スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.12.17作成)

第7回('01年11月24日)
「シルバーバーチは語る」
5章 絶対的摂理の存在

その2


 

長田:それからここで質問なんですけど、その次に――

人間の多くは思想の主人であるより奴隷となっております。(P78)

この文の意味がどうしても分からないんですけど。

有希:考えて次のステップにするというのが、思想の主人だと思います。それに比べて、ただやたら考えるだけ考えて、もやもやして堂々巡りをしているようなのが、思想の奴隷になっていることだと思います。例えばテロの事件でいえば、シルバーバーチの言うように「霊的視点で見ればそれはそれでいいんです」と考えるとすっきりします。でも地上的視点で見ると、あれだけ多くの罪も無い人たちが殺されて、その罪はアメリカにあるのか、それともタリバンにあるのか、と考えていくと事がどんどん大きくなって余計に悶々としてしまいますよね。その違いだと思います。考え始めたらわけが分からなくなるとか、答えは分かっているのに認めたくなくて、ああだのこうだのと勝手に色々展開していくのが「思想の奴隷」なのかもね。

長田:そういう人、よくいますね。分かりました。

有希:ところでP80の真中あたり

その霊力に反応する人であれば、それが誰であろうと、そこがどこであろうと、高級界からの霊力を注ぎ、精神を明るく照らし出し、魂を鼓舞し、神のブドウ園の園丁として使用します。(P80)

この「ブドウ園の園丁」という例が出てきますけど、どんな内容か知っていますか? この時に聖書を開いてみたんですけど、おや〜という箇所でした。聖書のマタイの第20章なんですよ。読んでみますね。

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に出かけていくようなものである。彼は労働者たちと、1日1デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。それから9時ごろに出ていって、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った。『あなた方もぶどう園に行きなさい。相当な賃金を払うから』。そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた12時ごろと3時ごろとに出て行って、同じようにした。5時頃また出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った。『なぜ何もしないで、1日中ここに立っていたのか』。彼らが『誰も私たちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った。『あなた方もぶどう園に行きなさい』。さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った。『労働者たちを呼びなさい。そして、最後に来た人たちからはじめて、順々に最初に来た人々に渡るように賃金を払ってやりなさい』。そこで、5時ごろに雇われた人々が来て、それぞれ1デナリずつもらった。ところが、最初の人が来て、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも1デナリずつもらっただけであった。もらった時、家の主人に向かって不平を漏らして言った。『この最後の者たちは1時間しか働かなかったのに、あなたは1日中、労苦と暑さを辛抱した私たちと同じ扱いをなさいました』。そこで彼はその一人に答えて言った。『友よ、私はあなたに対して不正をしてはいない。あなたは私と1デナリの約束をしたではないか。自分の賃金をもらって行きなさい。私はこの最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは当たり前でははないか。それとも、私が気前よくしているので、ねたましく思うのか』。このように、後の物は先になり、先の者は後になるだろう

私達からすると、たくさん働いた人はたくさんお金がもらえて当り前で、一時間しか働かない人は一時間分だけしかもらえないのが普通だと思いますよね。なぜそれがいけないのか、ずっと疑問に思っていたところだったんですけど、夕べこの箇所を改めて読んでみてとても納得したんですよ。実は20年前に読んだ時に理解できなくて保留にしていたところだったので。こんなところでわからせてもらえるなんて思ってもいませんでした。

ペ:僕が思ったのは、ええと、無限大×1も無限大×100も同じ無限大なんですよ。だから、いつ来たかというのにかかわらず同じように尊いのだということじゃないかと……。大霊の使者というか、道具として働く価値は等しく尊いということだと思ったんですけど。

有希:ああ、なるほど、シルバーバーチのこの文からすると多分そういう意味ですよね。では「後の者は先になり、先の者は後になる」というのはどうでしょうか。私が思ったのは、例えば科学で考えたとします。科学の先駆者で有名な一人といえばニュートンだと思いますが、何でも一番最初というのは非常に単純で、すでに発達した今の時点から見るとつたないですよね。でもその功績はとっても大きくて、後になればなるほど技術とかが積み重なって、すごく大きい結果を出す事が出来ると思うんです。後になればなるほど最初のものがちゃちに見えてくるけど、全体の価値としては同じ、というように私は思ったんですよ。

ペ:は〜、なるほど〜。

有希:このシルバーバーチの箇所でいう「その霊力に反応する人」とは、ブドウ園の主人の声掛けに素直について来る人という事ですよね。来た人には必ず恩恵があります、ということと、その霊力を素直に受けいれるかどうか、という事かな。それと、地上から見たら不平等に見えるけれど、霊的には平等、っていうか。

ペ:ふむふむ。
それでは次に行きますね。P81の後ろから4行目――

神の摂理はそのようにして働くのです。つまり摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっているのです。結果が出ないということは、生き方のどこかに摂理に順応していないところがあることの証拠です。(P81)

これは本当にその通りだと思って読んだんです。よく色々な人を見ていると、不平不満を言って、今の自分は何でこんなに不幸なんだという人がいますよね。でもなぜそうなっているかというと、やっぱりその人の生き方が摂理に適っていないところがあるからそうなんだという、結局自分の責任じゃないのと思う事がありますよね。別に霊的から見るまでもなく、この世的な視点からでもそう言える人がほとんどですよね。
例えば「あの家の子はあんなに立派なのに、どうしてウチの子はこうなの」とか……「おまえが育てたんだろっ!」って(笑)。自分で不幸のタネを蒔いておきながら、どうして私ばかり不幸なのって嘆いてる。こういう人結構いますから、ちゃんと基本的にところは押さえておかないと、頓珍漢なところで嘆いている人が多いんじゃないかなと思います。

有希:自分で思ったとおりの結果が出ないと不平不満が出るということですね。そういう人って多いです。例えば同じ不幸な状態にあったとしても、不平不満で責任転嫁ばかりする人と、逆にそこから何かを学ぼうとする人と2通りあるからその差は大きいと思います。

ペ:ほんと、大きいですね。

長田:よく耳にする事が、思い続けるとそのイメージ通りになるから、不平不満を口に出している人はいつまで経っても不平不満の生活にしかならないって。だから「ウチの子はだめだ」と愚痴ばかり言っているから子供も良くなっていかない。その人が口に出した事、イメージした事が現実化していくと言う人がいますけど、それって本当だなと思います。自分で不幸を呼び寄せてるってことですから。

ペ:特に一緒に暮らしている子供の場合は親のオーラの影響も受けますから、本当に親の影響力と責任は大きいです。それと、だいたい後ろ向きな人とは他の人も付き合いたくないから、人も離れていってしまいますよね。

有希:それはありますね、気をつけましょう。
次におもしろいと思ったのがP82の1行目です。

試練に耐えずして神に不平を言ってばかりの人を相手にしてはいけません。(P82)

ここを読んで、そうかあ、相手にしなくていいんだって思いました。シルバーバーチは嘆いている人とか悲しんでいる人を1人でも……と言う箇所が多いのに、ここでは相手にしてはいけませんと言っているから意外でした。嘆いていても何とか立ち上がろうという人は、いくら手を貸してもいいけど、いくら手を貸しても不平ばかり言っている人には……という事ですよね。

長田:そうね、最初からそっぽ向いている人にはどうする事も出来ないもの。

有希:最初からそっぽ向く人に「それじゃあいけないよ」と言うと、余計にそっぽ向くものね。

ペ:結局シルバーバーチが言うには、スピリチュアリストとしては不平不満を言うのではなくて、次のP82の5行目

「私は大霊の一部だ!私を破滅させ得るものは何もない。永遠の存在なのだ!無限の可能性を秘めた存在なのだ!限りある物質界の何一つとして私を傷つけることは出来ないのだ!」

というふうに言えれば大丈夫なんだという。これに尽きるんじゃないですかね。

有希:私はどうもここはしっくり来ないんですが、しっくり来ました?

ペ:ええ、僕はわりといつもこういうことなんだと思いながらいるので、しっくり来ますけど。大霊の一部だ!とまではなかなか言えないですけど。

長田:こういうように言えたら強いなと思いましたけど。

有希:理屈ではわかりますが、私と全然違う感覚なのでしっくりこないなあ。

ペ:ものすごーく卑近な例を挙げましょうか。
僕の友達で、ええと、あまり詳しく言うと本人に読まれるかも知れないんで(汗)……「どうせ私なんかブスだから」みたいなことを言う女の子がいたんですね。容姿だけを見れば、まぁ、確かに合コンとかで会ったらガッカリするだろうなとは正直思うものの……あ、ぼく、ヒドいこと言ってます?……でも、顔の造作だけで言えば同じようなレベルでも、そこそこモテてる子はいるわけです。何が違うかって言うと、やっばり「自分なんか」という思いが足を引っ張っているというのがあるんですよ。
それって結局、物質の部分で引っ掛かっちゃってるということですよね。本質は霊で無限の可能性を秘めた存在なのに、物質的な部分の造作に囚われて、もっと大きくて重要なはずの霊性の部分まで押し込めてしまっていて、もったいないなと思うんです。すごく簡単に言えばそういうことかなと。大霊の一部だというと、おまりにも大げさすぎてなかなか実感として思えないというのは分かりますけど。要するに、霊が主なんだから物質世界の些細なことに負けることなんかないということでしょう?
「私を破滅させ得るものは何もない」というのも要するに「何とかなるよ!」「大丈夫だよ!」という事じゃないですか。自分としてはそういうふうに受け止めてますけど。

有希:なるほどね。

ペ:言葉は大げさになっていますけど、他のところで言っている事を集約して言っているだけだと思います。もう少し後で「完全なる愛は恐れを取り除く」(P82)という言葉も出ていますよね。

有希:この言葉の方が私にはしっくり来るなあ。
それでは次に行きましょう。P83の1行目です。

霊的能力の値打ちが上がるということは、霊的感度が増すということです。(P83)

この「霊的感度が増す」ということはどういうことなんでしょう。霊性が上がるとか霊性が豊かになると考えていいんですよね。

長田:そうですよね。「霊的感度」だけをとると、霊的敏感度というか、霊感の感度と取られがちですものね。

有希:ええ。やっぱり霊感の方ではなくて霊性の方ですよね。「霊性の感度」に書き換えて欲しいなあ。
では次へどうぞ。

長田:P83の5行目――

人間はその内部に何よりも貴重な神性という富を宿しています。大霊の一部です。地上のどこを探しても、それに匹敵する富や宝は存在しません。その魂の内部の鉱脈をいかにして探査し、肉体的本性の奥に埋もれたダイヤモンドを引き出すか、それをお教えしようとしているのです。そのためには霊の世界の最高の階層のバイブレーションに反応するようになっていただかねばなりません。(P83)

昔、この霊的真理を手にする事が出来て本当に良かったと思った時があります。もちろん今でもそう思っていますけど。これは地上の目に見えるもののどんなものにも代えがたい宝だな、と思ったのと同時に、自分の中に埋もれているまだ原石のダイヤモンドを磨いていかなければ、と心からそう思ったことがあったのでここを選びました。それからその為に「最高の階層のバイブレーションに反応する」とはどういうことなのかを、もう少し説明して欲しいんですけど。

有希:私は(心の道場が出している)ニューズレターだと思ったんです。ニューズレターってとっても高い事を言っていますよね。そうすると、そのバイブレーションに合う人は、あれを読んでとても心地よくて、そうだそうだ!! と納得できるのだけれど、バイブレーションの低い人はあれに反発するみたいです。

長田:そうですね。反発する人もあれば、ちんぷんかんぷんの人もあるし、本当に様々ですよね。

有希:反発する人はまだその途中の人ですよね。例えばシルバーバーチを読んでも反発する人もいるんですよ。逆にすごく心地よくて、これこそ本物だと反応できる人もいますよね。

ペ:シルバーバーチの霊訓を読んでも、「いい事は書いてあるね」だけで、全然感銘を受けない人は結構いますからね。反発する方がまだ反応しているかなという気がしますよ。

有希:でもシルバーバーチに反発する人はあまり聞かないけど、ニューズレターに反発する人は一杯いると思うから。

ペ:あれは相当忌憚の無い意見が書かれていますからね。もしかして読む人を試しながら書いてるんじゃないかという……。過激というか反発を受けそうな内容も、確信犯的に書いている部分も大きいんじゃないですか。

有希:そんな感じですよね。言葉じりとか表現の仕方にとらわれている人は絶対に反発しますよね。摂理がわかっている人とか、内容が読める人というのは反発しないですから。

長田:そうですね、何となく分かりました。時間も残り少なくなってきましたので、最後にもう少し説明して欲しいところがあるんですけど、P84の5行目

証拠を何一つ見なくても信じることの出来る人は幸せです。が、物的証拠を手にした上で目に見えない霊的事実、即ちこの宇宙が愛と叡智から生まれた霊的摂理によって支配されていることを悟った人は、なお一層幸せです。(P84)

有希:これは信仰者と唯物論者の違いだと思います。信仰者というのは「神がいるんですよ」と言われれば確信も持たずにただ信じようとしますよね。これが最初の「証拠を何一つ見なくても信じることの出来る人は幸せです。」ですよね。次に「物的証拠を手にした上で」というのは、例えば大槻教授のような人がもし霊界を信じて悟ったとしたらすごいと思うんです。そういうことかなと。

ペ:いや、大槻教授は論理的思考能力と人間性に問題が……(汗)
それはともかく、僕は物理的心霊現象をもっとみんな知って欲しいと思っています。例えば『ジャック・ウェバーの霊現象』とか僕のウェブサイトでも紹介していますよね。あのように実際にこういう現象が起こっている、だから霊は存在すると言えるのだ、と証拠を知った上で信じるのと、何もなくてただ漠然とあるんだろうなぁと思う、もしくは盲目的に信じ込むのでは、やっぱり知識という土台をしっかり持った上で信じている人の方が最後には強いと思いますから。それこそがスピリチュアリズムと既成宗教との、一番大きな相違点でもあるわけです。

有希:確信が持てるわけですもんね。霊現象を見たとしても、それでも信じない人がいるぐらいですから、それで信じる事が出来ればなお一層幸せですもん。

ペ:証拠も何もなしで、何となく信じている人のような、そういう信仰というのは妄想と紙一重の信仰だと思うんです。それはそれで幸せなんだけど、やっぱり知識を基にした理性的な信仰のほうがもっといい。
物理的な現象とかを取り上げていると「あそこは物的なことばかりやってる。程度が低い」みたいな事を言いたがる人がいるんです。でも、そうではないんだ、それも大事な事なんだよと言いたいですね。早く「妄信的信仰」から卒業して欲しいと思います。

有希:そうですね、絵に描いた餅では困るわけですものね。

ペ:だからシルバーバーチを読んですでに信じている人も、そういう物理現象をもう一度勉強し直してみるのもいいですよと言っておきたいです。

有希:それは具体的にはどういうことです? 私も実際には霊現象なんて見たことないし、せいぜいスピリチュアル・ヒーリング程度ですから。

ペ:霊的治療も証拠の為にしているわけですから、証拠といえば証拠ですよね。とは言え、なかなか全ての人が自分で体験して確認するのは難しいですから、どうしても本とかで知識を得ることになると思います。
先程言った『ジャック・ウェバーの霊現象』とか、モーリス・バーバネルも『これがスピリチュアリズムの世界だ』という本を出していますよね。シルバーバーチの霊媒が物理的心霊現象に関する本まで書いているのは、結構意外に思う人が多いんじゃないかな? でも、面白い本でもありますし、シルバーバーチの副読本として一度は読んでおくべきかな、と……どうでしょう?

有希:私の場合は霊現象も見ていないし、本を読んで信じただけでもないし、読んだ後、知識として残っている部分を自分で体験したことに確信が持てるんです。

ペ:僕はああいうのを読まなければ信じていなかったですよ。シルバーバーチの霊訓を読んで確かに心は動きましたが、信じられたかというと、たぶんそれだけでは信じられなかったと思います。

有希:ペーパーバーチさんの物的証拠にはお友達のスピリチュアルヒーリングも入りますか?

ペ:それも入りますが、やはり本がメインですね。けど、本で読むだけでは、もしかしたら全部嘘かも知れないと思ってしまうんで、自分自身であれこれ体験もできたというのは必要なことだったと思います。ただ、もちろんその理解の基準となる知識があればこその体験であって、それが必要になった時に霊界が動いてくれていたんでしょうね、やっぱり。
だから誰でも、まず本でも、インターネットでもいいから最低限の知識を求めて、その上で更に体験が必要だと霊界が判断すれば与えられるハズなので、いきなり心霊現象を見たいと思っても、それはなかなか難しいと思います。
それで、霊言集みたいな精神的なものをあれこれ読むのも大切ですけど、それを理解する上での前提条件として、物理的心霊現象に関する本も一つぐらいは読んでおいた方がいいんじゃないでしょうか。

有希:それはそうですね。やっぱり信じるだけではもろいですよね。でも、シルバーバーチも最後は信じるという世界に入ります、とどこかに書いてありましたよね。

ペ:この世のレベルでは証明できない事が一杯ありますからね。神は存在するのかどうか、とか。いくら物理的な心霊現象を観察しても分かるはずのないことは多々ありますし。

有希:なるほど、そうですね。
では今日はここまでにして、最後に感想で終わりにしましょうか。

長田:今日のところはとっても難しいと感じていたんですが、お二人の意見を聞けて本当に良かったと思います。一人で考えていてもどうしてもわかり難いという事が沢山あったのが、何となくでも分かりかけてきたのは良い収穫だったと思います。それから、自分はまだまだ頭だけの世界で言っている事はわかるのだけれども、魂が理解できていないというか、実感として分からない部分が何て多いんだろうと改めて再確認できました。

ペ:今日はとっても盛り沢山でしたね。それぞれ感銘を受ける場所が微妙に違ったりして、僕の附箋《ふせん》の箇所と、有希さんと長田さんの附箋の箇所を全部つなぎ合わせると全文になっちゃうような状態ですよね。

有希:ホントそうですよね。それからいつも思うのが、自分だけでそうだそうだと思って読むよりも、みんなで一緒に読んで語り合う事ってすごく大きいと思いました。魂の染み込み方が違いますよね。よく言霊と言いますが、やっぱり自分の口から出した言葉は自分に返ってくるから、魂に染み込みますよね。掲示板もそうですけど、書き込むことで自分に言い聞かせて、自分に逆流してきて、自分で学んだり整理されたりする部分ってありますから。今日は語り合う重要性をひしひしと感じました。

 


前ページ

勉強会トップページへ