スピリチュアリズム勉強会&座談会
('02.05.11作成)

第12回('02年4月21日)
「シルバーバーチは語る」
9章 キリスト教のどこが間違っているのか

その4


 

有希:じゃ、本文に戻って……と。あと何かありますか?

ペ:P148の後から2行目で、

地上界ではリーダーが重んじられてきました。それは決して悪いことではないのですが、問題はその偉大さが過大評価されて、そのリーダーが全能視されるようになってから面倒が生じ始めました。(P148-149)

という辺りからのことで、これはシルバーバーチ自身に対しても、あんまりこればかりというふうに視野が狭くなっちゃうといけないんじゃないかな〜ということで、自分を戒める意味もこめてここを選んだんですけど。やっぱり僕でも、シルバーバーチだけを根拠にして考えるんじゃなくて、これは唯物主義者だったらどういうふうに判断するかとか、そういうことも合わせて考えるようにもしているんですよ。

有希:というと?

ペ:というのは何故かといえば、自分はシルバーバーチが最高だと思っているし、すばらしい、ほとんど全面的に正しいと、そう思って読んでいますけど、たぶん他の宗教を信じている人も同じようにそれぞれの教義を信じてやっていますよね。そしたら、スピリチュアリズムを信じる自分とそういうのと、いったい何が違うのか、というのがあるんです。
僕なりにそれは何かと言ってみると、宗教者はそれにはまり切って疑問を持たなくなるほど尊ばれる。逆にスピリチュアリストは、常に自分たちの信じるものに疑いを持つことが出来る。それは精神的により大人で、余裕があるということだと思うんです。そういう余裕のない“宗教者”は、世の中から浮いてしまいますよね。強引に知り合いを勧誘して回ったりとか、反社会的な行動に出たり……。そういうのを反面教師に、常に複眼的な視点を持つべきですし、そうでなければシルバーバーチが言うように、おかしいと思ったら捨て去ることなんか出来るはずがありませんよね。
ですからスピリチュアリストであれば、スピリチュアリズム的な視点だけじゃなくて、唯物主義者的な思考方法も同時に意識することが出来るし、またするべきだと思うわけです。他の宗教者とは違って。

有希:私はここを素直にこの通り読んだので……。

長田:私もそうです。このページのもう少し前で、P148の4行目

ここにこそ私たちが地上界へ舞い戻ってきた理由があるのです。いかなる人物であろうと一個の人間に忠誠を捧げてはいけない。いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、それのみにこだわってはいけない。いかなるリーダーであろうと、たとえ霊界の存在であっても、絶対的に服従してはいけない。絶対的忠誠を捧げ得るべきは宇宙の摂理である。なぜなら、これだけは謬ることもなければ裏切ることもないから、ということを教える必要があるからです。だからこそ私たちは、大自然の摂理、法則の存在、それのみを説くのです。(P148)

今ペーパーバーチさんが言われたのと同じことなんですが、この部分が大切なところだなぁと思うんです。やっぱり摂理、法則は絶対的で、それを変えることはできないし、全ての人間が霊的成長に向けて歩んでいるというのも摂理だから、それを踏まえて歩んでいかなければいけないわけですよね。シルバーバーチによって降ろされた真理が大切でシルバーバーチ教になっちゃあいけないということですものね。

有希:時々、スピリチュアリストというのはシルバーバーチの信奉者じゃないかとか、シルバーバーチ教だと言っている人もいますね。そうじゃないんですよ、と言うんだけれど、その辺ですよね。

ペ:どう違うんだ、とね。

有希:なぜシルバーバーチがいいのか、というと、他の霊訓と比べてみても、これが一番優れていると自分で判断したものですし、自分が選んだんですものね。シルバーバーチもどこかで述べているけれども、必要な時期が来れば、自分よりも上のものが来て、更に上のことを語るようになるって言ってますしね。そしたら、こんどはそっちに移行するわけですよね。もしもシルバーバーチ教だったら、いくら高いものが出てきても移行することはないですよ。

長田:そうですよね。だから、あくまでもシルバーバーチというのは、今にとって必要な真理を教えてくれている存在で、これがある程度広められて、次にもっと必要なものがあれば当然次のことが降りてきますよね。

ペ:まぁ、もっと言えば「自分の言っていることを全部信じる必要がない」というようなところが他の宗教とはだいぶ違いますよね。

有希:これは、決定的に違いますよね。

ペ:だから僕なんかは肉も食べるし。それとか、シルバーバーチはあんまり輸血も賛成できないと言ってますよね。そこら辺は今の世の中の一般的な視点から言うと、やっぱり輸血ぐらいは必要だろうと思うし、臓器移植も僕は今は、必要なことなんじゃないかなと思うんですよ。ここら辺は特に日本ではいろいろ別れるところだと思うんですけど。

有希:それは、それぞれの考えの違いになってきますよね。でも輸血なんかでは、あるところでは代用血液というのをどんどん利用している病院もあるし、人間の血液を使わなくても手術ができるというのがありますよね。

ペ:そういうのができればそういう方がいいですよね。でももし自分の子供に臓器移植が必要になったら、僕だったら海外に行ってでも方法を探しますよ。やっぱりシルバーバーチが何と言おうが。

有希:私はシルバーバーチが言わなくてもやりませんね。私は子供に執着していないし、生にも執着していないから、子供は子供で自分が助かりたいために臓器移植したいんなら自分でどうぞと言います。結局私はやってあげません、ということになるんですけどね。私がもし臓器移植しなければ生きていけないんだったら即死ぬ方を選びます。だけど自分が臓器移植することで何かすごく良い影響が出るならするかもしれないです。だから絶対にいけないとか、そういうことじゃなくて、その時の状況とか、周りとの兼ね合いですよね。自分だけ助かりたいわけじゃなくて、ということかな〜。でも、大雑把に考えて、死んでも死なないわけだから。例えば事故か何かで片腕がなくなってしまっても、それはそういう障害を持ったままで生きていく人生を歩むべくようになっていたんだなぁと、それをそのまま受け入れる方が楽ですよね。

ペ:そういうものを受けいれるのは楽になりますよね。スピリチュアリズムの知識を持っていれば。

有希:臓器移植は私は反対だけれど、賛成している人に「考えを改めなさい」とは私は言いません。あくまでも、それぞれの考えがありますものね。この本の中で一つ気になったところがあったんですよ。P150の近藤さん訳注なんです。2行目からで

キリスト教に私が我慢ならないのは説くチャンスはいくらでもありながら、本当の事実を信者に明かそうとしないからです。(P150)

この「本当の事実」の例にガリレオを出しているんですよね。私がこれを思ったのは、例えばイエスは霊魂とか霊界のことも述べているのに、キリスト教は霊魂とか霊界の所在をはっきりしていないですよね。でもキリスト教徒の中には霊界とか霊魂の存在とかを認める者もいるにもかかわらず伏せてしまっていると思うんです。こういうこととか、あと贖罪論。罪を認めれば罪が無くなるとか、これは違うと思っている人は一杯いると思うんだけど、それを違うとあくまでも言わないところとか。私はこういうところの方が大切だと思ったんですけどね。

ペ:でもこの訳注は、本文の趣旨を正しく反映した良い例だと思いますけど。キリスト教の中には、そういう事実をちゃんと知っている人が結構いるはずなのに、今だにずっと認めないということをシルバーバーチがここでは言ってるわけですよね。この地球が回っているということも同じじゃないですか。キリスト教会も、ずっとみんな(ガリレオを処罰したことは間違っていたと)わかっているはずなのに公式にはそれを認めてなかったわけですよ。ここでいう1990年代までは。それぐらい硬直しているという例として、すごくなるほどと思いましたけど。

長田:私もこれを読んで、すごい強情なんだとびっくりしましたけどね。

ペ:確か新聞で読んだ記憶ありますよ。

有希:例題としては、おやっと思ってしまったけど、そう言われてみればそうですね。

ペ:あと、この「説くチャンスはいくらでもありながら」というのは、江原さん……。

有希:スピリチュアリズムという言葉を出しているなら、ちゃんとしたことを説かなくちゃいけないですよね。あの人の場合、説くチャンスはいっぱいあるわけだし、あの人の影響力は大きいですものね。悪影響ばかり与えてどうすんのって、やっぱりなっちゃいますよ。だから、江原さんが教えているスピリチュアリズムというのは、学校の先生に例えてみると、100円で60円の物を買ったら40円おつりです、と教えるところを、いかにして、あと5円値切るのか、というのを教えるようなものだなとふと思ったんですよ。そっちの方が多くて肝心な部分がどうもはっきりしていないなと思うんですね。

ペ:どういうことを話しかけながらお金を渡したら、おつりを間違えるか、と、そんなことをしゃべっているような感じですよね。おつりが多かったら黙って帰りましょう、少なかったら文句を言いましょう、みたいな。ある意味間違ったことを言ってはいないかもしれないけど(苦笑)。

有希:まぁ生きて行く力は強くなるかもしれないですけどね。それからP152の後ろから3行目

知識にも真理にも、叡智にも成長にも、これでおしまいという極限がないことを悟った時、その時こそ本当の意味で「自由」となるのです。内心では間違っていると感じていること、理性が得心しないことを潔く捨て去った時、その時こそあなたは「自由」となるのです。知性が反乱の雄叫びを上げたのです。新しい真理の光で自分の間違いに気づき、怖じけることなくそれを捨て去った時、あなたは本当の意味で「自由」となるのです。(P152)

これは、キリスト教との関係から「自由」になることを言っているわけですよね。で、私は別の形で自由というのを考えたんです。自由じゃない人というのは、自分で自分を縛っているというか、例えば慣習とか世俗のしがらみとかたくさんあるけれど、自由な人というのは、しがらみがあったとしても、それに囚われない人だと思ったんです。執着心がなくなれば苦しくないんですよね。しがらみで苦しいというのは、それに沿わなくちゃいけない、でも沿えないというので苦しいから心が自由じゃないんですもんね。

長田:私も、最後に「本当の意味の自由」って書いてあるんだけど、やっぱり魂が成長していないと、本当の意味の自由って、与えられていないように思うんですよ。例えば、子供を育てている時に、ある程度は善悪がわかって、成長してきたら、親は「もう自分で考えた通りにしていいよ」とか「自分の自由にしていいよ」と言って手離しますよね。それと、神と人間の関係も同じかなと思うんです。魂が成長していない人は、物質とかいろいろなものに囚われていて、本人は自由だと思っているけど、本当の意味の自由じゃないというか。だから成長していないと、本当の意味の自由の有り難さはわからないだろうなと思います。

有希:あと、一般的にいう「自由」だと、何でも好き放題にできることを自由だと勘違いしていますよね。本当の自由とは、一般的にいえば責任が伴うことですしね。本当の自由というのは正しい方向にはいくらでも自由で、どれだけやっても無制限ということですよね。でも悪いものだったら潔く捨てる自由というか、これが本当の自由じゃないかなというふうに思うんです。そうすると魂が成長していればしているほど善の方を選んで実行できる範囲が非常に広くなるし、でまた、自分で悪い方をスパッと断ち切れるだけの潔さというのもできるんじゃないかなと思うんです。やっぱり魂の成長度ですよね。だから成長していない人は、いつまでも囚われてしまって、回りに足を引っ張られたりとかして、スパッと割り切れないんですよね。

長田:そうすると、やっぱりスピリチュアリズムを勉強するのが一番早いということですよね。スピリチュアリズムは、囚われるものとか縛られる物は何もありませんしね。ただ自分の未熟さとの闘いだけですもの。

有希:宗教組織だと、仲間に囚われて、教祖に囚われて、教義に縛られてどんどん狭くなってっちゃうもんね。これはダメ、あれはダメとか。これも必要な人には一時必要かなという気もするけど。

長田:でも裏を返せばスピリチュアリズムは自分で選択していくわけだから、厳しいことは厳しいんですよね。ごまかすこともできるわけだし。でも、全部自分に返ってくるんですけどね。

鈴木:理性が得心しないことを潔く捨て去る時の恐怖ってのがすごいんですよね。本当にこれを捨てていいのかと思うと、なかなか手放せなかったり……。

ペ:統一教会みたいなカルトから抜けた元信者が同じようなことを言いますよね。理性ではこれは間違っているというのがわかっても恐怖心でなかなか離れられないと。

有希:抜けた後はずっと罪悪感がつきまとうみたいです。自分は落伍者だってね。そういう恐怖観念はずっと尾を引くみたいで、結構大変ですよね。でも統一教会を辞めた人で、自分が統一教会を見切ったんだという辞め方をした人は、後はひきずってないですね。

長田:その違いは大きいですね。一つのステップにできるかできないかということだから。

有希:じゃ、はしょって最後に、P165の6行目。

そこで私たちは皆さん方に奉仕というものを要求するのです。自分を捨て、我欲を捨て、地上的なものよりも天上的なものを優先さえ、お一人お一人が大霊のメッセンジャーとなっていただきたいのです。(P165)

これは、もう、グ〜っときましたよ。

鈴木:そうですね。僕はシルバーバーチを読んで何回泣いたことか。

ペ:あぁ、泣きましたか。いや、それは恥ずかしいことじゃなくて、ちゃんとシルバーバーチで泣ける感性の持ち主と分かって安心しました。僕もシルバーバーチと出会って15年、いまだに泣けますからねぇ。

鈴木:そうですか、よかった〜。

有希:シルバーバーチの言葉って、なんかジワジワジワ〜っときちゃいますよね。で、普通だったら、自分よりもただ相手のためなんだけれど、ここでは、そうは言っていないんですよね。自分を捨て、我欲を捨て、地上的なものよりも天上的なものを優先させることを言っています。ここで言っている意味はすごく深くて広いな〜と思いました。これが本当にできたら聖人だと思うんです。まぁ、なかなかここまではできないんだけど、いつかはできるようになりたいなぁとは思います。地上的なものよりも天上的なものを優先させた結果というのは、不思議に絶対に悪くならないんですよね。学ぶこともいっぱいあるし、この摂理は不思議だけれども、絶対皆さんに体験してほしいなと思います。よく犠牲になるというと、自分が損するように思うじゃないですか。でも犠牲という言葉がこれしか日本語はないからまずいんじゃないかなと思うんだけれども、自分のことを後回しにしていると、最後は自分が一番得するんですよね。本当に見事に自分が一番得するし、一番学ぶんですよね。自分を後回しにすることでどれだけ自分に利益があるかというのは、体験した者しかわからないでしょうねえ。

ペ:HPやっていると、よく思いますね。良いこと悪いこといろいろありますけど、やっぱり自分がいちばん得してるなーって。
うちのHPのおかげでシルバーバーチと出会えましたという書きこみをしてくる人がたまに出てこられるじゃないですか。そういうのを読んじゃうと、思わずホロリと……。会社でこっそり覗いてたりするんで、他の人に見られないように気を使いつつ(笑)。本当に、うちのHPのおかげで出会えたという人が出てくれると、嬉しくて涙が出ますねー。

有希:ペーパーバーチさんって純粋なんですね。私は、「こんなふうに自分が変わりました」とか、「こんなふうに感じるようになりました」とか書いてくださるともうダメですね。涙がボロボロ〜ってきちゃいます。

ペ:ちょっとした書きこみでも、ニューエイジ的な考え方を持っている人がちょっと読んでみて「シルバーバーチもいいね」という感じじゃないのはわかりますから。読めば。この人はちゃんと出会うべくして出会った人かな、というのは。ちゃんとまっすぐ受けとめられる人だなというのは、文章の感じでわかりますよね。そういう人が書きこんでくれるから泣けるんですよ。

有希:そうかあ、それはありますね。私は自分のところじゃなくて、ペーパーバーチさんのところで出会ってもすごい嬉しいですよ。別に江原さんのところから来てくれても、それはそれで嬉しいし。ここまで来てくれたということ自身がうれしいです。背後はよく頑張ってくれたんだなと思います。

ペ:江原さんの本でも、他の変な霊能力者の本とかと比べれば、よっぽどマシなこと書いてありますからね。気づく人は、スピリチュアリズムというものに何かがあるんだというのを感じてきてくれるというのもあるんじゃないんですか。でもそれと江原さんの存在がいいかどうかというのはまた別の話ということですけど。

有希:それじゃ、今日はここまでにして、感想で終わりにしましょう。

ペ:なかなかすばらしい初めての人が来られて、普段と違う感じでいろいろな話が出てよかったですね。本当は、あまリ読んでいないということでちょっと心配していたんですけど、でも知識とかそういうことじゃなくて、まっすぐな感じというか、しっかり受けとめられる人だなぁと思って。ちゃんと話もはずんだし、よかったと思います。

有希:私も最初メールもらった時は、「今から読みます」ということだったので、話についてこられるかなというのが正直ありました。でも、私たちが再確認させられることがいっぱいあったので、来て頂いて本当によかったです。

ペ:僕は意外と楽観的でなんとかなるんじゃないかと。ならなかったら有希さんのせいにしようと(笑)

有希:ははは、そうしてください(^◇^)

長田:やっぱり新しい人の話を聞くと、ちゃんと導かれてるんだなぁというのをすごく感じることができて、久しぶりに新鮮な気持ちになれました。それから、「人のために役に立ちたい」という熱意がすごく伝わってきて、いい刺激になりました。

有希:大切なのは、今のこの気持ちを失わないことですよね。一時ハイになることはよくあることです。でも、続行させることのはとても難しいので……。今日お会いして、鈴木さんの背後は本当によく頑張ってくれたな、というのがよくわかりました。

鈴木:今日の朝から、何だかすごいハイテンションで、ワクワクしていて、外の世界がとても明るく見えたのが印象的でした。輝いて見えるというのは本当で、これだなと思いました。展示ケースに展示されているように、町並みが全部キラキラ光っているんですよね。で、来てみて大変勉強になりました。本屋さんで偶然拾った本を見て、インターネットで調べて、そのHPを見て、こちらに来て、すごい偶然がつながっているんですよね。おっしゃられたように、本当に守護霊に頑張っていただいたというか、それを実感しています。これから自分で正しいと思う道を一生懸命頑張っていきたいと思います。いろいろ迷うことがあると思うので、その時は皆さんにご指導いただければと思います。本当にありがとうございました。

有希:ご指導なんてできないですよ。参考になる程度なら言えるかもしれないですけどね。

ペ:一緒に勉強していく仲間というか、そんな感じじゃないですか。

有希:そうですね。じゃ、以上で終わりにしましょう。次回は「第10章 人工的教義と霊的真理」です。

 


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