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発言番号0051-0100のログです。

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0100 地上の人の悲しみの他界した霊への影響
名前: アラム  投稿日: 2001年10月18日 (木) 23時01分16秒

有希さん、ご返答ありがとうございます。

本人の意識の問題であるので、地上の人の思いで左右されるものではないという事ですね。
また、その根拠は「シルバーバーチの霊訓」に出ているそうですね。

しかし、霊への地上の人の悲しみによる影響が全くないというわけではないようですね。

映画化もされたリチャード・マシスンの『奇蹟の輝き』の中で主人公が愛する妻の悲しんでいるのを見て嘆く場面が出てきます。
地上の人と会話を交わすことができないことも霊の悲しみの原因ともなるのでしょう。

「この身の自由さえままならない。アンの嘆きに捕らえられて」
(『奇蹟の輝き』 創元推理文庫 P81)
「妻を放ってはおけない。ぼくにはできない」(P90)
「妻を慰めたいという切望のため、ぼくは眠りから引きはがされた」(P161)

主人公はこの後に脱出しましたが、脱出できない場合はどうなるでしょう。
「きみの意思が、みずからをここへ縛りつけているのだよ」
「転移するか、とどまるか、どちらにせよ、きみ次第だ」(P90)

そして他界した後では
「奥さんの悲しみと、彼女への憂慮が、きみの判断を鈍らせている」
「いいかげんにしないと、無力感でなにもできない」(P127)
これは物語ですが、現実にはこんなことはないでしょうか。

ある霊界通信でも
「もうこれ以上、わたしの死を嘆かないでください。あなたたちが嘆くと、わたしはとても激しい苦しみを味わうことになるからです」
(『天界からの音楽』 イザラ書房 P20)
「死んでからしばらくたつとあとに残してきた、愛するものたちへのあこがれが戻ってきます。死者は愛するものたちが自分のことを嘆いているのに気づきますが、それは恐ろしい体験です」
「私にとっても、愛するものたちの嘆きがただ一つの、現実的な苦痛でした」
(P25)
と伝えています。

そうすると長田さんの
>あんまり悲しんではいけないといいますよね
という言葉も意味があることになります。

もっともシルバーバーチになると「何を悲しむ必要があるのですか。死ぬことがどうして悪いのですか」というとらえかたになって、地上の人が悲しむことが不思議に思えるのでしょうね。

 


0099 地上の人の影響
名前: 有希  投稿日: 2001年10月18日 (木) 09時43分18秒

> 長田さんが
>>亡くなった人のことを思っていますよね。その思いが強いと死んだ人も引っ張られるというか、幽界に行けなくなるという事ありますか?
と質問されたのに対して、有希さんは
>>あまり関係ないと思いますけどね
> と答えられているわけですが、どうでしょうか?

シルバーバーチのどこかにそういった記述があったはずです。
でも、どこに書いてあったか思い出せない・・・
探してみて、出てきたらまたお知らせします。

> 自分が死んだことに気付いても、死後の世界についてよく知らない人の場合に
> 悲しんでいる肉親のことが気になってしまうということがあるという話はあるようですが。

>「いつまでも残された人のこと、地上のことにとらわれていてはいけませんよ」という導きの霊の言葉を素直に
> 聴けばいいのですが、そうでなく肉親への愛着が強い場合には地表近い霊域に縛りつけられてしまうというこ
> とはないでしょうか?

おっしゃる通りだと思います。
でも、長田さんの質問は、地上の人間の心に左右されて・・・というニュアンスに取れましたから、そういう意味ではあまリ関係ないと思う、と言ったんです。
幽界に行くのも、霊界へ行くのも、本人の意識一つですよね。
地上の人間の想念に多少影響されることはあるにしても、左右されて留まってしまうということはないはずなのですが。
もし地上に執着していない霊に対して、家族が執着していつまでも悲しんでいたとしても、本人に執着心がないのなら、いくら呼ばれても向こうへ行ってしまうでしょうし、逆に、ものすごい執着心のある霊の場合は、地上の人間に忘れ去られることが悔しくて、更にそこに留まって地縛霊になってしまうようです。
やはり、本人の意識の問題だと思うのですが。

> また、幽界にまでは到達したもののそこでの進歩が妨げられるということはないでしょうか?

それはないと思います。

 


0098 身近な人が死ぬときの悲しみの影響
名前: アラム  投稿日: 2001年10月17日 (水) 23時19分20秒

長田さんが
>亡くなった人のことを思っていますよね。その思いが強いと死んだ人も引っ張られるというか、幽界に行けなくなるという事ありますか?
と質問されたのに対して、有希さんは
>あまり関係ないと思いますけどね
と答えられているわけですが、どうでしょうか?

自分が死んだことに気付いても、死後の世界についてよく知らない人の場合に
悲しんでいる肉親のことが気になってしまうということがあるという話はあるようですが。

「いつまでも残された人のこと、地上のことにとらわれていてはいけませんよ」という導きの霊の言葉を素直に聴けばいいのですが、そうでなく肉親への愛着が強い場合には地表近い霊域に縛りつけられてしまうということはないでしょうか?

また、幽界にまでは到達したもののそこでの進歩が妨げられるということはないでしょうか?

 


0097 パウロは地獄へ落ちたのか?
名前: アラム  投稿日: 2001年10月17日 (水) 23時01分13秒

ポカQさん、私がよくわからないと以前に述べたのはその点なのです。

パウロは本当に地獄に落ちたのでしょうか?

「パウロが地獄に落ちた」と言ったのはスウェーデンボルグです。
それも悪霊になったかのように言っているのです。

しかし、アラン・カルデックの『霊の書』に登場している通信霊としてのパウロは悪霊ではありません。

パウロがキリスト教を歪めたのは確かですが、それは地獄に落ちるほどのものでしょうか?

その誤りを指摘されてはいますが、それは霊的真理から照らしてみてのものです。

『個人的存在の彼方』でマイヤースは「あくまでもイエス・キリストと比較した上での話しである」と語っています。
もしも、パウロが地獄に落ちたとするならば、それは自我に潜む欲望への恐れ、罪の暴虐への恐れ、性的誘惑への恐れといった恐怖心から現れた世界となったことでしょう。

しかし、スウェーデンボルグの言う「パウロの地獄」は全く違います。
「自分が神になりたがる」、「この世の栄光が、死後の世界にもそのまま持ち込まれるかのように、思い込んでいた」
「彼はキリストの悪い使徒の中でも最悪の部類のひとりだった」
「利己的な自己愛を捨てられなかった人物だが、それを霊界にも引きずって来ていた」、「自分たちだけの天国をつくりたいと考えていた」
(以上、『エマニュエル・スウェデンボルグの霊界 ?』今村光一抄訳 
中央アート出版 より)

このスウェーデンボルグの記述が正しいとすると『霊の書』で通信霊として出てくるのは不可能になります。

ですから、スェーデンボルグのパウロに関する記述が正しいかどうかは疑問に思います。

 


0096 パウロが地獄に落ちた理由とは?
名前: ポカQ  投稿日: 2001年10月17日 (水) 01時08分56秒

アラムさん、答えてくださって有難うございます。

ところで、しつこいようですがもう一つ質問します。
パウロが地獄に落ちた理由とは何なのでしょう?
イエス・キリストの教えを歪めた事による罰なのでしょうか?
それとも、パウロの心が貧しかったためでしょうか?
しつこいと思われるかもしれませんが、私にとってパウロは特別な位置にある人物なので、気になってしょうがないのです。
もしよろしければ、知ってる範囲でよろしいので教えて下さい。

 


0094 RE.地獄について
名前: アラム  投稿日: 2001年10月15日 (月) 22時23分25秒

ポカQさん
「地獄」と呼ばれているのは幽界の最下層のことです。

霊界は自分の心の状態がそのまま現れる世界なので、自分自身の心の状態、心の貧しさ、霊性の低さがそのまま現れて、そのような暗い、苦しみの世界がつくり出されるのです。

ただし、「地獄」と呼ばれる状態へは自分から入っていくのであって、神の裁きによって落とされるわけではありません。

地獄について語っている霊界通信としては『死後の世界』、『ベールの彼方の生活』(潮文社)が参考になると思います。
しかし、『死後の世界』は地獄に落とされたように感じられる表現になっているのですが。

 


0093 地獄について
名前: ポカQ  投稿日: 2001年10月15日 (月) 01時32分51秒

アラムさん有難うございます。
贖罪説ってパウロが言い出したんですね。知りませんでした。教会の牧師先生が「イエスの流した血で、私たちの罪は贖われた。」とよく言うんですが、いまいちしっくりきませんでした。やっぱりそれって事実じゃなかったんですね。
ところで、アラムさんは、「スウェーデンボルグは{パウロは地獄に落ちていた}と記しています」と書いていますが、本当に地獄ってあるんでしょうか?私なんか地獄行きの有力候補のような気がして、不安でしょうがないのですが・・

 


0092 パウロのこと
名前: アラム  投稿日: 2001年10月14日 (日) 18時52分03秒

ポカQさん、はじめまして。

パウロについては私もよくは分からないのですが。
スウェーデンボルグは「パウロは地獄に落ちていた」と記していますし、アランカルデックの「霊の書」(『スピリチュアリズムの真髄「現象編」』 心の道場)では通信霊の一人となっています。

パウロの一番の問題は彼の説いた「贖罪説」です。
「キリストの血は人間の罪を購うために流されたもので、イエス・キリストを信じることによって霊的救済にあずかる」と説きましたが、このような事実は存在せず、また、この「贖罪説」が「人間の罪はそれを犯したものに責任があり、本人の努力によってのみ救われる」という「自己責任」、「自己救済」を否定するものとなっています。
その結果、自らの罪に気付くことが遅れ、長い間、暗い世界で苦しまねばならなくなるという事も出ています。

次に、パウロは罪と死に対して強い恐怖心を抱いていたようで、人間の自我に潜む欲望にも恐れを抱いていたようです。
後世のキリスト教の度を越した禁欲主義、「人間は原罪を持っていて、その本性は悪である。キリストへの信仰がなくては救われない」という考え方もパウロにその芽があったといえるでしょう。

「死の床での悔い改めによってどんな悪人でも救われる」という考えや「女性は男性よりも劣っていて、男性に対して欲望をかきたてるものである」という考えなどもパウロから流れ出ているとも言えます。

こうした事について参考になると思われるのは『個人的存在の彼方』(心の道場) 第三部第三章です。

 


0091 パウロも駄目なんですか?
名前: ポカQ  投稿日: 2001年10月14日 (日) 01時01分01秒

バックナンバーを読んでみてびっくりしたのですが、キリスト教ってパウロの時点ですでに歪んでたんですか?まだ、勉強不足で分からない事だらけなのですが、もしよろしければ、パウロのどんな所が間違っているのか教えて下さい。

 


0090 別のオススメ
名前: 有希  投稿日: 2001年10月13日 (土) 06時20分42秒

ポカQさん、コメントをありがとうございました。

> 有希さんは「できれば」と仰ってますが、僕としてはシルバーバーチの霊訓は「絶対に」読んで欲しいところです(笑)

そ、そうですね。おっしゃる通りです。 A^^;) 
「絶対に」ということでは、心の道場さんから出ている「スピリチュアリズム入門」「続スピリチュアリズム入門」もはいります。これを読んでからシルバーバーチを読んだ方が、よりシルバーバーチの言葉が理解しやすくなります。
これはオススメです (^・^)

 


0089 ちょっと自己紹介
名前: ポカQ  投稿日: 2001年10月13日 (土) 01時16分14秒

みなさん、こんにちは。ポカQです。                                                     |ハンドルはよしりんのアシスタントからでしょうか?                                             その通りです。よしりんが書いているゴーマニズム宣言は、地下鉄サリン事件の頃から欠かさず読んでます。スピリチュアリズムやキリスト教と出会う前は、私の唯一の行動規範となっていた本です。                                                 |ニューズレターで心に残っている内容はありますか?                                             心に残っているのは第9号に書いてあった阪神大震災等の天変地異についての考え方です。書かれている内容を読んで、私はずいぶん気が楽になりました。日本は地震国ですから、これからもあのような災害が起こるのは確実です。 だからそういう災害に自分が遭遇したときの心構えを教えてもらって、私にとってはとてもためになりました。                                                       |できれば、シルバーバーチも読まれたほうがいいですよ。                                           実は、今年の7月に「シルバーバーチの霊訓」を購入したのですが、自分が読む前に友人に貸したきり連絡が取れずじまいになってしまいました。近いうちにもう一度購入しようと思ってます。                   それでは皆さん、若輩者ですがこれからもよろしくお願いします。

 


0088 次回のテーマ&ポカQさんようこそ。
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年10月12日 (金) 00時35分01秒

そういえば次回のテーマって決めてましたっけ? ぼく、アメリカのテロ事件の事はお話しできないですよ、たぶん(^^;。ここしばらくいろいろと身も心も余裕が無くて、この1〜2週間ほとんどニュースも新聞もほとんど見てない状態ですから。米軍が空爆したことも翌々日まで知りませんでした(どういう環境で生きてるんだか)。自分の持ってる株の株価がどうなってるかも知りません(お、恐ろしい(^^;)。

>ポカQさん
はじめまして。僕からも歓迎します。
ハンドルはよしりんのアシスタントからでしょうか?(違ったらごめんなさい)

有希さんは「できれば」と仰ってますが、僕としてはシルバーバーチの霊訓は「絶対に」読んで欲しいところです(笑)。心の道場のかたも「ニューズレターを出しているのは、一人でも多くの人にシルバーバーチと出会って欲しいからだ」という意味のことを仰ってました。ちょうどこの勉強会では心の道場さんから出ている『シルバーバーチは語る』を中心に進めていますので、これを読まれると良いと思います。

では、今後ともよろしく。

http://www.paperbirch.com/

 


0087 RE:0082 政治家とスピリチュアリズム、社会主義、共産主
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年10月12日 (金) 00時33分42秒

ずいぶん遅くなってしまいましたが、アラムさんへのコメントです。

|>共産党とか、社民党とかの公約を見てると思いますよ。
| ああ日本は社会主義国なんだなー。ソ連や東ドイツの歩んだ道を歩みつつあ
| るなー
|と述べられていますが、共産党、社会党の公約なら当然ではありませんか?
|これらの党の目指すものは完全な社会主義、共産主義国家ですから。

まぁ、それはそうなんですけどね(^^;。

でも、社民党は既に社会主義は捨てていたと思いますし、共産党にしてもソ連は本物の共産主義では無かったからダメだったので自分たちが目指すものは違うんだと言っているわけです。どこが違うんだよ、同じ事をやろうとしてるじゃないかということです。


|それから、日本の歩んでいる道はソ連や東ドイツの歩んだ道とは違いますよ。
|あちらは自由のない状態のところへ自由主義の潮流が流れ込んで起こったことです。
|日本は個人は自由を味わいながら、国家は特定の企業や業種を保護するという体制です。

アラムさんが仰っているのは崩壊“後”の事ですよね。僕が言っていたのは崩壊“前”のことです。70年かけて『理想国家』だったはずのものが崩壊していく過程です。


|利権がからむというのは自由主義の特徴で、社会主義国家ではありません。

これは理論的にはそのはずですが、日本のお役所でも利権に絡んだ汚職はあるわけで、社会主義国でもあったようですよ。


|自由の束縛、財産の制限ということに耐えられる人々がいれば、社会主義国は存続できます。
|カルト宗教のよくやっている手法が全体に及んだときに完全な社会主義国家になります。

オウム真理教ですよね。マハーポーシャのパソコンは確かに安かった(^^;。限りなくゼロに近い人件費で、ほとんど体力の限界まで働いてくれる従業員ばかりでしたから。それにしても、カルトの手法によってしか社会主義国家が存続できないというのは、確かにその通りかも知れません。なるほどと思いました。

もしくは人類全体の霊性が今より進歩するか。スタートレックの世界ではお金は無いそうですが……あと400年後ぐらいかな? 現実の世界でも、それぐらいの時間は必要かも知れませんね。

http://www.paperbirch.com/

 


0086 大歓迎です (^・^)
名前: 有希  投稿日: 2001年10月08日 (月) 23時48分10秒

ポカQさん、はじめまして。
ニューズレターは読んでおられるんですね。
今まで読んで、心に残っている内容はありますか?
よかったら感想などを書いてくださると嬉しいです。
それと、できればシルバーバーチも読まれるといいですよ。
今後ともよろしくお願いします。

 


0085 仲間に入れて!
名前: ポカQ  投稿日: 2001年10月08日 (月) 02時38分39秒

はじめまして。私は1年前にスピリチュアリズムに出会ったクリスチャンです。(クリスチャン歴も1年です。) 毎週日曜日に教会に通っていて、キリスト教のことは少しはわかるようになりましたが、スピリチュアリズムのことに関してはニューズレターを読むこと以外には何もしてこなかったので、ここのホームページに参加させてください。よろしくお願いします。

 


0084  ・・・・・・・・・。
名前: 有希  投稿日: 2001年10月06日 (土) 09時01分19秒

難しいテーマですねえ・・・
私の中ではまだ答えが出ていない部分ですから、余計難しく感じます。
アラムさんはどんなことを考えていらっしゃるんでしょう。

 


0083 「ニューズレター 第15号」をテーマにして下さい
名前: アラム  投稿日: 2001年10月04日 (木) 21時46分34秒

アメリカの同時多発テロなどがあったためか、今回は誰も書き込まれていませんね。

今度の「スピリチュアリズム・ニューズレター 第15号」では小泉改革やアメリカの同時テロ事件、選挙についてなどが取り上げられていますが、この勉強会でも早めにテーマにして下さい。

 


0082 政治家とスピリチュアリズム、社会主義、共産主義国家
名前: アラム  投稿日: 2001年09月11日 (火) 23時36分47秒

小泉さんの話題も出ていましたが、日本の政治家の中でスピリチュアリズムに出会う時期に来ている人はいないのでしょうか?

宗教団体に縁がある政治家はいるようですが、「シルバーバーチの霊訓」を読んでいる政治家はいないのでしょうか。

政治家はベストセラーなどは目を通すことは多いのでしょうが、ベストセラーに入らないようなものは読まないのでしょうかね。

合衆国の大統領ではリンカーンが霊的指導にしたがったようですし、ウィルソンも何か関連があったらしいですね。

シルバーバーチが霊訓を伝えていた時代には政治家がそのアドバイスを求めたこともあったようですし、スピリチュアル・ヒーラーを通じてスピリチュアリズムにふれた王家の人々もいたようですね。

日本では政治家がスピリチュアリズムに出会うのは難しいのでしょうか。

霊訓をベスト・セラーにするというわけにもいきませんし、政治家に縁のある優秀なスピリチュアル・ヒーラーもいないでしょうね。

話は変わりますが、ペーパーバーチさんは
>日本は以前の共産主義国みたいな状態になりつつあるんじゃないですかね
>色々と国が余計なものを保護してあげたりとか、利権ががんじがらめになったりとか、それを早い内に打ち壊してやらないと、まさに崩壊前のソビエトとか東ドイツとかいう状態になる一歩手前のところにいるわけで
>共産党とか、社民党とかの公約を見てると思いますよ。
 ああ日本は社会主義国なんだなー。ソ連や東ドイツの歩んだ道を歩みつつあ
 るなー
と述べられていますが、共産党、社会党の公約なら当然ではありませんか?
これらの党の目指すものは完全な社会主義、共産主義国家ですから。

それから、日本の歩んでいる道はソ連や東ドイツの歩んだ道とは違いますよ。
あちらは自由のない状態のところへ自由主義の潮流が流れ込んで起こったことです。
日本は個人は自由を味わいながら、国家は特定の企業や業種を保護するという体制です。
社会主義的保護政策と個人の自由主義が混在している状態です。

利権がからむというのは自由主義の特徴で、社会主義国家ではありません。

社会主義国家、共産主義国家では、一定の賃金でそれ以上の値上げということはありませんから、安い人件費で製品を製造することができます。
自由の束縛、財産の制限ということに耐えられる人々がいれば、社会主義国は存続できます。

カルト宗教のよくやっている手法が全体に及んだときに完全な社会主義国家になります。
教義のもとに、信者がすすんで自己を犠牲にして国家のためにつくす。これが本当の社会主義国家の姿です。
全体の幸福という理想のために自分の自由と幸福を犠牲としていてもそれを不服と思わない。

この意味で、本当の社会主義国家は存在していません。
北朝鮮がかなり近いですが。

社会主義国家、共産主義国家が成立するのは洗脳 もしくは国民の利他心による行為と分かち合いの精神によってです。
この両極端の手法によって達成されます。

どちらにしても、マルクスの言うような唯物論的手法では達成されません。

日本が社会主義的になるのは、国が保護するというかたち、国有企業に近い扱いをしていること、会社が社員を保護するというかたち、社員が滅私奉公的に会社のために尽くすというかたちをとっていたからです。
これが不況によって、年金序列制が崩壊、能力給の採用、リストラの実施、自由競争ということになってきたわけですから、社会主義国家では絶対にありえないことです。

社民党、共産党の公約は現在の日本が社会主義国でないことから出てくるものです。

日本にある社会主義的性格は悪平等主義、なんでも結果が平等でなければならないとするもの。
全体責任主義、何かがあったらそれは全体の責任であるとするもの。
こうしたものから出ているものでしょう。
何かの事件があれば、それはシステムに問題があるのだ ということになって、その個人の責任であるという見解になかなかなりませんね。

どちらも霊的真理からは外れていますね。

本当の社会主義国家、共産主義国家は何か一つの信仰のもとでないと維持することはできません。
中国は資本主義の要素を取り入れたのでまだ存続していますが、唯物論の牙城が崩された時にはどうなるかわかりません。
過去の多くの社会主義的実験も天変地異の時に人々がそれに耐えられなくなって失敗ということが多かったようです。

公平な分配ということは共産主義でも言われていることですが、それが唯物論のもとに説かれているので、実現されません。

「政治に霊的知識が生かされ、人々もその知識の指し示す通りに生きるようにならないかぎり、地上からなくなることはないでしょう(P60)」

政治に霊的真理が生かされるためには、政治家がスピリチュアリズムを受け入れ、その政治家を選出する国民も霊的真理を知らなくてはなりません。

そして、その国家は奉仕国家となるのでしょう。

唯物論を基盤とした行き過ぎた社会主義は停滞を招き、行き過ぎた自由主義は堕落を招きます。
共に崩壊への道です。

「物的な手段がすべて失敗に終わった時、ワラをも掴む思いで、それまでこころみられてきた制度を吟味し、そこに頼れるものがないことを知ります。
 そこに至ってようやく霊的真理の出番となり、新しい世界の構築が始まります(P60)」

ペーパーバーチさんは
>霊的知識がないと何も変わらないような気がするので、政治家一人一人がそういう知識を持つようになれば、自然にその知識が生かされる形になっていくんじゃないかとおもうんですよね
と述べられていますが、そうするために、こうした不況が長続きすることさえあるかもしれない気もします。

スピリチュアリズムでは、個人の自由と欲望の抑制、公平分配と奉仕、自己犠牲などが説かれています。
これは自由主義、共産主義、双方の持っている要素が必要とされることを意味します。

そうすると現在の日本の政党はどれも要素が欠けていることになります。

「国家は拠って立つべき共通の要素によって一体化を求め、国民全体が一丸となるべきです(P63)」
王室について述べられていることですが、その他のことについてもあてはまるのではないでしょうか。
日本はこの共通の要素を次々に失っていきつつあり、背骨を無くしたような状態になっているように思われます。

有希さんは
>よっぽど視野が広い人じゃないと自分の国のことは見えない
と述べられていますが、政治家の多くも自分の国の状態も未来像も全く見えなくなっているのだと思います。

そうした未来のビジョンを提示できるためにも政治家がスピリチュアリズムを受け入れる必要があると思います。
政治家が未来のビジョンを提示できないことも国民に不安を与え、不況を長引かせる一因ともなっていると思います。

 


0080 なるほど
名前: 有希  投稿日: 2001年09月06日 (木) 11時47分27秒

> 呼称一つにもいろんな思惑が絡んでいて面白いですね(^^)。

はあ、なるほど、そういうことだったんですか。

 


0079 RE:75 統一教会?統一協会?
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月05日 (水) 14時53分19秒

有希さん、こんにちは。

|これは私個人の意見ですが、私は統一教会(協会ですかねえ? 確か教会
|だったと思いますが)にしろ、オウムにしろ、批判するには批判できる権

本題じゃないところにコメントしますが……現在の正式名称は「世界基督教統一神霊協会」ですので、普通に考えれば略称は「統一協会」となるはずです。以前は「…教会」だったこともあったと思いますが、本家韓国に合わせて「…協会」にしたんだったかな? なぜ本家韓国では「…協会」なのかというと、いかがわしいセックス教(混淫教)から派生した成り立ちや、教祖の文鮮明自身の数回の性的な事件での前科(※注1)から
宗教法人として認められず、「教会」を名乗れなかったからだと聞いています。(だから韓国では財団法人なんですね)

それでも統一協会側としては宗教であるという印象を与えたいので「統一教会」を名乗り、反対者側は正式名称の略称として当然使われるべき「統一協会」と言います。そもそもあれは宗教ではない(※注2)ので「教会」とは呼べないのだという主張もあって「統一協会」と呼ぶわけです。
呼称一つにもいろんな思惑が絡んでいて面白いですね(^^)。

※注1----統一協会が負けた裁判は民事だけで刑事事件の“有罪”にはなってないと言った人がいましたが、教祖の文鮮明はこのとおり実刑をくらっており“前科者”です。
※注2----統一協会の宗教に見える部分はあくまでも隠れ蓑に過ぎず、真の目的は経済活動にあるということ。

PS.ついでに私信ですが……日程の変更23日でOKです(^^)。

http://www.paperbirch.com/

 


0078 RE:045 本当に同じですね!
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月25日 (土) 22時00分57秒

アラムさん、こんにちは。ちょっと古い発言にコメントします。

|P25 の「物理的法則だけでなく、霊的法則も存在することを証明してあげるこ
|と」が誤訳で「霊的法則が存在することを示すことだけではなく、霊的真理そ
|のものを示すこと」に心の道場さんが訂正したということですが、同じ箇所と
|思われるものが潮文社の『シルバーバーチの霊訓 (四)』の P 97に「物理
|的法則を超えた別の次元の法則の存在を証明するだけでなく、霊についての真
|理を啓示するということです」という訳で出ていました。

ごめんなさい。そこは25ページではなくて40ページでした。間違ったページ数を書いていてはいけませんでしたね。数日中にも直しておきます。

さて本題ですが……よく気付きましたねぇ。凄い! 僕も全然知りませんでしたが、これは確かに同じところのようですね。ちょっとずつ訳文は違いますが、内容は数ページ後までまったく同じ! こんなの普通気付きませんよ。ほんとにスゴイ! ちょっと感動してしまいました(^^;。

それで、この4巻の訳と突き合わせると、ここがどういう誤訳だったのかが判りますね。4巻でされている訳も、心の道場さんの訳も、要するに……

「物理的法則を超えた別の次元の法則(霊的法則)が存在することを示すだけでなく、霊についての真理を啓示する(霊的真理そのものを示す)ことです」

という感じに、言葉を対応させてやると全く同じ意味であることが判ります。で、4巻の近藤訳から1〜2語見落としてしまったために「シルバーバーチは語る」の訳文になってしまったということでしょうね。


|ペーパーバーチさんが「要するにここに書いてあることは、霊能者だからとい
|って立派な人間とは限らないよ、ということなんだと思いますけど」と述べて
|いますが、近藤千雄さんは P 100で「ここでは、それがすなわち人格の向上
|を意味するものではないことを指摘し、超能力者だからといってすぐに崇めた
|がる風潮を戒めている」と述べているのですね。

そそそ。そういうことです(^^)。

http://www.paperbirch.com/

 


0077 了解
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年08月24日 (金) 11時00分26秒

有希さん〜
> まあ、スピリチュアリストたるもの、そんなことは百も承知でしょうけど。
と書かれたということは、私の視野が狭く、盲信しているように見えるということなんですよね。

いえ、僕がそう見たのではなく、そう見た人がいたというだけです。それをよしとするかどうかは人それぞれの判断ですし、有希さんのお考えはわかりましたから何も言うことはありません。

有希さん〜
> ただ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は違うと思うので、坊主は坊主、袈裟は袈裟、教会の組織は教会の組織、出版本は出版本、個人は個人として分けて考えたいわけです。
(中略)
> 同時に私もそういう判断をする人は、感情に任せて片寄った判断をする人、視野の狭い人だと思っているわけですから。

全く同感です。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0076 宗教団体への批判
名前: アラム  投稿日: 2001年08月23日 (木) 23時11分47秒

こちらの勉強会でも宗教団体への批判の問題が出てきましたね。

「そこに所属していないから批判できない」という事もあるかもしれませんが、「所属していないからこそ客観的な目で見る事ができる」という事もあるのではないでしょうか。

その宗教団体への判断基準となるのは学習会で取り上げている
>要するにあなた方自ら毎日の生活の中で、霊力を自覚したものはこれだけ立派な生き方ができるのだということを率先して見せることです(P57)
を実践しようと努力している人が多くいるような団体はよい団体でしょう。
ここの「霊力を自覚したもの」が「正しい宗教を知ったもの」に変えるとそのまま正しい宗教者の条件になりそうです。

>「理屈を言ってはいけません。そう信じればよいのです。」−−−−私はそんなことは申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分にお使いになって私をお試しなさい。しっかり吟味なさってください。そして もしも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否なさってください」と申し上げます。(P45)
のシルバーバーチの言葉と同じ様に言うことが出来る教祖がいれば、その団体は問題がないと言えるでしょう。
このシルバーバーチの言葉によって判断すると、オウム教や多くの破壊的カルトについてよく分かると思います。
「酷いこと、道徳に反すること」が破壊的カルトの教義には出てきますから。

>地上の人間は自らの努力で救済できるようにならなくてはいけません。(P46)
と説いています。
「本来の宗教は教祖によって救ってもらうのではなく、自分を救済する方法を学ぶもの」と思っていたのですが、
>既成の方法というものはありません(P46)
と説かれているということは、自分を救済する方法というものを宗教団体から学ぶことも無理なのでしょうか。
仏教では「自灯明、法灯明」という事が言われ、「八正道」がその方法だと言われていますし、キリスト教では「人の罪を許し、愛を与えること」がその方法だと言われているようですが。

>私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり教祖の言葉や権威に頼るようなお座なりのことは致しません(P53)
ここも宗教団体ではひっかかるところだと思います。このために宗教団体が自慢するほどの救済力が出ていないと思います。
ただ、これは宗教団体だけではないですね。自分の学習がそこまで進んでいないから、そこまで到達していないから、先達の言葉に頼るということはよくあります。
宗教団体では、新しい団体は教祖とその説法に、古い団体は開祖と聖典に拠り所があり、そこから飛躍することは出来ません。
人智学でもルドルフ・シュタイナーを超えることは出来ません。

宗教団体に所属することでよいことは、実行力がつく、自己コントロールがつく、自己犠牲や奉仕ができるようになる、謙虚さが身につくなどがあげられますが、さらに、周囲の人によい影響を与えることができるようになるというところまでいきますとその団体はかなり素晴らしいと言えると思います。

それから、これは「宗教団体」についての話です。
私は宗教を否定するつもりはありません。宗教の持つ良い面はそのままスピリチュアリズムの持つ善い面でもあるからです。
スピリチュアリズムも「霊界から伝えられた正しい宗教」という面を含んでいますから、宗教を全面否定すると、スピリチュアリズムも否定することになってしまいます。

 


0075 私のスタンス
名前: 有希  投稿日: 2001年08月23日 (木) 15時12分05秒

ペーパーバーチさん wrote:
> アラムさんの仰る「低位の精神」を単に「精神」、「上位の精神」を「霊」と言い換えた方がすっきりと理解
> できるのではないでしょうか? 

私もそう思います。
アラムさんはきっと深く細かく理解したい人なんですね。
それはそれで私はとても大切なことだと思います。
私も以前は言葉の定義を大切にして、理屈で考えていた時がありました。
でも、今は人が実行すべきことに必要なこと以外はあまり考えません。
それが良いかどうかは人それぞれ意見が異なるでしょうが。

> 「表立って批判してないから統一協会寄りだ」
> と思えるときは、反対の立場の人間からは
> 「違う宗教(スピリチュアリズムのことね)の人でさえ認めているんだ。やはり原理は素晴らしい」
> と信念を強固なものにしているかも知れない(で、いざ説得しようとすると既に手遅れになっていたり……)

これはもしかしたらペーパーバーチさんの掲示板で述べた方が良いのかもしれないけど、せっかく話題が出たので乗っかります。
これは私個人の意見ですが、私は統一教会(協会ですかねえ? 確か教会だったと思いますが)にしろ、オウムにしろ、批判するには批判できる権利があると思っています。私から見て批判できる権利のある人とは 

 ? そこの団体に属したことのある人
 ? そこの団体についていろいろな分野から調べたことがある人

だと思うんです。
私はこのどちらでもありませんから、ペーパーバーチさんや傍観者さんには発言権はあるけれど(他にも数人いらっしゃいましたが、思い出せない(ーー;))、私には発言権はないと思っています。
もし発言したら、それは自分の感情に任せての発言となり、正しい判断ではなくなってしまうと思うからです。
私は統一教会にしろ、オウムにしろ、詳しく調べたこともなければ、原理講論さえ読んだこともありません。
読んだのはせいぜい暴露本の数冊だけです。
そんな曖昧な状態ですから、擁護もしないし、批判もできない、といったところです。

ただ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は違うと思うので、坊主は坊主、袈裟は袈裟、教会の組織は教会の組織、出版本は出版本、個人は個人として分けて考えたいわけです。
ミソクソ、おっほん、失礼(^^;) 玉石混合したくないだけなんですよね。

どこの団体でも、それが宗教団体だけではなく、普通の会社にしろ、学校にしろ、例えば、東大生は全体的には優れているかもしれないけれど、そこに行っている学生が全部優れているとは限りませんよね。でも反対に専門校に行っている生徒を考えたら、全体の傾向としては、そこしか行くところがないから仕方なくそこへ行った人は多いと思うけれど、全員ではないはずです。中には志を立てて行った人もいると思いますから。

そんなふうに考えて行くと、統一教会で考えるならば、この場ではっきり書きますが、私は組織としての教会には反感を持っていますし、その頂点に立っている教祖にはもっと反感を持っています。
でも、何人かの教会員と話したことはあるけれど、組織に属したことはないし、ましてや教祖には会ったことがないので表立っては批判できないだけです。

でも、そこに携わる信者さんたちに対してはいろいろです。
詐欺行為に匹敵するような売り方をする人、強引に勧誘する人には反発しますけど、真剣に成長を望み、誰かの役に立ちたい、自分をよくしたいと努力しているなら人間として擁護したいと思っています。

そして、私は教祖には反感を持っているけれど、100%悪い人はいないわけですから、もし1%でも良い部分があるとするなら、その1%だけは認めたいと思っているわけです。
そして、その1%を私が認めたことで「統一教会寄り」と判断するなら、どうぞそうしてくださいと言わざるを得ません。
同時に私もそういう判断をする人は、感情に任せて片寄った判断をする人、視野の狭い人だと思っているわけですから。

あれこれと長く書きましたが、誰か特定の人に向けて書いたものではありませんので、一言付け加えておきます。

 


0074 未熟な人間の集まっている世界だから・・・
名前: 有希  投稿日: 2001年08月23日 (木) 15時10分28秒

りゅうじんさん wrote:
> 僕が言いたかったことはちょっと違っていて、端からそう見られることがあるとすれば、なんで誤解されたのか
> 考える必要があるのではないかと思ったんです。

と書いてますが、そう考えて掘り下げたい人は掘り下げたらいいと思うし、そしてそれも必要なのかもしれないけれど、今の私はそういうことを考えて心を使うより、もっと別なことに心を使いたいんです。

例えば、朝気分が良くて、いつもより少し元気に「おはよう」と言った時に、ある人は「今日は気分が良いのね。何か良いことでもあったのかしら」と思う人もいれば、「何よ、私は気分が悪いんだから、当て付けに言わないでよ」と思う人もいるでしょう。そういう千差万別、勝手にいろいろ思う人間の心を察するのはいいことだと思うのですが、なんでそう思われたのかと掘り下げて考えることはあまリ意味がないと思うんです。もちろん考えなければいけないほどの重要な時には考えますし、そうならないように細心の注意は払いますが、誰の目から見ても誤解されないようにすることは不可能じゃないでしょうか。

> まあ、スピリチュアリストたるもの、そんなことは百も承知でしょうけど。

と書かれたということは、私の視野が狭く、盲信しているように見えるということなんですよね。
それも先ほど書いたように、どう思うかはその人次第なので、それに対しては反論も肯定もしません。
それに、霊界から見たらその辺は全てわかると思うので。

もしかしたら、りゅうじんさんが言いたかったことと、またずいぶんズレてしまったかもしれませんね (^^;)
もしそうだったらごめんなさい。
血の巡りが悪いやつだと思ってください (~_~)
でも、この話題は霊的なことと言うより、個人の心の持ち方、考え方なので、正しい答えはないように思います。
あるとすれば、やはり「動機」かな。

 


0073 内面まで見ろと言う方が無理なんでは?(^^;
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月23日 (木) 01時39分55秒

>有希さん

|高橋信次氏の書いた本を読んで素晴らしいと言えば、「あなたはGLA
|ですね」と言われたり、統一教会を表立って批判しなければ、「統一教
|会寄り」だなんて言われるんですから。
|表面的にしか見ない人って多いですね。

でも、それは仕方がないんじゃないかなぁ? 本人の意図とは関係なく、態度を保留することそのものが一つのメッセージになることはあり得ますから。僕は有希さんが統一協会シンパじゃないことを知っていますが……批判者から観て
「表立って批判してないから統一協会寄りだ」
と思えるときは、反対の立場の人間からは
「違う宗教(スピリチュアリズムのことね)の人でさえ認めているんだ。やはり原理は素晴らしい」
と信念を強固なものにしているかも知れない(で、いざ説得しようとすると既に手遅れになっていたり……)

もう一つ言えば「やはりスピリチュアリズムも統一協会もオウム真理教も、宗教なんてみんな同じだ。現世で犯罪を犯すことを何とも思ってないんだろ」との印象を一般の人に与える可能性も大きい、と、僕は考えています。(こういうことは実際言われますよね)

そう思われることを「表面的にしか見ない人」の所為にしても仕方がないわけで、統一協会に対して“太陽政策”をとるなら、それらのリスクを受け入れる覚悟が必要だと思っています。ま、誰からどう見られてもどってことないんですが、そうとばかりも言ってられないこともありますし。
(北朝鮮への太陽政策と同じです。援助すれば歩み寄るかと思いきや、援助のお金でせっせと核ミサイルを開発してたりして(^^;)

http://www.paperbirch.com/

 


0072 RE:0060 霊に関わる感覚
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月23日 (木) 01時28分26秒

何だか読んでてとても難しかったんですが(^^;、アラムさんの仰る「低位の精神」を単に「精神」、「上位の精神」を「霊」と言い換えた方がすっきりと理解できるのではないでしょうか? 要するに、霊が精神≒肉体を制御するという、言ってみれば当たり前の話になってしまいますが。

しかしまぁそんなことはどうでもいいことで、ちょっと気になるのは少々観念的なところに偏っているのではないかということ。「愛の思い」とか「類魂との地上における一体化」とか「大いなる存在を感じ取る」とか……血の通わない言葉が一人歩きしている感じを強く受けます。

もちろん、高度なレベルのことを考えるのが悪いとは言いません。しかし僕の経験から言えば、観念的な話、自分の現在のレベルとかけ離れて「神と一体になる云々」みたいなことを言う人ほど、却って霊的にもバランスを崩し、現実世界での在り方がおかしくなってしまう事が多いようなんです。言ってることとやってることが違うという状態になってしまうわけですね。神と一体になる前に現実の世界で誰かを愛する方が大切なんですが、そういうことは疎かになっていたりする。

どちらにしても、自分が判ってないことを書こうとすると難しくなってしまうので、平易な文章を書くことを心がけるのは大切だな……と思います。

http://www.paperbirch.com/

 


0071 RE:0059 >かわさきさん
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年08月23日 (木) 01時25分26秒

かわさきさん、遅ればせながら……
IPぐらいなら検索されても大丈夫のような気もしますし、僕のところは少々の荒らしは撃退しますから大丈夫だったんですが……ま、削除された後で言っても仕方がないですか(^^;。

僕は10年ほど前に5〜6年、日本心霊科学協会の会員でしたし、東海支部の精神統一会にも毎月通ったり、東京の本部にも何度も行きましたから批判する権利はありそうですね(^^;。有希さんの仰ったことは、細部は多少違うかなというところもありますが、概ね正鵠を得たものだと思います。まぁ、それなりに存在意義はあると思っていますが。
(僕の協会批判に付いては『心霊研究』1991年12月号、もしくは
http://www.paperbirch.com/kaleidoscope/kaleido006.html
をご覧下さい)

「排他的になって」いるのは、むしろかわさきさんご自身でしょう。ホンの少し考え方が合わない部分が出ただけで自分の殻に閉じ籠もって、全ての責任を相手に押し付けて逃げ出そうとする……。「視野を広めないと」いけないと思われるなら、どうぞかわさきさんの考える「あたらしい心霊哲学」を啓蒙してください。それが実際どの程度のモノかは、ここにいる一人ひとりが判断してくれるでしょう。果たして視野が狭いのはどちらでしょうね?

なお、既に皆さんも言っておられますが、近藤千雄先生はずいぶん昔に日本心霊科学協会を退会しています。そのことはシルバーバーチの訳書を読んでいれば判るはずのことであって、要するにかわさきさんはシルバーバーチの霊訓をほとんど読まずに評価しているということですね。『心霊研究』誌に掲載された分は、量的にはそれほど多くないはずですし……。それとも、最近復帰されたということでしょうか? それはちょっと考えづらい気がしますが。

http://www.paperbirch.com/

 


0070 精神と心
名前: アラム  投稿日: 2001年08月22日 (水) 23時55分24秒

有希さん、精神に関わることと霊に関わることに関して述べましたが、それ以上にわからなくなっているのが、精神と心です。

シルバーバーチの霊訓の中にも何度も、精神と説いている箇所や、心と説いている箇所があります。
この二つは全く別なのでしょうか?

シルバーバーチは「人間は霊と精神と肉体で構成されている」と説いています。
近藤千雄氏の解説では「精神は霊が肉体を支配するときのコントロール・ルームのようなもの」とされています。
そうすると心は何なのでしょうか?

心の道場の説明では、心とは無形のもので「霊の心」と「本能の心」の二つが合わさったものということになるのですが、「上位の精神」、「低位の精神」と同じなのか、違うのかがわかりません。

 


0069 「シルバーバーチの霊訓」に対する態度
名前: アラム  投稿日: 2001年08月22日 (水) 23時34分56秒

かわさきさんは「ここはシルバーバーチの霊訓を信仰しているようなので、私とは見解が合わない」と思われたのかもしれませんが、今回の勉強会のテキストが『シルバーバーチは語る』ですから、「心霊学にはシルバーバーチ以外にもある」という態度では学習にならないように思います。

「シルバーバーチの霊訓への信仰」という意味ではこの学習会よりも「スピリチュアリズム・ニューズレター」がそのように受け止められるように思いました。

ただ、「昔は読んだけれども、現在はそれほどとも思っていない」という人には「シルバーバーチの霊訓」をテキストとした学習会は学んでも仕方がないと思えるかもしれませんね。

幸福の科学への批判として「ニューズレター 第3号」は「幸福の科学の会員は「シルバーバーチの霊訓」を読んでみるといい」と述べていますが、幸福の科学の会員の中には「シルバーバーチの霊訓」を読んで、何か物足りなさを感じて、それ以上のものを書いてあると信じた教義を選んでいる人もいるわけです。

少なくとも「「シルバーバーチの霊訓」には自分の学ぶべきものがある」と思っていなければ、学習が何の役にも立たないでしょう。

「「シルバーバーチの霊訓」は昔、学んだからもういい」と思っていれば、なにも学ぶべきものが見出せないでしょう。

「「シルバーバーチの霊訓」に述べられていることはもう完全に理解できた」と思える人がいるということは信じ難いことですが。

ところで、この学習会には「シルバーバーチの霊訓」を読んでいない人でも参加できることになっているのですよね?

 


0068 僕が言おうとしたこと。
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年08月22日 (水) 14時54分00秒

りゅうじん〜
>> 端から見てそう思われたということは、その傾向があるということかもしれません。

有希さん〜
> 端からはなんとでも見えますもんね。
> 高橋信次氏の書いた本を読んで素晴らしいと言えば、「あなたはGLAですね」と言われたり、統一教会を表立って批判しなければ、「統一教会寄り」だなんて言われるんですから。
> 表面的にしか見ない人って多いですね。

そうとられましたか。確かにそれもそうですね。僕なんかGLAで、統一教会寄りの不良スピリチュアリストなわけだ(笑)。まあ、不良であることは否定しませんが。

僕が言いたかったことはちょっと違っていて、端からそう見られることがあるとすれば、なんで誤解されたのか考える必要があるのではないかと思ったんです。仮に、自分の信じたものだけが正しくて他は全て間違っていると言い始めたら、ただの盲信であり、おかしな宗教と変わらなくなってしまうと思います。どんな宗教だってその中にいる人は正しいと思っているんでしょうしね。シルバー・バーチも神様ではありませんし、霊訓にしても限界のあるこの世の言葉で語られているわけで、そこに全てがあるわけでもなく、真理は一つの宗教が独占できるものではないのですから、視野を狭めてはいけないと思うわけです。まあ、スピリチュアリストたるもの、そんなことは百も承知でしょうけど。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0067 勉強になりました
名前: 有希  投稿日: 2001年08月22日 (水) 03時02分09秒

アラムさん、宮崎さん、コメントをありがとうございました。
すごく参考になりました。
お2人の投稿をじっくり読んで、再度シルバーバーチを読みなおしてみました。
読みなおしてみて、私が「勉強会&座談会」で言ったことは間違っていたようです。

アラムさん wrote:
> 一人になって素直に理性を中心としていると、感情的な部分である低位の精神と理性的な部分を中心としている
> 上位の精神との相反する精神が見えてきます。低位な精神を上位の精神によって制御することが修行になります。

その通りだと思いました。
したがって、

> 有希さんは「霊に係わる事というのは一人になって素直に理性を中心としている感覚というか」と述べています
> が、これも精神に係わることだと思います。

これは先日アラムさんが書いてくださったものですが、シルバーバーチをじっくり読みなおす前はそうかもしれないと思いましたが、読んだ後は、確かにその通りだと思いました。

> 無私、他の存在への愛の思い、大いなる存在を感じ取る、こうしたものが霊に関わる感覚です。

と書いてくださいましたが、この感覚も「精神」なのかと思いました。
つまり高い精神ということです。

考え始めたらキリがないけど、これは実践するのに必要な知識ではなさそうですから、ここまでの理解に留めておくことにします。
時期が来たらまた更に深い部分がわかるでしょうから、そうしたらまたじっくり考えることにします。
アラムさんと宮崎さんには心から感謝します。

 


0066 確かに
名前: 有希  投稿日: 2001年08月22日 (水) 03時01分12秒

> 端から見てそう思われたということは、その傾向があるということかもしれません。

端からはなんとでも見えますもんね。
高橋信次氏の書いた本を読んで素晴らしいと言えば、「あなたはGLAですね」と言われたり、統一教会を表立って批判しなければ、「統一教会寄り」だなんて言われるんですから。
表面的にしか見ない人って多いですね。
私も気をつけなければいけないなと思いました。

 


0064 そうかも
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年08月20日 (月) 23時40分39秒

かわさきさん〜
> こちらの皆さんはシルバーバーチを信仰されているみたいですね。

有希さん〜
> シルバーバーチを信仰しているわけではないですよ。

端から見てそう思われたということは、その傾向があるということかもしれません。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0063 Re:霊に関わる感覚
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年08月19日 (日) 15時37分45秒

 アラムさんの仰った「理性を中心としている間はまだ自己を中心としているので、これは精神に関わるものである」というのは分かります。また、「感情などを中心とした低位の精神を制御して、その穏やかな状態において大きな自己と一体となり、そこから流れてくるものを受け入れ、流す、これが霊に関わるものである」というのも分かります。ただ、“霊に関わるもの”の実態は、実に様々であることを留意しておかなければならないと思います。
 基本的には宇宙一切は相応の理で仕組まれていますから、利他愛に満ちた精妙な波動には高級霊が、欲心にまみれた物界的な波動には低級霊が感応します。しかし、人間の目で見た「純粋で心が綺麗な人」が、必ずしも高級霊に感応できる人ではない、というところに難しさがあるのです。中には、ただ自分の潜在意識と対話しているだけの人もあり得ますし、カルマ故に純粋さを低級霊に利用される人もあり得ます。
 インペレーターのように、モーゼスの潜在意識(敬虔なクリスチャンとしての)に真っ向から対立するようなメッセージを訴えてくる場合には、インペレーターの言うことがモーゼスの潜在意識ではない、という事が容易に想像できます。しかし、どんなにきれいなメッセージを流しているように見えても、しょせんそれが本人の潜在意識の言語化であるという可能性も、一方で否定できません。
 重要なことは「メッセージの検証」と同時に、「その霊が活動することによって、周囲にどのような働きがもたらされているか」ということであります。

 


0062 議論ではなく、会話です
名前: 有希  投稿日: 2001年08月19日 (日) 08時11分09秒

かわさきさん wrote:
> こちらの皆さんはシルバーバーチを信仰されているみたいですね。

シルバーバーチを信仰しているわけではないですよ。

> 心霊思想はシルバーバーチだけが全てではありませんよ。

もちろんそうです。
私のところや、ペーパーバーチさんのHPを読まれている方は、他のもいろいろ読んで勉強されていると思います。
シルバーバーチだけではないはずです。
私もいろいろな霊訓から勉強させてもらっています。
ただ、霊訓といわれるものの中ではシルバーバーチが一番矛盾が少なく、より基本的なことが述べられており、より霊的な視点で述べられているので選んでいるわけです。

> 色々な方がそれぞれの立場で心霊をなさっています。
> それを批判してもしかたないです。

批判ではなく、非難として受けとめられたようですね。
私は自分が体験したことをそのまま述べただけです。
協会の集まりに出席したのもたった一度だけです。
それ以上は何も知らないのに、それだけで非難はもちろん、批判しようとも思っていません。

> 心霊科学協会もたくさんの方が集まっていらっしゃるので、一義的に評価は
> 出来ません。

もちろんそうだと思います。
各支部によってもカラーは違うでしょうし、集まる人の傾向も違うと思います。

> 協会を批判なさるのならもっと協会の事情を調べてからの方がいいですよ。

私はかわさきさんがいろいろな観点から学んでいらっしゃると書かれていたので、それも含めて協会の内容も伺えるものと思っていましたが、そういう意味には取られなかったのですね。
残念です。

> 個人信仰はいけませんよ。尊敬の念を持つのは必要ですが、排他的になっては
> いけません。広く周辺の知識を吸収して視野を広めないとせっかくの
> 霊的真理も台無しです。

う〜ん、どうしてそう理解するのでしょう。
どこが個人信仰なんでしょう。
どこから排他的と考えられたのでしょう。
シルバーバーチ以外は受けつけない、と どこかに書いてあったのでしょうか。

> どうも、こちらの掲示板と私はコンセプトが違うみたいにのでこれで失礼します。
> お互いに勉強にならなければ書き込む意味がありませんから

かわさきさんがご自分でそう思われるのなら、それは仕方がないことです。
私は勉強するつもりでしたが、そちらが私の意見を曲解されて議論になると感じられたようですね。
私はお互いに理解し合い、互いに有益になる会話は望みますが、不毛の議論は望みません。
ですから本当に残念です。

 


0061 霊的真理 と 学問
名前: アラム  投稿日: 2001年08月18日 (土) 23時45分15秒

かわさきさんは「シルバーバーチの霊訓は学問としてまとまっていない」と述べていましたが、シルバーバーチの霊訓で示されているのは全ての学問の基礎となる部分だと思います。

この部分を「基本的真理」というわけですが、この部分をマスターしておかないと他のものを体系化していっても砂上の楼閣となってしまいます。

この部分をおろそかにして、難解な心霊哲学を構築していっても多くの人々にとっては何の役にも立たないものが出来上がると思えます。

過去の神学も、基本的真理から外れたために多くの人の霊的成長の役に立たないどころか、霊的成長を阻害するものになってしまったのだと思います。

霊的真理を土台として、その他のものを再構築したときに霊的成長に役立つものとなるのではないでしょうか。

 


0060 霊に関わる感覚
名前: アラム  投稿日: 2001年08月18日 (土) 23時31分44秒

一人になって素直に理性を中心としていると、感情的な部分である低位の精神と理性的な部分を中心としている上位の精神との相反する精神が見えてきます。低位な精神を上位の精神によって制御することが修行になります。
これは仏教の八正道が中心としていることですが、精神の修行方法です。

上位の精神によって低位の精神の制御をし、心の中を渦巻く欲望、怒りなどを静め、穏やかな状態を保ち、そのまま、これまで中心としていた自己をなくして、無我の状態に入っていきます。全てを風のように、せせらぎのように流していくような、とらわれのない状態です。

それまでは理性を中心としている上位の精神といってもまだ自己を中心としていたわけですが、ここから、それまでの自己とより大きな自己との障壁を取り除いていくことになります。落ち着いた心の状態、一切の刺激を遮断した状態で大きな自己と一体化していくような感覚です。
地上にいながらにして霊界におけるような感覚となるのです。それまでの自己と大きな自己との区別がなくなり、大きな自己からの流れが引っかかることなく流れてきます。類魂との地上における一体化です。これが霊に関わる感覚です。無私の状態、他の存在への愛の思いに満ち、類魂を通じてより高い段階にある霊からの流れも受け入れることができるようになります。大いなる存在(神、大霊)の心が満ちているのがわかります。

無私、他の存在への愛の思い、大いなる存在を感じ取る、こうしたものが霊に関わる感覚です。

理性を中心としている間はまだ自己を中心としているので、これは精神に関わるもので、霊に関わるための準備をしている段階です。理性を中心とした上位精神によって感情などを中心とした低位の精神を制御して、その穏やかな状態において、大きな自己と一体となり、そこから流れてくるものを受け入れ、流す、これが霊に関わるものです。

こうして述べていても、これを自分では達成できていません。このようになれるように努力しなさいといわれているような感じはしますが。

有希さんのリンクでつながっているカノンさんがこの霊に関わる修行をしている最中のようですね。

 


0059 有希さん、そう言うことで議論はしません
名前: かわさき  投稿日: 2001年08月18日 (土) 19時01分34秒

こちらの皆さんはシルバーバーチを信仰されているみたいですね。
心霊思想はシルバーバーチだけが全てではありませんよ。
色々な方がそれぞれの立場で心霊をなさっています。
それを批判してもしかたないです。
心霊科学協会もたくさんの方が集まっていらっしゃるので、一義的に評価は
出来ません。協会を批判なさるのならもっと協会の事情を調べてからの方が
いいですよ。
個人信仰はいけませんよ。尊敬の念を持つのは必要ですが、排他的になっては
いけません。広く周辺の知識を吸収して視野を広めないとせっかくの
霊的真理も台無しです。
どうも、こちらの掲示板と私はコンセプトが違うみたいにのでこれで失礼します。お互いに勉強にならなければ書き込む意味がありませんから。

 


0058 再び、心霊科学協会のことを
名前: 有希  投稿日: 2001年08月18日 (土) 16時51分50秒

かわさきさん wrote:
> ところでシルバーバーチの翻訳家の近藤氏は協会の会員です。

正しくは、元協会員、ということではないでしょうか。
近藤氏ご本人がそうおっしゃっておられましたから。

アラムさん wrote:
> 有希さんは「霊的真理より心霊現象、という感じでした」と述べられていますが、月刊誌を見た限りではそこに心霊哲学が加わっていますね。

私は一度しか集まりに出たことはないので確かなことは言えませんが、そこに毎回集まる方に話を聞きましたら、霊的真理の勉強というのはほとんどしないと言っていました。
毎回一人の霊能者を中心に各自に霊言を発するのが主流で、集まる人もそれを目的として来るのだとか。
それと、シルバーバーチの霊訓を読んでいる人はほとんどいませんでした。
そこで霊能者の方がおっしゃっていたのは、精神統一が大切、ということでした。
私は実行が大切だと思ったんですけど。
ということは、月刊誌と集まりは別物なんでしょうか。

 


0057 霊に関わる感覚
名前: 有希  投稿日: 2001年08月18日 (土) 16時50分17秒

アラムさん、 wrote:
> まず 有希さんの「これって再生の原理をしっかり理解できていないと区別できないんだろーな」という意味が
> わかりません。

再生する場合、以前のものを引き継ぐものと、引き継がないものがあると思ったんです。
引き継ぐものは霊に属するもの、引き継がないものは精神に属するもの。
私が言ったのはそういう意味ですが、それは私がそう思っているというだけで、確かなことではないですが・・・。

> 有希さんは「霊に係わる事というのは一人になって素直に理性を中心としている感覚というか」と述べています
> が、これも精神に係わることだと思います。

そうですか。そうかもしれません。
では、アラムさんにとって「霊に関わる感覚」はどんな感じなんでしょう。

 


0056 ユダヤ問題には懐疑的ですが、
名前: かわさき  投稿日: 2001年08月18日 (土) 00時40分52秒

これは他の掲示板に書き込んだものですが、

…、歴史の分析はしません。高次の霊的存在との交流が目的です。
ずっと言いつづけていますが、現界の出来事から霊的真理を探ろうとする試みは間違いです。カルマと破滅しかみえません。カルマと破滅の世界は宇宙の一部の表出です。私は全体がしりたいのです。その全体はすでにここに現れているのです。ただカルマと業しか見ようとしない皆さんには理解できないだけです。カルマから視点をずらすと超越と言って差別するけれど、すでになり立っている当たり前の日常を超越とは言わない。重ねて言いますが歴史に没入しても霊的向上のて助けにはならない。迷うだけです。ただそれが趣味と言うなら別ですが、このような議論を重ねても霊的向上には関係ないことは確かです。

よくムー系のオカルトで超古代史や宇宙人との関係で霊的真理に至ろうする人々がいますが、それは間違いです。歴史的事実というものはカルマの結果の集まりですから、それを調べたところでカルマの相克関係しかみえません。
心霊研究家の目的はそれとは違います。
カゴメの歌の秘密を知ったとしても、キリストを知る道にはならない。
つまりそういうことです。

http://spiritual_sciense.tripod.co.jp/

 


0054 ユダヤと天皇
名前: 羅王  投稿日: 2001年08月17日 (金) 20時53分09秒

天皇家はよくユダヤの末裔だと言われる事が在りますが神道がシオニズムだという事に、きずきます。また、選民と呼ばれるユダヤは、世界民族を神に導く使命があり、三人の救世主が現れるとき失われた十支族が現れると言われています。また、カゴメ、カゴメ、の歌にわその秘密が隠されているのでしょうか。

 


0053 少し参加しますね
名前: かわさき  投稿日: 2001年08月17日 (金) 15時48分53秒

私も二十年ほど前にはシルバーバーチや霊訓にはまってましたよ。
今はもっと哲学的な問題に取り組んでいます。時代は進んでいますのでそれに対応した霊的認識が必要ですから。
0045のアラムさんの書き込みですが、同じ意味です。
霊体は高我や本霊といわれるものによって動かされる器です。霊に対しては人間自体器です。そして、身体は物質的法則、すなわち因果の法則により物質的に出きるものです。それに対して高我は高級霊を由来とするものですから、
霊的進化の過程が違います。ですから、霊能力と霊格は違います。
霊界は人としての行為を評価します。思いやりがあって、人に与えることを惜しまない人間を好みます。
ところで私の霊は物質の法則と霊的法則と言う二項対立的な考えは否定して、
あたらしい心霊哲学を構築しょうとしています。言語ゲーム論というのですが。それについて哲学系の人達の意見を聞いています。
シルバーバーチはたくさんの霊訓を残していますが、学問としてまとまった形にはなっていないので、わたしとしては物足りないです。
現代の諸学問と比べると直すべきところもあると感じています。

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0052 日本心霊科学協会、霊訓の中心地など
名前: アラム  投稿日: 2001年08月16日 (木) 21時14分25秒

この学習会の内容と関係するのかはわかりませんが、
心霊科学協会のお話をされているようですね。

有希さんは「霊的真理より心霊現象、という感じでした」と述べられていますが、月刊誌を見た限りではそこに心霊哲学が加わっていますね。

「シルバーバーチの霊訓」よりも「マイヤースの通信」に連なるような感じの心霊哲学を作りあげようとしているように思われました。

かわさきさん、はじめまして
なぜ、イギリスがスピリチュアリズムの中心地になったのかと思いましたが、
その社会情勢と幽界の浄化の状態ですか。

霊界の霊媒となりやすかったのはレッド・マンだったわけですが、イギリスなどのもとにはケルトという霊的にかなり高度だったと思われる民族の霊がいましたね。ドルイドなどはかなりの霊的知識を有していたようですし、その影響も関係していたかもしれませんね。

 


0051 あのう〜、財団法人日本心霊科学協会というところです
名前: かわさき  投稿日: 2001年08月16日 (木) 15時25分42秒

ただその集まりによるでしょうね。一般の方が多いとどうしても、テレビで遣ってるような感じになるでしょう。私はああ言うのは嫌いなのであまり集まりにはでていません。でも中には私のように専門的に研究している人もいます。
ところでシルバーバーチの翻訳家の近藤氏は協会の会員です。バーチの翻訳は協会の機関紙「心霊研究」にずっと連載されていたものをまとめて出版したのです。最近は投稿はなさっていないようですが、お元気でがんばっておられるそうですよ。

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