心霊学研究所
文書資料室
('03.02.26作成)

『シルバーバーチ愛の摂理』より
シルバーバーチとは何者か
近藤千雄著


 

 シルバーバーチというのは今からほぼ三千年前、イエス・キリストより一千年も前にこの地上で生活したことのある霊ということ以外は、地上時代の姓名も地位も民族も国家もわかっておりません。本人が明かさなかったのです。せめて姓名だけでもとお願いしても、「それを知ってどうしようというのです? もしも歴史上の有名人だったら有り難がり、どこの馬の骨かわからない人物だったらサヨナラをなさるおつもりですか」といった皮肉っぽい返事が返ってくるばかりでした。

 毎週一回の割で五十年余りも続いた交霊会で同じ質問が何度出されたか知れませんが、「いずれ明かす日も来るでしょうが、わたし個人のことよりも、わたしが語る内容の方が大切です」というのがせめてものまともな返事で、人間が地上時代の名声や地位や階級などにこだわるのを“悪趣味"として、皮肉っぽい返事をするのが常でした。

 ではなぜ明かさなかったのでしょうか。なぜそれにこだわるのが“悪趣味”なのでしょうか。実はこれは深い霊的な原理にかかわる問題で、それが理解できてはじめて霊的真理を理解したと言えるほど大切なことなのです。今ここで私がくどくどと説明するよりも本書を通読していただいた方がよいと思いますが、その前置きとして、本書の中でたびたび出てくる“スピリチュアリズム”という思想について簡単に解説しておきましょう。

 

スピリチュアリズムの発端

 コナン・ドイルの名文句に“電話のベルが鳴る仕掛けはたわいないものだが、それが途方もない重大な知らせの到来を告げてくれることがある”というのがあります。スピリチュアリズムの発端も一見なんでもなさそうな現象でした。

 一八四八年、今から約一四〇年前にニューヨーク州の郊外にあるハイズビルという小さな村に、フォックスという姓の家族が引っ越してきました。その家族には十二歳と九歳になる姉妹がいましたが、不思議なことにその二人またはどちらか一人がいる部屋にかぎって、何やら物がはじけるような音がするのです。最初は気味わるがっておりましたが、気のせいかも知れないと考えて、そのうちあまり気にしなくなっていました。

 そんな折、三月のある風の強い日のことでしたが、窓が風でカタカタと鳴る音とはまったく違う音が部屋中でするので、二人は一つの考えを思いつきました。こちらから同じような音で信号を送って、それにどう答えるかを試してみようというのです。まず姉が天井の方を向いて

「これ鬼さん、あたしがする通りにしてごらん」

と言って指先でパチン、パチン、パチンと三回鳴らしてみました。すると驚いたことに、空中から同じような音が三回したのです。そこでこんどは妹が

「では鬼さん、あたしの言ったことが当たっていたらパチンと一回、外れていたら二回、どちらでもない時は三回鳴らすのよ。いいこと?」

と言って、その“鬼さん”にいろいろなことを聞いてみました。するとその結果大変なことが判明したのです。この“鬼さん”は地上にいた時は行商人をしていましたが、三、四年前にその家に行商に来た時、当時その家に住んでいた人に殺されて、死体を床の下に埋められたというのです。

 この話を子供から聞かされた両親は、まさかとは思いながらも、念のために警察を呼んで床下を掘ってもらったところ、なんと本当にそこから白骨の死体が出てきたのです。ただの幽霊現象なら茶飲み話で済んでしまったのでしょうが、白骨の死体が出るという怪事件であっただけに、この話は全米はもとよりヨーロッパ大陸へもまたたく間に広がりました。

 そして----ここが肝心な点なのですが----この現象を当時の世界的な学者や有識者が関心を寄せ、フォックス姉妹のような特殊な能力をもった人間を科学的に調査・研究しようとする動きが出てきたのです。こうして心霊現象の研究が欧米で盛んになりました。これにたずさわった人の名は枚挙にいとまなしですが、その代表的な名前だけを挙げれば、生化学者のウィリアム・クルックス、物理学者のオリバー・ロッジ、博物学者のアルフレッド・ウォーレス、ニューヨーク最高裁のエドマンズ判事、古典学者のフレデリック・マイヤース、牧師のジョージ・オーエン、そしてシャーロックホームズでおなじみのコナン・ドイル等々がいます。

 

スピリチュアリズムとは何か

 スピリチュアリズムには大きく分けて物理的側面と精神的側面とがあります。物理的側面というのは右の心霊現象にかかわる分野のことで、これを調査・研究するのを“心霊研究”といい、その研究の成果をまとめたものを“心霊学”ないしは“心霊科学”と呼んでいます。正式に決まっているわけではありませんが、大体そういう傾向にあり、混乱を避ける意味でもそう言い分けた方がよいでしょう。

 いずれにしても大切なのは、この側面ではそうした現象を起こしている“原因”は目に見えない知的存在つまり人間と同じ質の知性をもつ異次元の存在であるとしている点です。それを英語では“スピリット”、日本語では“霊”の用語を当てていますが、これをかつての“実体のない観念的なもの”という先入観で受け止めてはなりません。むしろわれわれ人間よりも実体感のある身体で生き生きとした生活を営んでいることが分かってきたのです。どうしてそれが分かったのか----それがその“霊”からの通信、いわゆる霊界通信なのです。

 さきに紹介した“ハイズビル事件”以後の世界的学者や知識人は、本格的な心霊研究の結果“心霊現象の実在は科学的に完全に立証された”として、それよりさらに一歩踏み込んで“霊界通信”の方に着目し、その中身から画期的な宇宙の摂理を学び取ることに努力しました。それがスピリチュアリズムの精神的な側面です。その教えを人生観の支えとしている人々を“スピリチュアリスト”と呼びますが、参考までに米国スピリチュアリスト連盟の綱領がスピリチュアリズムの本質をうまくまとめてありますので、次に紹介しておきましょう。

 

 米国スピリチュアリスト連盟の綱領
一、われわれは無限なる叡知(神)の存在を信じる。
一、われわれは物的・霊的の別を問わず大自然の現象はことごとく無限なる叡知の顕現したものであることを信じる。
一、われわれはその大自然の現象を正しく理解しその摂理に忠実に生きることが真の宗教であると信じる。
一、われわれは自分という個的存在が死と呼ばれる現象を超えて存続するものであることを確信する。
一、われわれは、いわゆる死者との交信が科学肘に証明ずみの“事実”であることを信じる。
一、われわれは人生最高の道徳律が「汝の欲するところを人に施せ」という黄金律に尽きることを信じる。
一、われわれは、人間各個に道徳的責任があり、物心両面にわたる大自然の摂理に従うか否かによって自ら幸・不幸を招くものであることを信じる。
一、われわれは、この世においても死後においても改心への道は常に開かれており、いかなる極悪人といえども例外ではないことを信じる。

  • スピリチュアリズムは科学である。なぜなら霊界から演出する心霊現象や超能力を科学的に分類・分析しているからである。
  • スピリチュアリズムは哲学である。なぜなら顕幽両界の自然法則を考究しそれを現在までの観察事実に照らして哲学的理論を導き出すからである。また過去の観察事実やそれに基づく理論も、それが理性的に納得がいき現代の心霊科学によって裏づけされたものであれば、これを受け入れるにやぶさかではない。
  • スピリチュアリズムは宗教である。なぜなら宇宙の物的・道徳的・霊的法則を理解し、それに忠実たらんと努力するからである。それはすなわち“神の御心”に忠実たらんとすることにほかならない。

 

 なお、スピリチュアリズムの二面性のうち、物的側面にばかり捉われて精神的側面を疎《おろそ》かにするのも感心しませんが、反対に物的側面の理解をいい加減にして精神的側面に偏り、たとえば“霊言”というタイトルがついておれば無批判に何でも有り難がるようになるのも愚かしい限りです。とくに歴史上の有名人の名前や神話上の神々の名を名乗っているものは警戒する方が賢明です。本物の高級霊ともなれば、宇宙学校の幼稚園、せいぜい小学校一年生程度にすぎない地上世界での“人気”などアホらしくて名乗る気になれないのが“正常”なのです。

 また他界直後の肉親が出て来て涙ながらに身の上話をし、それを聞いて感涙にむせぶといった光景も、その裏側をのぞけばイタズラな低級霊による茶番劇にすぎないものが多いので用心が肝要です。死んで間もない霊がそう簡単に霊媒を通じてしゃべれるものではないからです。そこで次に霊界通信のメカニズムを簡単に説明しておきましょう。

 

霊はどのようにして通信を送ってくるのか

 霊界通信には大きく分けて自動書記によるものと霊言によるものとがあります。これは今に始まったことではなく、太古からあった----否、むしろ太古の方がはるかに盛んに行なわれていたようです。もっとも自動書記は“文字”を使用しますから、文字のなかった時代には絵画や記号によるものがあるだけで、霊言つまり“お告げ”によるものが圧倒的に多く、政治までがそれによって行なわれました。ギリシャのデルポイの神殿における“神託”は歴史上でも有名です。

 さて、霊言にせよ自動書記にせよ、霊はどのようなメカニズムを利用して通信を送ってくるのでしょうか。これは非常に大切なことですので、ぜひとも理解しておいてください。

(一)霊が“語る”場合
 (1)直接談話現象----エクトプラズムという霊媒から出る特殊物質で人間の発声器官と同じものをこしらえて、それに霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべるもので、声が空中から聞こえる場合はエクトプラズムが人間の目に見えないほど希薄な場合。メガホンから聞こえる場合はその中に発声器官がこしらえてある。
 (2)霊言現象----霊媒に乗り移ってその発声器官を使ってしゃべる。これにはその交霊会の支配霊自身が語る場合と、その支配霊の許しを得た上で親族の者や知人等がしゃべる場合とがあるが、そのほかに“招霊会”といって、地縛霊や因縁霊を背後霊団が強制的に乗り移らせてしゃべらせると同時に、司会者(正式には審神者《さにわ》という)が霊的事実を語って聞かせて自我に目覚めさせるという、除霊もしくは浄霊を目的とする会もある。

(二)霊が“書く”場合
 (1)自動書記現象
 ・腕を直接的に使用する場合----通信霊が霊媒に乗り移って、われわれと同じ要領で書く場合
 ・リモコン式に操る場合----テレビその他のリモコン操作と同じで、霊視すると一本の矢のような光線が腕あるいは手先とつながっているのが見える。
 ・インスピレーション式に書く場合----霊感で思想波をキャッチすると反射的に手が動いて綴るもので、原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じであるが、その考えがインスピレーション式に送られてくるところが異る。
 (2)直接書記現象
  紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、暗号などの場合もある。二枚のスレートを合わせて置いておくだけで、その内側に通信が書かれるスレートライティングもこの部類に入る。いずれにしても大変なエネルギーを必要とするので長文のものは書かれない。

(三)幽体離脱による旅行体験記の場合
  霊的身体で体験したことや教えられたことを肉体に戻ってから自分で綴るもので、次元の異る世界の事情を脳を中枢とした意識でどこまで正確に再現し表現できるか、そこに霊能の鋭さの差が出てくる。原理的には他のすべてのタイプの霊界通信と同じで、一人二役を演じているようなものである。

 

シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル

 シルバーバーチは右の(一)の(2)の方法で通信を送ってきたわけですが、本人が語っているところによると、この仕事を霊界の上層部、いわゆる“神庁”から仰せつかった時は、霊媒のバーバネルはまだ誕生していなかったといいます。が、霊界の情報網を通じてバーバネルの誕生の時機を確かめて、その時点までの地上時間にして十数年を英語の修得に専念し、いよいよバーバネルが母胎に宿った瞬間から本格的な支配、いわば“操作”の練習を開始し、バーバネルの肉体的ならびに精神的成長に合わせて必要な準備を整えていったといいます。

 言い変えればそれは、バーバネルの精神機能を使用しながらしかもバーバネル個人の主観的思念に邪魔されずに、自分の考えを百パーセント伝えるための準備だったと言えるでしょう。もっともその準備には霊界の霊媒である例のインディアンとの関係も含まれていたはずです。その辺のことをシルバーバーチは語っておりませんが、それは見方を変えれば、そのインディアンもバーバネルも、シルバーバーチという高級霊の“道具”という立場を守り、それに徹し、“自分”というものを表に出さなかったことを物語っています。

 それが霊媒としての第一条件なのです。私はバーバネルが亡くなる半年前の一九八一年一月五日と七日に面会していますが、これほど強烈な個性をそなえ、難しい頑固オヤジのような性格をもっていながら、入神するとほぼ完全に自我を滅却してしまうというのは、やはり高級界からの使命を担って生まれてきた人物なのだなという感慨をもったものでした。

 

大きかったハンネン・スワッハーの存在

 そのシルバーバーチが始めてバーバネルの口を借りてしゃべったのは一九二〇年、バーバネルが十八歳の時でした。その辺の経緯については巻末のバーバネルの遺稿[シルバーバーチと私]をお読みください。これは、自分の寿命もあと四、五年と悟ったバーバネルが“最後に出すべき記事”として認《したた》め、本書の編者で今はバーバネルの椅子に腰かけているオーツセンに“わたしが死んでから公表するように”と言って手渡したものです。その時オーツセンは“こんどこれを読む時はもうこのご老体はあの世へ行ってるんだな”と思って感慨ひとしおだったと述べています。

 さて一九二〇年にいきなり入神現象を体験させられたバーバネルは、しかし、霊媒になる考えは毛頭なく、実業家として身を立てようとしていました。交霊会も不定期に催され、聞く人も二、三の友人・知人に限られ、しかもシルバーバーチは支配《コントロール》の仕方に苦心さんたんしていたらしく、感情の起伏が激しくて声も荒々しくなることがあり、そして何よりも英語が、その後のあの流暢なものと較べると同じ霊とは信じられないくらいひどいものだったそうです。

 しかし、それも回を追って急速に改善され、どうにかシルバーバーチという一個の霊の個性が明確になった頃に、演劇評論家のハンネン・スワッハーがその会に出席しました。

 スワッハーはバーバネルの親友でしたが二〇歳も年上で、当時すでに“フリート街の法王”の異名をもつ、英国ジャーナリスト界きっての大物の地位を築いておりました。その彼もバーバネルに劣らず頑固でヘソ曲り者でしたが、一九二四年、四十五歳の時に出席したデニス・ブラッドレーという霊言霊媒の交霊会において、英国新聞界の大物で大先輩のノースクリッフ卿が出現して語りかけたことで一ぺんに参ってしまい、スピリチュアリズムへの関心を深めて行きました。

 そうした体験をへてバーバネルの交霊会に出席したスワッハーは、シルバーバーチの霊言のただならぬ質の高さを直観し、自宅で毎週金曜の夜に開催することにし、名称も“ハンネン・スワッハー・ホームサークル”としました。が、そこからさらにスワッハーの存在意義を物語る働きをします。「こんなに素晴らしいものをこんな一握りの者が聞くだけでは勿体ないではないか」と言い出し、ぜひとも〈サイキックニューズ〉に公表するようにと勧めたのです。

 しかし自分がその心霊紙の主幹であり社長でもあることからバーバネルは「そんなことをしたら私の魂胆が疑われる」と言って断わりました。が、会を重ねるごとにますますシルバーバーチの魅力に取りつかれていくスワッハーは、重ねてバーバネルに公表を迫りました。二人は親友でもあったせいで、それを断わるバーバネルとの間で口ゲンカにも似た激しいやり取りがあったようですが、バーバネルもついに折れて“自分がシルバーバーチの霊媒であることを内密にするなら”という条件のもとで、いよいよ連載が始まったのでした。一九二〇年に語りはじめてから実に十数年後のことでした。正確な日付はわかりませんが、“シルバーバーチはほぼ五十年間にわたって語り続けた”という時は、ハンネン・スワッハー・ホームサークルが結成されてその霊言が〈サイキックニューズ〉に連載されだしてからのことで、一九二〇年の最初の入神体験から数えれば六〇年間となるわけです。その期間の長さからいっても霊言の質の高さからいっても、まさに“人類史上空前絶後”といっても過言ではないと思います。

 その霊言をまとめた最初の霊言集が出版されたのは一九三八年ですが、その時もまだ霊媒がバーバネルであることは内密にされていました。知っているのはレギュラーメンバーと招待者《ゲスト》だけで、そのゲストにも“籍口令《かんこうれい》”が出されるほど厳重に秘されていました。しかし、そんな状態がいつまでも続けられるはずがありません。“シルバーバーチの霊媒はいったい誰なのだ”との問い合わせが日増しに寄せられるようになり、バーバネルも事の重大さを悟って、ついに一九五九年に“シルバーバーチの霊媒は誰か----実はこの私である”という劇的な一文を掲載したのでした。

 

シルバーバーチの思想上の特徴

 こうした二つの経緯、つまり“公表”に関して二人が口論までしながら十数年も経過したことと、霊媒がバーバネルであることを四十年近くも内密にしたという事実を知って誰しも疑問に思うのは、なぜそうした問題についてシルバーバーチが口を挾まなかったのかということでしよう。

 実は、そこにこそシルバーバーチの思想上の特徴の一つが如実に現われているのです。それは、人間界の問題はあくまでも人間どうしで知恵を出し合って処理すべきで、そこに霊界からの強制があってはならないということです。常識的に考えれば、シルバーバーチが一言“早く公表しなさい”と言ってもよかったはずです。しかしそこには一人間としてのバーバネルの自由意志があり、本人がこうしたいというのであれば、余ほどの取り返しのつかないことでないかぎり、忠告や警告はしないというのが高級霊に共通した特徴的態度なのです。

 本文の随所でシルバーバーチは「あなたの理性が承服しないものは、どうぞ遠慮なく拒否なさってください」と述べていますが、それも同じ考えからです。これは、たとえばよく間題にされる守護霊と人間との関係についても言えることです。

 守護霊《ガーディアン》という用語には日本語でも英語でも“守る”という意味があるところから、この文字だけを見た人は“何でもかんでも守ってくれる霊”と受け止めて、その考えで現実を振り返って“おかしいではないか”と言います。しかしそれは母親がヨチヨチ歩きの子供を“ケガをしないように”と見守るのとは次元が異ります。母子の関係は同じ平面上の話ですが、守護霊と人間とは“波動の原理”で結ばれており、万が一守護霊が直接関与できない状態になった時は、ちょうどシルバーバーチがインディアンを中継役としたごとくに、別の霊に依頼して指導させます。

 しかし、地上にも悪友がいるように、霊界にも邪霊・悪霊がいっぱいいて誘惑の機会をねらっています。守護霊と指導霊の監視下にある(波長が合っている)かぎりは心配ないのですが、ついつい邪《よこしま》な考えを抱いたり憎しみや自己顕示欲が強くなってくると、それを機に邪霊・悪霊に操られていきます。本人はそうとは気づきません。そうなると守護霊も手出しができなくなります。と言って見放すわけではありません。そんな中でも、間違いに気づいてくれる時機の到来をじっくりと待ちながら見守っています。そうシルバーバーチは説いています。これも本人の自由意志にかかわる問題です。

 次に挙げられるシルバーバーチの特徴は、“苦労に感謝しなさい”という教えを説くことです。苦労こそ魂の肥やしであるとの理念のもとに、人間生活ならではのさまざまな悩みごとや難問と正面から取り組み、自分の力で解決していきなさい、と言うのです。言いかえればシルバーバーチの教えには“ご利益”的な要素はみじんもないということです。「わたしの説く真理を信じても人生の苦労が無くなるわけではありません」とまで言っております。

 大抵の宗教が“ウチの神さまを信じたら病気も悩みも苦労もすべて無くなります”と宣伝するのですが、シルバーバーチはその逆を言うのです。なぜか----それは地上という世界が魂のトレーニングセンターのようなところだからです。せっかく鍛えに来たのに、何の苦労もなくのんびりと過したのでは意味がないからです。シルバーバーチの霊訓が“大人の訓え”と言われるゆえんはそこにあります。甘ったれは許されないのです。その辺のくわしいことは実際に霊言をお読みいただいた上で理解していただきたいと思います。

 次に挙げられるのは“service《サービス》こそ宗教”という教えです。日本語でサービスというとオマケとか待遇の良さといった安ぽい響きが感じられますが、本来の意味は“人のために自分を役立てる”ということです。どんな小さなことでもよいのです。人を喜ばせてあげる行為、そのためになる行為こそ、一宗一派の教義を信じて宗教的行事に参加することより、はるかに霊的な宗教的行為ですと説きます。

 これを“奉仕”と訳す場合もありますが、日本語の奉仕の概念には“金銭をいただかない”という感じがあります。むろん英語でもそういう意味でも使われることがありますが、金銭をいただかないから奉仕なのではなく、いただいても奉仕なのです。要するに人のために役立つことをするのが奉仕であり、たとえ給料を貰っても、その仕事が何らかの形で巡りめぐって人のためになっていれば、立派に奉仕ということです。

 次の特徴は“因果律”を宇宙・人生の根本原理としていることです。“自分で蒔いたタネは自分で刈り取る”というのはずいぶん言い古されたことわざですが、“やはり真実です”とシルバーバーチは言うのです。善因善果・悪因悪果、因果応報などとも言いますが、これに関して注目しなければならないシルバーバーチの特徴は、その因果律はただ歯車のように巡るのではなくて、“魂の向上進化”を目的としているということです。

 これが最大の特徴と言ってもよいかも知れません。これまでに挙げたいくつかの特徴も実はみなこの“向上進化”という目的があればこそ意義があるのであり、人生の問題のすべてがそこに帰着するのです。たとえば善悪の判断も伝統的宗教の教義とか古くからの生活慣習を基準にすべきではなく、当人の魂の向上進化にとってそれがプラスかマイナスかで判断すべきであると説きます。これは当然の成り行きとして道義心ないし良心の問題へと発展していきますが、それは本文をお読みいただいてご自分で理解していただきたいと思います。

 以上、大ざっぱにシルバーバーチの思想上の特徴を紹介しましたが、これといって目を見張るようなものは見当らないことにお気づきと思います。いたって素朴なものばかりです。われわれ地上の人間はどう長生きしたところで七、八十年から百年程度ですが、シルバーバーチは死後三千年にわたる生活の末に今この故郷に戻ってきて、その間に知った宇宙の摂理と、地上生活を有意義に送るための叡知を語ってくれました。それがこうした何でもない教えばかりなのです。それを事実上六十年間も繰り返し繰り返し説いてきたのです。しかもその間に無盾撞着も変説もありませんでした。

 

シルバーバーチの交霊会の特徴

 シルバーバーチの交霊会はまずインボケーションという祈りで始まります。これは、交霊会が首尾よく進行するようにという“成功の祈願”です。多くの霊界通信が指摘していることですが、こうした交霊会の背後には、この場を悪用してイタズラをしたり(たとえば声色を使っていかにも先祖霊であるかのように装って親族を喜ばせたりする)、大ゲサな予言をして混乱させたりする邪霊・悪霊の類いがいっぱいおります。そうした霊の侵入を許さないためには、交霊会の出席者が心身ともに健康であると同時に、全体が霊的な調和状態になることが最大の条件です。それを醸《かも》し出すために祈るのがインボケーションです。

 それからその日のゲストに向かって呼びかけて歓迎の言葉を述べ、続いてそのゲストから話題を提供してもらって話を発展させ、途中でレギュラーメンバーからの質問も混じえて話題が広がります。時には出席者どうしで議論が沸騰し、シルバーバーチはそれにじっと聞き入っていて最後に結論として自分の意見を述べたりすることもあります。それとは別に、初めから終りまで質問ばかり受ける会を催すことがあるのも、シルバーバーチの交霊会の特徴です。

 いずれにしても、最後はレギュラーメンバーの一人ひとりに声をかけ、悩みごとがあればその相談にのり、それが終るとベネディクションという祈りでしめくくります。これは交霊会が無事終了したことへの“感謝の祈り”です。もっとも、インボケーションもベネディクションも内容に大きな違いはありません。本書でも各章の終りにその代表的なものが紹介されています。

 バーバネルが入神しその身体にインディアンが憑依してくると、その顔はあの肖像画に似た表情に変形します。やがて息づかいが荒くなり、いびきのような響きになったかと思うと「始める用意ができました」と司会者に向かって言うわけです。そして最後もまた、いびきのような息づかいになって霊媒から離れます。

 霊が去ったあともバーバネルは入神状態のまましばらく椅子にもたれております。その間、出席者は静かに談笑しています。やがてバーバネルが目を覚まし、両手で顔をさすってから、はずしていた眼鏡をかけ、用意してあるグラス一杯の水を飲みほします。そして出席者との談笑に加わるのですが、その日の交霊会の内容に関することは話題にのぼらせないということになっておりました。

 なお入神中のバーバネルは目を閉じたままでした。それでもシルバーバーチの霊眼には全員が見えていたのですが、それは衣服をまとった人間の姿ではなく、その人の霊そのものの実体で、身体はボンヤリとしか見えてなかったそうです。

 

シルバーバーチの用語の特徴

 次に、シルバーバーチが用いている言葉の中でとくに注意すべきものを拾って解説しておきます。

 “大霊”----これは原語ではThe Great Spiritと必ず大文字で記されています。シルバーバーチは“あなた方が神《ゴッド》と呼んでいるところの大霊”という言い方をすることがあることからもわかるように唯一絶対の宇宙神をさしていることは間違いないにしても、ゴッドというのはキリスト教で用いられている用語であって、シルバーバーチが説く“大霊”とは本質的に異ります。その違いについては本文でシルバーバーチ自身の説明をお聞きいただくことにして、これを日本語の“神”という文字を当てるのも、正確に言うと妥当ではありません。日本人のすべてが“神”について同じ概念を抱いているとはかぎらないからです。

 しかし、シルバーバーチのいう大霊は結局はわれわれ人間をはじめとして宇宙の森羅万象となって顕現していると説明されているところからすれば、日本の古神道の神の概念が大霊の概念といちばん類似していると言えそうです。ただ、今も言いましたように、使い古された用語にはとかく複雑な概念がまとわりついておりますので、私は本シリーズでは“大霊”という訳語で一貫させることにしました。ただ、人間に内在する大霊の資質を“神性”と訳したところもあります。又、“ゴッド”が使用してあるところは“神”としました。

 なお、祈りの中でシルバーバーチは“真白き大霊”という言い方をしています。これはThe Great White Spiritの訳で、シルバーバーチの説明によれば、自分が地上時代に信じていた神は“白い光”となって現われたからそう呼ぶまでだと述べています。私はこれは“純粋無垢”の象徴と受け止めておけばよいと考えております。

 “霊”と“魂”----訳語そのものは“霊”がspiritで“魂”がsoulですが、二つのどこがどう違うのかとなると、その説明は大変ややこしくなります。ややこしくするそもそもの原因は、両者を観念的に捉えていた時代の用語をスピリチュアリズムで具体的な実在として扱うようになったものに当てはめているからです。それは日本語でも英語でも同じです。実はシルバーバーチもこの用語上の問題を地上特有の、しかも一ばん厄介なものとしており、結局は“用語にこだわらず中身を理解していただけばよろしい”ということになっております。

 そこで私は、フレデリック・マイヤースという、地上で古典学者で心霊学者でもあった人が、名霊媒ジェラルディン・カミンズ女史を通じて送ってきたBeyond Human Personalityという学究的通信の末尾に出ている用語の解説を引用して紹介しておこうと思います。私が見るかぎりこれが一ばん妥当であり、シルバーバーチの用い方にも通用すると思うからです。(カッコ内近藤)

 地上の人間の場合
・肉体
・複体《ダブル》----殻と幽体とから成る。(“殻《ハスク》”というのは肉体と幽体との接着剤と考えればよい。死後間もなく消滅する。)
・魂----自我のうちの地上生活中に意識している部分で、生活の駆動力。(シルバーバーチはこれを精神《マインド》と呼ぶことがあり、コントロールルームのようなものと言っている。)
・霊----自我の最奥の部分。光またはインスピレーションとして時おり意識される程度であるが、実際には画家が絵を見つめるように、日常生活の言動を細大もらさず認識している。(シルバーバーチは大霊の一部、いわゆる“神の分霊”としている。)

 他界後の人間の場合
・幽体----死後の身体。外面的容姿。
・魂----生活の駆動力またはエネルギー。
・霊----地上時代と同じ。(肉体という鈍重な器官がなくなり、より精妙な身体を使用するので、最奥の自我が出やすくなっている点が地上時代と異る。なおマイヤースは、神体とか本体とか光体というのは地上生活中ならびに死後しばらくは使用しないと述べている。)

 こうした分析をする際に忘れてならないのは、たとえば人体を臓器別に解説しても、全体が一つとなって機能しないことには個々の臓器の存在価値も出ないのと同じで、霊も魂もその違いはどうであれ、結局は一体となって機能してはじめて存在するわけですから、個々の用語にあまりこだわって統一体としての人間像を忘れることがあってはならないということです。

 

霊界通信の真贋《しんがん》の見分け方

 私は今ここで日本の心霊界の実情を具体的にあげつらう気持にはなれませんし、又その必要性も認めませんが、いい加減な霊言(と銘うっているもの)に惑わされている人が多いことは、私のもとに寄せられる電話や投書でよく承知しております。

 しかし、バーバネルがいみじくも述べておりますが、「ホンモノがあるからニセモノも出る」のです。ブランド商品にも一般の人にはホンモノと見分けがつかないほど巧妙に作られたニセモノが出回っているようですが、しかし専門家にはすぐに分かります。霊言ないし霊界通信と銘うっているものでも、私にはすぐにニセモノないしは安モノの見分けがつきます。これを一般の方がホンモノと思い込んで大騒ぎしたり悩んだりしている事実を知って気の毒に思います。

 では、その真贋はどうやって見分けたらよいのかということになりますが、ハシにも棒にもかからない子供だましの創作ものは論外として、まじめな霊界通信の信憑性を考察する方法としては二つあるように思います。

 一つは、カミンズ女史によるイエスの実像とその生涯に関する一連の自動書記通信に関して、主教を中心とする神学者・聖書学者・心霊学者・作家・大学教授等、実に二十数名の英米人で構成された調査団が行なった徹底した分析と考証に代表される方法で、山本貞彰訳『イエスの弟子達』(潮文社)にその調査団の署名入りの報告書が〈序文〉として掲載されております。そして、その結果“正真正銘”の折り紙がつけられているのです。

 いかにも西洋人らしい理性的ないし知的態度で、是は是、非は非としてそこに牽強附会《けんきょうふかい》の言や屈理屈はみじんも見られません。日本でも早く第一級の学者や知識人が面子《めんつ》に捉われずに、こうした心霊的な資料の徹底した考証に乗り出してくれればと思うのですが、現状を見るかぎり、それはまだ遠い先のことのようです。

 もう一つは、そうした証拠性というもので考証すべき範疇に属さない性質のもの----たとえばこのシルバーバーチの霊言やモーゼスの『霊訓』など----の場合ですが、それはただ一つ、読んで自分で直観する、これ以外にはないのです。洞察力による判断です。読んでみて惹かれるものがあれば、それはその人にとってホンモノということです。バカバカしいと思われれば、それはニセモノないしはその人にとっては程度が低すぎるということです。そして“コレだ!”と思うものと出会うまで求道《ぐどう》の旅を続けられることです。

 私にとってはそれがシルバーバーチだったのです。それをこれから皆さんに披露するのです。そこから見出されるものは、読まれる方の一人ひとりで異るはずです。しかし、それでいいのです。

 

むすび

 シルバーバーチは一九八一年七月のバーバネルの死をもって、ほぼ六〇年にわたる地上での使命を果たし終えました。それは道具としてのバーバネルの献身があってはじめて果たせたのですが、それ以外にも、霊界にあってはその中継役としてもう一人、霊界の霊媒のインディアンの存在があり、地上にあっては交霊会の司会役としてのスワッハーの存在があったことを忘れてはなりません。こうした複数の存在が一つの目的に向かって連動したからこそ成し得たことでした。大きい仕事は、いかなる高級霊ないし大人物といえども、一人では成し得ないのです。

 私がシルバーバーチの出現を“人類史上空前絶後の快挙”と表現する根拠は、顕と幽とが周到な計画のもとに一致団結して、半世紀以上にもわたって、物質界に馴染みにくい真理を届け続けたことにあります。その間に第二次世界大戦という未曽有の戦乱があり、それによる波動の乱れが激しすぎて(テレビ・ラジオの電波障害のようなものと思えばよい)、霊団の中には、もうこれ以上続けるのはムリですと、計画の断念を進言する者もいたといいます。しかしシルバーバーチは、こうした戦乱の時こそ、そして又この戦乱のあとに必ず訪れる混とんの惨状の中においてこそ霊的真理が必要なのだとの信念のもとに、牢固《ろうこ》たる決意で続けたのでした。

 その間の事実としてもう一つ忘れてならないのは、スワッハーがその知名度を利用して世界中の著名人を招待したことです。それは政治・経済・文学・芸術・科学・宗教、その他ありとあらゆる分野にわたり、それに加えて、名もない出席希望者を呼んだこともあります。

 そして、この事実に関連して特筆大書すべきことは、その中には「ヨシ、この際シルバーバーチとやらをこてんぱんにやっつけてやろう」とか「バーバネルのバケの皮をはがしてやる」と意気込んで来た者も少なからずいたようですが、一人として----ただの一人として、シルバーバーチを論破できた者はいなかったばかりか、みな深い感銘を受けて、しんみりとした顔つきで帰っていったということです。

 と言って、シルバーバーチが口にしたことは何でもないことばかりなのです。いわゆる大言壮語はどこにも見られません。なのに、語りかけられた出席者は感涙にむせぶことがよくあったということです。私も三十年余りも座右の書とし、しかもそのすべてを翻訳していながら、今なお、気持の晴れない時などにふとぺージを開いて読んでいるうちに、自然に感動がこみ上げてきて涙があふれることがあります。“魂の琴線にふれる言葉”とはこのことなのでしょう。

 さきほど私は“地上での使命を果たし終えた”と述べましたが、それは交霊会という場を通じての使命が終ったという意味です。その後も多分バーバネルやスワッハーを加えて、同じ霊団を従えて霊的真理の普及活動にたずさわっているはずです。

 このたび潮文社刊の『シルバーバーチの霊訓』全十二巻が完結したその直後から、こんどはコスモ・テン・パブリケーションから新しいシリーズが刊行されることになったその背景には、きっとシルバーバーチ霊団の働きかけがあったことでしょう。

 それに応えるべく、私も知力と体力のすべてを傾けて、シリーズの完結へ向けて努力したいと思っております。その第一巻として、本書が皆さんにとって少しでも心の糧となってくれることを祈ってやみません。

 


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