な言葉の力で私どもの何かが変わることなどあり得ない。むしろあなたがかげりを深めないよう、これ以上おぞましい姿をさらさぬよう祈るのみです。
気づいた時に分かればよろしい。
気づけなかったとしても、いずれ霊界において分かる日も来るのだから。
あなたがどうあがいてもどうしようもないもの、それが「真実」であり「真理」なのです。

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0984 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 23時40分22秒
証拠保全のためピン留め
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0968 ペーパーバーチさんへ
名前: 悠々塾(飯沼・堀江)  投稿日: 2001年08月26日 (日) 13時22分22秒

(その2)
(ここからペーパーバーチさんへのメッセージです)
○何があなたの“かげり”を深めてしまったのか。それを見ることはあなたにとって最も嫌なことでしょう。なぜならばそれをあなたが認めることは、まるで自分の全部を否定されたかのように(あなたには)思えるからです。自分がどういう自分であるかを知れば知るほど、それを見まい、認めまいと躍起になるしかない。そうしてしまう自分をさらに守るしかない。“もっともな言い方”で。自分でも納得したいが本当は分かっているのです。自分が臆病で怖がりだということを。

○あなたは子供のころからまわりの人間が怖かった。無理矢理自分の言い方を通そうする者、人の話など何のお構いもなしに喋る人、勝手に論理をすりかえる人…。あなたが見ていて理解できない者たちがまわりに大勢いたのです。あなたは何度も思いました。「どうしてこんなことができるのだろう」と。「違ってるじゃないか」と。しかしあなたはそれを表現する力、“言葉の力”を持ちあわせてはいませんでした。立ち向かうのも怖かった。少し言いかけて一方的にまくしたてられ何も言えない時の惨めな思いも嫌だった。言葉の間違いを指摘されて傷つくこともあった。
 「本当はそうじゃないのに」という思いは人に伝わらぬまま、自分でも表現できないまま、あなたのなかに残りました。

○それを越えていこうとして人は「どうすれば分かってもらえるか」を探り、学びます。そうでなければ「どうせ分かってもらえない」と、あきらめの方を向きます。あなたはやはり伝えたかったし分かってもらいたかった。だから「自分の言い分を通すこと」を強く求めたのです。それは知識の獲得であり、言葉に習熟することでした。それらを思うように使いこなせれば何とでも言える。どう言われようと太刀打ちできるからです。自分に何かを指摘する者へ向けても、それを上回る言葉の力によってそれをはね返せる。もう負けることも否定されることもない。自分の言い分は通る。――そこに“喜び”を見出してしまったのです。相手が何も返せない、というところに。その繰り返しのなかであなたは「評価されること」や「優位性」を手放せなくなっていきました。それは同時に「否定されること」を嫌い、誤り、間違いを認めにくくし、謙虚になれないところへとつながります。
 積み重なった評価は、あなたにとって「失いたくないもの」「守らねばならないもの」としてあなたの手の中いっぱいにあります。それがいかほどのものか、実は分かっているはずなのに。

○あなたが臆病で怖がりだったというのは、「繊細で傷つきやすい」ということだったのです。今はそうではないかのように見せ、振る舞ってはいますが。その細やかさを分かり、それを評価し、あなたの心そのものを丸ごと認めて大切に扱ってくれる人がいたなら、あなたは強がらずにすんだのに。言葉を弄して自分を守るようにはならなかったというのに。
 しかしあなたと同じように本当の自分を知りながら、それを見たり認めたりできない者はたくさんいます。そんな自分でありたくない、こういう自分でありたいという願いが強い者ほど強く抵抗します。そこに表れる不自然さはまわりの者に感じ取られぬはずがないのです。分からないのは本人だけです。

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0983 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 23時39分50秒
証拠保全のためピン留め
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0967 ペーパーバーチさんへ
名前: 悠々塾  投稿日: 2001年08月26日 (日) 13時19分18秒

(その1)
 細かい言葉に大きな意味を“自分なりに”見出し、それを至極重大なものであるかのように表現せざるを得ない人。そういう人との関わりのなかで、こちらの真意を伝えようと心を尽くし、言葉を尽くすことの難しさ。人が人に本当の気持で向き合っても、時には“その人なりの何か”に阻まれて伝わらないこともある。その“何か”がその人の抱えるかげりなり傷なりであることを私たちは知っています。人の気持は必ず人に通ずるもの、とも思ってはいるのですが、今の時点で私たちの力の及ばぬところのようです。
 その人へ向けてのメッセージを受信し、そこで伝えられる内容に従いながら、ペーパーバーチさんがもともとの心に立ち返れることを祈ります。ペーパーバーチさんが自分の心、自分の姿に向き合うなかで、自分が関わってきた諸々のものに対して、自分が何を言い、どう影響を及ぼしたのか(人を傷つけたことも含めて)につながってほしいと思います。自分が作り出した罵詈雑言の世界は、まさに暗黒界。そこにいる自分がどんなに醜い姿となっているかさえ気づいてくれれば、ペーパーバーチさんはきっとそこから抜け出ようとしてくれるでしょう。ペーパーバーチさんのもともとの心はその世界にふさわしくない、と私たちは思うからです。その後は、ペーパーバーチさんを導く方々からの計らいによって、埋め合わせや貢献が始まるのでしょう。

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0982 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月28日 (火) 23時37分29秒
証拠保全のためピン留め。
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0966 悠々塾さんでのやりとり
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年08月24日 (金) 19時30分38秒

ペーパーバーチさん〜
>誰一人としてそれを諫めなかったのですか?

僕は気になったので、あの時、感じたことは言わせていただきました。
僕があちらの掲示板にお邪魔したときのやりとりをご参考までに部分的に転載させていただきます。飯沼さんのお言葉も載せさせていただきますが、ご了承ください。現在ここに登場されていない宮崎さんのお言葉は失礼だと思いますので略させていただきますが、それに対する僕の返事だけ載せさせてください。

…………………………………………………………………………………………………………
はじめまして、りゅうじんと申します。
>ご自由にお使いください
>ただし、批難、中傷するような投稿はご遠慮ください
ここの入り口にこんなことが書いてありましたが。
それとも霊界通信なら何を言っても許されると…?

>りゅうじんさんが、何を指しておしゃっているのか、
>判断しかねますので、どうぞ遠慮なく、忌憚のないご意見をお聞かせください。
0010のペーパーバーチさんへのメッセージに対してです。
霊界通信かどうかの真偽はわかりませんが、そういった形をとるだけでも
読む人に大きな影響を与えると思います。
個人のことに言い及ぶ場合には、一人間として発言する場合以上に
注意すべきではないでしょうか。誰が見るかわからない掲示板ではなおさらです。

(宮崎さんの発言・略)

確かに一理ありますね。ただ、どの時点で誰に対して何を言うのかは非常に微妙な問題だと思います。言っていることが正しければいいとも言えないし、本当に正しいという保証もない。霊界の住人にしろ人間は人間ですから、霊界が言っていることだから正しいと思い込むことも危険だし、そもそも霊であるかどうかもわからない。まあ、疑い出せばきりがないので、個人個人が何を信じるかにかかるのでしょうが、僕はあの発言を人ごとながら鵜呑みにする気にはなれなかったし、公に言うことでもないと思ったまでです。

>りゅうじんさんのコメントに関しては、そもそもの公平公正という点において、先ず考えなおしていただきたい、と申し上げます。

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1008 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年09月04日 (火) 02時10分53秒
りゅうじんさん、どうも。

はい、りゅうじんさんの御発言は拝見しまして、キチンとこういう良識的な意見を言ってくれる人がいてくれた事は心強く思いました。

ただ、りゅうじんさんのご意見はやはり外部の人間の声であって、僕が残念に思うのは、どうして悠々塾の“内部の人間”は誰一人そう思わないのだろうということです。あちらの掲示板でも出ていませんし、こちらで僕が問題として取り上げてからでも10日以上経ちますが“(何人も出ていた会員のうち)誰一人として”「あれはマズかったんじゃないか」と言う者はいない。

……やはり霊のメッセージだと思っているから、妄信的に受け入れているのでしょう。まぁ、ネット上でちょっと他人を中傷する程度ですんでいれば良いんですけどね。でも、これを“良し”とするようなら、次の段階へ進むのだってホンの一またぎですからね……

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0964 ペーパーバーチさんへのメッセージ
名前: 悠々塾  投稿日: 2001年08月24日 (金) 11時57分50秒

 あなたが、人の目に触れぬところで何をしたか。それはあなたが全て分かっている。そしてそこで動いた心、そのもとにある動機。あなたは胸を張ってその心をあなたを導く者たちの前でひらけるのだろうか。当然、すでに全て知られているはずだ、とあなたは言うだろう。そして、もちろん「できる」とも。そこにある姿がどんなものかを知りながら今のあなたはそう答えるほかない。そうやって自分の心の輝きをどんどん失っていく様が霊界側からは本当に気の毒なものに見え、愚かしいものに見える。だがしかし、あなたを導く者たちはさらにあなたに提供し続けるであろう。
 あなたが“汚い手”で自分の心を汚していることに気づく機会を。いつそのことに気づくのか、その日が来るのを静かに待ちながら。
 誰もが自分のずるさや自分のなかでの計算、妬み、を知っている。そういう心が自分にあることを知りながら生きている。そこでは「恥ずかしさ」を自分に向けながら。本当はそうであってはならない、むしろ、正直に誠実に生きたい、そういう自分でありたいと願っている。けれどもそれに反して自分のなかではさまざまな気持が動いている。それを見ることのできる者は必ずそれを越えてゆける。変わるべきところも、変わりたい自分も、目指すところも分かるのだから。
 しかし、「こうありたい自分」のみを見、それが今の自分であるかのように見せている者(一見“何も隠さない者”であるかのように振る舞いながら全く逆の姿でいる者)は、少しの成長も望めない。

 だがいずれ必ず向き合うべき時、そうせざるを得ない「時」は来る。法則を学んだ者ならば、自分の蒔いた種は自分で刈り取ること」は当然知っているであろう。それが現実のものとなってからようやく「身を以って知ること」ができよう。そうなる以前に「勇気」をもってそうできるなら、大いなる喜びがもたらされるにもかかわらず、その「勇気」を振るうことのできない者は、その状況を作ってもらわねばなるまい。

 「事実を歪め、自分に都合のよいところを都合のよいように使った」その埋め合わせは必ずせねばならない。たとえあなたがどう言い訳しようとも、あなたの「動機」「本当のこと」はすでに神の前では明らかなのだから。

 それでもあなたが救われること、臆病な心を克服できることを祈る者たちが幾人も(この地上に)いる。あなたが全く分かっていなくとも。

――――――――――――――――――――――――――――――――
悠々塾からの伝言です。
私たちはもちろん統一教会を支持するものではありません。それについては、悠々塾のホームページ「偏狭な宗教(的)団体との関わり」をお読みください。

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0965 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月24日 (金) 15時42分30秒
とりあえず削除出来ないようピン留め(^^;
http://www.paperbirch.com/


0961 何度もすみませんが・・・
名前: 悠々塾  投稿日: 2001年08月23日 (木) 20時12分45秒

0960の削除ができません。この件についてのページですが、正しくは
http://www.simple4-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=284136
です。2月23日(14ページ・10番 )をお読み下さい。

http://www.simple4-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=284136

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0963 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月23日 (木) 22時34分03秒
960は削除しておきました。
(これはかまいませんよね?)

http://www.paperbirch.com/


0959 削除ですか。
名前: 飯沼正晴(悠々塾)  投稿日: 2001年08月23日 (木) 19時57分11秒


中傷、とは事実に基づかず、悪意を持って人を傷つけることだと理解しています。
昨日掲載したものは、事実に基づいた願いであり、中傷とは本質的に違っていると私は考えています。
しかも、今年の3月に悠々塾の掲示板に掲載したあなたへのメッセージです。
しかしあなたが中傷であると判断するのであれば、その判断を受け入れるしかありません。

あなたには分かっては貰えないでしょうが、私は誰に対しても願いと希望を持ちます。
それはその人の本当の心(魂の意識・霊格と言い換えてもよいかもしれません)にふさわしい人として、この地上の人生を生きてほしい、ということです。地上的な諸々のこと、たとえば金銭、能力、社会的地位、人からの評価、などは個々の人間にとっては無視できず、それらを越えた心で生きていくことは難しいでしょう。金に心かげらせ、妬みや嫉妬に苛まれることもあるでしょう。
しかし、それによってその人自身の魂にまで傷をつけるようなことはしてほしくないのです。
過ちは誰もが犯すもの。しかし、それに気づいたのなら、いや、本当は気づいているのだから、なるべく早くその人の本来の心に立ち戻ってほしい。そう思うのです。

「中傷」と言うあなたの言葉が、いかに中傷に満ちたものか、資料を添えて明らかにすることは簡単です。
それは、「その人」が自らまいた種を刈り取ることを促すでしょう。あなたの言葉の招いた結果をあなたに示すことにもなるでしょう。同時に私たちの汚名を晴らすことにもなるでしょう。
けれども、私はそうは致しません。
なぜなら、「その人」を今でも敬愛しているし、その人の本当の心を信じているからです。そのことについてあなたがなんと言おうとも。
もちろん、もうその時期だと私たちが判断した時には、次の行動に移ります。

私たちのことを、あなたにどう言われようとももう構いません。
あなたが、分かったうえで、分かっているからこそ、今のような言動をとっていることがよく分かったからです。
霊的な知識をこれだけ身につけることができるということは、それだけの霊格を備えているのだと思います。
真実の鏡、神の鏡に今の自分の姿を映してみるように。神の鏡に映った己の姿を、勇気をもって直視するように。そこから目を背けることは、神から目を背けることだ。と、私はよく人にもいい、自分でもそうしようとしてきたつもりです。それが、口で言うほどたやすくない場合もあることも知っています。ある意味では、それそのものがその人の霊格を表現しているのかもしれません。
あなたにもあなたの霊格にふさわしい人としての言動を願っています。

ひとつお詫びしなくてはなりません。
あなたとは、考え方に大きな開きがあることは承知していましたが、だからこそお互いにとっても全体にとっても、意味のある話をしたいと思っていました。人は違いのなかからこそ学んでいくのだと考えていますから。
しかし、残念ながら今のあなたはその相手ではなかったようです。全くもって私の見当違いでした。
そのことによって、あなたに不愉快な思いをさせてしまい、あなたのかげりを深めてしまったことを、お詫びいたします。

  飯沼正晴

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0962 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年08月23日 (木) 22時31分18秒
以下は削除した発言(957)へのコメントとして、削除理由も含め書いたものですが、そのままこちらの発言に対しても修正の必要がなさそうなので、そのままこちらへのコメントとして投稿します。

----------------------------------------------------------------

メッセージは読ませていただきました。
削除した関係上、取り急ぎコメントさせていただきます。

悠々塾さんが投稿されたメッセージは、法律的に「中傷」と見なされる可能性が大きいと判断し、削除させていただきました。あなた方の立場としては「事実だから問題ない」と思われるでしょうが、現実に、例えば馬鹿に馬鹿と言っても中傷になりますし(^^;、借金を踏み倒した人間のことを「あの人は借金を踏み倒した」と言っても(くくく(^^;)、それがこの掲示板のように不特定多数の人間が見られる場所であれば中傷と判断される可能性が大きいということです。管理者として、他の人間が書いたそのような事までは責任を持てません(自分が書いたものならまだしも(^^;)。それが削除の理由です。
該当メッセージは悠々塾の掲示板にも残っているようですから、読みたい方はそちらでどうぞ。

さてメッセージですが、まず一番驚いたのが、2月に悠々塾の掲示板でこのようなことを書いておきながら、当事者である僕には一言の連絡も無かったということです。

僕は悠々塾の掲示板などほとんど見たことがありませんでしたし(発言数が2〜3個程度の時に一度ぐらいは覗いた記憶がありますが)、僕があそこを読んでいると思われるようなことを言った記憶もありません。実際このメッセージの存在も昨日まで知りませんでした。相手の知らないところで陰口を叩く……そういう卑怯なマネをするのが、あなたがたのやり方ですか? 誰一人としてそれを諫めなかったのですか? 悠々塾の自称高級霊は、そういう卑怯なやり口を見過ごすのですか?
ああそうか、ワイドショーか女性週刊誌レベルの低俗なゴシップを暴露して喜ぶような霊団には、そんな倫理観は求むるべくもないか……。

そして一つ判ったのは、あなた方を通じて出ている霊は、何も見えていないということです。これは明白な事実として、ハッキリと判りました。
あなた方は、僕が真相を知らないとの前提で書いていますね。で、ご丁寧にも「ここまで伝えれば、読んだ者は…(中略)…察しがつくはずである。」とまで自信満々に書いている……苦笑するしかありませんね、これは。

残念ながら、僕はこのメッセージから察せられるようなことは最初から知っています。その話も一方の当事者ではなく、どちらかと言えば批判的な人間から聞いていましたから(むしろ“当事者”の意見を聞きたいと思っているほどです)。知った上で言っています。そういう基本的な認識から間違えてしまう“霊団”ってのは、一体どの程度のものなんでしょうね。聞けば僕だけじゃなく他の人へのメッセージも、事実認識からして間違っているとんちんかんな物だったという話ですし……まぁ、推して知るべし。

単なる潜在意識の産物か、低級霊が適当に書き散らしているのか。病気の産物なのか、低級霊なのか判りませんが、いずれにせよ、まともな霊でないことは確かでしょう。まして高級霊などということはあり得ません。“メッセージ”のだらだらとしたメリハリのない調子からも、低いものを感じる人は多いでしょう。

最後にもう一度言っておきます。
「汚い手でスピリチュアリズムに触るな」

では。

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0957 ペーパーバーチ様
名前: 飯沼正晴(悠々塾)  投稿日: 2001年08月22日 (水) 22時29分41秒

管理人(ペーパーバーチより)
:第三者への中傷を含む内容だったため削除しました。

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0948 汚い手でスピリチュアリズムに触れるな--悠々塾へ(その2)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月20日 (月) 16時09分26秒

先程の投稿で言及した牛若丸さん(悠々塾の飯沼正晴氏)の発言と、それに対する僕のコメントです。僕からのコメントは、2月に書いていたが未発表だったもの。多少状況は変わっていますが、とりあえず2月に書いた当時そのままで投稿します。

----------ここから転載-------------------------------------------

[764] ペーペーバーチさま 投稿者:牛若丸 投稿日:2001年02月15日 (木) 02時04分

ペーパーバーチさん、
私が誰であろうとも、そんなことは何の関係もないでしょう?
私の発言の内容を、あなたはもっと読んでください。
私は、あなたがしつこく疑っている、牛、と言う人ではありません。
あなたとは何の面識もありません。
私の発言は、身元を明かさねばならないくらい、いいかげんなものですか?誰であるかよりも、その内容で判断してください、と、あなたの尊敬する霊も言っていませんか?
あなたに応える気がないのであれば、それはいたし方のないことです。
あなたは、自らのいい加減さと無責任さをさらしたことになるだけです。
私がメールアドレスを書かないのは、個人的にメールでやり取りをするだけの時間の余裕と、その技術がないからです。それに、全て公開の場で意見のやり取りをしたい、と言う気持ちもあります。
ペーパーバーチさん、
あなたはそこまでして、ご自分の何を守ろうとしているのですか?
それほどまでに、自分を大きく、正しく見せなければ落ち着かないほどに、自信がないのですか?
バタバタしなさんな。あなたも私も、共に大霊に導かれ、見守られている小さな人間でしょう。あなたのしていることも、考えていることも、人に見せている姿と、実際にしていることの違いも、もっと深い動機のところも、全て見通された上で、私たちは、それでも大霊の愛と導きの中で、生かされているのでしょう?
それを知るあなたならば、バタバタしなさんな。あなたのことが、気の毒でかわいそうになってしまうではありませんか。

----------ここまで-----------------------------------------------


(以下、僕からのコメントです。当時書いたままなので現状には合わないところもありますが……)

牛若丸さん、お、落ち着いてください(^^;。

そんなに興奮しなくても……。最初にぎゅうさんじゃありませんかと聞いたのは、最近出てこられなかった人と再開出来たのなら嬉しいなと思っただけのことで、深い意味はありません。その問いかけを無視されたのは、確かにちょっと不快な感じはしましたし、どうしてその程度のことを答えないのだろうと疑問に思ったので、ちょっと聞いてみたというだけのことです。一度聞き直しただけで「しつこく疑っている」などと言われても困ってしまいます。

それから、僕は別に実名などの個人情報を教えろと言っているワケではありませんよ。メールアドレスぐらいは礼儀の範囲のことだと思うんですけどね。それを書けないというのは、自分の発言に責任が持てないということの証明であると思われても、それは仕方のないことでしょう?(違う意見の人もいるでしょうけど、僕はそう思うということです。そのように考える人が少なからずいることも、知っておいて損はないと思いますよ)

それから、僕は答える気がないとは言っていませんよね。続けるなら場所を変えましょうと言っているだけなので、ウソを言ってもらっては困ります。「いい加減さと無責任さ」だのと、それこそいい加減なことを言わないでくださいね。牛若丸さんは「私の発言は、身元を明かさねばならないくらい、いいかげんなものですか?」と仰ってますが、以上のことから「はい、いい加減なものです」と答えさせていただきます。感情に任せてこういういい加減なことを書くなら、やはりメールアドレスぐらいは書かないと、匿名性の影に隠れて放言していると判断するほかないでしょう?

僕は別に牛若丸さんが仰るように「自分を守ろう」などとは思っていませんし、「正しく見せたい」とも思いません。(僕が「いい人」と思われたがっていないことは、僕のサイトをご覧になっている方なら先刻ご承知でしょう。それが良いことか悪いことかは別として(^^;)そんなことでバタバタするはずもありません。

感情に任せてウソを言ったり中傷を延々と並べたり……「バタバタしている」のはむしろ牛若丸さんではありませんか? 「気の毒でかわいそうになってしまう」……これはむしろ牛若丸さんご自身に向けられるべき言葉のように感じられます。

では。

----------ここまで-----------------------------------------------


メールアドレスについては、今ではスパムとかが来たりしますから公開したくないという方の事情も判りますし、仕方がない面もあるかなとは思っています。特にあちらの掲示板では記入したら必ず公開されてしまいますし。この掲示板では記入しても非公開に出来ますから、この機能をぜひご利用下さい。ただし、非公開にしても僕だけは確認できるようになっています。

ついでに、この牛若丸さんのコメント元になった発言もご紹介しておきます。


----------ここから転載-------------------------------------------

[703] そこに遺族への思いやりはあるのか? 投稿者:ペーパーバーチ 投稿日:2001年01月25日 (木) 01時51分

おおっ! 牛若丸さん、あなた、以前僕のところの掲示板でご発言下さった吉野さん、というか“ぎゅう”さんじゃありませんか? いや、句読点の使い方が違うから別人かな? 雰囲気は似てるような気がするんですが……。ぎゅうさんにも「スピリチャリズム」というのは間違いですよ〜って説明したんですが、正しくは
[誤]スピリチャリズム → [正]スピリチュアリズム
[誤]スピリチャリスト → [正]スピリチュアリスト
ですよ。もしかして牛若丸さんも『悠々塾』の関係者で、その影響でA少年が無実だと信じるようになってしまったわけですか? あんな……いや、余計なことは言わないでおこう(笑)


1.では何のために犯人は、発見される危険を犯してまで頭部を三回も移動したのでしょう?(正気の沙汰じゃないですね)

2.警察は何のためにA少年を犯人に仕立て上げなければならないのでしょう? そんなことをして何か意味があるんですか?

3.A少年の両親、弁護団が抗告に動かないのは何故でしょうか? A少年を無罪と信じて活動している団体があるというのに、当のA少年の両親が協力を求めてこないのは何故?(逆に言えば、そんなに信念をもって活動している団体が、どうしてご両親の協力さえ得られないんでしょう? それどころか、無理やり半監禁状態で誘導尋問された事を弁護団に相談したということがあったぐらいですよね)

牛若丸さん、あなたは「両親、兄弟、親族の人たちのたくさんの人生がかかっている」と仰った。しかし、その両親の協力さえ得られない者が、そんな事を言えた道理ですか? 思いやり云々と仰るなら、ご遺族の心情を思いやったら如何ですか? その程度の事さえ思い至らないとしたら、あなたのやっているのは単なる言葉の遊びだぞ。


さあ、こんな無責任な妄想話をここで続けては皆さんに迷惑でしょう。この件に関するここでのコメントは、僕からはこれで最後にします。続きがしたければ僕のページの掲示板へどうぞ。ただ、IPも接続環境もメールアドレスも出てしまいますが……それは“真摯”に話す気概があるならむしろ好都合でしょう。

------------------------------------------------------------------------
[704] Re[702]: ぺーパーバーチさん、大丈夫? 投稿者:ペーパーバーチ 投稿日:2001年01月27日 (土) 23時22分

少しばかり気が変わったのでコメントを書き直します。前のも消しませんが、レスされるならこちらにどうぞ(^^;

--------------------

素晴らしい!
全て牛若丸さんの仰る通り! 無実の少年のための活動、素晴らしいですね! 米軍のサリン攻撃と戦いながら国家的な陰謀を訴えたオウム真理教を髣髴《ほうふつ》とさせられました! あと、アウシュビッツにガス室は無かったとか言った人とか……。是非、それらの勇気ある方々との共闘を検討されてはいかがでしょうか。僕は関り合うのはまっぴら御免ですが。


|スピリチャリストとは一体どのような人たちのことを言うのでしょうか?

思いやりが無くてたいへん申し訳ありません。きっと僕の身体に緑色の血液が流れているせいです。ま、“スピリチャリスト”の中にも、たまにはそういうのもいます。……ところで“スピリチャリスト”って、何?

では、頑張って下さい。陰ながら、生暖かい眼で見守ってゆきたいと思います。

----------ここまで-----------------------------------------------

二つ目のコメントは我ながらさすがにおふざけが過ぎる感が無きにしも非ずですが……(あの時は“トンデモ”相手には笑い飛ばしでもしなけりゃやってられないという気分だったので(^^;)。それはさておき、一つ目のコメントに関連して、今でも“牛若丸”さんにお聞きしたいことはあります。被害者の父親の手記『淳』は読みましたか? 読んだ感想はいかがでしたか? 宜しければぜひお聞かせ下さい。

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0947 汚い手でスピリチュアリズムに触れるな--悠々塾へ(その1)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月20日 (月) 16時08分16秒

次の発言は、「人生を変えるスピリチュアリズム」の掲示板に投稿されたものですが、こちらで議論を続けるとの事ですので、転載のうえ、コメントさせていただきます。

----------ここから転載-------------------------------------------

[1189] 私も参加させて頂きます 投稿者:飯沼正晴(悠々塾) 投稿日:2001年08月12日 (日) 14時55分

有希さん、お久しぶりです。
T子さんのことありがとうございます。今後とご支援をお願い致します。

ペーパーバーチさんもお久しぶりです。
すでに有希さんからお聞き及びのこととは思いますが、以前「牛若丸」の名前であなたとは言葉を交わしました。
その後あなたからは「悠々塾」に関して、誤解に基づくと思われる侮辱的なお言葉を頂きました。(怒ってないですよ)
私たちのほうからは、事実を確かめるようにということと、あなたの発言の姿勢について、メッセージの形でこちらの考えをお伝えいたしました。あなたからは、何の回答も頂いてはおりません。
削除されたあなたの投稿をざっとですが読ませていただき、私も思うところが多々ありました。よって、私も議論に参加いたします。
個人的な議論の「勝ち負け」には興味はありません。ただ、同じくシルバーバーチから学ぶ者同士として、あなたとの意見のやり取りのなかから、この国のスピリチュアリズムに一石を投じることができれば幸いです。(もちろん神戸事件のことを蒸し返すのではありません。)
あなたの今回のご投稿からはじめて、統一教会のことを越えて、スピリチュアリズムに論点を移したいと思っています。あなたはどうやら議論好きな方のようですし、自信を持っておられるご様子、安心しました。以前から持ち越しになっている件に対するご回答もお願い致します。
それではご意見の掲載を待って、あなたの掲示板にお伺いいたします。

----------ここまで-----------------------------------------------


以下、コメントに入ります。

|すでに有希さんからお聞き及びのこととは思いますが、以前「牛若丸」の
|名前であなたとは言葉を交わしました。

いや、いま初めて聞きました。聞いてませんよ。だいいち、申し訳ありませんが飯沼正晴という人を僕は知りませんでしたから。さきほど悠々塾のウェブページに当たってみて、ああそうか悠々塾の人であったかと気付きましたが(^^;。(牛若丸氏は「全て公開の場で意見のやり取りをしたい」とか言ってメルアドを乗せたがらなかったほどだったのに、どうして僕が裏であなたのことを聞いていると思うのでしょう?)
正直、驚いています。一つの会の代表者ともあろうお方が、第三者のふりをして書き込みをしていたとは……。ご丁寧にもメッセージを他の人間に投稿させてまで……。


|その後あなたからは「悠々塾」に関して、誤解に基づくと思われる侮辱的
|なお言葉を頂きました。(怒ってないですよ)

誤解とはいったいどの部分のことを言っておられるのでしょうか? 僕はあなた方の通信を「地上界に戻ってまで教えを垂れる意味があるほどの霊とは思えません」「いかんせん言葉の内容に深みが感じられない」と書きましたが、それは貴会ウェブページを読ませていただいての僕の感想であり、評価であって、そこに“誤解”の入り込む余地はありません。

“その評価は間違っている”と仰るならまだ理解できますが、すぐに“誤解”だと言いたがる人間を僕は信用しません。なぜなら、誤解という言葉の裏に「自分は絶対に正しい」という無意識の前提の押しつけがあるからです。

「侮辱的なお言葉」というならむしろ僕の方が、牛若丸と名乗っていた飯沼さんから、感情に任せて中傷された記憶はありますが……。ちょうど良い機会です、後ほど該当発言をこちらに転載の上、コメントさせていただきましょう。っと言うか、書くことは書いたものの投稿を控えていた発言(^^;を公開しましょう。


|私たちのほうからは、事実を確かめるようにということと、あなたの発言
|の姿勢について、メッセージの形でこちらの考えをお伝えいたしました。
|あなたからは、何の回答も頂いてはおりません。

メッセージとは「近藤先生のことについて」の事でしょうか? それならば僕は最初から「書くつもりはない」と言っているので、あなた方に「私たちは一向にかまいません」などと言われても、それはあなた方の都合であって、僕には関わりのないことです。人の言っていることはキチンと聞いてくださいねと言うほかありません。

参考までに、そのメッセージを転載します。

----------ここから転載-------------------------------------------

○近藤先生のことについて
まず、私信の公開に関しては、先生への確認や承諾をとる術がありません。あるいきさつから、今は連絡先が分からない状態です。しかしこれについては、この掲示板に事の次第を投稿することは致しません。「悠々塾」のホームページ上で近いうちに明らかにします。
あの時点(先生が手紙をくださった時点)での先生の御見解は、手紙にある通りです。その後、先生は、私たちのところへ何人かの病者さん(精神的な)を紹介されました。「信頼できる治療家だから」ということで。手紙の内容については公の場で発言されたことと重なりますので、何ら、公にできない内容ではありません。先生との関わりについて、私たちは、何も隠すようなことはなく、今でも、先生のお働きには尊敬の念を変わらず抱いています。ペーパーバーチさんは、先生と私たちのことについて「言えない」と書かれていますが、私たちは一向にかまいません。どうぞ公開なさってください。
双方の「いきさつ」を突き合わせてみれば、何が本当かは分かると思います。私たちはその件に関して、表沙汰にするつもりは全くありませんでした。しかし、ペーパーバーチさんによってその機会がもたらされたということなのでしょう。

----------ここまで-----------------------------------------------

改めて読み返して思ったのは、何と卑劣なことを平気な顔して言う人たちだろうということです。
ここに至る経過を振り返ってみると……。

悠々塾の代表たる飯沼さんは1月9日から牛若丸名義で継続的に議論に参加しています。僕の悠々塾への評価に対して、祐造&さきさんが、しかし近藤千雄先生も評価してくれているのだと、無断で私信を公開されたのは2月12日。それに対して僕は2月14日に、当時はともかく現在の評価は違うはずである、また私信を勝手に公開するのはいかがなものかという指摘をしました。

#その翌日に牛若丸さんより、ずいぶん興奮した調子で僕を中傷する書き込み(後ほど紹介する発言)がされました。その時は、なんでこの人はこんなに興奮してるんだろうと思ったものですが、なるほど今思えば14日の僕の悠々塾批判の投稿が気に障っていたわけですね。

閑話休題
そして2月16日に悠々塾スタッフの林さんという方から上記メッセージが届けられたわけです。
長々と経過を書きましたが、それが何を意味するのか……要するに悠々塾側が勝手に自分たちの権威付け、虎の威を借るために近藤千雄先生を利用しておいて、それを否定されるや否や今度は「あるいきさつ」とやらを暴露して引きずり落とそうとしているということです。

もう一つ、祐造&さきさんが近藤先生の手紙を公開したとき、既に(現在の悠々塾への評価は違うと知っているはずの)飯沼さんが見ていながら、一言も説明が無かったことです。にも関わらず、それを他人から否定されると今度は、一度はお世話になったはずの近藤先生を、自分たちの身を守るために引きずり落とそうとしたということです。都合のいい時は黙《だんま》りを決め込んでいたくせに……。もっと言えば、そうすることになったのはお前の所為だと、ご丁寧にも責任転嫁の恫喝をしてくれているわけです。

どんないきさつがあったにせよ、僕はそういう行動をとる人間を心の底から軽蔑します。僕は近藤千雄先生と個人的な付き合いがあるわけでも何でもありませんが、スピリチュアリズムやシルバーバーチの霊訓と出会えたのは近藤千雄先生の著書・訳書のおかげだと思っていますし、そのことを心から感謝し、恩義を感じてもいます。だから、詰らぬ事をあげつらって貶めようとするのであれば(まして自らの保身のためにそういうことをするのなら)僕はあなた方のことを絶対に許しません。


|あなたはどうやら議論好きな方のようですし、自信を持っておられるご様
|子、安心しました。以前から持ち越しになっている件に対するご回答もお
|願い致します。

自信なんかありませんよ。自分が正しければ勝つと思っていますし、間違っていれば負けるはずと思っているだけです。負けてもそれで自分の知らない真理が明らかになり、僕が負けることで正義が全うされるなら、僕はむしろ早く負けたいと思っているからです。精一杯頑張っていれば、後は霊界が良きに計らってくれる……そう信じていますから、自信を持っているように見えるとしたら、そのためかも知れません。

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名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月07日 (金) 00時04分01秒

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