心霊学研究所
『ジャック・ウェバーの霊現象』
ハリー・エドワーズ著/近藤千雄訳
('01.01.01登録)
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前章まで読まれた方の心にはさまざまな疑問が渦巻いていることであろう。もちろん死後の存続を確信している人にとっては、これ以上何一つ付け加える必要はない。霊力の驚異的な働きを改めて確認して、驚嘆しつつもそれを理解することが出来るからである。 が、こうした現象に何の予備知識も持ち合わせない人にとっては、大なり小なりの当惑は免れないであろう。くどいようであるが、現象はすべてごく最近起きたものばかりである。そして今なお起きている。見ようと思えば見られるし、写真に撮ることも出来る。 もっとも、だからといって、こういう現象を見せろとか、ああいう現象を撮らせろといった興味本位の個人的な要求にいちいち応じるわけにはいかない。そんな性質のものではないのである。が、真面目な研究団体からの要求に対しては出来得るかぎりの便宜を図る用意のあることを表明しておく。実験会に関する報道記事の一つ一つ、並びに写真の一枚一枚について何度でも繰り返し立証することが可能なのである。(本稿は霊媒の他界前に書いた。但し、同種の現象は他の霊媒による実験会でも見られることを付記しておく) こうしたことを私が今さらのように強調するのは、一つ一つについてそれほどまでに徹底した確証を用意していても、予想される唯一の非難、つまり、その現象をすべて想像上の産物ときめつけ、何千人もの出席者と諸機関の代表を巻き込んだ陰謀によって写真を“演出”したのだという説に対処するためである。 さて、もしも読者が本書で紹介された超常現象をすべて本物と認められるなら、次に列記する事実から重大な結論に達することであろう。
以上の観察から次のような問いかけとその結論が出てくる。 霊的エネルギー及び物理的エネルギーの双方を指揮・操作できる知的存在とは一体いかなる存在なのか。論理的にはどうあっても肉体のない存在、すなわち霊的な知的存在ということになる。それは、その霊的存在が人間の霊媒能力を通じて人間と交信するために他の霊的存在と連絡し合っていることが間違いない事実であることを考慮するとなお一層確実である。さらに論理的にはこの地上生活のあとに引き続き個人的存在としての活動の期間があるに相違ない。 結局われわれは第一章の“まえがき”で述べた本書の目的に舞い戻って来たことになる。それは、死後の存続が真実であること----証明された事実であることを立証することであった。もし本書がそれを立証し得たとすれば、本書の目的が成就されたことになり、従来の価値観に大きな変化が生じるに違いない。 |